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2014年10月26日

ドーナツに関する話

141026.jpg心底どうでもいい話で申し訳ありませんが、最近、自分がドーナツ好きだということに気づきました。朝食に、仕事の合間のおやつに、夜の一服のお供に、という具合にかなりの頻度で食べています。
おいしいし、味のバリエーションも豊富。といっても冒険できないタイプなので、食べる種類はごくごく限られていますが。
ドリンクとの相性が良いことも大きな魅力。コーラや紅茶と食べてもおいしいし、何といってもコーヒーとの相性はサイコーです。
それにルックスも良いじゃありませんか。丸くて真ん中が空洞。キュートで、見ようによってはどこかトンマ。そして、人を哲学的にさせる佇まい。こういう人がいたら完全にリスペクトです。

そういえば、「ドーナツの穴だけを残して食べるにはどうすれば良いか」という珍題に、大学教授がそれぞれの専門分野の視点で考える、タイトルもそのまんまの『ドーナツを穴だけ残して食べる』という本が話題になりましたね。

そして、ドーナツといって忘れてはならないのが『ツイン・ピークス』。警察署の机にズラーッとドーナツが並べられているシーンは、凄いインパクトでした。デヴィッド・リンチは日常の光景を非日常的なものにひっくり返す天才です。
ここ2〜3年前から超自然現象やスモールタウンの悪意、食への関心など、『ツイン・ピークス』で扱っていたテーマが“今”につながっていると感じることが多くなり、もう一度観直したいなと思っていたら、テレビシリーズと劇場版を完全コンプリートしたブルーレイのボックスセットが発売されました。日本版は誰もいらないTシャツをつけて輸入版の倍の値段をとるって、ひど過ぎでしょ! 輸入版にも日本語字幕と吹き替えもついているので、買うなら絶対にこっち。
そして何と、2016年放送予定で『ツイン・ピークス』の新シリーズがつくられることが発表されました。しかも、今回もデヴィッド・リンチとマーク・フロストが脚本とプロデュースでガッツリ関わるというから期待値は上がります。舞台はローラ・パーマー殺害事件が発生してから25年後のツイン・ピークス…。想像するだけで、いろんな意味でゾクゾクします。

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2014年08月31日

見える化はNG

140831.jpgやっぱりアカンですか…、おっさんの乳首が透けてるの。
テレビ番組でこのテーマを取り上げていて、女性にアンケートをとったら、大半がNGという結果に。さらにインタビューでは、‘そない汚いもの扱いせんでもいいやないですか!’と声を上げたくなるほどの、辛辣なコメントのオンパレード。
これって作為的じゃないですか? だって、何も聞かれない真っ白な状態なら特に気にしなくても、‘おっさんの乳首が透けてるのって、どう思いますか?’と聞かれたら、僕だってマイナス寄りな発言をしてしまいますから。

でもまぁ、確かに気になっていたことではありました。数年前、タイトな白のポロシャツを買ったら、ピッ、ピッと乳首が突起しているのを発見。ちょっと恥ずかしかったので、アンダーウェアを着たものの突起したままだったため、そのポロシャツ単体で着ることはなくなりました。今年買った白のTシャツでも、まったく同じ現象が発生。
気になったので、他のTシャツを着てチェックしてみると、結構な確率で突起しているではありませんか! 思いのほか強いです。僕の乳首。
胸板は少し厚つ目ですが、全然マッチョではありませんし、乳首自体も小さいのに、何ででしょう。
ということで、メンズ用ニップルもアリなのかと思って調べてみたら、結構なお値段するので、ただいま保留中。需要があれば値段も下がってくると思うので、みんなで使いはじめませんか?

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2014年06月01日

のりたけさんのTシャツ

140601.jpg5月になって随分経つのに、朝夕は「何や、さぶいなぁ」と思っていたら、いきなり夏みたいな暑さになりましたね。
夏といえばTシャツ。僕は毎年、その年のメインとなるTシャツを1枚買うことにしておりまして、今年はひと足はやく、「BRUTUS」〜尊敬できる「日用品」。シリーズや「翼の王国」をはじめ、雑誌・広告などで活躍されているイラストレーターの、のりたけさんのTシャツを買いました。ついでに、のりたけさんの筆による“請求書在中”のスタンプも購入。
彼のイラストの魅力は、シンプルさ。選びぬかれた線で描かれた絵を見ると、風通しのよいテラスにいるようなホッコリ感&清涼感とともに、すっとぼけたユーモアを感じます。特に、人によっては誤解されそうな、すっとぼけ感が好きです。

僕は小学3〜4年生の時、今では考えられないような先生が担任で、僕のふざけた態度がもとでターゲットとしてロックオンされ、毎日のように叩かれたり、ひねられたりしていました。
歌のテストで、その先生は「笑顔で元気に歌え」と指導されました。この時、クラス全員の頭をよぎったのは、「お前のその感じで笑顔になれるかッ!」という思い。みんなの顔はこわばり、音程をはずして怒られないようにファルセット唱法を使用。
そして、いよいよ僕の番。先生のアドバイスを守ろうと(半分は反抗心、もう半分はウケるという思いで)、できる限りの笑顔を浮かべ、地声でうたいました。ところが、出だしで音をはずしてしまい、その後も何の歌をうたっているのか分からないほどの乱調ぷりに。さらに、表情もバットマンのジョーカーのように張りついた笑顔になってしまいました。
その結果、先生に「ヘラヘラ笑って、わざとおかしなうたい方をして風紀を乱した」といわれ、これでもかというくらい筋肉つぶし(腕の筋肉を握り、親指でグリグリする必殺技)をされました。

僕は、のりたけさんがどのような方なのか知りませんが、恐怖の歌のテストがあったら、同じように無理してでも笑ってうたう人なんじゃないかと想像して、勝手に親近感をもっています。

ちなみに、今回僕が買ったTシャツは、イラストではなく「CITY」と描かれたもの。これも、かなりのすっとぼけぶりですね。
“請求書在中”のスタンプの方は、請求書を送る際に捺印いたしますので、お仕事ください。

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2014年04月12日

安西水丸さんのダンディズム

140412.jpgイラストレーターであり、エッセイスト、作家でもある安西水丸さんが先日、亡くなりました。
安西さんが手掛けられた多くの作品の中でいちばん印象に残っているのは、村上春樹さんとコンビを組んだ『村上朝日堂』でのイラスト。小説とは異なる村上さんの“のほほん”としたエッセイに、安西さんの肩の力が抜けた温かみのあるイラストがマッチしていて大好きでした。

また、安西さんといえばダンディな大人の男で、「将来はああいう男になりたいな」と思う、憧れでもあります。ダンディといってもバリバリのブランドものに身をつつんでいるのではなく、自分の気に入った服をボロボロになるまで着たおす。自分に合った服を厳選して、それをとことん愛用することで服の方も着る人に歩み寄ってきて、イカすオーラが出てくるんですよね。こういう他人にとってはどうでもいいこだわりを持っている人って、中身も一本筋が通っていて信用できると、僕は思っています。
そんな安西さんの影響を少なからず受けて、僕も服を買うときはできるだけベーシックなものを選んで、それをクタクタになるまで着るようにしています。なので、僕の洋服棚には10年選手、20年選手は当たり前。ながく着つづけることで生地がいい具合にくたびれて心地よくなるし、サイズに合う体型をキープするように気をつけるなど、いいことづくめ。ただ、僕の場合はまだ人間力が足りないため、クタクタの服を着ていると単にだらしなく見えるところが問題ですが。
それと、たまに邪心から流行りのものに手を出すこともあるのですが、試着室の鏡に映った自分の姿を見てゾッとするのがオチ。醜態をさらさないように、「よろしいでしょうか?」という店員さんの言葉を無視して、そそくさと元の服に着替えます。
やっぱりある程度、歳を重ねると、急激な変化はよくない。増毛のようにジワジワ変えていくのが男の作法です。

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2014年02月06日

『Uncommon Places』

120205.jpg日曜日、子どもとつれ合いは習いごとのイベントに出るため朝から外出。
伽藍とした家の中でしばし、ぼんやり。なぜか、自分の家ではなく似たような場所に迷い込んだ気分になる。ゆっくりと流れる、静かな時間。こういう休日も悪くない。ミルでお気に入りの豆を挽き、ちびりちびりとコーヒーを飲みながらスティーブン・ショアの写真集をめくる。

なんか安いラジオCMみたいになってしまいました。ミルで豆を挽いたというのはウソで、お気に入りのコーヒー豆なんてのもなく、せいぜいコクのある豆を選ぶ程度です。ただ、スティーブン・ショアの『Uncommon Places』を眺めていると、いつもの生活リズムとは違う不思議な感覚になるのはホントです。
『Uncommon Places』は、彼が70年代にアメリカ各地を旅してまわって撮った写真が納められた作品集。ダイナーやショッピングセンターのガレージ、閑散とした町、そこで暮らす人たちなど、ほとんどがロードムービー系の「あるあるショット」なんですが、他の似たような写真とは違う“何か”が写し出されています。
旅の中で気の向くままに撮っているイメージとは裏腹に構図はビシッときまっていて、テイストもシャープ。ロードムービー系の元祖、ロバート・フランクがリアルで動的な写真なのに対して、ショアの写真は静的でどこか幻想的。そのギャップが被写体との距離感をつくり、ノスタルジックな雰囲気を生んでいるのかもしれません。

写真のことは疎いのでよく分かりませんが、近頃の音楽や小説、映画なんかは「今いる場所」を描いたものがやたら多く、「どこかへ連れて行ってくれる」ものが少ないように感じます。
「今いる場所」を描くとどうしてもリアルな目的と結びやすく、受け手の意識も直線的になりがちです。たまにこういうものにふれると気分が上がりますが、そんなんばっかりだと洗脳されているみたいで気持ち悪くなってきます。
一方で「今いる場所」系があり、もう一方で目的やゴールにしばられず、イメージや思考を彷徨わせるような作品があってもいいんじゃないでしょうか。
ただし、それはグラビアではいりません。たまにアートっぽい感じになってるのがありますが、まったく余計なお世話。こちらには確固たる目的があるのですから。

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2014年01月17日

F1のイメージについて

140117.jpg今年F1は、何十年に一度という規模のレギュレーション変更が行われるエキサイティングなシーズンをむかえます。
最も大きい変化が、自然吸気エンジンからターボエンジンへのシフト。これまでとまったく異なるエンジンになることで、チームの序列がシャッフルされる可能性がある他、エンジンメーカーとチームがどんなエンジンを開発し、成熟させていくかという楽しみもあります。ドライバーがどのように対応するかも見どころ。
また、今まで前年度の成績によって割り振られていたドライバーのカーナンバーが、キャリアを通して固定されるようになります。これは、ドライバーを見分けやすくすることと、長嶋なら背番号「3」、王なら「1」、八幡先輩なら「100」というように、カーナンバーをシンボル化してドラマ性をアップしようという目的があるのですが、正直なところ「どうでもええわ」です。
さらに、最終戦の獲得ポイントが倍になるという、とんでもないルールが加わることに。最後までファンの関心をひきつけたいという思惑なんですが、クイズダービーじゃないんだから、ファンはシラケるだけ。完全にスポーツをなめてます。
こんな感じで見どころ満載な今年のF1。でも、日本のほぼすべての人にとっては、となりの家の表札がちょっと傾いていることより「どうでもええわ」なんでしょうね。

世界的な自動車メーカーがあるにも関わらず、どうしてモータースポーツ〜F1が根づかないのかを、おいしくてたまらないエントリーを食べながら僕なりに考えてみました。
まず、大きな理由として挙げられるのは、競技内容が生活者からかけ離れていること。サッカーやバスケなら場所と人、ボールさえあればできますが、レースはそうはいきません。時間と労力、とんでもないお金がかかります。それに、危ない。実は普通に公道を走っている方が事故に遭うリスクは高い気がしないでもありませんが、「仏像鑑賞するかレースをするか、どっちが危ない?」と訊かれれば、よほど精神状態がよろしくない時以外はレースと答えるはず。要するに、ほとんどの人が体験者ではなく観戦者なることが、ファンが増えない要因になっているワケです。
しかし、競馬はどうでしょう。日常的に馬に乗る人なんて滅多にいないのに、多くのファンがいます。そこには、若い人や女性が魅力を感じるイメージ戦略があったはず。
F1は、それがとことん欠けている。最先端の技術が集約されたマシン、並外れた能力を持つドライバー、華やかなヨーロッパ文化、生き馬の目を抜くようなビジネスと政治が渾然一体となり、スピード感あふれるレースが出来上がっているのに、一般的なイメージはけったいなカタチをしたクルマがクルクルまわっているだけ。これでは、もったいな過ぎます。

個人的な理想としては、スケートボードやサーフィンとサッカーを足した感じ。F1そのものだけでなく、F1が好きなクリエーターが音楽やグラフィック、ファッションなどで魅力を表現する。そのエッセンスが広がり、サッカーのサポーターのようにF1を観戦することもスポーツの一部となる。そしてカルチャーが形成され、一人ひとりのライフスタイルになっていくなんてステキじゃないですか。
最初は仕掛けられたものでも構いません。F1運営サイドは新規国でのレース開催ばかりじゃなく、もっとファン目線のアプローチに力を入れてほしいものです。
ちなみに、これまでには日本の某テレビ局による企画で、小室さんにテーマ曲を依頼するというものがありました。レースを体感して曲名を決めたいということで、ヨーロッパくんだりまで出掛けてつけたタイトルが「Let's Go」…。
あと、日本GPのオープニングで奥方が自由すぎる解釈で歌った「君が代」もインパクトありました。
が、もちろん僕がいってるイメージはそんなんじゃありません。

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2013年09月16日

フェラーリでドリームコンビ実現

130916.jpgいつもなら布団に入ればすぐ爆睡なんですが、“トラとライオン、どちらが強いのか”が気になりだし、布団をガバリと飛び出してYouTubeで両雄が対決する映像をチェック。中には「エンペラーvsキング」なんてテロップを入れてるものもあったりして、かなりテンション上がる。
対決がきちっと体重別になっていないことや、双方のテンパリ具合に温度差があったりして、結局どちらが強いのか分かりませんでした。(個人的には、最強アニマルはヒグマだと思っています)
「三波春夫と村田英雄、スゴいのはどっち?」という疑問には答えがなく、問うこと自体に意味がないのかもしれません。しかし、ジャンルを問わず「誰がベストなのか」は、誰もが抱く関心ごとであるのは間違いありません。

「誰がいちばん速いのか?」
F1ファンにとって、このテーマは永遠の関心ごとでありロマンです。普通に考えればレースで優勝した人、シーズンでタイトルを獲得した人が「いちばん速い」となるのですが、実際はそんなに単純ではありません。
F1はマシンの性能差が勝敗に大きく影響するため、速いマシンに巡り合ったドライバーが圧倒的に有利なワケです。その他にもマシンとドライビングスタイルの相性や、子どもには話せないドロドロの政治的な問題も関係してくるので、最速のドライバーはなかなか分かりません。
そんな中でいちばん分かりやすい判断基準は、同じチームで走ること。F1は1チーム2人のドライバーがエントリーするので、2人限定なら真っ向勝負が可能なんですが、トップドライバーは強烈なプライドとエゴの持ち主であるため、同じチームで走ることは滅多にありません。
過去にセナとプロストが同じチームで走ったことがありますが、お互いにマシンをぶつけ合う最悪の結果になりました。そんなカオス状態になるのを恐れ、チームも同じ檻にトラとライオンを入れるようなことは避けるのが基本になっています。

しかし!2014年にフェラーリで夢のガチバトルが実現するんです!
現在、フェラーリの絶対的エースとして君臨するアロンソのチームメイトとして、ライコネンという当代きってのドライバーを迎え入れることになったんです。
アロンソは2005年と2006年のチャンピオン、ライコネンは2007年のチャンピオン。アロンソはオールラウンド型のドライバーで、あらゆるものを利用して速さを発揮するのが特徴。一方ライコネンは自分の才能を頼りに走る天才タイプ。性格は、アロンソは気分の波が激しいラテン気質、ライコネンは完全な一匹狼タイプと、まったく異なるキャラクター。しかもライコネンは、アロンソが加入するまでフェラーリのエースとして走っていて、実質追い出された因縁があったりします。
近年はレッドブルというチームが圧倒的に強いマシンを持っていてタイトルは獲れていませんが、2人の実力は今でもトップであることは間違いありません。
性格もドライビングスタイルも、レースへのアプローチもまったく異なる2人がどんな戦いを繰り広げるのか? 2014年の関心ごとは、これ決まりです。

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2013年07月08日

ポスターは語る

130709.jpg間もなく参議院選挙ですね。もちろん僕も国民の義務を果たすべく、候補者のポスターをチェックしています。
仕事、子育て、家事、町内会の何やかんや、腕立て・腹筋、金魚&サワガニの世話、エロ瞑想など、やらなければいけないことがいっぱいの僕には、候補者一人ひとりの政策をチェックする余裕はありません。
ですので、大体はポスターの印象で決めることにしています。
ふざけるんじゃない!というお叱りの声が聞こえてきそうですが、日頃から政党や政治家のポスターをチェックしている者からすると、ポスターを見るだけでその人のセンスや人柄が見えてきたりするものです。むしろ、それっぽい言葉やパフォーマンス、勢いなどに惑わされることがないので、こっちの方がいいんじゃないかと思っているくらいです。

ポスターは多くのことを語りかける。
例えば、某政党のポスター。一般的に定着している「時代遅れ」「暗い」といったイメージを払拭するために近年はトップ自らが登場し、親しみあふれる笑顔を前面に打ち出しておられます。党の改革意識の表れか、ブレーンに言われるままにしているのかは定かではありませんが、何とか好かれたいという気持ちは伝わってきます。ところが最近のポスターでは笑顔に加えガッツポーズも入れたせいで、どう見てもゴルフでバーディーをとった時のポーズになってしまっているのです。つまり、調子にのりすぎ。おそらく、この路線が評判良かったのでしょう。それで、もっともっとという感じになって、やりすぎたと。ポスターでこれなのですから要注意です。
また、言葉からも政党や政治家のコアな部分が垣間見えるケースもあります。そのひとつが、“Yes We Can”に影響されたワンワードタイプのフレーズ。ビシッとキメたい気持ちは分かるのですが、いかんせんはしょり過ぎて何が言いたいのか分からない。日本語として大丈夫?というものもチラホラ見受けられます。これは、独りよがりの気配。自分のイメージが最優先で、人の声に耳を傾けないオーラが漂ってくるので要注意です。

選挙のポスターも大体のフォーマットは決まっていますが、その隙間から候補者の人間性があふれ出ます。選挙ポスターの王道スタイルは、笑顔編・熱闘編・未来見据えてます編の3タイプ。笑顔編は、選挙の時しかしないでしょという笑顔を前面に出すベーシックタイプ。熱闘編はマイクを握りしめ熱弁をふるう姿をフューチャーしたオールドスクールなタイプ。そして未来見据えてます編は、首を斜め上に傾けて視線を遠くにやる、何か気色悪いタイプのことです。
これらを基準にヨコ型にしたり、名前を異様にデカくしたりいろいろ工夫を凝らすワケですが、時々、自分のことを戦国武将や明治維新関連の人物に重ねてくる人がいます。こういう人は極度なナルシストで、人とのコミュニケーションを拒絶するくらいの熱血漢(大概、瞳孔が開いている)だったりします。

今回の選挙ではどんなニューカマーが登場するのかと注目していたら、出ました、期待の新人が。何と、80’sのニューミュージックorアイドルテイストをブチ込んできたのです。これはコロンブスの卵というか予想していなかった。今年いちばんの驚きです。
ねらいとしては清潔感やフレッシュ感を打ち出したいのでしょうが、30年以上前に流行ったテイストですから…。でも、今シーズン、カーディガンを肩に掛ける80’sチックなファッションが流行っていることを考えると、逆に新しいのかもしれない。いや、古くさいものを古くさいまま提示して、価値観をひっくり返そうといているのか。そもそもこの人は選挙を使って現代アートをしているんじゃないのか? 考えれば考えるほど分からなくなり、頭を抱えながら街を歩いていたら、2日連続で本人に遭遇。ちなみに服装は、2日とも浴衣。真意を探ろうと、握手をして「がんばってください」と声をかけたら、すごい目ヂカラで見つめられ、“やります!”と意気込みを伝えてくださいました。
会話として成立しているのか微妙ではありますが、是非とも「やって」くださることを期待します。

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2013年03月13日

『ザ・スライドショー12』

130313.jpg“5.5億円、欲しい〜!”“真木よう子、ええわぁ〜”と同じくらいのボルテージで、“なんぼ探しても見つからへんわ!”と叫びたいことがあります。
それは、日本人の「啓発され好き」について。事あるごとに「自分さがし」と言って遠くを見る顔をして旅に出る。そして本屋さんのイチ押し棚には経営者やアスリート、クリエイターによる啓発書がズラリ。何か、“人と同じことなんかするんじゃねぇ〜”とか叫びながら、みんな同じ動きをして盛り上がるコンサートとダブります。(僕は常に「自分さがし」をしている人を「自分ハンター」と呼んでいます)
だいたい上司や伴侶からのアドバイスでさえも“うっとうしい”と拒絶している人がこんな本を読んで変わるなんて、僕が真木よう子に惚れられるくらいの確率、つまり巨大隕石が頭の上に落ちる確率よりも低い、限りなくゼロに近い出来事です。しかも成功の秘訣をダイジェスト的にゲットしようという魂胆が横着。
気づきとはいろんなところを彷徨った末、思いもよらないところで出会うもの。求める志は大切ですが、それにしばられていては同じ方向しか見ることはできません。

なぜ成功もしていない僕がこんな偉そうなことを言うのか。それは、あっちに行ったりこっちに来たりの過程で出会ったからです、「みうらじゅん」という師と。これまで みうらさんには、どんなくだらない考えも捨てずに自信と恥じらいを持って発信する大切さと、異なるものをつなげる柔軟性を学びました。(同じ意味で細野晴臣さん、ビースティ・ボーイズも尊敬しています)
みうらさんといえば「マイブーム」「ユルキャラ」の生みの親であり、昨今の仏像ブームの発信源でもあります。近年の活動はくだらなさを突き抜け、もはや民俗学者やお坊さんよりも深い域に達しています。
そんなみうらさんのライフワークであるスライドショーの最新作『ザ・スライドショー12』がドロップされました。(残念ながらライブには行けず…)今回のテーマは彼にとって原点回帰といえる、見仏記。といっても話題は最初からあっちこっちに脱線。でも、誰よりも真に迫っていて説得力があるんです。それはきっと愛があるからだと思います。
人生に無理矢理「目的」とか「結果」なんてものをくっつけるから息苦しくなるんです。そろそろ視点を自分ではなく、愛する誰か(何か)に向ける頃でしょう。

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2013年02月03日

ペヤングソースやきそばにリスペクト

130203.jpg“そんなん、ちがうねん!”
安倍内閣への不満でも、阪神タイガースのグダグダ改革への怒りでもありません。カップ麺のことです。
僕は近年カップ麺を食べるたびに、そう叫んでいます。
極太麺、本格もちもち麺、ストレート麺。
確かにおいしいです。技術の向上によって本格的な麺ができるようになったのも分かります。
しかし、カップ麺にそんなことは求めてないんです。少なくとも僕はカップ麺にお店と同じ味は望んでいません。むしろ、カップ麺ならではのチープなおいしさを味わいたいからこそ食べるのです。
未確認飛行物体的なやきそばは、よりおいしい味を求めてちょこちょこアレンジを加えています。ありがたいことではあるのですが、「本物に近づける」という方向性が気に入りません。
脳天気なバンドがトラウマやこだわりを語りだし、ストリングスアレンジなんかをしてもろくなことがないように、カップ麺も本筋からはずれるとおいしさのハーモニーが崩れてしまいます。
未確認飛行物体的やきそばには、本物に近い「もどき」を目指すのではなく、本物の「もどき」を目指してほしい。
ちょっと話はそれますが、デニムが定番のラインをちょこちょこ変えるのも納得がいきません。かたちが決まっていて安心して買えるのが定番なのに、しょっちゅう変えてどうするねんと。

そんなめんどくさい人間をうならせるのが「ペヤングソースやきそば」です。まず、試作品かと思うくらいやっつけなパッケージからして、“昔の味を守る”スピリットを感じます。もちろん麺は昔ながらのチリチリ麺。それも陰毛レベルのチリチリ具合。かやく、ふりかけもカップ麺の進化を完全に無視したようなシンプルさ。ソースも“何か、薄めてないか?”と思ってしまう色合いです。
しかし、それを混ぜ合わせると、なつかしくて、そそる香りが立ちのぼるのです。これこそカップやきそば。これこそ定番。
販売している「まるか食品」は、伝統の味を大切にすると同時に、「麻婆やきそば」「激辛カレーやきそば」「イカスミやきそば」なんかをつくるアグレッシブな面も持っている。リスペクトです。

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2012年11月03日

お宅探訪

121103.jpg知り合いのお宅にお邪魔するのが好きです。近頃はめっきり機会が減りましたが、たまにおうかがいすると好奇心がくすぐられます。
なぜなら、置いてあるモノや扱われ方、生活導線、お宅全体から漂う雰囲気などからその人がどんなことに興味があり、どんな考え方をしているのかが伝わってくるからです。履歴書やfacebookなどセルフプロデュースされたものを見るより、よっぽどこっちの方がコアな部分が見えてきて親近感がわいてきたりします。
個人的には特にレコード・CDラックや本棚を見せてもらうと、こういうまとめ方があるのかいう発見があったり、その人の過去が垣間見えたりして楽しい。前の方はオサレなアルバムが陣取っているけれど、奥をのぞくとジュリアン・レノンやL.A.ガンズが申し訳なさそうに鎮座していたりして。しかも微妙に手の届くところにあり、今も聴いてる気配があったりすると俄然楽しくなってくる。
だから、インテリア雑誌そのままのような部屋はおもしろ味がありません。やっぱり家は住む人の個性がつまった小宇宙でないと。

そんな『マルコビッチの穴』的なのぞき見気分を楽しめるのが、写真家でイラストレーターでもあるトッド・セルビーの写真集。内容はセルビーさんが気になる人たちのお宅を紹介するというシンプルなもの。彼がピックアップする住み手は国・ジャンルを問わず、インテリアそのものよりも住み手のライフスタイルやキャラクターをフォーカスしているのでおもしろさに奥行きがあります。もともとは『The Selby is in your place』というWebサイトで展開されていたものを同名の本にまとめたところヒットし、最近第2弾となる『Edible Selby』が発売されました。のぞき見好きな方はぜひ。

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2012年10月15日

可夢偉を応援しよう

121015.jpgみなさん、「F1」ってご存知でしょうか。お笑いやグルメのグランプリではなく、「フォーミュラ・ワン」といいまして、フォーミュラカー(タイヤとドライバーがむき出しになったクルマ)によるレースの最高峰とされる世界選手権のことです。
なぜ、こんな嫌味ったらしいことを書くかというと、ワールドカップ、オリンピックに次ぐ3番目に大きい規模のシリーズで、日本には世界的な自動車メーカーがあるにも関わらず、完全にマイナースポーツになっているからです。
セナやシューマッハくらいは一度くらい聞いたことはあると思いますが、フェルナンド・アロンソと聞いて、“あぁ、あの濃い顔をしたバツイチのスペイン人ね”と頭に浮かぶ人はまずいないでしょう。
ごもっともです。だって、メディアで取り上げられることがないんですから。放送権を持っているフジテレビも今年から地上波放送をやめたので、扱いとしては女子ボウリングのPリーグより下という、何とも哀しい状況です。
ちょっと前まではホンダとトヨタが参戦していたのですが、年間数百億円もつかって優勝したのはホンダの1勝のみで、“思てたんとちゃう!”と、勇気ある撤退。さらにタイヤ供給をしていたブリヂストンも撤退し、日本はF1氷河期をむかえています。

そんな中、日本モータースポーツの希望である小林可夢偉が日本グランプリで3位という偉業を成し遂げたのです。3位は日本人ドライバー最高位であり、過去には鈴木亜久里と佐藤琢磨が1度ずつ達成しただけ。亜久里先輩は上位陣がトラブルで消えまくる「棚からぼたもち」というか「ベッドの下から忘れていたエロ本」レベルの奇跡で、琢磨先輩も当時1、2を争う速いマシンに乗ってのことで、クラッシュ癖さえなければシューマッハにしばかれることもなく、もっと良い成績が残せたはずという物足りなさを感じるのが本音。それに比べ可夢偉は強者とがっぷり四つに組んで勝ち取った表彰台。
しかも彼には活動を支援してくれる大手スポンサーがついていないことも、これまでの日本人ドライバーと違うところ。つまり腕一本でF1のシートをゲットした最初の日本人ドライバーということです。
今回の日本グランプリの結果で、来年も現在所属しているザウバーに残留できると思っていたら、チームから“残りたければ、お金を持っているスポンサーを見つけてこい”と、厳しい条件をつきつけられた様子。
ただでさえお金のかかるF1で、この不況ですからチームの言い分も分かるのですが、良い成績を残せば元締めからデカい報奨金をもらえるワケで、できることならそっちの方に重きを置いてほしいところ。
といってもシート確定まで時間はありません。大手企業さん、日本を元気にするためにも、ここは男前にスポンサーに名乗り出てください。

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2012年09月21日

やさしい水筒

120920.jpg事務所の近くのコンビニに、幸が薄いといいますか、不幸を絵に描いたような風貌のオバサンが働いていらっしゃいます。一応、化粧をするなど身だしなみには気をつかっておられるようなのですが、どうして目のまわりを灰色に塗りたくっているのかは謎。落ち窪んだ目は鈍く光り、目が合ったら生気を吸い取られるんじゃないかと思うほど。清水節堂の幽霊画みたいと言えばイメージが伝わるでしょうか。
こんな人に“ふくろは〜なしでぇ〜よろしいでぇしょうかぁぁぁ・・・”といわれたら、例えマニアックなエロ本であっても、そのまま持ち帰るほかありません。
できることなら他のコンビニを利用したいところなんですが、お気に入りのスイーツがここにしか置いていないので仕方なく足を運ぶうちに気になりだし、今では彼女のことが知りたくてたまりません。
どんなところに住んでいるのか、どんなものを食べているのか、ご主人か彼氏はいるのか、リストカットはしていないか、あるいはさせていないか。一度くらい焼き鳥屋さんに誘っていろいろ話を聞いてみたいと思うものの、間違った回答をしたら串で目を刺されそうなので踏みとどまっています。

そんな彼女におすすめしたいのが、klean kanteenの水筒。
最近、吾輩はここの水筒に買い替えたのですが、マジでいいです。シンプルなデザインはもちろんのこと、保冷・保温性もバッチリ。キンキンに冷やしても結露しないので、カバンの中に放りこんでも大丈夫。ニオイもつかない。しかも素材は有害物質が含まれておらず長持ちするので、カラダにも地球にもやさしいんです。
こんな素晴らしいアイテムが、カリフォルニアにある家族経営の会社によってつくられているというからうれしいじゃありませんか。
幽霊オバサンだけでなく、世界中の人が使えばいいのにと思っています。
焼き鳥屋さんに誘う前に、まずklean kanteenの水筒にジャスミンティーを入れて差し入れしたいと思います。

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2012年08月05日

ロンドン・オリンピックで見た新たな希望

120805.jpgみなさん、ロンドン・オリンピック観戦、楽しんでおられるでしょうか?
吾輩は、人生をかけて努力した成果をほんの一瞬にスパークさせるアスリートたちの姿を見て、日々涙を流しています。(眠気によるアクビの涙も多少混じっていますが)
そんな感動の源泉は、勝ち・負けという残酷な結果。勝ち・負けがあるからこそ、過酷なプロセスを経て夢をつかんだ人や、惜しくも夢破れた人たちのドラマが生まれるのです。もし、今どきの小学校の運動会のように、みんな手をつないでゴールといった腑抜けたものであれば、適当な拍手を送っておわりでしょう。

日本人はオリンピックのような大きな大会があるたびに、「参加することに意義がある」という過程(道)を重んじる道徳観と、「それでもやっぱりメダルほしわ!」という本音の狭間で、居心地が悪くなってしまいます。
しかし、「松本薫」という女子柔道のヒロインが、そんなナヨナヨした私たちに喝を入れるべく、ひとつの答えを出してくれたのです。「欲しいものは手に入れろ」と。
いま、うかつにも「ヒロイン」と書いてしまいましたが、実際のところ女性かどうか、いや、人なのかどうかも定かではありません。
獲物を狙う鋭い目、威嚇する雄叫びを見て、いまにもバリバリと殻を破って中からエイリアンが出てくるのでは?とおののいた方は数知れず。あの形相をモロに見てしまい、電気を消して寝られなくなったお子さんもいらっしゃるでしょう。
しかし、そんな恐怖は知らぬ間に薄らいでいきます。大きな勇気と希望を残して。

「勝つ」というたったひとのつ目的のために、見てくれなど気にせず闘志むき出しで立ち向かう姿、そして「命だけは助けてください!」と逃げ出す相手を場内に引きずり戻す攻撃性は、私たち日本人のDNAに組み込まなければいけない要素です。
そうすれば、きっと国の大きな問題になっている少子化問題も解決することでしょう。好きな男子を見つけたら、まわりまどおかまいなしに手に入れる。逃げようものなら引きずってでもベッドにつれていく。しかも、普段のしとやかな姿と、オスに食らいつく時の姿がいいギャップになって、恋に進展する確率もアップするはずです。
自分もふくめて男子に期待できない以上、女子の奮起を切に願います。

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2012年06月27日

“ヤバい”って、本当にヤバいのか?

120627.jpgいろんなところで“このラーメン、ヤバい”とか、“この音、ヤバすぎ!”といったコメントを見聞きしますが、一体、何がどのように“ヤバい”のか?
“ヤバい”といったら、眉間に銃口を突きつけられたり、近所にゴジラが現れたり、腹をすかせたハイエナの群れに囲まれたりするレベルのことで、少なくともウンコを投げてくるオッサンに遭遇するくらいのエマージェンシーでないと納得できません。(ちなみに吾輩は、これに似たオッサンに出くわしたことがあります)
“ヤバい”という言葉の異化効果をねらうなど、何かの意図があったり、アイデンティティが崩れるくらいの衝撃を受けたのであれば結構なんですが、どうも“すごく良い”“予想外に良かった”くらいの意味合いで使っている様子。

良い機会なので、正しい“ヤバい”の使い方を、例を挙げて説明したいと思います。
“このラーメン、ヤバい”: もちろん「おいしすぎる」という意味ではなく、賞味期限が切れていたり得体の知れない材料を煮込み、スープに虹色の脂が浮いているラーメンを出された時に使います。
“原さん、ヤバいよ”: 当然、巨人が強すぎたり弱すぎたりした時に使うのではなく、1億円欲しくなっておねだりする時に使います。(おすすめはできませんが)

このように“ヤバい”という言葉は、骨から汗がにじみ出てくるようなシチュエーションで使うべき。これからは、曖昧に“ヤバい”を使う人を見かけたら、“全然ヤバくないから”と、注意したいと思います。

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2012年06月12日

ポジティブであるために

120612.jpgポジティブなことしか言わない人、やたらオープンマインドなキャラを前面に出す人には、本能的に警戒心がはたらいてしまいます。だって、普通に考えて不自然ですから。ネガティブな要素と照らし合わせた結果、ポジティブに行き着いたのなら納得できますが、その過程が見えないと、どこかで大事なことをねじ曲げていたり、切り捨てている気がするんです。今までそういった人と何度か接したことがありますが、実は閉じていて自己中心的な人が結構いました。まぁ、単にその人に嫌われてただけのような気がしないでもないですが。
そんな人たちの間を漂流するなかで感じるのが、「共感」という言葉の危なっかしさ。確かにきれいな言葉で大切なことではありますが、今は共感の安売りみたいになっていて、ほとんど「同調」という感じになっています。これがエスカレートすると気づかないうちに排除や攻撃に結びついてしまうので、難しいことではありますが、できる限りポジ・ネガ両面の視点を持っていたいと常々思っています。

そんな教訓を示してくれるのが、デンマークの建築家、ハンス・ボーリンがつくった「楽観主義者と悲観主義者」というオブジェ。それぞれキュートなルックスをしていますが、ふたつ揃っている方がキュートな魅力がアップするし、意味も深まるので、できることならふたつ揃えたいところです。
日本だと楽観主義者だけつくられるところなんでしょうけど、悲観主義者とペアになっているところが、ヨーロッパ人の気質を感じます。
何か窮屈な話になりましたが、別にカラダの調子が悪いワケではありません。このブログをアップした後、チョコミントのアイスを食べるつもりですから。
あぁ、それと今回紹介した「楽観主義者と悲観主義者」は自分で持っているわけではなく、お店やネットで「欲しいなぁ」と、指をくわえているだけです。

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2012年03月28日

美しいものは素晴らしい

120328.jpg地上波から姿を消したため、というかそもそも関心がないためご存知ないと思いますが、先日F1の2012年シーズンが開幕しました。今シーズンは2007年のワールドチャンピオン、キミ・ライコネンが復帰したため6人のワールドチャンピオンが戦うという魅力あふれる状況となっています。
それも大きな見所なんですが、真っ先に目にとまるのがマシンのかたち。ほとんどのマシンにフォーミュラカーの特徴であり一番カッコいいところでもあるノーズ部分に段差がついたせいでカモノハシみたいになってしまっているんです。
これは、今シーズンから適用された車高に関するレギュレーションの中でどれだけ速く走れるかを考えた結果なんです。が、トップチームのひとつであるマクラーレンはライバルチームがカモノハシノーズにする中、従来の美しい流線型のマシンをつくってきたんです。で、フタを開けてみると、マクラーレンが速かったんですね、これが。F1ではよく「美しいマシンは速い」と言われ、今年のマクラーレンもこの言葉を実証することになりました。
この定説はF1マシンだけでなく、いろいろな道具にもいえること。優れた道具って、求められる機能を突きつめるために無駄が削ぎ落とされていてホントにキレイなかたちをしています。
そのひとつが柳宗理さんがつくったお鍋。マットなステンレスの質感、ふっくらとしたキュートなフォルムが相まって、頬ずりしたくなる美しさをかもしだしています。しかもこのお鍋、まったく液ダレしないんです! これを使えばもう、夜中『酔拳2』を観ている最中に小腹が空いて鼻歌まじりでカップヌードルを出してきたまでは良かったものの、お湯を注いだ瞬間ダラダラ〜っと湯がこぼれて一気にブルーになることはありません。
人類が抱えていたこの大問題を解消するために柳さんは気が遠くなるほどの試行錯誤を重ねたとか。
我が家の台所には柳ツールが結構あるのですが、どれも使い心地が良くて愛着がわいてくるものばかり。値段は少し高めかも知れませんが、こういう道具を使うと便利なだけでなく、何気ない時間が楽しくなるという贅沢がついてくるのが魅力です。
何か染み入る系の奥様ブログみたいになりましたが、最近は気に入ったものだけを使いたいという気持ちが強くなってきています。

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2012年02月02日

北の湖親方は凄い

120202.jpg人生いろいろ、出会いもいろいろ。人は社会という荒波の中で生きてゆくために、時には敵と呼ばれる人と出会ったり、時には自ら敵にならなければいけないこともあります。しかしそんな厳しい状況にあっても、心持ちひとつで苦境から這い出し、栄光をつかむことだって可能です。
敵を土俵の外へ追いやる押しの強さ、敵の攻撃にじっと耐える粘り腰、そして敵の勢いを削ぐ“いなし”が相撲だけでなく人生においても大切であることを身をもって教えてくたれのが、昭和の大横綱、北の湖親方です。
親方は2002年に相撲協会の理事長に就任。すると力士や関係者たちは「はっきょい、残ってみろ!」と言わんばかりに大麻問題や八百長騒動などを引き起こすツッパリの連打。しかし親方はそんなことではまったく動じません。無愛想、いや他人事…、クールな態度でマスコミ・相撲ファン・世間に対応し、日本人が忘れかけていた「怒り」という感情を呼び覚ましてくれたのです。さらに支え合いの時代を先取りし、トップの人間として責任を背負い込むことなく、みんなでシェアするというモデルケースを示してくれました。そんなこんなでこれといった話題もなく冷えきっていた相撲界は炎上…いえヒートアップしたのでした。再び相撲が盛り上がる様を見届け、親方は渋々…ではなくズバッと理事長の座から引きずり降ろされました。
これで一件落着。といきたいところですが、そうはなりませんでした。何と、親方は先日行われた理事長選挙に名乗りでて、見事当選してしまったのです!きっと親方はこれから新しい時代を担う若い世代にネバーギブアップ精神を教えたかったのでしょう。
そして就任会見で記者の「世間から批判の声が出ていますが、どうお考えですか」という意地悪な質問にも、「そんな声は聞こえてこない」と、お茶目に切り返すのですから敵いません。ホイホイ選挙に出る親方のフットワークの軽さも驚きですが、当選させてしまう角界の懐の深さもかなり常識破りです。
それにしても親方、この顔はどういうことになっているんでしょうか?吾輩はこういうお方とは敵としてはもちろん、味方としてもご遠慮したいところです。

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2012年01月13日

B-BOY&B-GIRL

120113.jpg“伝統と革新の融合”というスローガンはいろいろなフィールドで掲げられていますが、それは仏像の世界も例外ではありません。従来の教科書的なスタンスで“ありがたみ”をアピールするだけではほとんどの人が関心を示さず、存在自体が忘れ去られてしまうことになる可能性だってないとは言えません。仏像の魅力や伝統文化を伝えるためには少なからず今の時代に響くアプローチが必要です。“そんな軽いことできるか!”というご意見もあると思いますが、困っている人のところまで行って救いの手を差し伸べてくださる仏様もいらっしゃるのですから、時代に合わせてアプローチ方法を変えるのは仏像さんたちもOKなんじゃないでしょうか。少なくとも奈良は「せんとくん」を生み出すようなアグレッシヴな姿勢を持っているので問題ありません。
そういう意味では、JR東海のキャンペーンCM「うまし うるわし奈良 東大寺〜戒壇堂篇」は四天王を前面に押し、頭の中で「スモーク・オン・ザ・ウォーター」が爆音で鳴り響くロックテイストあふれるナイスな仕上がりになっています。
四天王とは仏様を守る異能精鋭部隊。みうらじゅん氏はその出で立ちをしばしばロックバンドに例えていますが、東大寺の四天王は数ある四天王像の中でもとびっきりの重厚感を誇る大御所バンドです。特に世の中のすべての苦悩を背負い込んでいるような顔をした広目天(ベース)と多聞天(ドラム)の深みは尋常ではありません。普段は派手な増長天(ボーカル)と持国天(ギター)に目がいきがちですが、ここはベースとドラムが目立つモトリー・クルー状態になっています。

ところで近頃ひしひしと感じるのが大物ロックバンドの高齢化。ストーンズのメンバーは70近くだし、ニューウェイヴといわれる人たちも今や立派なオールドエイジ。彼らのようなスケール感のある若い世代というのもそれほど出ていないようだし、もはやロック自体が若者のカルチャーではないのかも知れません。

ということで仏像界も今後はロックテイストだけでなくストリート感覚を取り入れたアプローチをとるのもいいんじゃないでしょうか。まずはパイオニアがダンサー仕様のオーディオに力を入れているのに乗っかって、ビートの利いた声明で踊ったり、街中でラップのようにお経をあげるB-BOY&B-GIRL(「B」はもちろんBUTUZOUの「B」)が現われるシーンをつくってはどうでしょう。

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2011年10月27日

終わりは始まり

111027.jpg最近起きている国の経済破綻や独裁政治の崩壊、大規模なデモなどを見ると、ここ100年でつくられたいろいろなものがガラガラと音を立てて崩れているような気がします。しかしそれに替わるイデオロギーもシステムもないため、人は困惑するばかり。わたしたち小市民は‘いつか良くなる’という希望を持って前進しつづけるしかありません。
そんな混迷の波は、わが国の球界にもやってきました。そう、「モバゲー」を運営するDeNAによる横浜ベイスターズ買収騒動です。他球団からは早くも‘出会い系サイトをやっている会社がプロ野球チームを持つなどけしからん!’と、クレームが出ている様子。しかし飛ぶ鳥を落とす勢いのDeNAはそんなイチャモンなど気にせず、球団名を「横浜モバゲー・ベイスターズ」にし、さらに監督に新庄サンを据えようというのだから驚きです。ちょっとふざけ過ぎじゃありませんかと思わないでもありませんが、今まで散々まともな人が監督をやってボロ負けしているのですから、‘野球大好きやけどルールはもひとつ分からんねん’という素人を抜擢するのもアリかもしれません。この際、歯が白すぎることもスルーしましょう。
間違いなく新庄効果で客入りも良くなるだろうし、「モバゲー」のノウハウを野球観戦にも活かして、入場料無料、だけど2回からは1回につき1000円ずつ課金というシステムにすれば、球団収入もかなり改善されるのではないでしょうか。
しかし「横浜モバゲー・ベイスターズ」という、何となく縁起の悪そうな名前のせいで有望な選手は出ていき、さらに負け数が増えるような気がしてなりません。そして「ボロ負けする」「ガッカリするようなミスをする」ことを‘モバゲる’と言うのが定着するんじゃないかと心配です。
そんなマイナス効果があったとしても、プロ野球球団を持つ宣伝効果は絶大。希望する球団名が認められれば、もう巨人の渡辺会長に「モガベー」と間違えられることもないでしょう。

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