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2014年10月01日

何回目かのマイルス・ブーム

141001.jpg数年おきにやって来る、自分の中での「マイルス・デイビス ブーム」。
この人、音楽がスゴいのはもちろん、キャリアメイクやキャラクターも唯一無二で、おもしろ過ぎるんです。ジャズは苦手という人も、ぜひ『マイルス・デイビス自叙伝』は読んでいただきたい。この本を読むと、「31」でバニラのダブルを頼む冒険できない僕などは、つくづく小心者の凡人に生まれ育って良かったと思う次第です。今、何かと取りざたされている某元野球選手が読んだら、‘あかん、こんななるのはイヤや’となるのか、「俺も負けんと無茶するで!」となるのか、どっちでしょう。(ていうか、読まへんか…)

前回のブームでは遺作であり、ヒップホップにすり寄った『Doo-Bop』にグッときて、今回はエレクトロ期の後半に出した『ライヴ・イブル』にズブズブ状態。
エレクトロ期というのは、マイルス自身が提唱したモード・ジャズを極めた後、当時注目を集めていたジェイムズ・ブラウン、スライ・ストーンといったファンクに感化され、‘俺様の方がもっとイカす音楽をブチかませる’と奮起し、エレキ楽器を大々的に導入して自己流ファンクミュージックを展開した時期のことを意味します。この時、マイルスはすでに50歳近く。いろんな病気を患っているばかりか、ドラッグ漬けの生活で肉体も精神もボロボロ。でも、音楽に対する姿勢は若くて元気だったのはさすがです。(後に音楽への情熱をも失い、暗黒期を迎えるのですが、その様子は先述の本を読んでください)

『ライヴ・イブル』というアルバムは、マイルスの作品の中では地味な存在で今まで聴いたことがなかったのですが、そのことを後悔するくらい良い! 『ビッチェズ・ブリュー』や『オン・ザ・コーナー』でやりたかったことをカタチにして、次に何をすればいいのか分からなくなり、さらに乱れた生活による危うい精神状態のせいで、頭が爆発しそうになっている状態が刻み込まれているんです。
彼の突き抜けたキャラのせいでシリアスにはならず、尚かつギャグ寸前のギリギリの音に踏みとどまっているのは、天賦の才以外の何ものでもありません。いわゆる王道のジャズでもなく、当時大流行りだったフュージョンでもなく、ましてやロックでもない異形の音楽。これをジャズのメインストリームで時代をつくってきた人物がやっていることに脱帽です。

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2014年07月22日

今こそファラオ・サンダース

140722.jpg僕は毎日、この写真のようなポーズをして、世界の平和を祈っています。
……正確にいうと、カラダがかたくて胡座をかくのはつらいので、頭の中で瞑想ポーズをとっている系です。
いつまで経っても戦争や紛争は絶えませんし、陰惨な事件も増えつづけています。身近なところを見渡しても、信じられないくらい自己中心的な人や、無意味にケンカ腰の人がいたりします。
はっきりいって、うんざりです。そんなに腹が立つことや納得がいかないことがあるなら、武力・暴力ではなく、『マリオカート』か『ストリートファイター』、それがイヤなら『がんばれゴエモン』で勝負して決めたらいいんじゃないかと真剣に思います。
「働かずに大金を手に入れたい」という理不尽極まりない訴えには、1:1億のハンデを、「矢部寿恵とデートしたい」という切ない願望には2:5くらいのハンデをつければ、みんな納得でしょう。

最近、ファラオ・サンダースの音楽の素晴しさが分かってきたように思います。学生時代にはじめて彼の音楽を聴いたのは、音楽雑誌でミュージシャンやDJが激賞するコメントを読んだことがきっかけ。「これは押さえとかないと」という義務感と、「カッコいいかも」という背伸びが動機でした。その時の感想は、何となく良い感じはするけれど、いまいちピンとこないというもの。ていうか、「長い曲を最後まで聴くの邪魔くさ」というのが本音でした。
それから20年が経った今聴くと、ウーハー並みに心が震えるではありませんか。それは、彼が音楽を通して訴えるメッセージ(愛)の意味を、頭で理解するのではなく、心で感じるようになったからという気がします。いきなり「世界平和」というとスケールが大き過ぎて、足の小指をイスにぶつけてキレるような小さい人間の僕にはピントが合いませんでしたが、家族への想いなど身近なところからイメージをふくらますことで、「世界平和」も自分の問題としてとらえるようになってきました。
まぁ、そんな堅苦しいことは置いといて、ファラオ・サンダースの奏でる音楽はそれ自体で素晴しいものなので、ぜひ聴いてほしいと、瞑想ポーズで祈っています。

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2014年07月03日

お気に入りのアンビエント

140703.jpg「褒めて育てる」といいますが、褒められ慣れていない人間がいきなりそんなことをされると、逆に戸惑ってしまいますし、僕なんかは「この人、腹にイチモツ持っているんじゃないかと」と、黒い感情が渦巻いてしまいます。
もう10年くらい前、仕事のスポンサーさんで、僕のことを「先生」と呼ぶ人がいました。飲み屋のノリで言う「センセ」とは違う、ド直球の「先生」です。しかし、僕には外見、中身ともに、「先生」的な要素は1%もありません。しかも当時は30代前半の青二才。今でいう某ユニットリーダーのように、とことん上げておいてたたき落とされるんじゃないかと、ビクビクしたものです。

またつい先日、代理店の営業とんと一緒にスポンサーさんのところに行ったところ、どういうワケか、僕を褒めるアゲアゲ祭がはじまりました。強烈に居心地が悪くてモジモジしていると(ちょっと嬉しくて赤面していたのが恥ずかしい)、営業さんがダメ押しにかかりました。

営業さん: この人は仕事がはやくて!
僕: (それはスポンサーさんには関係ないから、褒め言葉になってないんじゃないの?)
営業さん: 値段もリーズナブルで!
僕: (あなたがリーズナブルにしてるだけですッ!)
営業さん: クオリティーも、そこそこ素晴しいんです!
僕: (えーッ!! “そこそこ”っている!? 例えホンマやったとしても、このシチュエーションで言うことはないでしょ。で、“そこそこ素晴しい”って、良いの? 良くないの? どってちにしてもヘコむわ)

贅沢な望みかもしれませんが、褒めるなら褒めきってください。

そういうワケで、近頃よく聴いているアンビエントを、純粋な気持ちで褒めたいと思います。

『It is, it isn’t』(畠山地平、Hakobune)
今や世界を股にかけて活躍する二人のコラボ作。まず、ゆらぎがにじみ出ているタイトルがいい。基本路線は、ノスタルジーが入った桃源郷系の音。
収録されている3曲とも、エレキギターによるアルペジオのバックに透明感のあるドローンが響く構成なんですが、その音のせめぎ合いというか、混ざり様が心地よく、じっくり聴くとなかなかにスリリング。これは、彼らの数ある作品の中でベストといえる出来映えです。

『Faint』(Taylor Deupree)
ここ10年のアンビエントを引っ張ってきたキーパーソンが、自身のレーベル「12K」から出した2012年のアルバム。この作品を出すまではディープな作品が続き、好みと違ってきたなぁと思っていたところ、待ち味であるメロウな響きが戻ってきました。
ドローンを基調にしながら、浮かんでは消える音を重ねるなど、イーノ的な手法を取り入れているのが特徴。シンセがヴァンゲリスみたいに聴こえるところがあるのも、手作り感があっていいんじゃないでしょうか。

『Below Sea Level』(Simon Scott)
サイモン・スコットって知らないなぁと思っていたら、スローダイヴのドラムやってた人なんですね。何もしらず、「12K」から出ているということで買ったところ、これが良い。基本は先に紹介した作品と同じように、つま弾くギターにドローンが重なる構成なんですが、曲調がかなり個性的なんです。特に1曲目は秀逸。神秘的な出だしから、メランコリックなギターのフレーズが浮かび上がってくる瞬間はかなり気持ちいい。こんな感じで続くのかなと思っていたら、だんだん雰囲気が変わって来て、気がついたら結構ディープなドローンの世界に。気持ちのもっていきようがない曲が新鮮です。これからが楽しみな人ですね。

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2014年06月11日

ジム・オルークさんに学ぶ

年を重ね経験をつむにつれ、いかんと分かっていても、なかなか人の意見を聞き入れることがむずかしくなるものです。はじめて仕事をする人にフレキシブルなマインドを持っていることを分かってもらおうと、メールに「ご教示くださいませ」と書いたところ、ド直球なダメ出しが返ってきて、腹立ちと恥ずかしさに耐えきれず、ついつい能書きを垂れてしまうなんてこと、ありますよね。

いくつになっても謙虚に学ぶ姿勢が大切。このことをジム・オルークさんに教えてもらいました。ジム・オルークは、バリバリの前衛音楽畑出身で、さまざまなジャンルを横断する世界屈指のミュージシャン。日本のミュージックシーンとの関わりも深く、近年は日本に住んで創作活動を展開しています。そんなジムさんが『平成歌謡塾』という番組に生徒として出演し、「矢切の渡し」の歌唱法を教わっているではありませんか。
普通こういう番組に出る場合は、あくまでもゲストとして出演し、洒落でチャレンジしてみましたというスタンスがお決まりですが、この人の場合はマジ。
しかもジムさんは終始モジモジうつむき加減で、不必要にペコペコおじぎをして「スミマセン」を連発。“演歌は日本人の心”といいますが、こちらが「腰ひく過ぎやろ」といいたくなるほどの日本人っぷりを発揮しています。
で、歌の方はというと、湿度低めな歌い方が逆に“もののあはれ”をかもし出していてグッド。彼の演歌カバーアルバム、聴いてみたい。

もうひとつ大きな発見となったのが演歌の歌いだし。むかし、日本語はロックに向かないなんて議論がありました。向いているのか向いていないのかは分かりませんが、単語・文法・イントネーションが違うと、例え同じメロディであっても言葉の乗せ方が違ってきますし、作曲となると昔から伝わる音階も影響し、日本独自のロックがつくられてきたのは間違いありません。
ノリでいうと、個人的には歌いだしが大きな要因になっていると思っています。英語には最初に「The」や「A」 などの冠詞がつき、歌ではほとんど発音されず、それがわずかなタメになり、グルーブ感を生むわけです。日本語にはこのタメがないため、グルーブ感が出にくいと思っていました。
しかし、この番組で演歌の先生は、「歌いだしにタメをつくりなさい」とアドバイスをするのです。感情表現をするためと説明されていますが、うねりを出すことに違いはありません。北島三郎とジェイムズ・ブラウンに共通点があるように感じていたのは、あながち間違いではなかったようです。日本のロックやJポップはよく知りませんが、演歌に学ぶことはたくさんあるんじゃないでしょうか。

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2014年04月22日

ポジティブミュージック

140422.jpg「ポジティブシンキング」という言葉をよく聞きます。苦しい状況に直面しても前向きにとらえることで好転できるそうなので、僕も日頃からポジティブシンキングを心がけています。
例えばこの前、子どもと公園で追いかけっこをしている最中に思いきりコケて、お気に入りのデニムが破れたときは、「これが“いっちょうら”のスーツでなくてよかった」、「おかげで新しいデニムを買うチャンスができた」と感謝し、出勤中にカラスに顔面、ブルゾン、ズボンのトリプルで糞をかけられたときも、「これが“いっちょうら”のスーツでなくてよかった」、「おかげで冬物をクリーニングに出すチャンスができた」と感謝…するワケがなく、子どもやまわりに他人がいないところでありとあらゆる罵詈雑言をブチまけました。それだけなく、「あのカラスは自分を狙って糞をしたんじゃないか」と勘ぐる始末。

80年代に思春期を過ごしたことをポジティブにとるか、ネガティブにとるかも、人によって大きく変わるんじゃないでしょうか。僕はバブル世代のちょい後で、受験戦争、就職氷河期、バブル崩壊と、あまりうれしくない状況に直面してきましたが、受験勉強は人と競争するレベルではなかったのでしんどい思いをしなくてすみ(二浪したため親はしんどかったと思いますが)、就職活動もまったくしなかったのでつらい思いをしなくてすみました(プーした後、いきなりフリーランスとして働きはじめたため親はしんどかったと思いますが)。
また、多感な年頃にリアルタイムで80年代の音楽を聴けたこともすごくラッキーだったと思っています。ニューウェイブやワールドミュージックの影響をうけたミュージシャンが、当時急激に進歩した器材や録音技術を駆使してつくった音楽には、今ではなかなか味わうことのできないワクワク感がありました。
清水靖晃の『サブリミナル』も、当時のケレン味をたっぷり吸い込んだ異色作。(ジャケットの、わざとつくったわざとらしい感じも、まさに80年代) 特に坂本龍一風サウンドmeets日本語変ラップの「CHIKO-CHAN」と、サントリー烏龍茶のCMに使われたエレクトロオリエンタルな「MAMAWASOTODE」は、いま聴くと2、3周まわって新鮮。
いつも聴きたいタイプではありませんが、何年かごとにラックの奥から引っぱりだして聴いてみると、音楽がポジティブシンキングにしてくれて、うれしくなります。

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2014年03月13日

天国の扉

140313.jpg桃源郷って、ホンマにあったんですね。井川遥さんの「角ハイボール」バーを見て、僕の心はウキウキしています。何なんでしょう、あの大人の色気。誘っているのか拒んでいるのか分からない微笑みを直視したら、正気でいる自信がありません。
嗚呼、あのバーが近くにあれば、飲めないウイスキーでも「一杯つき合ってください」と言いに行くのに…。(僕が言うと何か気持ち悪い感じになって、「思てたんとちがう!」ということになるんでしょうね)
そんな僕の桃源郷気分に拍車をかけているのが、今回ピックアップルする2枚のアルバム、フアナ・モリーザの『ウェンズデイ21』と、ベックの『モーニング・フェイズ』。どちらもほとんど前情報なしに何となく購入したのですが、今年はこの2枚あればいいと思うくらいの傑作でした。
ふたつの作品に共通しているのは、“現実とかけ離れたどこか”へ連れて行ってくれること。音が鳴り出した瞬間、時間の感覚が吹っ飛ぶトリップミュージックです。
『ウェンズデイ21』はこれまでの延長線上にあるものの、よりリズムが強調されていて、生々しいギターとパーカッションを重ねることで生まれるグルーヴ感がスゴい。そこに彼女の浮遊感あふれるメロディと声がのっかると、『不思議の国のアリス』のような不思議ワールドに。デジタルとアナログをミックスしたエロクトロニカ〜フォークトロニカは数多くありますが、これだけの世界観をつくりあげる人となると、そうはいません。ジャケットも相変わらず狂っていてコワい。

そして、ベックの『モーニング・フェイズ』。散々『ウェンズデイ21』を持ち上げた後に何ですが、驚きと感動という点ではこちらの方が遥かに上でした。オープニングを飾る「サイクル」〜「モーニング」で炸裂する恍惚感と陶酔感。こんな言い方はしたくないですが、かなりヤバいです。
今作には彼の代名詞ともいえるケレン味たっぷりのサウンドコラージュはありません。本人はバーズやニール・ヤングなどのカリフォルニア・ミュージックがベースになっていると言っているようですが、それは音楽のスタイルだけでなく、きらびやかな世界の裏にある“儚さ”を言っているんだと思います。
作曲法もサウンドプロダクション(音響処理は必聴)も『オディレイ』や『グエロ』とガラリと変え、それを「こんなこともできます」という趣味的なスタンスではなく、本気で取り組み、こんなに素晴らしい音楽に仕上げてしまうベックに脱帽です。デビューからリアルタイムで聞いていますが、今作でファンになりました。
関係ないですが、ベックってドロロンえん魔くんに似てきましたね。

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2014年02月18日

実はU2のファンです

140218.jpgあまり親しくない人に「U2のファンです」って言うの、ちょっと恥ずかしくありませんか? 
僕は恥ずかしいです。「趣味は何ですか?」と訊かれて「仕事です」と答える、「そうなんですね」としか言い返せないクソ回答のような気がして。
相手に内心「趣味ってカッコつけるほど仕事できませんやん」とツッコまれていたり、「確かに趣味レベルやわ」と逆の意味で納得されていたりするかもと思うと心臓がゾワゾワしてくるし、そんなことを思われるという想像すらできない“ボーン・トゥ・天然”だと思われるのも何か腹立たしい。
要するにルーザー思考が染みついているワケです。だからド直球に「U2のファンです」とはなかなか言えない。でも、困ったことに中学の時からずっと好きなんですよね。
初期のスタイルを完成させた『ヨシュア・トゥリー』の後、アメリカ色を深めた『魂の叫び』はキツくて離脱しそうになりましたが、次の『アクトン・ベイビー』の1曲目「ズー・ステーション」のイントロを聴いた瞬間、「すみませんでした!」と頭を床にこすりつけました。
耳に飛び込んできたのはこれまでのU2とはまったく異なるサウンド。曲は抑揚のある構成からミニマムに、エッジのギターはハードに、アダムとラリーのリズム隊は重くうねるダンスビートを導入、ボノの歌詞は直接的なメッセージからイメージ的なものに変わり、ボーカリストとしての引き出しも大幅にアップ。そして、極彩色あふれるエレクトロサウンドがトッピングされるという徹底ぶり。
おそらくこの変化は『魂の叫び』路線では限界が見えたというメンバーの危機感から生まれたのでしょう。ただ、ここで焦って新しいスタイル一辺倒にならないところが彼らのすごいところ。ぱっと見は大きく変わったものの、曲の骨格はU2節なので説得力があるし、今聴いてもまったく色褪せていない。この劇的な転換はメンバーの力だけでなく、イーノ、ダニエル・ラノア、フラッドといったブレーンによるところも大きいでしよう。
今でこそ『アクトン・ベイビー』は名盤とされていますが、ブリットポップ全盛だった当時は若手のバンドにクソミソにコキおろされていたし、音楽雑誌もそれに乗っかっていました。こういうことをリアルタイムで見ると、アーティストやメディアの言うことは必ずしもあてにならないこと、そしてたまに見聞きするアーティストの「できもせんのにゴチャゴチャ言うな」的な発言(姿勢)のトンチンカン具合がわかります。

今年ニューアルバムを発表する予定のU2。メンバーは「自分たちの影響力がなくなってきている」「文化遺産的なバンドにはなりたくない」など、近年のバンドを取り巻く状況を感じ取った自虐的なコメントをしているようで、その危機感がどう音に影響するのか楽しみです。
最後にU2の隠れファンの方、いらっしゃいましたら、お会いした時にファイトクラブのメンバーのようにアイコンタクトしてくださるとうれしいです。

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2013年12月02日

日本を救うのはTacata

131202.jpg正解しか言わない・言えない風潮に、そろそろ嫌気がさしていませんか? アスリートやクリエイターによる自己啓発本があふれる状況が、そろそろ気持ち悪くなっていませんか?
嘘くささ全開なのに、みんな知らん顔する、あの感じ。しかも否定できない正論を振りかざしている感じがして、僕は受けつけません。正論や自分のこだわりなんかを人に言う時は、恥じらいがあるべきと思うのですが、今の世にあふれるメッセージにはそれがない。だから、色気がないし、薄っぺらい。
それは年末の歌番組を見ていても感じます。どこかで聴いたことのあるメロディに乗せて歌われる白々しい歌詞を聴いていると、“なんでそんな説教、アンタにされなあかんねん!”と、声をあげてしまいます。
そんな息苦しい状況を、尋常じゃない違和感で打ち破ってくれるのが、MAXの「Tacata」。
気持ち悪いけど中毒性のあるメロディ、とんまなダンス、妙にスカスカなアレンジ、そしてスケールのデカい歌詞。すべてが正解からはずれた突拍子のなさ。中でも歌詞は、僕の中で「LOVEマシーン」以来の傑作として位置づけられています。
内容は、ひたすら‘Tacata’という言葉の意味を訴えるだけ。その熱い想いを一部抜粋します。

「自分たちのオリジナリティ Tacata」
「誰もが必ず Tacata」
「世界を踊らすTacata」
「イメージとは裏腹なTacata」
「ポジティブthinking Tacata」
「Love and Peace それからTacata」
「Men and Women いるとTacata」
「アダムとイブとTacata」
「ユニバーサル言語Tacata」
「笑う角にはTacata」
「赤・青・黄色Tacata」

どうでしょう、お分かりいただけたでしょうか。
最後の方はかなり難解ですが、分かるかどうかなど問題ではありません。おそらく繰り返し踊って歌っているうちにカラダで感じるのでしょう。

もともとこの曲は他の人が歌い、イタリアでヒットしたとのことですが、今のMAX(しかも1名育休のため3名)が歌い踊ることで、オリジナルにはない熱狂の裏に在る「もののあはれ」を表しています。
久々に心が震える曲ですTacata。

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2013年07月28日

ジャンルから逃走する闘争

130728.jpg日本ハムの大谷選手、素晴らしいですね。プロ野球でピッチャーとバッターを両立するという、誰もが冗談としか考えなかったことに本気で取り組み、高いレベルで成功させているのですから。
人並みはずれた技術と体力は当然のことながら、不安や外野の声に打ち勝つメンタルも持っていなければ、こんなことはできません。僕なんて、何の関係もない外野中の外野なのに、“やりたい気持ちは分かるけど、カラダ壊したら元も子もないよぉ”、“超一流の素質があるピッチャーに専念した方がいいんじゃない?”と、心の中で消極的なアドバイスをしてしまっています。
多分、「史上最強のライダー」 バレンティーノ・ロッシがF1ドライバーを目指したように、マイケル・ジョーダンがメジャーリーガーを目指したように、そして谷亮子が国会議員を目指してホントになってしまったように、既成概念をブッ壊すパイオニアは見ている世界が違うんでしょう。

そんなパイオニアの一人が、ギタリストのマーク・リボー。間違いなく、現役ギタリスの中でベストの一人。
彼が最初に注目されたのは、ラウンジ・リザーズの2代目ギタリストになった時。前任のアート・リンゼイが超個性派プレイヤーだったことで期待が集まる中、「ちゃんと弾けるけど、ちょっと変」という独自のスタイルを打ち出すことに成功。そして、トム・ウェイツの『レイン・ドッグ』に参加してブレイク。その後、エルビス・コステロ、アート・リンゼイ、デヴィッド・シルヴィアン、カエタノ・ヴェローゾ、ジョン・ゾーン、マッコイ・タイナー、矢野顕子など数多くの作品やライブに参加し、ちょっと聴いただけでこの人だと分かる個性を出しながら、それぞれの曲にマッチしているという、素晴らしいプレイを披露。さらにソロ活動も精力的に行っていて、ラウンジ・リザーズ風のものからキューバ音楽のフェイクまで、いろいろなスタイルに挑戦しています。
彼の一貫した活動テーマは「クロスボーダー」。ジャズ、フリーミュージック、ロック、キューバ音楽、クレツマーなど、さまざまなジャンルの音楽を取り上げ、微妙なサジ加減でズラすことでオンリーワンのオリジナリティを出すスタイルといえばいいでしょうか。
こういうスタイル自体は新しくも珍しくもありません。ただ、それを一人のミュージシャンがやり続けるのは至難の業。ネタが尽きたり、目新しいネタを取り上げること自体が目的になったりして、次第に新鮮味がなくなり、シーンから消えていく。きっと一人や二人、そんな人が頭に浮かんだことでしょう。
そんな中、彼が第一線で活躍しつづけているのは、才能だけじゃなく、日々の鍛錬にほかなりません。彼にとって自分磨きの場はライブ。常に新旧問わずさまざまなメンツと新しい試みをしている。その姿はどことなく、宮本武蔵とだぶります。
この姿勢、僕も仕事をする上で見習いたい。くれぐれも若い人は、「このオッサン無理してる。イタい」とか思わないように。百歩譲って、思っても態度に出さないように。

今年、マーク・リボーの新しいユニット、セラミック・ドッグ初のアルバム『ユア・ターン』が出たのですが、これがスゴいことになってます! 全体のコンセプトは、ジャズやクレツマーなど、彼が今までプレイしてきた音楽をロック視点で再構築するというもの。
こういうと頭でっかちに聞こえますが、実際の音楽はド迫力のひと言。
これだけリアルでパワーのある音楽を鳴らせる人って、世界中みてもそんなにいないでしょう。しかも、デビュー30年のベテランがこんなことをしでかすのだから驚くばかりです。この人、一体どこまでいくんでしょうか。ライブも体験しなければ。
脳天が刺激されて元気が出るので、全方向的にオススメです。

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2013年07月24日

華麗に加齢

130724.jpgテレビで見るタレントさんでも、自分のまわりの人でも、ステキに歳を重ねている人とそうでない人にパッカリ分かれます。単に若く見えるとか、キレイだとか、貫禄があるとか、そういうんじゃなくて、その人が持つ空気感といえばいいでしょうか。多分ある年齢を超えると、カラダの内にあるものが『死霊のはらわた』状態でドバッと出てくるんだと思います。今までどのように生きてきたのか、今どのように人生と向き合っているのかが、顔のシミやシワなんかにあらわれてくる。だから、大人は自分の見てくれにも責任を持たなければなりません。40代半ばに差しかかりながら貫禄も落ち着きもない僕は、最近強くそう思います。貫禄や落ち着きを身につけるのではなく、貫禄・落ち着きのなさに責任を持とうと。

そんな生き方を、身をもって教えてくれるのが、ジョニー・マーです。
まず、彼が在籍したバンドやユニットを挙げてみましょう。
スミス、ザ・ザ、エレクトロニクス、ジョニー・マー&ザ・ヒーラーズ、モデスト・マウス、クリブス。その他にもセッション多数。
数の多さもさることながら、音楽のスタイルもバラバラ。オカンにバレたら“アンタは何ひとつ続けられへん子やな!”と、怒られるのは間違いありません。
でも、彼の場合はデビュー以来変わらない音楽に対する姿勢と、ミュージシャンとしてのポリシーがあるので、フラフラした感じがまったくない。
音楽に対する姿勢とは、“とにかく音楽が好き”であること。ギター少年がそのまま大人になった感じ。だから彼のギターはいつも若々しくて、どこか蒼いくさいカウパーが滲み出ています。そこがキュンとくるんですよね。
そしてミュージシャンとしてのポリシーとは、楽曲主義であること。彼にとっては良い曲を作り、ベストなカタチで奏でることが絶対であり、ギターはそのための手段のひとつ。だから彼のプレイには限られたフレーズしかないし、“オレを見やがれ”というスポットライト願望もない。この地味さが逆に、派手なポーズをキメてガンガンとソロを弾く、それまでのギターヒーローとは違うインパクトであり、カッコ良さでもあります。

ジョニー・マーのソロ1作目となる『ザ・メッセンジャー』が、この春ドロップされました。曲はシンプルで、弾けているというのが第一印象。ヒーラーズで試みたマイナーコードとロングトーンを活用した曲調が基本路線。ヒーラーズではグルーヴ感を前面に出していましたが、今作はそれよりもビートを打ち出しています。ギターもびっくりするくらいストレート。でも、若づくりしている感じはまったくしません。
スミスでのプレイは僕の音楽体験の中で大きな位置を占めているし、ザ・ザでのプレイにもシビレまくりました。そしてソロとなった今のプレイも、ジョニー・マーという人を正直に表していて好きです。彼なら歳を重ねてスタイルを変えていっても、いい音楽をつくっていくでしょう。是非ともコンスタントにアルバムを出してほしい。

サマソニに来るということで楽しみにしていたのですが、僕が行く日と違ってガッカリ。その替わりにローゼスで盛り上がります!

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2013年06月18日

世界のスタンダード

130618.jpg仕事の打ち合わせなどで「コメット」という聞き慣れない言葉を聞くようになり、何となく、困ったことが発生した時にコメットさんの魔法のようなソリューションをしてくれることなんだろうと想像していました。
“このプロジェクトにコメットしますッ!”=“このどうにもつまらないクソプロジェクトをおもしろくします!”というように。
停滞感が漂いつづける日本も、そろそろ、いい感になってきたなと思っていたら、違いました。
「コミット」だったんですね。辞書をひくと、「関わること」と説明されていますが、実際には“一度コミットしたからには血反吐を吐いてでも達成しろ”という怖いニュアンスが多分にあるそうじゃないですか。
“ビジネスパーソンとして当たり前のこと”と仰る方がいると思いますが、ホントにそうでしょうか? 例えば、納期。確かに日本の社会では約束した期日に商品を納品する、或いはサービスを終えることは絶対です。(内容が約束した時より増えていても) 万が一守れなかった場合は瞬時に信用をなくし、誰からも相手にされなくなるウンコ以下の存在になってしまいます。
しかし世界基準でみると、この常識が極めてイレギュラーであることが分かります。

世界で3番目の規模を誇るスポーツイベント、F1が良い例です。2010年に初めて韓国GPが開催されたのですが、サーキットの完成が遅れてレース前日まで舗装工事をし、当日も縁石など間に合わなかったところはペンキを塗ってごまかすという荒技を披露。(観客スタンドの一部は工事が間に合わずに閉鎖)周辺施設のことなどかまっていられなかったようで、チームスタッフやマスコミはラブホテルに寝泊まりするというあり様でした。それでもレースは普通に行われたのです。
同じく翌年に初開催となったインドGPも似たような進行具合でしたが、これまた無事にレースは行われました。
さらに大きな規模で、国家的イベントであるオリンピックやワールドカップでさえも同じようなことが繰り返されています。(ワールドカップ ブラジル大会のメインスタジアムに至っては完成する前に壊れはじめている模様)
こうのうように納期に間に合わない、いや、そもそも初めから間に合わせる気がないのが世界のスタンダード。日本も合わせていきましょうよ、世界に。

といっても、DNAレベルで組み込まれた生真面目さをいきなり変えるのは至難の業。なので、まずは聴く音楽からユルくしていきましょう。そこでオススメしたいのが、ジョン・ホルトというロック・ステディ〜レゲエシンガーの『GREATEST HITS』。
このベスト盤はレゲエの名門レーベル、Studio Oneでの音源をまとめたもので、どの曲もとんでもなくユルくて気持ちいい。確実に仕事する気、失せます。ちなみに僕が持っているレコードはジャマイカ盤で、針が飛びそうなくらいレロレロ。日本ならアウトなクオリティですが、レゲエの本場が良しとするのですからこっちが正解なのでしょう。
肩のチカラを抜きたい人は、ぜひこのアルバムにコメットしてください。

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2013年04月06日

デビッド・ボウイ〜『ロウ』

130306.jpg人から自分のことを“○○らしいね”と言われたとき、“分かってくれてるんだぁ”とうれしく思う人と、“何、分かったように言ってんの”と不機嫌になる人に分かれます。大体において前者は可愛がられ、後者は少しばかり生きにくいコースを歩むことになります。

デビッド・ボウイは、間違いなく後者。それはファンの予想やイメージをかわしつづけるキャリアをみれば明らか。新作『ザ・ネクスト・デイ』の皮肉たっぷりのジャケットでも、彼のそういった気質を実感します。
それにしても評判いいですねぇ、『ザ・ネクスト・デイ』。メディアはまるで80年代半ばから90年代前半の暗黒時代がなかったようにまつりあげていますが、ボウイファンなら世紀のトンデモ作『ネヴァー・レット・ミー・ダウン』も無視したくありません。ある意味、この作品がボウイ史上最大のイメージチェンジとなったアルバムですから。
ドラマチックな彼のキャリアにおいて、クリエイティブ面の絶頂期といえば、やはりベルリン時代。もう少し枠を広げれば『ステーション・トゥ・ステーション』から『スケアリー・モンスターズ』までの約5年間、いや、がんばって『ヤング・アメリカン』から『レッツ・ダンス』にしてもいい。
僕はその中で、ベルリン三部作の第1弾『ロウ』にヤラれたクチです。アルバムはボーカル曲、インスト曲半々の構成で、どれもディープ。落ち込んでいる人が「ワルシャワ」や「サブテラニアンズ」を聴いたら、アカン方向にいってしまいそうなくらい。実際、ボウイはこの時期、肉体的にも精神的にもボロボロになっていたとか。次の『ヒーローズ』では随分回復して、音楽も明るく、躍動的です。
しかし、『ロウ』はそんなドンヨリ沈んだ曲調とは裏腹に、ボウイの才能がスパークしています。それまでのグラマラスロッカーのイメージやスタイルをあっさり捨て、ジャーマンロックやエレクトロニックサウンドに接近。ものすごいレベルで先鋭性と大衆性をミックスさせていて、聴くたびに新しい発見があり、底なしのパワーを放射してくる、そんなアルバムです。これなら“何、分かったように言ってんの”という態度をとってもカッコいいですね。

さて、45年以上におよぶボウイの活動の中でとりわけ大きな存在といえるのが、ブライアン・イーノ、トニー・ヴィスコンティ、イギー・ポップの3人。イーノにインスパイアされて生まれたアイデアをカタチにしていくのがヴィスコンティ。その合間にイギー・ポップに“今、アツいロックっていうのはこれなんだよ。ユーもやっちゃいなよ”と兄貴風を吹かせて、アルバムづくりをサポート。そこで次に自分がやりたい音楽の実験をするというサイクルをちゃっかり構築しています。
『ロウ』の直前には『ロウ』以上にディープな『イディオット』を作曲&プロデュースし、『ロウ』のポジティブバージョン『ヒーローズ』の制作期には、これまた元気ハツラツな『ラスト・フォー・ライフ』の制作をサポート。さらにポップ路線を打ち出した『レッツ・ダンス』を作った後に、スランプだったイギーの復帰作となった『ブラー・ブラー・ブラー』をプロデュース。ただ、当時はボウイ自身が迷走している時期で、ここでのノウハウを『ネヴァー・レット・ミー・ダウン』にリサイクルして大コケしてしまうワケです。

実験精神の旺盛なイーノとボウイとのコラボはお互いノリノリなのに対して、自分のスタイルに忠実なイギーは“ボウイがサポートしてくれるのは嬉しいけど、何か違うだよね”と愚痴っているのが興味深い。『イディオット』も『ラスト・フォー・ライフ』も、素晴らしい出来なんですけどね。きっと彼は、“イギーらしいね”と言われて“分かってくれてるんだぁ”と思う人なんでしょう。

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2013年02月28日

イーノ、感度ビンビン!

130228.jpgシニア男性の元気をサポートする滋養強壮ドリンクの商品名や宣伝文句を見るのが好きです。男性として重要な部位がスタンドアップする現象を、アノ手コノ手を使って表現する様に愛おしさを感じます。
と同時に、もどかしくてイライラするのも事実。そこで、いっそのこと「ラブリー」や「キューティー」みたいな感じで「ボッキー」と言ってみてはどうでしょう? ポッキーみたいにカワイくて女性も言いやすいと思います。
以前、友人と滋養強壮ドリンクっぽい名前の人を考えたところ、「シューマッハ」「アルシンド」「ビグザム」(人ではなくモビルアーマーですが)などが挙がりました。まぁ、ほとんど言い方ですけど。
僕もこの先、気後れするようになったら愛飲してがんばりたいと思っています。

ブライアン・イーノの最近の活動をみると、“はっはぁ〜ん、強壮ドリンク飲んでるな”と思います。
イーノといえば70年代初期にロキシー・ミュージックのメンバーとしてデビューし、ソロになってからは独特のポップセンスが光るアルバムを発表した後、アンビエント・ミュージックを世に広めるという偉業をやってのけ、さらにデビッド・ボウイやトーキング・ヘッズ、U2など数々のアーティストをプロデュースしたレジェンド。これだけのことをしたら、もう隠居してもらっていいんですが、いまだにバリバリの現役。確かに80年代半ばからは興味が映像に映ったりして発表するアルバムもどこかしら内容が定まっていないものが続き、そろそろ髪の毛と一緒にフェイドアウトかなという雰囲気が漂っていました。
しかし21世紀に入いると見事に復活。久々にボーカルをフューチャーした『アナザー・デイ・オン・アース』やロバート・フリップとの共作を出してからは、まさにビンビンのボッキー状態。テクノの名門レーベル、ワープに移ってからはますます元気になって中身の濃い作品を連発。去年出たアンビエントアルバム『LUX』もファン納得の出来栄えでした。時折、名作『ミュージック・フォー・エアポート』や『鏡面界』を思わせる音色が出てきてソワソワさせてくれます。ただ、以前はシンプルなメロディを繰り返すミニマルミュージックの手法を活用していたのに対して、決まったメロディは用いず、より抽象的で周りの環境にとけ込む音楽になっています。
60代になって絶好調のイーノ。ぜひとも多くの人に聞いてほしい。

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2012年12月07日

DIYな男を目指して

121207.jpg世の中には2種類の男が存在します。「モテる男」と「モテない男」。どちらが良い悪いというものではありませんが、後者が前者になりたいと思うことはあっても、前者が後者になりたいと思うことは極めてレアといえるでしょう。
ちなみに僕は筋金入りの後者で、しかも「嫌われたくない」という独りよがりな思いにがんじがらめになってモテないという最悪の部類です。例えるなら、0対3のビハインドで9回2アウト満塁、一発出れば逆転サヨナラ勝ちという場面で打席に立ち、ハーフスイングの三振をしているようなもの。
全盛期のミッキー・ロークのようにモテたい…。夜中に『魔太郎が来る』を読みながらそう念じていたら、神の啓示がありました。「DIYだ」と。そう、今旬な男とは、DIYな奴なのです。
「そのイスいいですね、どこで買ったんですか?」
「いや、近くの工場で廃材もらって、ちゃちゃっと自分でつくっちゃった」
「何かステキ!」
これです、この流れが欲しいんです。
しかし僕には、某家具屋さんのラックを真似てつくろうとしたところ釘をまっすぐ打つことができず、途中でつれ合いに交替させられたという屈辱的な過去があるため、再び金づちを持つ気になれません。
それなら音楽はどうかと思ったのですが、すぐにダニエル・ジョンストンの名前が浮かび却下。

彼は一言でいえばシンガーソングライターなんですが、他のミュージシャンと大きく異なることがあるんです。ひとつは双極性障害というハンディキャップを持っていること、そしてもうひとつはとんでもなく良い曲をつくり、歌うこと。
もともとは自宅でコツコツとカセットテープに録音して配っていたところ、地元のメディアで紹介されたことがきっかけで多くの人に愛される存在になった、いわば元祖DIYミュージシャン。
彼の音楽の魅力は、自筆のジャケットを見てもらえば分かるように、理屈ぬきにハッピーな気持ちになれるところ。素朴なメロディと歌声には、人が持ついろんな感情を通り抜けて辿りついたプリミティブなよろこびがあふれています。
ピュアという言葉は使いたくありません。彼だってもしかしたら、“この曲聴かせたら、モテるんじゃないの?”と思ってるかもしれないし、ひたすらモテたいと思って曲を書くこともピュアといえなくもないというややこしい話になりますから。
ただ、彼の音楽に「良い音楽って何?」と考えさせるチカラがあることは間違いありません。

で、僕にとってのDIYですが、ラックの埃取りや整理整頓、床の掃除、皿洗い、洗濯物のお畳み、ゴミ出し、朝食の用意、補充すべき日用品の確認、金魚鉢の水換え、植物の水やりなど、今やっていることをより迅速・的確にできるよう自己研鑽し、つれ合いをサポートすることだと悟りました。

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2012年10月08日

パイオニアの苦悩

121008.jpg街を歩いていると一人で話をしている人を見かけて、ゾゾッとすることがあります。携帯にマイクをつけて通話しているだけなんですけど、何か腑に落ちないものを感じます。
それ、アリなのか?と。
申し訳なさそうに話すのならまだ可愛げがあるんですけど、こういうものを使う人に限って満面ドヤ顔だから困ります。この前なんてスーパーでキャベツをにぎりながら仕事の話をしている人がいて、“オレは野菜を買ってる時も仕事をしているデキる人なんだぞ”という視線を投げかけてくるワケです。投げかけられた方にしてみれば、こういうムダな思いを駆けめぐらせなければならないので大変迷惑です。できる限り人前では控えてほしいものです。
そういえば携帯電話が世に出始めた時も大きな違和感をおぼえたものですが、さすがにこれは風景になっちゃいましたね。

音楽でも今ではラップトップミュージックは当たり前になっていますが、昔はMacで音楽をつくること自体が話題になりました。そんな時代に活動をはじめた音楽家にカール・ストーンという人がいます。彼は現代音楽に近いフィールドで活動しているのですが、作品は結構ポップで、いま聴いてもすごく新鮮です。実験のための実験に終わっていないのは、彼が50年代の生まれで、子どもの頃にロックもクラッシックもゴッタ煮で聴いていた世代であることが大きいんじゃないかと思います。
そんな彼の音楽の中でひと際キャッチーな作品が「Shing Kee」という曲。
最初は抽象的な持続音が鳴っているのですが、だんだん人の声になってきて、矢野顕子が歌うシューベルトの「菩提樹」のフレーズが現れてくるんです。仕掛けとしては、少しずつ再生スピードを上げて、同じ時間に切り取ったフレーズをループさせる単純なもので、先輩であるスティーヴ・ライヒもテープで同じようなことをしているのですが、いつ何度聴いてもハッとするものがあります。
技術的なことは疎いのですが、テープで同じことをするよりもMacの方が作業的に楽でしょうし、音質や安定性においてすぐれているのかもしれません。
そして何より、このような手法と矢野顕子が歌う「菩提樹」というネタを結びつけたストーン自身のセンスがすばらしい。
もしかしたら当時の音楽仲間は彼がMacでコツコツ音楽をつくっているのを見て、“何をやっとるねん?!”とバカにしていたのかもしれません。
そう思うと、街中で手ぶらで通話している人を笑ってはいけませんね。

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2012年08月14日

クールミュージック2012

120814.jpg言いたくないですけど、毎日暑いですね。吾輩は夏バテをする体質ではなく、ごはんはおいしく食べられるし、夜もぐっすり寝られるのですが、日中の熱地獄にはたえられません。この前、取材で琵琶湖に浮かぶ沖島に行ってきたんですが(湖の島で人が住んでいる世界でも珍しいスポットです)、ほとんど日陰がなく、細胞が“ヤバいッス”というエマージェンシーコールを送っているのが分かりました。

そんな猛暑を少しでも和らげるために、毎年夏になると気温を下げてくれるクールミュージックを風鈴代わりにかけるのが恒例になっていて、今年はポール・デズモンドの『テイク・テン』と、クリス・レアの『オン・ザ・ビ―チ』をよく聴いています。完全にオッサン・セレクトですが、気にせずつづけます。
『テイク・テン』は誰もが一度は聴いたことのあるヒット曲『テイク・ファイヴ』の二匹目のドジョウを狙った作品なんですが、出来はこっちの方がいいです。とにかくポール・デズモンドのアルト・サックスの音が素晴らしい。軽やかで艶やか。ちょっと聴いただけでポール・デズモンドだと分かる、オンリーワンの音色です。ジム・ホールの軽妙なギターとの相性も抜群で、室温を2〜3℃は下げてくれます。
クリス・レアは80年代に活躍したAORな人で、お気に入りとして挙げるのはちょっと恥ずかしかったりするのですが、『オン・ザ・ビ―チ』はアバンチュールな香りが漂いながらもエロさをあまり感じさせない塩梅。小さめのボリュームでかけて、金髪美人と恋におちることを想像しながら昼寝なんかすると、マジ最高です。エロさがないため、夢精する心配もないのがうれしい。

その他に、グリーン・キングダムの『Egress』というアンビエント〜エレクトロニカ系のアルバムもよく流しています。初期のテイラー・デュプリーを思わせる、おだやかでノスタルジックなサウンドで、なかなかグッド。説明っぽいなメロディやリズムを思い切って取り除けばもっと良かったのに。近頃のこういう音を出す人は構造的なつくりに回帰しているところがあって残念です。

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2012年06月20日

心地よいBGM

120620.jpg居酒屋やラーメン屋さんでジャズがかかっていたり、オサレなカフェや洋服屋さんでフレンチポップスがかかっていると、イラッとくることがあります。どうしてイラッとくるのか考えてみるのですが、答えは出ません。
居酒屋やラーメン屋さんでジャズがかかっていること自体に腹が立つワケではなく、自分のムシの居所の問題でもなさそうで、もちろん「ジャズをBGMなんかにするな!」という講釈があるワケでもありません。むしろ、大学生の頃、友だちにジャズ喫茶に連れていってもらったものの、お客さん全員がこの世の終わりみたいな顔をして聴いている空気に耐えられず逃げ出した者としては、BGMとしてジャズやその他の音楽を聴くことに、「いいね!」ボタンを10回くらい連打したい。
となると、「お店の人の音楽に対する距離感」ということになってくる気がします。これは、音楽への思い入れがある方が良いということではまったくなく、自分のお気に入りの音楽を、そうとは限らない人にどのように届けるかという意味合いです。
例えば、自分の好きなものに対して“それよりも、こっちの方がいい”と否定から入ってこられると聴く気が失せますが、涼しい顔して流されるとスーッと受け入れられたりするように、お店のBGMにもそんな送り手の姿勢を感じとっているのかもしれません。分かりやすいところでいうと、ボリューム。必要以上に大きいと、それこそ“どやどや、ええやろ!”と迫られているようで、胸焼けがする。やっぱり音楽と場所の関係を少しは考えてほしい。
しかしながらそういうセンスを感じるお店には残念ながらなかなか出会うことはありません。むかしニューヨークに滞在していたときに“いいなぁ”と感じたことのひとつが、街のところどころからもれ聞こえてくるラテン音楽。大き過ぎることもなく、小さすぎることもない絶妙なボリュームで、曲をかけている人だけでなくまわりの人も気持ち良くさせてくれるんです。これは、音楽が多くの人の生活に根づいているからなのかもしれません。
最近その空気感を思い出し、もうすぐ夏ということもあり、もっぱらラテン音楽、特にブーガルーをかけています。ブーガルーというのは、60年代〜70年代にニューヨークで流行った、ラテン音楽をベースにソウルやR&Bなどを混ぜ合わせたパーティーミュージック。ギャング映画を観ると、よく悪党が入り浸っているクラブで流れていたりします。昔はおバカ音楽にしか聴こえませんでしたが、今ではすっかりお気に入りに。(特にFANIAというレーベルから出ているものはハズレなし)
一度でいいから、こういう音楽がかかっていて、プールサイドにフルーツポンチなんかが置いてあるパーティーに行って、金髪美女と仲良しになりたいものです。

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2012年04月13日

Jディーでまったり

120413.jpg何年か前から「まったり」や「ほっこり」という言葉をよく見かけますが、吾輩に言わせればそれらのほとんどは、ちっとも「まったり」も「ほっこり」もしていません。
なぜなら吾輩にとって「まったり」や「ほっこり」は、他人の目を気にせず過ごすことを意味するからです。しかし世に出回る「まったり」「ほっこり」は、他人に認識してほしい「キャラ」を発信するジェスチャーに感じます。このことは「キャラ」という言葉がフィクションの登場人物から現実にいる人の人物像を指すようになったことにも関係しているのですが、その辺のところを話しだすと長くなるので置いておくことにして、うっとうしいことをゴタゴタぬかして何が言いたいのかと申しますと、「まったり」「ほっこり」とは鼻をほじることだということです。
人の目を気にせず黄金の右小指を鼻の穴に入れ、爪先にヤツが引っかかった時の精神のたかぶりといったら、松方アニキが巨大カジキマグロを釣り上げた興奮にも劣りません。さらにこんな時ナイスな音楽が流れていたら、それはもうパラダイスといってよいでしょう。
そんな吾輩の「まったりタイム」に流れているのはもっぱらメロウなヒップホップ。ロックやテクノだと落ち着いてほじれないし、ジャズだと鼻ほじりをやめて煙草の一本でも吸わなければという気分になってしまう。アンビエントはどうかというと、指を突っ込んだまま寝てしまいそう。やっぱりメロウなヒップホップがベストです。
その中でも特にハマるのがJディー/Jディラが手がけた曲。Jディー/Jディラは、安物のカセットMTRでつくったデモが認められ、プロデュースチーム、ウマーやソウルクウェリアンズのメンバーとして活躍した00年代のヒップホップを代表するクリエーターで、綿密につくり込まれた気持ちいいサウンドが魅力なんですが、彼の遺作となった『ドーナッツ』は一転ラフな作風になっているんです。ネタをそのまま使ったり、ループが気持ち良くなってきたなぁと思う頃にブツリと切れて次の曲に進む展開はみようによってはかなり雑。しかし本人はそんなことは百も承知。おそらく今まで自分がつくってきたサウンドを期待する人たちの目を気にせず、次に自分がやりたいことを模索していたのでしょう。だからサウンドの表面はデコボコでざらついていても「まったり」と鼻ほじりができるのです。

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2012年02月09日

夏涼しく、冬暖かい音楽

120209.jpg近頃の寒さで身も心も縮こまっています。あまりにも足元がジンジン来るのでパッチ的なものを履きたい誘惑に駆られたものの、そんなものは自分のダンディズムに反するので持っておらず、仕方なくつれあいのタイツを借りることにしました。保温効果はもちろんのこと、股間に張りつく密着感、まさかデニムの下に女性用のタイツを履いているとは思うまいという秘めた悦びでクセになりそうです。(こういう時に限って警官に職務質問されて、オドオドするんですよね)
そんなうれし恥ずかしな防寒をしてもまだ寒いので、身体の芯から暖めようとレゲエのオルガンプレイヤー、ジャッキー・ミットゥの『Macka Fat』というアルバムに針を落としたところ、1曲目のイントロが鳴りだした途端に身体の中でポッと火が点き、ホカホカに。
暑い季節に聴くと涼しく、寒い季節に聴くと暖かい、しかも幸せな気分になる、この人のオルガンの音色は何なんでしょう。リスナーとしては“マジック”とか“天才の技”といったロマンチックなものを期待してしまいますが、意外に人気ラーメン店のような“これだけは教えられねぇ!”という裏技があるのかもしれません。
どちらにしろ、こういう人肌感覚の音楽って今は少ない。何か、メロディも歌詞も情報が詰め込まれているというか、記号の羅列のような曲ばかりに思えてなりません。そういう音楽があって全然いいと思いますが、吾輩としてはやはりミュージシャンの中で醗酵して出てきた、ニオイのする音楽に惹かれます。
もちろん『Macka Fat』も聴いているうちに果物の熟れたニオイや、ミットゥさんのアフロで蒸れた頭皮のニオイが漂ってくる濃い口です。

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2011年11月23日

深化するトム・ウェイツ

111123.jpgトム・ウェイツがえらいことになってます! “イカす”オヤジは世の中にままいらっしゃり、“イカれた”オヤジも家でウンコを煮込む人を筆頭にチラホラお見受けしますが、“イカれていて、イカす”オヤジは、この人しかいないんじゃないでしょうか。
キャラクターだけでなく作品でも唯一無二の世界をつくりつづけている彼が、オリジナルアルバムとしては7年ぶりとなる『バッド・アズ・ミー』で、さらにディープな世界に突入。
今回は『リアル・ゴーン』で封印していたピアノが復活。デビユー以来描き続けている“夜の街”のイメージに、『ボーン・マシーン』から開拓しているジャンクな世界観とパーカッシヴなサウンドを合体させ、デビッド・リンチも真っ青なビザール・ワールドをつくりあげてしまいました。
これは偶然の産物ではなく、最初からねらっていたことが、スリーブにある写真からも分かります。ヘベレケなようで、この確信犯ぶりはまさに酔拳。60歳を超えてこの切れ味の鋭さ、スゴ過ぎです。
今作にはキース・リチャーズやレッチリのフリーなど、大物ゲストの参加が話題になっていますが、それよりも注目したいのがマーク・リボーのギター。彼は『レイン・ドッグ』以来、トム・ウェイツには欠かせない存在になっていますが(『ボーン・マシーン』には不参加でしたけど)、今回の演奏はその中でも特別な出来映え。この人、コステロやアート・リンゼイ、デヴィッド・シルヴィアンなどの作品でも絶品のプレイを聴かせてくれます。
そんな強烈な個性を全部飲み込んでオンリーワンの世界をつくりつづける毒マムシことトム・ウェイツからまだまだ目が離せません。

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