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2011年11月23日

深化するトム・ウェイツ

111123.jpgトム・ウェイツがえらいことになってます! “イカす”オヤジは世の中にままいらっしゃり、“イカれた”オヤジも家でウンコを煮込む人を筆頭にチラホラお見受けしますが、“イカれていて、イカす”オヤジは、この人しかいないんじゃないでしょうか。
キャラクターだけでなく作品でも唯一無二の世界をつくりつづけている彼が、オリジナルアルバムとしては7年ぶりとなる『バッド・アズ・ミー』で、さらにディープな世界に突入。
今回は『リアル・ゴーン』で封印していたピアノが復活。デビユー以来描き続けている“夜の街”のイメージに、『ボーン・マシーン』から開拓しているジャンクな世界観とパーカッシヴなサウンドを合体させ、デビッド・リンチも真っ青なビザール・ワールドをつくりあげてしまいました。
これは偶然の産物ではなく、最初からねらっていたことが、スリーブにある写真からも分かります。ヘベレケなようで、この確信犯ぶりはまさに酔拳。60歳を超えてこの切れ味の鋭さ、スゴ過ぎです。
今作にはキース・リチャーズやレッチリのフリーなど、大物ゲストの参加が話題になっていますが、それよりも注目したいのがマーク・リボーのギター。彼は『レイン・ドッグ』以来、トム・ウェイツには欠かせない存在になっていますが(『ボーン・マシーン』には不参加でしたけど)、今回の演奏はその中でも特別な出来映え。この人、コステロやアート・リンゼイ、デヴィッド・シルヴィアンなどの作品でも絶品のプレイを聴かせてくれます。
そんな強烈な個性を全部飲み込んでオンリーワンの世界をつくりつづける毒マムシことトム・ウェイツからまだまだ目が離せません。

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2011年11月07日

兄弟愛

111107.jpgアディダスとプーマ、京都の某老舗かばん屋さんなど、せっかく商売繁盛しているのに、というか、商売繁盛したために兄弟でイザコザを起こすというのはよくあるパターン。こういう騒ぎは当事者にしてみれば真剣なんでしょうけど、傍目にはかなり滑稽に映ります。
そんなイザコザ兄弟界の最前線をいくのが、元オアシスのギャラガー兄弟。本業の音楽だけでなくイザコザの分野でもトップレベルの活動をするのだから流石です。
バンドの大半の曲をつくってきた兄のノエルは職人気質の頑固者、フロントマンの弟リアムは典型的なオレ様キャラ。ただでさえ兄弟でバンドを組むという微妙な関係なのに、一筋縄ではいかないキャラのせいでケンカは絶えず、結成から20年近く経った2009年にイザコザ(しかも音楽とは無関係)はピークに達し、バンド解散という最高、もとい最低の最期を迎えました。
その後、リアムはノエルを除くオアシスのメンバーとビーディ・アイというバンドを結成。そしてつい最近、ノエルも満を持してソロアルバム『ノエル・ギャラガーズ・ハイ・フライング・バーズ』を発表しました。
ビーディ・アイが‘好きなロックを好きにやる’というご機嫌志向なのに対して、ノエルの方は落ち着いた大人のロックという仕上がりに。女性コーラスやストリングスの導入など、新しいことにもちょこっとチャレンジしていますが、アルバムのどこを切り取ってもノエル節全開。驚くような新鮮味はなく、内容の方も傑作とまではいえないかもしれませんが、いいソングライターだと改めて感じました。
彼はこの先、リチャード・アシュクロフトみたいにどんどん地味な存在になっていくんでしょうけど、本人はそのことを受け入れているようなので、どんどんいい曲を書いて、歌ってほしいものです。
個人的には、オアシス再結成はなくても無問題です。お互い別々にやった方が、仲直りできそうな気もしますしね。
京都のかばん屋さんの方は、別々にやってもこじれるばかり。あのこじれよう、かなりコワイです。

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2011年10月20日

ローゼズ、セカンド・カミング!

111020.jpgなんと、ストーン・ローゼズがオリジナルメンバーで復活!
再結成のウワサが立つのは毎度のことで、最近の盛り上がりも完全にスルーでしたが、まさか実現するとは。彼らのファーストを聴いて、本気で‘何かが変わるかも’と思った人間としては胸が熱くなります。
お金、音楽性、恋の終わり…、バンドが解散する理由はいろいろですが、ローゼズの場合は友だち同士の素のケンカと意地の張り合い。解散後のイアン・ブラウンとジョン・スクワイアの‘あいつが謝ってこないかぎりは…’的なウジウジ・モジモジ発言を見るたびに‘もうッ、イライラするな!’と、声をあげたものです。そんな駄々っ子2人の間に入って、何とか仲直りさせようとがんばっていたマニはホントにいい人です。
でも誰もが、解散から15年経った今、どうして再結成?と思うはず。真っ先に頭に浮かぶのは‘メイク・マネー’。しかし、彼らはそれだけで集まるようなタイプではありません。現にイアンはソロでも成功しているし、マニはプライマル・スクリームのメンバーとして活躍、ジョンもアート方面での活動に本腰を入れ、レニは悠々自適の生活を送っている状態。それをオシッコのキレも悪くなる50歳近くになってリセットし、もう一度いろいろあった昔の仲間と集まるというのは相当気持ちの盛り上がりがないとできません。
記者会見を見ると、みんなイザコザなんてまるでなかったような、いい雰囲気が漂ってます。イアンの態度のデカさや、ジョンの目線の落ち着きのなさも昔のまんま。(ついでにイアンの音痴っぷりも当時のまんま)たぶん4人で顔を合わせた瞬間、‘何を今までスネてたんだ’と、バカらしくなったんでしょう。
活動は当面ライブとのことですが、うまくいけばアルバムの制作もあるとか。マニはプライマル・スクリームを抜けるみたいだし、メンバーの本気度が伝わってきます。
ひとつ気がかりなのは、ながく第一線から離れているジョンとレニの状態。レニは天才肌のミュージシャンなのですぐに調子を取り戻すでしょうが、ジョンにかつての閃きが戻ってくるのか?ライブでしっかり勘を取り戻して、「フールズ・ゴールド」や「ワン・ラヴ」の先にあったサウンドを聴かせてほしいものです。くれぐれも『セカンド・カミング』のようなマッチョ路線には走らないように。
ローゼズが再び動きだしたことをきっかけに、当時彼らに影響を受けた世代は、あの時感じた‘何かが変わるかも’という期待感を自分たちでカタチにしていかないといけませんね。

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2011年09月13日

いま、日本は空前の「絆ブーム」。みんなが仲良くつながることにまったく異論はございませんが、真っ向から‘絆、絆’と言われると(実際に言われたことは一度もありませんが)、キャンプファイヤーで肩を組みながらグルグル回っている絵が頭に浮かんでしまい、顔を赤らめてしまいます。
そんな熱い絆を表す形態のひとつがバンド。成功を夢見て集まった同志が、いつしか意見の違いやエゴなどによって憎み合うようになり袂を分かつものの、‘金がほっすぃ〜!’という共通の目的のもとに再び集まる。これも立派な絆。そして、メンバーにほんの少しでも過去のイザコザを笑い飛ばす気持ちがあれば、‘感動’というオマケがついてくるのです。
今まで心を熱くする再結成はいくつもありましたが、ルー・リードとジョン・ケイルの再会は、20年以上経った今でも色褪せない素晴らしいものでした。
二人は、もとはヴェルヴェット・アンダーグラウンドというバンドのメンバーで、お互いのエゴがぶつかり合いケンカ別れ。もう二度と顔を合わすことはないというくらい関係がこじれていたのですが、バンドを世に送り出してくれたアンディ・ウォーホルの死をきっかけに(ウォーホルとも仲違いしてたんです)、二人で『ソング・フォー・ドレラ』という追悼アルバムをつくることに。アルバムも素晴らしいんですが、当時行われたライブが感動的で泣けるんです!
「スタイル・イット・テイクス」という曲をはじめる前に、ケイルが何ともいえない笑みを浮かべ、それにネズミ男…もといルー・リードが応える。お互いに対する思い、ウォーホルに対する思いが交錯する深い一瞬。まさに絆です。

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2011年07月28日

男の憧れ

110728.jpgブルース・リーのように、ごっつ強そうな悪漢相手に余裕の表情を浮かべてペロリと親指を舐め、ファイティングポーズをとる。どこぞのアーティストのように「ミュージック・ステーション」に出演して、タモリさん相手に脚を組んで、マイクをだらしなく持って話す。シャア専用ズゴックに乗ってジムの腹をえぐるなど、男には死ぬまでに一度はやってみたいことがあります。
「インドに行く」というのも、そんな憧れのひとつ。吾輩も学生時代にインドへ行って人生観とやらを変えてみたいと思いましたが、持ち前の行動力のなさと、この世でもっとも苦手な某生物に出くわす恐怖心のせいでスルー。
現在のインドとの関わりといえば、カレーを食べる、インドのF1チームであるフォース・インディアを応援する、インド音楽を聴くことくらいでしょうか。カレーは大好物で少なくとも週に1度は食べているのですが、フォース・インディアに関しては応援するというより頭の片隅でチェックしているだけ。インド音楽にしても適当にレコードやCDを買ってチョロチョロ流している程度です。でも、ちょっと前にゲットしたTRマハリンガムの『マリ』は、そんなことに関係なく良かった。
ジャケットを見る限りではマスオさん版『悪魔が来たりて笛を吹く』という感じですが、ホントのところは南インド古典音楽の竹笛奏者で、彼が笛を吹くと鳥が集まり一緒にさえずったという伝説があったりします。(まったく比べるものではありませんが、歌のテストで真面目に歌っているのに「ふざけるな!」と先生に怒鳴られた吾輩とは大違いです)
そんなTRマハリンガムの演奏が素晴らしいのはもちろん、バックの演奏もナイスで、時にはアンビエントにように静かで、時にはドラムンベースのように弾み、かなり刺激的です。やはり一度はインドの空気の中で、こういう音楽を聴いてみたいものです。

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2011年05月17日

食わず嫌い

20110517.jpg食わず嫌いというのは写真の男性のことではなく、いちご大福のことです。一度も食べたことがないので味は分からないのですが、あんこだけでは飽き足らず、いちごまで埋め込む欲張り具合がどうにも受けつけません。また、餅・あんこ・いちごを一緒にかじる食感も、想像するだけでムズムズしてきます。

ある時期までこれと同じ感触だったのが、ストリングスを大々的に取り入れたポップミュージック。吾輩にとってポップミュージックは、シンプルな編成でシンプルな曲を鳴らすイメージがどこかにあって、ストリングスのゴージャスな音色や仰々しいアレンジがかぶさると、百貨店でくたびれたカバンからビトンの長財布を出して買い物をするオバさんみたいにチープに思えて、いまいち好きになれませんでした。
そんな偏食ぶりをほぐしてくれたのが、エバートン・ネルソン(写真)とウィル・マローンという2人のアレンジャーです。
エバートン・ネルソンをはじめて知ったのは、坂本龍一の「トリオ・ワールド・ツアー 1996」。このとき彼はヴァイオリニストとして参加していて、‘ヴァイオリンをこんなにカッコ良く弾くことができるんだ’と、ビックリしました。その後、サイレント・ポエツや4ヒーロー、ビョークなどで、イカすストリングスだなと思った曲にはことごとくエバートン・ネルソンのクレジットがありました。彼のアレンジの特徴は、クラシカルなテイストなのにポップミュージックやクラブミュージックにマッチしていること。これはメロディだけでなく、リズムに対する鋭い感覚がなければ絶対にできないスゴ技です。
ウィル・マローンに出会ったのは、ザ・ヴァーヴの『アーバン・ヒムズ』。キャバ嬢の盛りヘアのようなド派手に装飾されたストリングスは胸ヤケするはずなのに、彼のアレンジは曲にスケール感と叙情性を与えていて、目からウロコがでる思いでした。プロフィールを見たら、60年代から活動しているようで、かなりお年のはず。なのに、マッシヴ・アタックやUNKLEとも仕事をするトンガリよう。
エバートン・ネルソンとウィル・マローンの仕事は、これからも注目です。

こうやって考えると、いちご大福も美味しいところのものはさぞかし絶品なのでしょう。最初にどこのいちご大福を食べるか、そのセレクトあるいは巡り会わせで、出会い頭事故になるのか、一生のおつきあいになるのかが決まってしまいます。‘ここのは絶対に食べろ!’といういちご大福があれば、ぜひ教えてください。

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2011年04月14日

『ザ・キング・オブ・リムス』を聴く

110414.jpgレディオヘッドのニューアルバム『ザ・キング・オブ・リムス』がリリースされ、はじめてタイムリーに聴きました。
このバンドは『キッドA』を出してから常に新しい音を期待され、新作が出るたびに何の話をしているのか分からないディスクレビューがメディアにあふれ、バラモン的なポジションにまつり上げられるという、本人たちも困った状態にあるように思います。トム・ヨークがしょうもない下ネタを言っても、‘心の奥に潜む闇のメタファーだ’とか何とか言って、ありがたがられる勢いです。トム・ヨーク本人にしてみれば、「ただチ◯コって言ってみたかっただけやのに…」って感じでしょう。下ネタをシリアスに受け止められる、これってある意味最悪の状態です。
ちなみに元オアシスのリアム・ギャラガーは、‘樹齢1000年の木にインスピレーションを受けたって? せめて先週植えた木について何か書いてみろってんだ’と、やっさんみたいなことを言ってますね。

じゃあ、お前は『ザ・キング〜』をどう思うんだ?ときかれたら、ズバリ、‘わかりませんッ!’と答えます。カッコいいことのひとつやふたつ書いてみたいのですが、何回聴いてもコレといった印象もなく終ってしまうのだから仕方ありません。
そう、すぐ終る。これだけははっきりしています。CDが普及してからアルバムは1時間を超えるボリュームが当たり前になりましたが、『ザ・キング〜』は40分弱。昭和的に言えば、46分テープに余裕で収まります。すぐ終るから反射的にまたプレイボタンを押し、繰り返し聴いているうちに好きになっている。そんなパターンのアルバムかもしれません。これくらいのボリュームがちょうど良いですね。
40分に満たない時間を構成する8つの曲は、おしなべて地味。『OK コンピューター』のようなドラマチックな展開も、『キッドA』や『アムニージアック』のような分かりやすいエレクトロミュージックへの傾倒もありません。あるのは、自分たちが奏でることのできるナイスな音楽を、ありのままカタチにするというスタンス。
レディオヘッドはこれからどんどんメジャー感が薄れ、派手な変化もなくなり、音楽ライターさんから‘書きようないな’とぼやかれるようになり、次第にメディアの露出も減っていくでしょう。
もう、そろそろ、彼らの軽い冗談にツッコミを入れてあげてもいいんじゃないでしょうか。

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2011年01月22日

イメージ

110122.jpg2010年の日本シリーズが「中日vsロッテ」という社会人野球以上に華のない、もとい通好みの渋いカードになったため、すっかり存在感が薄くなってしまったプロ野球。そんなイマイチムードが漂う中、ハンカチ王子改め球界のアイドル、斎藤佑樹クンが日本ハムに入団し、一気に活気づいてきました。
佑樹クンが寮を出るところを芸能レポーターが追いかけるのはお馴染みの風景になっていますが、ある時テレビを見ていたら某女性レポーターが、‘今、斎藤選手が笑顔で寮から出てきました。多くの報道陣に囲まれ、少しはにかんでいるようです’と、得意げに実況していました。別にいいんですけど、はにかむのは石川遼クンですから。
こういう、ちょっとイラッとくる勘違いは結構あるもので、某音楽番組で‘冬に聴きたい歌’というテーマで、死ぬまで童顔〜イルカさんの「なごり雪」を紹介していましたが、これって春の歌ですよね。地味にイラッときます。
とまぁ、こんな屁にもならない理屈をこねておきながら何なんですが、吾輩も冬と何にも関係ないのに冬に聴きたくなる歌があります。やっぱりこういうことは自分なりのイメージということで済ました方が丸くおさまるのでしょう。
ちなみに吾輩のウィンターソングの定番は、デヴィッド・シルヴィアンの「レット・ハッピネス・イン」。歌詞は確か、孤独な男が海辺で佇み、‘これからは自分も幸せになっていいんじゃないか’と思いめぐらす内容だったと思いますが、そんな歌詞の内容よりも、彼の声と寄せては返す波のような静かな曲調が、冬の暗い海を連想させるワケです。
その他にも、ニック・ドレイクの『ブライター・レイター』や、ティム・バックリィの『ハッピー・サッド』というアルバムを聴くと、暖炉でパチパチ音を立てる火を眺めているような気分になって、すごく好きです。でもこの二人、人生の終り方はすごく寒いんですよね。

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2010年12月15日

おかしな歌詞

101215.jpgガンジーの次に広い心を持つと言われる吾輩は、このブログでも褒めることを基本スタンスとしているのですが、先日テレビで某歌番組を見てちょっとボヤきたくなりました。
吾輩が日本のポップミュージックをあまり聴かない理由のひとつに、「歌詞のうっとうしさ」があります。歌っている内容は日本も外国もたいして違わないんでしょうけど、意味が分かるだけに拒否反応を起こしやすいワケです。
しかも近頃のポップミュージックは、“踊ろうぜベイビー、オールナイト”といった思考をとことん排除したゴキゲンなものではなく、何かを語ろうとしているから余計に小骨がノドに引っかかったみたいに気持ちが悪いんですよね。メッセージを発信するのは別にいいんですけど、今の歌詞は誰も文句の言えない正論の説明ばかりで、つまらん先生の道徳の話を聴いているような気がします。
例えば、「こんな状況で、こんなことを思ったから幸せだよねぇ。だからこれからも、ずっとこのまま変わらずに」といった感じです。そんなことを聞かされて何が嬉しいんでしょうか。こんなものは共感ではなく、ステレオタイプなイメージをなぞっているに過ぎません。(この文句もステレオタイプやないか!と言われると、ぐうの音もでませんが)
しかも歌と聞き手の距離感を無視してネチネチまとわりついてくるので、「何が言いたいねん!」と声をあげたくなってくる。要するに、一緒にお酒を飲みたくない人と同じ「うっとうしさ」があるんです。これで「泣き」が入ってきたらもう最悪。‘オシッコしてくるわ’と言って、そのまま帰ってしまいます。
やっぱり歌詞というのは、シンプルにズバッと核心をつくもの、つくり手の押しつけでない感情や風景が浮かぶもの、ワケもなく頭にこびりつく響きのあるものであるべき。
自分で「アーティスト」と言って大きな顔をするなら、このことにチャレンジする意気込みくらいは見せてほしいものです。

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2010年09月08日

音の聴こえ方〜オーネット・コールマン

100908.jpg自宅のラックに並びながらも、ここ数年1回もチョイスされたことのない悲しいCDやレコードって結構あるものです。恨まれるのもイヤなので、‘いま聴いたら案外イケるかも’というアルバムを探してみたところ、オーネット・コールマンの『ダンシング・ユア・ヘッド』が目に留まりました。このアルバムは完全にジャケ買いで、オーネット・コールマンという名前やフリージャズという言葉に憧れもあってレジへ持っていった記憶があります。音の方も変わっていておもしろいと感じたものの、聴くのにパワーがいるので、自然と視界から消えてました。
聴かない間にかなり発酵していたようで、久々にプレイしてみたところ、すごくカッコ良くなってました。とはいってもそこはオーネット・コールマンの音楽、神経に引っかかるような違和感があり、スムーズに聴き流せるものではありません。が、調子っぱずれに聴こえる音の中にしっかりとしたグルーヴがあることを発見し、そこからソニック・ユースのリーダー、サーストン・ムーアの『サイキック・ハーツ』を思い出しました。
このアルバムも『ダンシング〜』と同じように、何年もラックに埋もれていた盤。何か心の奥がムズムズしてきて、急いで『サイキック〜』をプレイ。すると、まったくジャンルの異なる2つの作品に同じグルーヴが流れているではありませんか。木で出来た四角い車輪がギッコンバッタンと回っているような感じといえば伝わるでしょうか。ズレのせいで首が振られ、お尻も打ちつけられるのに、それがだんだん気持ち良くなってくるんです。この2人、リズムの人だったんですね。彼らのサックスやギターは、このリズムに乗ってこそ活きてくる。ノイズをリズムで刻んでいるんじゃなかったんです。そう思うと、自分の中にあったオーネット・コールマン像がガラリと変わり、音の聴こえ方も違ってくるから不思議です。
こうやって1人で盛り上がっているのが、日曜日の朝5時半。最近、この時間帯が自分だけの憩いのひと時になっています。

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2010年07月23日

サマーアンビエント2010

100723.jpg暑い…というか熱い。夏の気温、確実に毎年上がってますよね。昼間街中を歩いていると真剣に生命の危険を感じ、アラフォーおやじながら‘マジ、ヤバい’と、つぶやいてしまいます。これはもう二酸化炭素がどうのという問題ではなく、太陽自体が燃え過ぎているような気がします。
そんな殺人的な暑さを少しでも和らげるために吾輩が毎年しているのが、ナイスなアンビエント・ミュージックをかけること。一口にアンビエントといっても、爽やかで心地よいものからプチ鬱の人に聴かせたら間違いなく症状が悪化してしまうディープなものまでいろいろあるワケですが、暑さ対策にかけるのはもっぱら心地よい系のもので、ほとんど風鈴がわりにしています。
毎年自分の中で流行りがあり、今年は日本のアーティストがつくった2枚のアルバムをよく聴いています。1枚は池田謙の『ミスト・オン・ザ・ウィンドウ』、もう1枚は畠山地平の『ア・ロング・ジャーニー』という作品です。まず、どちらもタイトルがいい。このタイトルを眺めているだけで室内の気温が1℃は下がります。『ミスト・オン・ザ・ウィンドウ』は池田氏がつくったオリジナルの弦楽器の音を加工した、空気のゆらぎが感じられる良質なアンビエント。『ア・ロング・ジャーニー』は旅をイメージした作品だそうで、こちらもジャケットの写真のような水と光のゆらぎを感じる爽やかなドローンになっています。ふたりとも世界的に評価されているそうですが、納得の出来映えです。
アンビエントには今回紹介したような「風系」「水系」と呼びたくなるタイプはたくさんあるのですが、「砂漠〜荒野系」って少ないように思います。デヴィッド・シルヴィアンが以前いい線いっているアルバムをつくっていたのに、最近はそういう音楽に興味がなくなってしまったんでしょうかね。残念です。

話はそれますが、ちょっと前、近所に「二酸化炭素を撲滅して、人と地球にやさしい暮らしを」みたいなポスターが貼ってあってビックリしました。撲滅したら、あかんでしょ。二酸化炭素がなくなったら、確実に人類も植物も死に絶えると思うのですが…。 万が一、二酸化炭素がなくてOKだとしても、‘撲滅’という言葉はいかがなものか。‘撲滅’という言葉と‘やさしい’という言葉を並列させるポスター制作者の精神構造を考えるとかなり怖いです。

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2010年05月23日

ヘアカット100

100523.jpg知らないうちに前回の更新から1ヵ月が経ってました。何だか近頃はみんなtwitterに夢中になっちゃって、‘ブログばなれ’‘ブログ疲れ’が急速に広まっている気がします。吾輩もそんな空気に影響されて小休止を入れたら、書くことがまったく思いつかなくなってしまいました。‘燃えたよ…燃え尽きた…真っ白にな’という『あしたのジョー』のセリフの意味が少し分かったように思います。
さて、じゃあ今回わざわざ書くネタがあったのかというと、そんなことはないのであしからず。最近の主だった出来事といえば、つれ合いと娘のKAT-TUN好きが激しくなったこと(現在我が家では「Going!」のPVが流れまくってます)、吾輩の80'sニューウェイヴ熱が高まっていること、もずくがやらた美味く感じることくらいでしょうか。
KAT-TUNともずくの話は別の機会にするとして、今、80年代のニューウェイヴのレコードをほじくりかえして聴くことが吾輩の中でちょっとした楽しみになっています。中でもヘアカット100の『ペリカン・ウェスト』が琴線にビンビン響きます。このアルバムを買った当時はまったく魅力を感じず2〜3回針を落としたくらいだったのですが、今聴くとすごくいい。メロディもアレンジもよくできているし、ニック・ヘイワードの歌もうまい。そして何より収録曲につけられた邦題がイカす。1曲目からして「好き好きシャーツ」ですから。‘好き好き’というフレーズもレトロ感満載でグッときますが、さらに‘シャーツ’という奇妙なフレーズでダメ押ししてくるところがすごい。その他にも「レモン消防隊」「海洋少年」と、村上春樹の小説に出てきそうなタイトルがあったりします。
ジャケットもキュートで素敵なのですが、実際に男どもが公園でこんなふうに寝そべっていたら、かなりコワいです。

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2010年03月12日

音楽ライフ停滞中

100312.jpg去年秋からの忙しさがなかなか収まらず、新しい音楽や映画、本に接する機会が激減。飲みに出かけたこともこの半年一度もなし。当然のごとくガス欠状態になっています。
音楽関連では唯一マッシヴ・アタックの新譜『ヘリゴランド』を試聴したもののスルー。雑誌なんかでは1stや2ndに回帰したと評価が高いようですが、ム〜ンという感じです。質感はむしろ『メザニーン』や『100th ウインドウ』の延長線上じゃないでしょうか。どうも今のマッシヴ・アタックに1stや2ndのような作品を期待するのは間違いのようです。

こんな感じで目新しさのかけらもない音楽ライフを送っている中、静かなブームになっていのがヒップホップ。今までヒップホップはメインで聴くことがなく、カレーライスに添えられたラッキョウ、ストーンスのビル・ワイマン、国際軍団の寺西勇的な存在だったのですが(とはいっても決して欠かすことばできません。……ストーンズはビル・ワイマンなしで全然成立してますね)、この度メインに昇格。
中でもよく聴いているのがコモンの『ファイティング・フォーエバー』とQティップの『ザ・ルネッサンス』。
『ファイティング〜』は前作『BE』のまったり路線を引き継ぎいだテイストで、最初聴いた時はえらく地味な印象を受けたのですが、元をとるため繰り返し聴いているうちにジワジワきました。かなりいいです。それにしてもコモンってオットコマエですよね。せまられたら断る自信ありません。
ヒップホップを寺西勇扱いする者がいうのも何ですが、『ザ・ルネッサンス』は間違いなく傑作です。Qティップ独特の浮遊感あふれるプロダクションと脳ミソを引っ掻かれるようなラップ、サイコーです。ソロとしての1st『アンプリファイド』はヌケが良くなく、やっぱりア・トライブ・コールド・クエストだなと思っていただけに、会心の一撃といったところ。最近出た彼の幻の2nd『カマール・ジ・アブストラクト』もいいんでしょうか?

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2010年02月05日

土着ポップ

100205.jpg先日、家族で木下大サーカスに行ってきました。サーカスというと楽しさの裏側に哀愁やちょっと怖い雰囲気が漂っている感じがして、個人的には真夜中にピエロが獲物を求めてうごめくといったB級ホラーなイメージが染みついています。
木下大サーカスは世界3大サーカスのひとつというだけあってそういう妖しさはなく、健全で完成されたエンターテイメントショーでした。名前が木下だけに、同じ顔をした木下さん一族がウンパ・ルンパみたいにゾロゾロ出てくることを期待していたのですが、実際は外国人も多くコスモポリタンな世界がくり広げられていました。
しかし中盤、ジャパニーズ感あふれる演目が強引にはさみ込まれ、土着臭がプゥ〜ンとしてきた時は別の意味でワクワクしました。頭では洗練を目指しているのにカラダの内側から湧き出る土着テイスト。この混ざり具合というか混ざらなさ具合が刺激的でした。

ジャンルは異なりますが、そんなストレンジ&キッチュな魅力を発散する決定版といえるのが、60年代後半から70年代前半にシンガポールでヒットした歌謡曲を集めた『シンガポール・ゴー・ゴー』というアルバム。ジャケットを見れば分かる通り、アジアンモンドがフルスロットルで炸裂しています。一応、欧米のポップミュージックを手本にしてつくられた最新流行歌だったのでしょが、ビリビリ感電しそうなファズギターと東南アジア独特の節で歌われるボーカルが合わさった結果、哀しいかな目指したものと真逆の代物になってしまっています。
ですが、この湧き立つ土着臭がすばらしく、1曲目から深いサイケデリックな世界につれていかれます。最近のポップスはカタにはまっていておもしろくないと嘆いている方は、ぜひこのアルバムを体験してください。きっとクセになるはず。
しかしよく考えたら、日本の歌謡曲も外国の人にしてみたらかなりけったいに聞こえるんでしょうね。日本の自意識過剰なアーティストたちの曲も現代の民族音楽としてとらえたら、新たな魅力を発見できるのかも知れません。

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2010年01月30日

真にすごいのはどっち?

100130.jpg‘セナとシューマッハ、速いのはどっち?’‘ライオンとトラ、強いのはどっち?’‘梅宮辰夫と松方弘樹、抱かれるならどっち?’‘淡谷センセと美輪センセ、声のレロレロ度が激しいのはどっち?’
人には相まみえることのない強者を比べ、頂点に立つものを決めたがるサガがあります。それは聖者と崇められる吾輩でさえ例外ではありません。
クラッシュの『カット・ザ・クラップ』とデビッド・ボウイの『ネヴァー・レット・ミー・ダウン』、真にしょうもないアルバムはどちらか? 吾輩はそこんところがどうしても知りたい。おそらくほとんどの人がそう思っているのではないでしょうか。
どちらのアルバムについても以前このブログで書いているので詳しいことは申しませんが、どちらもどんなに性格がいい人でも‘聴いた時間を返せ!’と怒鳴りたくなる突き抜けた出来栄えです。クオリティ自体もさることながら、このアルバムがロックを代表するアーティストによって作られたというのが驚きです。
パンクの良心ジョー・ストラマーは、パンクのエナジーとペナペナの打ち込みの融合に取り組んだ『カット〜』を、どうかオレのディスコグラフィに入れないでくれと嘆願していたとか。
一方『ネヴァー〜』は、ボウイがかつて放っていたカリスマ性をポピュラリティに変え、その燃えカスで作った作品。‘とつふぜんおとふずれてへぇ〜’と、霊に取り憑かれたような声で日本語の歌詞を歌う「ガールズ」は、涙なしには聴けません。
音楽的にはどちらも聴かれることを拒否する、ある意味アナーキーさを備えている。その昔、クソアルバムとこき下ろされたルー・リードの『メタル・マシーン・ミュージック』なんて甘っちょろい。このアルバム、今では傑作なんていわれていますもんね。おそらく先の2作は間違ってもそんなことにはならないパワーを持っています。
次はビジュアル面。アップした画像は『ネヴァー〜』のジャケ。見ての通り徹頭徹尾ダサいです。『カット〜』のジャケはモヒカン頭のパンクロッカーがストリート感あふれるイラストで描かれていて、ちょっとカッコいい。
ということで『ネヴァー〜』が真の駄作ということにしたいところなんですが、世の中そう単純ではありません。
よく『ネヴァー〜』のジャケを見てください。あまりのダサさに愛着をおぼえませんか。そう、人は本能的にあか抜けないものに惹かれるのです。『ネヴァー〜』に比べると『カット〜』はそういうかわいげがない。よって真の駄作はクラッシュの『カット・ザ・クラップ』に決定です。

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2009年12月27日

オリジナルなものとは

091227.jpgこの不気味な笑みに誘われて、久々に『デジタリア』というアルバムをジャケ買い。主はアレハンドロ・フラノフというアルゼンチン音響派のキーマンとのこと。まったく知りませんでした。
何やら最近は、アルゼンチン=音響派というイメージが根づいているようですね。
音楽をつくる環境がパーソナル化し、国や都市の特色が薄れているといわれますが、時たまこうやって特定の場所がクローズアップされますね。マスコミが煽っていたりもするんでしょうけど、やっぱり自分の近くで刺激的なことをしている人がいると、影響を受ける度合いも違ってくるのでしょう。
未だにポップミュージックの世界では新しさやオリジナル性に対する信仰がありますが、そんなもんポンポンと出るワケがありません。しかも、より多くの人にアピールすることを目的にしたポップミュージックが、本当に新しくてオリジナルなもの(それが何なのか吾輩には分かりませんが)をつくっていたら、それはたちまちポッブでなくなってしまいます。世の中のほとんどのものは何かしらの影響を受けています。新しくて個性的、そして多くの人を魅了するものをつくることなんて、天才にしかできません。

が しかし、そんな天才的なひらめきが吾輩にやってきたのです。
昼下がりに街中を歩いていたら甘いモノが食べたくなって何かないかとキョロキョロしていたら、ポップコーンの出店を発見。残念ながらホップコーンは塩辛い。 ‘なんでホップコーンは甘くないんやぁ’と落胆していたその時、‘だったら甘いポップコーンをつくったらええやないか’という神の声が聞こえたのです。甘いポップコーン……、甘いとひと口にいってもいろいろある。ホップコーンにマッチする甘さとは何だ?
そう考えた時、吾輩の頭にくまのプーさんのハチミツが浮かんだのです。まさにパーフェクトな組み合わせ。サクッとかむと、口一杯に広がるハチミツの甘み。これこそ至福。あまりの完璧さに、神様の声ではなく悪魔のささやきなのかと思うほどでした。
吾輩は帰宅後つれ合いを呼び出し、‘今までいろいろ苦労をかけてすまなかった。しかし、これからは億万長者の暮らしが待っている。何しろ、吾輩はナタ・デ・ココを超えるスイーツを考えたのだから’と、高らかに宣言しました。
つれ合いがあまりの衝撃と感激で何のリアクションもとれないでいたので、自ら‘それは、ハツミツポップコーンだ!’と発表しました。
‘それ、普通にありますけど’ ‘そう、ハチミツもコーンも普通にあるもので、それを融合させることが……えぇぇぇ! あるのッ?!’。
ということで、吾輩の夢物語はあっという間に終わりました。聞くところによると、ずいぶん前につれ合いとハツミツポップコーンの話をしていたそうで、そのことをすっかり忘れていて、ふと思い出したのを発見と勘違いしてしまったようです。ま、世の中こんなものです。

で、フラノフのアルバムの話ですが、それはまたの機会に。

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2009年11月06日

成熟について考えてみる

091106.jpg10月にむかえた誕生日で四十路にリーチがかかってしまいました。感覚としては大学を卒業して数年しか経っていない感じなのですが、いくら数えても39になってしまうということは、やっぱり39歳なんでしょう。精神年齢的には中2からほとんど進歩しておらず、こんな人間が所帯を持っていることに自分でも笑けてきます。
周りを見渡すと、吾輩より年下の人が立派な社会人顔をしていて、バリバリ仕事をしていたりする。そういう姿を見ると、自分はいつ、どこからアウトサイダーの道を歩みだしたのだろうと考えてしまいます。

でも、吾輩とは違う本物のアウトサイダーは歳とともにアウトサイダーとしての年輪を刻むもの。ジム・オルークとデヴィッド・シルヴィアンのそれぞれの新作『ザ・ヴィジター』『マナフォン』を聴いて、それを強く感じました。
作風は違えど、どちらも美しくていろいろなことを想像させてくれる素晴らしい作品。『ザ・ヴィジター』は約40分におよぶインスト曲が1曲だけおさめられていて、ジム・オルーク自身がギターだけでなくピアノ、ドラム、ストリングス、ホーンなどさまざまな楽器を一人で演奏しているという気合いの入りよう。音もすこぶる良く、夜中にヘッドフォンで消えては現れ、現れては消える蜃気楼のような曲を聴いていると、この世に存在しないストレンジな空間へ連れていかれます。
『マナフォン』は前作『プレミッシュ』をさらに深化させたもの。フェネス、エヴァン・パーカー、ジョン・ティルバリー、大友良英などの強者が奏でた音をトリートメントして曲にまとめたという感じで、音のひとつひとつ、デヴィシルの歌声ひとつひとつが聴く者のカラダにツーンと響き、しみ込む。ジャケットの絵のように、深い森に迷い込んだような空気感が張りつめています。
2作とも今まで積み重ねてきたものが肥やしになっている。それに比べ、こっちは何と薄っぺらいことか。でもまぁ、このままスーパーフラットなおっさんとして生きるのもいいんじゃないかと思ったりします。

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2009年09月30日

1周まわってカッコいい地獄

090930.jpgいろんなモノや情報があふれかえっている昨今、何がいいのか分からなくなることがよくあります。
例えば「80'S リバイバル」とかいって、当時流行ったファッションや音楽なんかをちょこちょことアレンジして差し出されると、最初は‘これはないな’と思っていても、何度もテレビや雑誌で刷り込まれ、オシャレなモデルやクリエーターがプッシュ(最近はレコメンドっていうようですね)したりすると、‘意外にいいかも’と、コロッといかれてしまいます。
そして、‘一周まわって’なんて言葉が普通につかわれる世の中になったもんだから事はさらに複雑に。自分自身や他人との意識の探り合いをどこまですればいいのか、正直分かりません。
いま吾輩がいちばん分からなくなっているのが、ジーザス・ジョーンズ。80年代のおわりに登場した元祖ミクスチャーロックバンド(この言い方、ダサい)として当時人気があったのですが、どことなく色モノ的に扱われたせいもあってか、あっという間に過去のバンドになってしまいました。
でも、メロディはツボを突いているし、サウンドもグッとくるものがある。たぶんカッコいいと思うんですけど、どうも自信を持っていうことができません。
ためしにちょっとこのPVを見てもらえますでしょうか。
恥ずかしさとカッコ良さの間の微妙なポイントを突くセンスがイカすと思うのですがいかがでしょう。(関係ないですがこの頃のバンドって、よくヒラヒラ踊ってるメンバーがいましたね)
これがダイレクトなカッコ良さなのか、何周かまわってのカッコ良さなのか、元の足場を失っているが故、ホントのホントに分かりません。
自分がカッコいいと感じるものを素直に褒められない吾輩は、かなり蝕まれていると思います。

余談ですが、仕事でキャッチコピーやタイトルを考える機会が多々あるのですが、先方がまったくイメージを持っていらっしゃらない場合やターゲットが明確に定まっていない場合などは、何周まわったものを書けば良いのかかなり悩んでしまいます。
また、街中に貼られているポスターやテレビCMを見ると、大手企業の、おそらく有名な方が手がけられた宣伝物にも‘こんなんでいいんですか?’っていうものが、かなりの頻度であります。こういうのって、その企画に携わっていた人みんながああだこうだとやっているうちに、何周まわったのか分からなくなってしまったせいじゃないかと思います。

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2009年09月04日

枯れたらファンキーになったYMO

090904.jpg今、‘枯れた味わい’といえば、YMOのことをいうんじゃないでしょうか。昔はトンガりまくって、世界の音楽シーンの先端を走っていた彼らが、21世紀に入りHASをきっかけに集まってからはテクノポップ、アンビエント、エロクトロニカというカテゴリーではくくれない(けど、どの要素もある)、妙に心地の良いオジントロニカを展開。音楽だけでなく3人の関係も和んでいて、すごくいい感じになっています。
そんな彼らが、マッシヴ・アタックがキュレーターを務めた「メルトダウン・フェスティバル」に出演した時のライブを収めたDVD『POSTYMO』を鑑賞。先にCDが出ていたのですが、こちらはあえて買わず、このDVDに楽しみを集中させていました。サポートメンバーはスティールギター〜高田蓮、ホーン&ブログラミング〜権藤和彦、そしてギター〜フェネスという布陣。基本的にはパシフィコ横浜で行われたライブと同じコンセプトの音づくり。
期待が高まる中プレイボタンを押すと、ステージを真正面から捉えた愛想もくそもないショットが映し出される。ややっ?! これはどうしようもなくチープな出来では?!という不安がよぎる。実際、カメラが少ないせいかアングルのバリエーションも少なく、昨今のライブ映像を見慣れた目には物足りなさを感じるかも知れません。
さらに演奏しているメンバーの手元や、このフレーズの時はこの人を映してよという所謂ファンのツボもことごとくハズして、顔のアップばかりを映し出したりしています。でも怒ってはいけません。カメラマンはきっとメンバーがミュージシャンではない何か別のものにヘンゲしていることに気づいたのです。
その証拠に、教授は首をカクカク動かすゼンマイ仕掛けの人形、高橋さんは仏像、細野さんはお地蔵さんにしか見えません。もちろんこれはサイコーの賛辞です。黙々と楽器を弾くお三方は本当にカッコよく、特に高橋さんの表情が素晴らしい。
さて、肝心の演奏の方は横浜でのライブよりも格段に弾んでいて、中盤からはスライの密室系ファンクみたいになっています。メロディーはコンピューターにまかせて、3人はひたすらリズムを刻んでいるので、これは意図的なものでしょう。特に細野&高橋のリズム隊が素晴らしく、楽器を弾きながら寝ちゃうんじゃないのという雰囲気なのに強烈なグルーヴを出しています。このDVDを見て、高橋さんのドラムの凄さを今までにないくらい感じました。
いやホント、今のYMOはいいです。是非ともアルバムを作ってほしい。

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2009年08月11日

美意識のある音楽

090811.jpg夏の夜、クーラーのきいた心地よい部屋にいると、お酒をチビチビやりながらムーディーな大人の時間を過ごしたいという想いにかられます。でも吾輩はひとり酒ができないタチで、仕方なく氷でキンキンに冷やしたお茶やコーヒーを飲むことになります。別にそれはそれでいいんですけど、ムーディーからは遠ざかってしまいます。
いい雰囲気に浸るためには、音楽も欠かすことができません。どんな音楽を聴いてムーディーなるかは人によって違いますが、吾輩はサイレント・ポエツを重宝しています。
サイレント・ポエツのアルバムはどれも好きで、その中でも特に『Potential Meeting』がお気に入りです。結構ベタな叙情性があったりするんですが、一本スジが通っているのでチープな感じにならないし、今聴いてもまったく色褪せていません。
それと、アルバム中盤になるとダブ色が濃くなってきて、独特のダレた展開になるのも特徴。このあたりはメンバー(今は下田氏のソロユニットになっているようですね)がニューウェイヴの血を受け継いでいることが感じられて嬉しくなる。
とにかくサイレント・ポエツのキモは「美意識」。それは下田氏のDJにもあらわれています(彼のプレイをちょこちょこ聴いていたのはもう10年以上前の話ですけど)。独自の選曲でひとつの世界を作り出していて、すっかりファンになりました。この曲とこの曲を同じ文脈で捉えるのかと、目からウロコ状態になることもしばしば。彼のDJは盛り上げることだけに躍起になっている人や、オレ様サイコー的な人たちとは真逆の姿勢で、いつも音楽が中心にあったように思います。もう一度騒がしいクラブじゃなくて、落ち着いた雰囲気の中で彼のDJを聴いてみたいなぁ。

サイレント・ポエツといえば、風間杜夫と浅野ゆう子の不倫ドラマ『都合のいい女』の音楽をやっていましたね。ドラマ自体がド級につまらなくて、音楽も浮きまくっていたような記憶があります。こっちは、もう一度見なくてもいいです。

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