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2017.05.11

『ブレードランナー2049』公開に向けて

170511 個人的に今年いちばんの映画祭になりそうな、『ブレードランナー2049』の公開。
 中学生の時に2番館で見て以来、常にフェイバリット・ムービーとして鎮座しつづけている、人生を決定づけた作品の続編が公開されるのだから、ただ事ではありません。(この映画に出会わなければ、もっとご陽気で生産的な人間になれたかもという思いもありますが……)

 今でこそ『ブレードランナー』はSFという枠を飛び越えた名作とされていますが、公開当時の評価は「暗い」「訳わからん」と散々。主演のハリソン・フォードまで経歴から消してほしいと言い出すほど、かわいそうな扱われようでした。
 確かにスカッと感は皆無で、当時一緒に観に行った友だちも「時間とお金、損したやんけ〜」とぼやいていました。その横で僕はゴッタ煮的な近未来の世界観にクラクラしつつ、「この映画の良さが分からんほど鈍いから女子にモテへんのや!」と小馬鹿にしていたのを覚えています。今さらいっても仕方ありませんが、こんな映画などおかまいなしに、ご機嫌に騒いでいる人間がモテることに後から気づきました。

 オリジナル作の『ブレードランナー』が、フィリップ・K・ディックの小説『アンドロイドは電気羊の夢を見るのか?』の映画化であることはよく知られています。ややこしい話なのですが、まったく別の人が書いた『ブレードランナー』という小説が存在するのはご存知でしょうか。書いたのは、泣く子も黙る、ウィリアム・バロウズ。しかも、こっちの『ブレードランナー』も近未来を舞台にしたSFで、世界観も似たところがあったりします。実は、オリジナル作を監督したリドリー・スコットが『ブレードランナー』というタイトルを気に入り、バロウズ卿から権利を買い取ったんです。
 さらに、ややこしい話はつづきます。レンタルビデオの普及に伴いオリジナル作の評価がウナギのぼりとなり、ワーナーブラザーズはリドリー・スコットに再編集〜ディレクターズ・カットを依頼。(後にさらに再編集を施したファイナル・カットも登場)

 こうした動きの中で続編を期待するムードも高まっていきます。しかし、続編をつくるためにはオリジナルストーリーをつくる必要があり、ハリソン・フォードの加齢も考慮しなければいけないなど、さまざまな課題が浮き彫りに。そんな時に「これじゃ、どうですか?」と、K.W.ジーターという当時、新鋭のSF作家が『ブレードランナー2 レプリカントの墓標』という小説を繰り出してきたのです。ストーリーは映画オリジナル作の直系なのですが、先ほど申し上げたように、小説版『ブレードランナー』とはまったく別物という奇妙な関係。例えるなら、日影忠男が売り出した加勢大周の2代目が、「新加勢大周」ではなく「日影忠男2」と名乗ったといえば、分かりやすいでしょうか。

 ところで『ブレードランナー2 レプリカントの墓標』、“主人公デッカードはレプリカントなのか?”という製作者やファンの間で繰り広げられている議論に目を配りながら、ハンソン・フォードの加齢問題にも辻褄あわせをするなど、なかなかよく出来ているんです。ただ、調子こいで書いた『ブレードランナー3 レプリカントの夜』は残念な出来でしたが。
 こんな感じで盛り上がっていたブレードランナー界隈ですが、諸々の事情で映画の続編企画はお流れに。ところが、オリジナル作の設定だった2019年に近づいてくるにつれ続編の熱が再上昇し、ついに製作が決定したというワケです。
 ただ、ハリソン・フォードもリドリー・スコットも立派なおじいちゃん。リプリカントがおじいちゃんを追い回しても、ただのいじめにしか見えない。リドリー・スコットにしても現役バリバリといっても、尖ったものが求められる『ブレードランナー』となると、目・肩・腰がつらい。

 この問題をどうクリアするのかと思ったら、やってくれました。リドリー・スコットは製作総指揮にまわり、監督にドゥニ・ヴィルヌーヴを抜擢。この人選はホームラン級のナイスチョイス! 確かなビジュアルセンスと、しっかりとドラマを語ることのできる構成力をもった、いま最も新作が待ち遠しい監督の一人。音楽もヴァンゲリスに替わり、ヴィルヌーヴ組のヨハン・ヨハンソン(新野新みたいな名前やな)が担当するのも憎い。さらに撮影はコーエン兄弟の諸作をはじめ、ヴィルヌーヴ作品でも『プリズナーズ』『ボーダーライン』を手掛けている、巨匠ロジャー・ディーキンス。そして俳優陣はハリソン・フォードに加え、いまが旬なライアン・ゴズリングが出演。このメンバーでしくじったら、それはもう仕方ないというくらいベストな布陣です。

 ちょっと前に予告編が公開され、ドキドキしながら観たら、結構いい感じでひと安心。ただ、『マッドマックス 怒りのデスロード』の予告を観た時に感じた「これは傑作にちがいない!」というオラオラ感が湧いてこないのが、ちょっと不安でもあります。前作の肝でもあった未来都市にカオスがなく、何かスッキリしちゃてるんですよね。いまのご時世当たり前なのかもしれませんが、CGが全面的に使われていて、画面に厚みがないように感じるんです。ここは思い切って、“いま”の技術と感性でミニチュアを使用したり、セットを組むなど、アナログ的なアプローチにこだわってほしかった気がします。
 あと、予告編ではライアン・ゴズリング演じるKが、自分はリプリカントなのかと葛藤するようなシーンがありますが、これはあくまで物語のセカンドラインに留めて、メインは娯楽映画として動きのあるストーリーになっていることを願うばかりです。
 とまぁ、いろいろと書きましたが、こんな不安やいちゃもんをフッ飛ばす傑作であることを期待しています!

posted by ichio