KITSCH PAPER

HOME BOOK DAIRY MOVIE MUSIC ETC
Oh my Buddha!It is such a wonderful site that it's unbelievable.
2008年05月01日

デカ信奉

280501.jpg度を過ぎた大きいモノは、人の思考能力をストップさせる魔力を持ってます。叶姉妹のバストや洋モノのエロ本に登場する巨大ディックを目の当たりにすると、それが良いのかどうかという問題を超えてボォーと見てしまうのもこの魔力のせいです。
それは建物でも同じ。尋常じゃないデカいモノや高いモノを見ると、ワケもなく拝みたくなってしまうのは吾輩だけではないはず。
ただ対象が人工物の場合‘何でこんなデカいモノをわざわざつくったのか?’という疑問がわいてきて、急にトンマなモノに見えてきます。このように見る者を我に返さないようにするのがデザインであり、土地の歴史であり、スポンサーのメッセージであったりします。
今、『巨大建築という欲望』(ディヤン・スジック)という本を読んでいるのですが、なかなか濃い内容で引き込まれています。建物の外見について語るのではなく、巨大建築物の持つ魔力を意識的に利用した独裁者や富豪、政治家などの野望、そしてこれらの権力者に近づく建築家の思惑にスポットライトを当てているところがおもしろい。
この本を読んでいて思うのは、人間はちょっとやそっとでは変わりようがないこと、いくら賢そうなフリしても所詮単純な生き物だということです。
だって、コンピューターやら何やらを使って難しいことをする現代でも、‘デカいモノが偉い!’という何万年も前からある価値観に取り憑かれているワケですから。
吾輩だって黒人様の巨大ディックと比較されたら、しょんぼりしてしまいますもん。黒人基準でいえば吾輩のモノなど、小学生レベルじゃないでしょうか。…何だか無性に哀しくなってきました。(どうでもいい話ですが、故横山ノック先生はそれはそれは素晴らしいモノをお持ちだったとか)
まぁそんなことで、皆さんも巨大なチ◎コ…ではなく建物を見たら、その裏に隠されているメッセージを読み解いてみるのも楽しいんじゃないでしょうか。

posted by ichio : 22:08 | | trackback (0) |