KITSCH PAPER

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2017.08.08

同じなのに違うこと

170808同じ時、同じ場所で、同じことを体験しても、立場や感覚の違いで異なる出来事になることはよくあること。例えば、哀しいまでに生産性のない会議があったとしましょう。発注サイドは受注サイドに対して「ちゃんと準備しとけよ」と腹を立てる一方、受注サイドも「方向性くらいは出してくれんと提案のしようがないわ」とキレている。そして、すべてのしわ寄せがくる下請け業者は、焦りを通り越してトリップしていることがままあります(ちなみに僕はトリップする側の人です)。また、ある者にとってはタイプの女性担当者に会える至福の時かもしれないし、傍観者にとってはそんなこと全部をひっくるめてバカ会議となるワケです。
このようなことは、小説や映画などフィクションでより際立ちます。作者がどんな切り口で、誰の視点で、どのようなタッチで描くかによって、同じような素材を扱っていてもまったく別物になってしまいます。

そのことを映画『ムーンライト』を観た時に改めて強く感じました。(※以下、公式サイトに紹介されている範囲でネタバレあり)
主人公のシャロンはクラスメイトにいじめられていて、友だちは同級生のケヴィンだけという内気な少年。しかしシャロンが高校生の時、“ある事件”が起きてケヴィンとの関係も壊れてしまいます。それから数年の時が流れ、突然シャロンのもとにケヴィンから連絡が。しかし事件後すぐに退学したシャロンは高校時代とはうって変わり、ゴリゴリのマッチョになり、ドラッグのディーラーとして生きていた……というお話。
本作はヘビーなテーマを扱いながら、透明感のある映像と品の良い語り口で、アカデミー作品賞を獲得しました。

観賞後、この話どっかで観たことあるなと思っていたら、思い出しました。『行け! 稲中卓球部』10巻に収録されている「ゴメンね」という話です。井沢が小学生の時に辛くあたった増田君に謝るため隣り町まで行ったところ、増田君は見事なヤンキーになっていて、何もなかったようにすごすごと退散するという内容。
『ムーンライト』と似た話なのに一方は切なくなり、一方は笑ってしまう。フィクションの力ってすごいですね。

余談ですが、僕にも小学生の時、似たような友だちがいました。その友だち〜A君は外国で生まれ育ち、小学4年生の時に転校してきました。文化や学校教育の違いでお互いに戸惑うことが多く、そんな時A君は近所だった僕のところに相談に来ました。最初の頃は彼の話を聞き、アドバイスをすることもあったのですが、だんだん面倒くさくなり、ひょうきん族を見ている時に来た時などは「土曜の8時がどんな時間か分かるやろ〜」と、あからさまにうっとしそうな顔をしたこともあります。また、そんな僕の態度をA君から「冷たい」とダメ出しされ、口ゲンカにもなりました。そんな感じで距離ができてしまった頃、A君は学習内容の都合で1つ下の学年に移り、その後しばらくして転校しました。
あれから約40年、今でも時々A君のことを思い出し、「あの時もっと親身になって相談にのってあげればよかった」と謝りたい気持ちなります。でも、実際に会ってみるとキツいオッサンになっていて、微妙な気持ちになりそうです。

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2017.07.20

K-POPアイドルによるルドヴィコ療法

170720近頃、『時計じかけのオレンジ』に出てくる「ルドヴィコ療法」の効果を、身をもって実感しています。ルドヴィコ療法とは、犯罪者の再犯を防ぐために対象者を椅子に縛りつけ、クリップで目を開けたままの状態にして無理矢理バイオレンスな映像を見せ、身体と脳に暴力に対する嫌悪感・拒否反応を刷り込むという架空の治療法。僕はこの1年半ほど、このルドヴィコ療法を受けている状態です。

実は奥さんと子どもがK-POPの某アイドルグループにハマっおりまして、強制的に彼らの曲を聴かされているのです。それらの曲はどれも歌とラップが組み合わされている今どきなスタイルなんですが、独特のクセがあり、 “気持ち悪い”と“病みつき”のギリギリの線を攻めていて、こちらの意思に関わらず脳内の深部に入り込んでくるんです。旅行の時など、クルマという逃げ場のない閉鎖空間で何時間も聴かされるのですから、たまったもんじゃありません。真剣に発狂しそうになりました。
薄れゆく意識の中で僕は、ブルース・リーの「水になれ」という言葉を思い出しました。自分と相反するものに遭遇した時、ガチコンでぶつかったらバラバラに砕けてしまうけれど、水のように受け流せばスルリとかわせるという教えです。抵抗するのではなく、流れに身を任せる。ということで、僕も一緒に歌うことにしました。
独特のクセがある彼らの曲は、1、2回聴いただけでも信号待ちをしている時に口ずさんでしまう威力をもっているのですが、僕なんかシャワーのように浴び続けたせいで、今ではカッコ良く思えてくるほどにステップアップしました。この前、奥さんと子どもに連れられ、大阪の鶴橋でK-POPショップ巡りをした時なんかウキウキし、せっかくなのでグッズも買っとこうかなと思ったくらいです。おそらく日本のオッサンの中では、K-POPに詳しい方に分類されると思います。
まだまだファンと名乗るのはおこがましい身分ですが、そんな僕がみてもK-POPのクオリティは唸らせるものがありますし、単純にカッコいいという感情が湧いてくる。バラエティ番組で軽妙なフリートークをかまし、情報番組のMCやコメンテーターをしている日本のアイドルをみると、「アイドル」ってどういう人のことをいうんだったっけ?という疑問がわいてきます。一度原点を見直してもよい時期なのかもしれません。

この春、子どもがライヴデビユーを果たしました。もちろん、ファンのK-POPアイドルのライヴです。秋にも奥さんと一緒に行くそうです。羨ましい……。さすがに「お父さんとエイフェックス・ツインのライヴに行こう」とは言えないので、僕もK-POPアイドルのライヴに行こうかな。

posted by ichio
2017.07.11

意外にまともだった『ハクソー・リッジ』

170706「朝イチの会議はキツい」と文句を垂れる会社員をチョコチョコ見ますが、そういう甘っちょろいことを言う人にはぜひ、朝イチの『ハクソー・リッジ』をお勧めしたい。僕は土曜日の午前9時に観賞したのですが、おとなしく家でテ朝パラ見ながら「ちっちゃいメープルメロンパン」を食べとけば良かったと後悔するくらいグッタリ疲れ果てました。おかげで午後からの仕事がまったくはかどらないあり様。まぁ、メル・ギブソン(以下、敬意を込めてメルと表記)の作品と知りながら無理のあるスケジューリングをした自分が悪いんですけどね。

メル10年ぶりの新作は、第二次世界大戦、沖縄の前田高地で繰り広げられた激戦に加わった衛生兵のお話。主人公のエドモンド・ドスは信仰心から武器を持つことを拒否し、人を殺すのではなく、助けるために戦争に行くという、かなり突き抜けた人。「そんな奴おらんやろ〜〜チッチキチ〜」と思っていたら、実在の人物だというのだからビックリです。
予告編では感動のヒーローものとして紹介をしていますが、『海猿』的なノリで行くと、えらい目に遭ってしまうので注意してください。先ほども申し上げたように、この映画はメルの監督作品です。たまにテレビ放送やレンタルで映画を見る人にとってメルは、「マッドマックス」シリーズや「リーサル・ウエポン」シリーズの俳優さんとして認知されていることでしょう。しかしこの人、監督としてかなりの才能の持ち主で、すごくクセが強い作品を撮り続けているんです。
どんなクセかといいますと、残酷シーンのメガ盛り。どれくらい残酷かというと、テレビでは絶対に放送できないくらいとだけ申し上げておきましょう。そんなシーンがほぼ始まりから終わりまでつづくのですから、たまったもんじゃありません。執拗に描くゴアシーンを目の当たりにすると、「この人、真性のドSやな」と感じざるをえません。ちなみにメルは、元奥さんへのDVが問題になったり、アル中で度々騒ぎを起こしたりしています。(そういう人だと知った今、昔の作品のメルがおどけたシーンを見直すと、完全にマッドで怖い)
実はメルにはもうひとつクセがありまして、どの作品にも“人は、自分が信じる道を貫き通すことができるのか?”というテーマが通底しています。これはメルが熱心なカトリック教徒で、結構コアなグループを支持していることが影響しています。キリストが十字架に架けられるまでの数時間を描いた『パッション』なんてモロ。
アル中のDV野郎で、宗教にのめり込んでるって、普通なら完全にアウト。しかし、こうして映画を撮り、アカデミー賞まで獲ってしまうところがメルなんです!

今作はどうかというと、確かにゴアシーンは盛りだくさんなんですが、それよりもメルの監督としての地力に目がいく出来。意外にまともというべきか、普通にすごいというべきか……。エドモンドが戦場に行くまでの無駄のない進行や、上官や仲間たちとの確執と理解を描くソツのなさは、キューブリックの『フルメタル・ジャケット』よりずっとスマート。戦闘シーンにしても、それぞれの位置関係が分かるように撮っている。これ、有名な監督でもできている人、少ないんですよね。この辺りはさすがジョージ・ミラーの弟子。
普通に感想をいえば、とんでもなく完成度が高く、素晴しい映画。でも、良くでき過ぎていて、パンチの利いたAVを期待してレンタルしたら、思いほかノーマルだった時のような寂しさを感じないでもありません。
僕たちはメルに“まとも”なんか期待していません。次は『アポカリプト』のように、もっとはっちゃけてもらって結構です。

posted by ichio
2017.06.15

やってはいけないことをして成功した『銀界』

170614自分の中で「これだけはやったらあかん」と思っていることが世の中的にはOKだったりして、首を傾げることが多々あります。最近だと、会話の中で芸人さんみたいに「〜からの」とか「イヤイヤイヤイヤ」というフレーズを大声で発する人を見ると、コイツの背後に毒ヨダレ垂らしたエイリアン現れへんかなと真剣に思います。
もうひとつ「やったらあかん」と思っているのが、伝統的な楽器とモダンミュージックとの融合。たまにテレビで見る、ロックバンドをバックに三味線を弾いたり、雅楽で用いられる笛でヒット曲を吹いたりするやつです。楽器の良いところを根こそぎ台無しにしているし、音楽的なチャレンジも刺激も皆無。それに、単純に聴いていてダサい。やるなら広告代理店的なアプローチではない、プラスの要素を生み出すためのビジョンや戦略、批評精神をもって臨んでほしいものです。
まぁ、世界にはそんな面倒くさいことを考えずに、インド音楽とジャズ、トルコ音楽など、さまざまなミックスしている人たちがいますが、能天気故、内容がはっちゃけていてキュートなんですよね。日本でこういうことをする人の大半はカッコ良さげなイメージでやってるので、かわいげもありません。

そんなハードルの高いチャレンジに遥か45年以上前に挑み、先に述べたイチャモンをそそくさと引っ込めたくなるような、圧倒的な世界観と演奏を突きつけてくるのが『銀界』というアルバムです。内容は、山本邦山という、味つけ海苔のような名前の尺八奏者(人間国宝!)と、日本のジャズを牽引してきたピアニスト、菊地雅章が競演する所謂“ジャズmeets邦楽”。しかし、その演奏はどちらかの音楽的フォーマットをなぞってお茶を濁す安易なものではなく、お互いがもつテクニック、ボキャブラリーを駆使し、丁々発止で今までにない音楽をつくり出そうというヒリヒリ感が伝わってきて、しかも音楽としてカッコいいのだから凄い。ベースのゲイリー・ピーコックもいい仕事している。彼はこの時期、禅とマクロビオテックにハマっていて、京都に住んでいたとか。
昔の新日プロレスは大物同士の試合になると、お互いが見せ場をつくったところで両者リングアウトになるのがお決まりでした。中にはワケもなく急にリングを下りて、「オラ〜、ここで勝負しろ!」と叫びだす珍妙なレスラーもいました。『銀界』はそうではなく、「マジで勝負つけるの?!」というワクワク感が存在しています。

posted by ichio
2017.05.11

『ブレードランナー2049』公開に向けて

170511個人的に今年いちばんの映画祭になりそうな、『ブレードランナー2049』の公開。
中学生の時に2番館で見て以来、常にフェイバリット・ムービーとして鎮座しつづけている、人生を決定づけた作品の続編が公開されるのだから、ただ事ではありません。(この映画に出会わなければ、もっとご陽気で生産的な人間になれたかもという思いもありますが……)

今でこそ『ブレードランナー』はSFという枠を飛び越えた名作とされていますが、公開当時の評価は「暗い」「訳わからん」と散々。主演のハリソン・フォードまで経歴から消してほしいと言い出すほど、かわいそうな扱われようでした。
確かにスカッと感は皆無で、当時一緒に観に行った友だちも「時間とお金、損したやんけ〜」とぼやいていました。その横で僕はゴッタ煮的な近未来の世界観にクラクラしつつ、「この映画の良さが分からんほど鈍いから女子にモテへんのや!」と小馬鹿にしていたのを覚えています。今さらいっても仕方ありませんが、こんな映画などおかまいなしに、ご機嫌に騒いでいる人間がモテることに後から気づきました。

オリジナル作の『ブレードランナー』が、フィリップ・K・ディックの小説『アンドロイドは電気羊の夢を見るのか?』の映画化であることはよく知られています。ややこしい話なのですが、まったく別の人が書いた『ブレードランナー』という小説が存在するのはご存知でしょうか。書いたのは、泣く子も黙る、ウィリアム・バロウズ。しかも、こっちの『ブレードランナー』も近未来を舞台にしたSFで、世界観も似たところがあったりします。実は、オリジナル作を監督したリドリー・スコットが『ブレードランナー』というタイトルを気に入り、バロウズ卿から権利を買い取ったんです。
さらに、ややこしい話はつづきます。レンタルビデオの普及に伴いオリジナル作の評価がウナギのぼりとなり、ワーナーブラザーズはリドリー・スコットに再編集〜ディレクターズ・カットを依頼。(後にさらに再編集を施したファイナル・カットも登場)
こうした動きの中で続編を期待するムードも高まっていきます。しかし、続編をつくるためにはオリジナルストーリーをつくる必要があり、ハリソン・フォードの加齢も考慮しなければいけないなど、さまざまな課題が浮き彫りに。そんな時に「これじゃ、どうですか?」と、K.W.ジーターという当時、新鋭のSF作家が『ブレードランナー2 レプリカントの墓標』という小説を繰り出してきたのです。ストーリーは映画オリジナル作の直系なのですが、先ほど申し上げたように、小説版『ブレードランナー』とはまったく別物という奇妙な関係。例えるなら、日影忠男が売り出した加勢大周の2代目が、「新加勢大周」ではなく「日影忠男2」と名乗ったといえば、分かりやすいでしょうか。
ところで『ブレードランナー2 レプリカントの墓標』、“主人公デッカードはレプリカントなのか?”という製作者やファンの間で繰り広げられている議論に目を配りながら、ハンソン・フォードの加齢問題にも辻褄あわせをするなど、なかなかよく出来ているんです。ただ、調子こいで書いた『ブレードランナー3 レプリカントの夜』は残念な出来でしたが。
こんな感じで盛り上がっていたブレードランナー界隈ですが、諸々の事情で映画の続編企画はお流れに。ところが、オリジナル作の設定だった2019年に近づいてくるにつれ続編の熱が再上昇し、ついに製作が決定したというワケです。
ただ、ハリソン・フォードもリドリー・スコットも立派なおじいちゃん。リプリカントがおじいちゃんを追い回しても、ただのいじめにしか見えない。リドリー・スコットにしても現役バリバリといっても、尖ったものが求められる『ブレードランナー』となると、目・肩・腰がつらい。
この問題をどうクリアするのかと思ったら、やってくれました。リドリー・スコットは製作総指揮にまわり、監督にドゥニ・ヴィルヌーヴを抜擢。この人選はホームラン級のナイスチョイス! 確かなビジュアルセンスと、しっかりとドラマを語ることのできる構成力をもった、いま最も新作が待ち遠しい監督の一人。音楽もヴァンゲリスに替わり、ヴィルヌーヴ組のヨハン・ヨハンソン(新野新みたいな名前やな)が担当するのも憎い。さらに撮影はコーエン兄弟の諸作をはじめ、ヴィルヌーヴ作品でも『プリズナーズ』『ボーダーライン』を手掛けている、巨匠ロジャー・ディーキンス。そして俳優陣はハリソン・フォードに加え、いまが旬なライアン・ゴズリングが出演。このメンバーでしくじったら、それはもう仕方ないというくらいベストな布陣です。

ちょっと前に予告編が公開され、ドキドキしながら観たら、結構いい感じでひと安心。ただ、『マッドマックス 怒りのデスロード』の予告を観た時に感じた「これは傑作にちがいない!」というオラオラ感が湧いてこないのが、ちょっと不安でもあります。前作の肝でもあった未来都市にカオスがなく、何かスッキリしちゃてるんですよね。いまのご時世当たり前なのかもしれませんが、CGが全面的に使われていて、画面に厚みがないように感じるんです。ここは思い切って、“いま”の技術と感性でミニチュアを使用したり、セットを組むなど、アナログ的なアプローチにこだわってほしかった気がします。
あと、予告編ではライアン・ゴズリング演じるKが、自分はリプリカントなのかと葛藤するようなシーンがありますが、これはあくまで物語のセカンドラインに留めて、メインは娯楽映画として動きのあるストーリーになっていることを願うばかりです。
とまぁ、いろいろと書きましたが、こんな不安やいちゃもんをフッ飛ばす傑作であることを期待しています!

posted by ichio
2017.04.06

おやじに夢中

170406朝鮮系のおやじにハマっています。
ひとつは、ナ・ホンジンがメガフォンをとった、とんでもムービー『コクソン』に登場する二人のおやじ。一人は主人公で、猟奇殺人事件の謎に迫る田舎まちの警官。このおやじ、かなりダメな人で、職場でも家でもまったく“うだつ”が上がらない。事件の真相に迫るといっても、実際のところはビビって逃げまくっていたものの、のっぴきならない状況になって巻き込まれていくだけ。ダメおやじ系の作品に目がない僕はこれだけでも満足なんですが、この作品にはさらに國村隼が出ているんです。しかも「ウホォ!」と声が出る、ふんどし姿で。この二人を中心にアウトなおやじ共が繰り広げる珍事がサイコーです。
ネタバレするので詳しくは書きませんが、この映画、最初は宣伝で紹介しているようなサイコもののつもりで観ていたら、『フロム・ダスク・ティル・ドーン』を遥かに凌ぐ、思てたんとちがう展開に。そういえばナ・ホンジンの前作『悲しき獣』も、冴えない男の一発逆転劇だったはずが、気がついたら別のおやじが牛骨を振り回す話になってましたね。スムーズな話の流れなど完全に無視したこのパワー。ナ・ホンジンは、今観るべき監督の一人に確定です。

もうひとつのおや汁作品は、『マッド・ドッグ』(菊山尚泰)という小説。朝鮮の貧しい村で育った男が日本に出稼ぎにきて、戦後の裏社会でのしあがっていくサーガで、これが無類におもしろい! とにかく主人公が、人を殴る、殴る、殴り倒す。圧倒的な暴力で富と力を手に入れていくプロセスだけでなく、執拗な暴力描写(『その男、凶暴につき』のビンタ乱れ打ちに似た不快感)もこの小説を特別なものにしているといえるでしょう。
作者である菊山氏の父親がモデルになっているらしく、菊山氏自身も殺人を犯し、無期懲役囚として服役中。塀の中で獄中記や自らの体験をもとにした小説を書いているとのこと。恥ずかしながら、この本を読むまで知りませんでした。頻繁に出てくる暴力描写は表現の引き出しが少ないせいでパターン化してしまっているのですが、これがアニメのセル画の使い回しやリミテッドアニメーションのようで、劇画チックな味わいを醸し出しています。
前半は主人公のサクセスストーリー、後半は息子との親子愛に重点が移る構成になっていて、特に後半は主人公が一本気な男として描かれ、いい話風になるのですが、何度も「いやいやいや、あかん人でしょ!」と、我に返ることになります。家族や親戚、スナックで居合わせた一般客などを容赦なく殴る人間って、他にいい面があったとしてもダメでしょ。現におやじの影響をもろに受けた息子(作者)も一線を越えてしまうわけですから。それでも思い出ではなく、現在進行形で「俺のおやじ最高」といえる親子関係って凄い。
このように物語後半は、作者がいい話風味のネタふりをして、読者がツッコミを入れる関係になって楽しいです。
いやぁ、むさ苦しく、匂い立つおやじ、たまりません!
ダメおやじを特集した『KITSCH PAPER vol.4』をつくりたいけれど、時間がないんですよね……。

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2017.03.10

刺激的なボノボの新作

170310どうしてだか、見知らぬ外国人からよく声をかけられます。場所は街中、山奥、はじめて訪れた田舎町などさまざま。用件は道を尋ねるだけでなく、「駐輪所にタダで停めたいのだけれど、ダメなのか? もしダメなのであれば、どのような課金システムになっているのか?」とか、「オレはインドから来て、一人旅をしている。そして日々の出来事を、オレがこうして手に持っている日記に書き留めている。ところで、お前はお前自身が住む京都についてどう考えているのか?」とか、「お前はテレビドラマで見た、あの俳優に似ている。ほら、あれ誰だっけ?」など、イレギュラーなコミュニケーションが多いのが特徴です。道を尋ねられた場合も、「そんな地名、生まれてはじめて聞いたんですけど」というような、どう行ってよいのか皆目見当がつかない僻地を地図で指さされたりします。
残念ながら僕の英語力は中学生レベルで、ほとんど喋れないし聞き取れない。上記の内容だって意味が分かる単語をつなぎ合わせて類推しているだけ。一度、調子にのって関係代名詞を使った長めのセンテンスで答えたら、すごく面倒くさい感じになったので、それ以来「右・曲がれ・オレ・たぶん・そう思う」と、単語を羅列するようにしています。ちなみに、「駐輪所にタダで停めたいのだけれど、ダメなのか?」という質問に対しては、「トゥ・バッド!」とだけ答えておきました。
こんな風に、教えてあげたいけどうまく伝えられないもどかしさ、多くの人がいる中で僕をチョイスする「なんでやねん」感、山を何時間もトレイルしていて出会ったのは野生のシカだけだったのに最後の最後でインド人に出会う不思議感、でも何やかんやいって家に帰ったら自慢したい高揚感などが混ぜこぜになり、得も言われぬ感覚に陥ります。

これと似た感覚になるのが、ボノボの音楽を聴いた時。去年の夏過ぎからつづいていた忙殺状態が少しおさまり、やっとボノボの新作『Migration』を聴きました。
ボノボ(サイモン・グリーン)は、いま最も刺激的な音楽をつくる一人といって間違いないでしょう。はじめて知った『ブラック・サンズ』では、まだ「すごくいいんだけど、ここのアレンジがもう少し何とかなればなぁ」と感じるところがあったのですが、前作の『ザ・ノース・ボーダー』で一気にこちらの期待を上回るネクストレベルに突入。次はどんな音楽をつくってくるのかという期待と、『ザ・ノース・ボーダー』で出し切ったんじゃないかとう不安が入り混じる中で発表された『Migration』。その感想は、「凄い!」の一言。エレクトロニカ、ヒップホップ、ソウル、アンビエント、ポスト・ロックなどさまざまな音楽のエッセンスを洗練された編集センスでまとめる、これまでのボノボの良さを残しながら、新しい試みにチャレンジしているんです。特に今作は曲の構成が凝りに凝っている。出だしは叙情的だった曲が次第にトランシー&トライバルな趣に変わり、気がつけば頭がクネクネ動きだしています。白眉は3曲目「Outlier」と、7曲目「Bambro Koyo Ganda」。多様な音楽のスタイルをボノボという個性でひとくくりにして、規格外の展開で進行する。一体自分は何を聴かされているのか? いろいろなものが混ぜこぜになり、他の音楽では味わうことのない感覚がこみ上げてきます。大げさでなく、新しい体験といってもいいくらい。45を過ぎてこういう出会いがあるのですから、音楽はやめられません。

posted by ichio
2017.01.31

地獄を描く師弟のつながり

170131日々仕事をする中で、「今があるのは尊敬できる上司のおかげ」とか、「師匠といえる人に出会い、たくさんのことを教わった」という話をよく聞きますが、僕の場合は勤めていた会社がフラットな感じのところだったこともあり……いや、可愛げのない性格のせいで、そういった関係を築くことなく、ここまできました。若い時に面倒くさい話を聞かなくてよかった代わりに、今、面倒くさい話を聞いてもらうことができません。また、飲みに行った時に“それ風”な話をしようとしても実のある話ができないため、自分のコアな部分の上澄みを話すと、こちらの意図と違う受け取り方をされてドン引きされ、こっちも微妙な気持ちになることがあります。こういう“こじらせ”を起こさないためにも、若いうちに師弟関係はつくっておくべきといえるでしょう。

映画の世界においても数々の師弟関係があります。その中でも近年、お互い刺激し合い、それぞれの作品に反映しているのが、ジョージミラーとメル・ギブソン。二人はながい映画史の中で燦然と輝く初回マッドマックス・シリーズで監督と主演を張った間柄。彼らはシリーズ3作を作り上げた後は直接的に関わることはありませんが、今でもスピリッツだけでなく、作品のつくりまでも影響し合っています。

※ここからは多少のネタバレがあるのでご注意ください。
はじまりは『マッドマックス2』。この作品のストーリーは、砂漠のギャング団から石油と村人を守るために主人公マックスがおとりになって、死のチェイスを繰り広げるというもの。ザ・ぼんち的に説明すると、A地点からB地点に行って、再びA地点に戻って来るだけ。
シンプルなストーリー故、中身はスカスカかというとそうではなく、ドロドロ、コテコテ、ギトギトの特濃状態。作品の世界観をみっちり作り込み、全編通してこれでもかというくらいバイオレンス&アクションシーンのアイデアを注ぎ込んでいます。
このジョージ・ミラー・メソッドを取り入れたのが、メル・DV・ギブソンが監督を務めた『パッション』。キリストがゴルゴダの丘で十字架に架けられるまでの道中を描いた作品で、こちらはA地点からB地点に行くのみ(処刑されるので帰りようがありません)。さらにメル・アル中・ギブソンはつづく監督作『アポカリブト』で、いよいよ『マッドマックス2』の“行って・戻って来る”プロットに着手。生け贄としてマヤ帝国につれて行かれた(A地点からB地点に行く)主人公ジャガーが、妻子を助けるために村へ逃げ帰る(B地点からA地点に戻る)だけの話なのですが、これがトンデモハプニングの雨あられで、超おもろいんです! メル・真性サド・ギブソンは人としては終わっているかもしれませんが、映画監督としては素晴しい才能の持ち主。ちなみにシルベスター・スタローンは『エクスペンダブルズ3 ワールドミッション』の監督を当初、彼に依頼したとのこと。さすが分かってらっしゃる!

弟子の狂った作品に刺激を受け、「小僧よ、オレこそがオリジナルだ!」とばかりに、今度は師匠のジョージ・ミラーが『マッド・マックス 怒りのデス・ロード』をつくり上げる。この作品がどれだけの傑作なのかは今さらいうまでもないので省略しますが、ここで彼は自ら築いたメソッドに磨きをかけ、「映画にとってストーリーって何なの?」と考えさせられるくらいのレベルに到達しています。しかも、次々に繰り出されるアクションのアイデアは『アポカリブト』を凌ぐほど。70過ぎのおじいちゃんがつくったとはとても信じられない……。

彼らの作品が凄いのは、単にエグい描写をするのではなく(ジョージ・ミラーは直接的な描写はうまい具合に避けています)、どう見せるかを考えているところ。そして何といっても、空間的な位置関係を観客にしっかり伝えているところが素晴しい。今、誰がどの辺にいるのかが分かると、観客の緊張感を持続させるサスペンス度が段違いに高まる。当たり前のことですが、ちゃんとできている作品は滅多にありません。

さて、去年の暮れに第二次世界大戦の沖縄戦を描いたメル・ギブソンの新作『ハクソー・リッジ』がアメリカ公開され、こちらも凄まじい内容とのこと。『マッド・マックス 怒りのデス・ロード』に刺激され、どんな映画をつくったのか、今から楽しみです。

posted by ichio
2016.10.13

リチャード・アシュクロフト 生初体験

161012抱かれてもいい。そう思えるくらい最高のライヴでした。
ソロ名義としては16年ぶりとなるリチャード・アシュクロフトの来日公演。僕は、今回がリチャード生初体験。今や伝説となっている2008年のサマソニでのライブを見逃した後悔の念、新作『ジーズ・ピープル』の充実ぶりに伴う期待感、稀代のイケメンに会える萌えなどが混ぜこぜになり、前日から気持ちが高ぶる。
当日は仕事もそこそこに切り上げ、会場のZepp nambaへ。90年代のUKロックバンドの代表格であり、サマソニのトリを務めたヴァーヴのフロントマンで、ブランクはあったもののミュージシャンとしては現役バリバリであるにも関わらず、客入りはイマイチ。ちょっと寂しい気持ちになる。腰痛予防のために取った2階の指定席は、半分埋まっているかどうかという具合。スタンディングの1階フロアも後ろの方は余裕がある。こんなんじゃ、せっかく日本に来てくださったリチャード様に申し訳ないというか、機嫌を損ねて帰っちゃうんじゃないかという不安がよぎる。
幸い、開演時間を20分ほど過ぎたところで、リチャード登場。お召しになっているTシャツには、『ジーズ・ピープル』を訳した「この人達」という文字。この直訳ぶりに、「人間」「愛」「ヌード」という文字を貼付けた衣装で現れ、普通じゃない感性を見せつけた、プリンスの東京ドーム公演を思い出す。
スポットライトを浴びたリチャードは、『ジーズ・ピープル』のオープニングナンバー「アウト・オブ・マイ・バディ」を歌いだす。神々しい。リチャードが歌い、キレッキレのカマキリダンスをしているのを目の当たりにして、早くもカウパーが沁み出る。
詳細ははしょりますが、今回の公演では『ジーズ・ピープル』を中心に、これまでのソロ曲だけでなく、ヴァーヴのキラーチューンも披露してくれました。しかも、客が少なくてやる気をなくすこともなく、本気モード全開。圧倒的な存在感とパフォーマンス力に、僕は発射寸前。辛抱たまらん!という状態になり、曲間に1階へと移動。リチャード様と一緒に拳を振り上げ、盛り上がりました。こんなに熱くなったのは、ストーン・ローゼズの再結成時のライブ以来。
来日前の公演や東京公演のセットリストに比べるとちょっと曲は少なかったのですが、大満足です。本人も手応えを感じたらしく、出待ちのファンにサインをするなど、意外な“いい人キャラ”を発揮していたようです。もし、また来日してくださるなら、絶対に行きたい。
その時は、会場を大観衆で埋め尽くしたいものです。洋楽離れという背景はあると思いますが、プロモーションはもう少しやりようがあったのではないでしょうか。「カリスマ性がなんやかんや」と謳っても、普段洋楽を聴かない人にとっては「何のこっちゃ?」でしょう。それにアプローチとして古くさい。音楽雑誌も含め、もっと音楽そのものの良さを伝えてほしいものです。

posted by ichio
2016.09.30

ロバート・グラスパーがノッている

160930皆さんのまわりに“ノッてる”人はいらっしゃいますでしょうか?
業界モノのドラマを観ると、「今、あいつはノッてる」みたいなセリフをよく聞きますが、本当にそんなこと言うのでしょうか。僕に限っていえば、「調子にノッてる」と言われたことはありますが、「ノッてるねぇ」と言われたことは一度もありません。
しかし、ポピュラー音楽の世界をみると、確かに“ノッてる”人はいます。さらに天才といわれる人になると、“ノッてる”を通り過ぎてビシバシ“きてる”人もいます。50〜60年代のマイルス・デイビスや60年代のジョン・レノン&ポール・マッカートニー、70年代のデビッド・ボウイとスティービーワンダー、80年代のプリンス、90年代のリチャード・D・ジェームス、ゼロ年代はちょっと出てきませんが、まぁ、こういう人たちは確実に“きて”ました。

こうしたレジェンドたちと比べられるかどうかは別にして、ここ数年、ロバート・グラスパーがノリにノッています。ジャズ・ピアニストである彼はオーソドックスなジャズで着実にキャリアを築く一方、もう片方ではジャズとヒップ・ホップやR&Bをゴチャ混ぜにしたスリリングな音楽をつくりだしています。
ポピュラー音楽の歴史は異種配合の歴史でもあり、常に異なるジャンルをかけ合わせて生まれる“何か”を進化の原動力にしてきました。先に挙げたレジェンドもジャズにファンクやロックをミックスしたり、甘ったるいポップソングにリズム・アンド・ブルースの黒いフィーリングを取り入れたり、電子音楽を大々的にフューチャーしたり、さまざまな融合にチャレンジしていました。
また、80年後半〜90年代にかけてジャズ・サイドとヒップホップ・サイド両方から、ふたつの音楽をミックスする動きがありましたが、当時はまだコンセプト先行で、頭で音楽をしているというか、腰にこないというか、とにかくこなれていませんでした。それはそれでキュートなんですが。

しかし、ここ10年くらいの間に、ごくごく自然にジャズやヒップ・ホップ、R&Bなどをミックスできる感性とスキルをもったミュージシャンが現れはじめました。ガンダムでいうところの「ニュータイプ」です。80年〜90年代にかけてのミックスが素材をブツ切りにして盛りつけしていたのに対して、ニュータイプは素材を煮込んでシチューをつくる感じでしょうか。ロバート・グラスパーはそんなニュータイプの代表格であり、ピアニストであることと活動スタンスが似ていることから、ハービー・ハンコックの発展形ともいえるでしょう。
彼はここ数年驚異的なペースで作品を出しているのですべての作品を聴けていませんが、どれも物凄く高いクオリティをキープしています。そんな中で最も気に入っているのが、『ブラック・レディオvol.2』。コモン、スヌープ・ドッグ、ジル・スコット、アンソニー・ハミルトン、ノラ・ジョーンズなどをゲストに迎え、アルバム全編に渡ってジャンルのハイブリッド化を展開。こういうことをすると、とっ散らかった内容になったり、お互いの良さを打ち消し合ったりするのがよくあるパターン。
私たちの身近なところにも、「A案とB案の良いところを合わせたらいいんじゃないの」という人、いますよね。しかも、こういうことを言う人に限ってデキない。カレーとお寿司を一緒に食べてもおいしくないように、ゴジラとガメラが一緒に出てきてもシラケてしまうように、矢部寿恵と結城みさが競演してもエロくないように……いや、これはエロくなるな……。とにかく安易に良いもの同士を合わせても逆効果になることが多いんです。
しかし、ロバート・グラスパーは違います。的確なプロデュースで統一感のある、めちゃ気持ちいい音楽に仕上げています。ひとつのジャンルとして完成しているといってもいいくらい、それぞれの魅力を引き出し合い、まとめているところが凄い。これは明確なビジョンと本質を見極める目(耳)をもち、思い描く完成形に向かって引っ張っていく力がある証。
ここまでのことは期待しませんが、せめて「適当にパッパッとやって、いい具合にして」という指示はやめていただきたいと思う今日この頃です。でないと、ノるどころか、コケてしまいますので、よろしくお願いします。

posted by ichio