KITSCH PAPER

HOME BOOK DAIRY MOVIE MUSIC ETC
Oh my Buddha!It is such a wonderful site that it's unbelievable.
2021.01.09

どんどん好きになる『ガウチョ』の魅力

210109b 仕事をするうえで、あるいは日々生活するうえで、人には「はじめに思い描いたイメージを忠実にカタチにしたいタイプ」と、「最初のイメージから変化することを良しとするタイプ」の2タイプが存在します。
 「何のイメージもなく、どうなっても良いタイプ」も少なからずいらっしゃいますが、今回は除外させていただきます。ついでにいうと、こういう人に限って自分では何もしない(できない)のに、非生産的で的外れなケチだけつけるんですよね。前向きな展開にするために意見交換しようとすると、自分が何も考えていないことがバレるので、「こっちは素人。あんたらプロがどうにかせい」と開き直るのがパターン。
 みなさん、それぞれ具体的な顔が浮かんだと思います。この話をしだすと止まらなくなるので、このへんでやめときましょう。

 音楽も先の2タイプに分けることができます。乱暴に分別すると、例えば前者はクラシック、後者はジャズといったところ。またポピュラーミュージックにしぼると、前者はレコーディングを重視する人、後者はライヴ感を重視する人に分けることができます。
 レコーディングを重視するミュージシャンは、録音してパッケージ化された作品を自分の表現手段ととらえていて、スタジオワークを駆使して生演奏で再現するのはむずかしいサウンドをつくる傾向があり、完璧主義でちょっと狂気じみた人が多いように思います。

 今回取り上げるのは、その代表的な存在のスティーリー・ダン。
 スティーリー・ダンは職人的な音楽活動をしていたドナルド・フェイゲンとウォルター・ベッカーを中心に、1970年代前半に結成されたグループ。初期はソウルをベースにしたひねくれポップをつくっていたのですが、メンバーがごそっと抜けてフェイゲン&ベッカーの2人体制になってから度が過ぎるサウンドづくりが炸裂。自分たちがイメージする音を再現するために腕利きのスタジオミュージシャンを片っ端から呼びつけて、何十回も同じパートをプレーさせたり、その挙げ句すべてのテイクをボツにして他のミュージシャンにプレーさせたり、何年もスタジオに籠もってスタジオワークに没頭するなど、さまざまな伝説を残しています。

 実際にフェイゲンは自分のボーカルのアプローチについて、「前もって綿密に考え抜かれたプランにのっとって青写真どおりにやる。(中略)事前に練りに練った上で譜面に書き下ろしたものを完璧に再現する、という方法をとっている」(『ナイトフライ 録音芸術の作法と鑑賞法』より引用)と述べています。
 このように妥協のない徹頭徹尾コントロールされた音楽は建築美ともいえる魅力を放ち、ミュージシャンだけでなく音楽プロデューサーやエンジニアもフェイバリットとして挙げているのをよく見かけます。

 こうした企画でピックアップされるのは、キャリアのピーク時につくられた『彩(エイジャ)』が大半です。曲や演奏のクオリティ、アルバム全体のバランスは確かに『彩』がピカイチ。異論はございません。
 でも、個人的な好みは次につくられた『ガウチョ』。アルバム全体に漂うヒンヤリとした質感が変態チックでたまらんのです。
 『彩』と『ガウチョ』では制作手法で大きな変化がありました。それは打ち込みリズム(あるいはクリック)を導入し、プレーヤーの演奏を別々に録音するようになったことです。『彩』でも多重録音、録音後の編集は行われていたものの、まだ生演奏がベースになっていて、プレーヤー同士が相手の演奏に反応して自分の演奏に反映させる余白がありました。
 しかし打ち込みを本格的に取り入れたことで、それぞれの演奏をパーツとしてとらえ、カット&ペーストを重ねる編集に重きを置くようになり、プレーヤー同士の化学反応が起こりにくくなったのです。しかも当時の打ち込みは、機材の技術的な問題と作り手のノウハウの少なさのせいで、表情の乏しいノッペリとした音。こうした要素が合わさり、『ガウチョ』はどこか無機質で、広がりのない密室性の高いサウンドになっています。
 また、アルバムの前半から中盤にかけては洗練されて聴いていて気持ちいい曲がつづくのですが、後半に差し掛かると微妙な感じになって、ヌルッと終わります。
 アルバムを聴き終わった時、「ひとつひとつの細部は良くできているけれど、建物全体を見たら傾いてますやん」という、欠陥住宅感が漂っていてクラッとするんですよね。

 こうしたことは普通マイナス要素なんですが、『ガウチョ』の場合はプラス要素になっているのが不思議です。
 収録時間が38分足らずと短く、批判めいた印象が立ち上がりそうになったところで終わり、煙に巻かけたような気分になるのも味わいのひとつ。聴く度にどんどん好きになっていくアルバムです。

 冒頭では、イメージを忠実にカタチにしたいタイプに対して否定的なことを書きましたが、こうして考えると良い面もあるんですね。
 ・・・・でも、自分が仕事で何十回もやり直しをくらい、挙げ句に全部ボツにされて他の人に依頼し直されたら、死ぬ間際まで引きずるトラウマになるのは間違いありません。家でも洗濯を手伝って、たたみ方が違うといって何度もダメ出しされたら、確実に夫婦関係はこじれるでしょう。
 自分ごととして考えるならやっぱり、変化することを良しとするタイプの方が良いです。

posted by ichio
2020.12.16

スター・ウォーズ シークエル・トリロジーを自分なりに振り返った件

201216 仕事でポンコツな人に的外れなダメ出しを食らった時や、自宅でお風呂の保温スイッチを切り忘れたの誰か問題が勃発した時、頭に血がのぼり思わず声を荒げて怒ってしまった経験が誰しもあるはず。しかし時間をおくと、「何であんなに大人気なく怒ってしまったんだろう」「怒るにしても、もう少し良い方があったんじゃないか」と、反省することになったのではないでしょうか。
 そう、世の中の腹立ちの大半は、時間が解決してくれるのです。

 ということで今回は、スター・ウォーズのエピソード7からエピソード9にあたるシークエル・トリロジーのお話をしたいと思います。
 (ネタバレはしていないと思いますが、気になる方はご注意ください)

 まず僕とスター・ウォーズの関係から申し上げますと、小学低学年の時に1作目のエピソード4「新たなる希望」に出くわした、リアルタイム世代のいちばん下の年代です。「新たなる希望」からずっと劇場でシリーズ作品を鑑賞してきたので好きな作品ではあるのですが、決してマニアではありませんし、フェイバリットでもございません。人生最高の映画は『ショーシャンクの空に』という人に「スター・ウォーズって好きですか?」と訊かれたら、「この人はどれ位のレベルを好きとするのか」悩みながら「どちらかといえば好きですね」と答えるくらいの門外漢です。

 しかし僕らの世代で少しばかり映画にまれ親しんだ者にとってスター・ウォーズは、好き嫌いに関係なく「おもしろい映画というのはこういうもの」という基準を海馬に刷り込んだ、絶対的なものさし。
 例えるなら、僕にとってスター・ウォーズは、おにぎりです。ごはんは自分の食生活に欠かせないものであり、おにぎりはいつ食べてもおいしいけれど、「今晩何か食べたいものある?」と訊かれて「おにぎり!」とは叫ばない。そういう存在です。

 スターウォーズ・サーガをおにぎりというフォーマットとするなら、エピソード4からエピソード6のオリジナル・トリロジーは、梅・しゃけ・昆布といった文句のつけようのない鉄板の具材が入ったおにぎりでした。ちなみに「ジェダイの復讐」は辛子明太子としたいところですが、微妙なところもあるので昆布とします。
 期待とは裏腹に評判が良くなかったエピソード1からエピソード3のプリクエル・トリロジーは、CGという新しい具材をギットリ多用したために本来の魅力を失ったことから、シーチキンマヨネーズ、ツナマヨネーズ、えびマヨネーズのマヨ3部作といえるでしょう。
 そしてシークエル・トリロジーは、“新時代のおにぎり”というコンセプトは立派だけれど、オムそばおにぎり、チーズカレーおにぎり、バジル鶏肉おにぎりなど、「これ、おにぎりで食べなあかん?」というアレンジをして、食べてみたら「やっぱり普通の方が100倍おいしいやん!!」となる、空回りした変わり種おにぎりでした。

 ただ、エピソード7「フォースの覚醒」は「新たなる希望」を語り直すスタイルをとりながら、主要人物が女性や元ストーム・トルーパーだったり、敵役が中二病だったり、はずしのセンスが効いた楽しい作品でした。そして何よりも3人の主要人物がフレッシュでイキイキしているのが素晴らしかった。創造主ジョージ・ルーカスの手を離れたことで、オリジナル・トリロジーのようなワクワク感あふれる3部作になるのではと期待しました・・・・。

 しかし残念ながら、「敵がしょぼくないか?」「オールドファンへの目配せが多い」「で、この話、これからどうなるの?」といった不安が、この後の「最後のジェダイ」「スカイウォーカーの夜明け」で現実のものになっていくのでした。

 細かいツッコミどころを挙げるときりがないのでやめておきますが、シークエル・トリロジーが完結した今振り返ると、3作品を通したトータル的な設定やストーリーを考えてなかったのかと疑ってしまう、行きあたりばったりの構成になっていたのが最大の問題点だと分かります。
 しかも話が安いRPGみたいに、○○の謎を解くためには○○をゲットする必要があり、○○をゲットするためには○○を見つけ出さなければならないというアクロバティックな展開になっていて、途中から「この人たちは何を右往左右しているのか」とワケが分からなくなる始末。
 無意味などんでん返しを多用するせいで逆にどうでもよくなる『ワイルドシングス』現象が起きているのもイタいです。しかもバタバタ大暴れしたのに何も解決しない、単なる時間の無駄遣いにしかなっていないことには呆れるしかありません。
 そして「フォースの覚醒」で魅力的だった主要人物3人衆はどんどん平凡なキャラになっていき、話の内容も旧作の辻褄合わせに終始する羽目に。オリジナル・トリロジーや「フォースの覚醒」にあった開放感、前向きな雰囲気や物語進行はきれいさっぱりなくなってしまいました。
 というか、「スカイウォーカーの夜明け」の苦し紛れな設定のせいで、9作品を通してパンパティーン皇帝の奮闘記になってしまってますよね。

 もうお分かりだと思いますが、僕のシークエル・トリロジーの評価は、完全な失敗です。ファイナルアンサーで結構です!
しかもただ失敗しただけでなく、オリジナル・トリロジーの意味合いを変えてしまったことが罪深い。
 唯一功績を挙げるとすれば、これまでケチョンケチョンにいわれていたプリクエル・トリロジーが「シークエル・トリロジーに比べたら全然マシ!」と、再評価(という言葉が適当かどうかは分かりませんが)のきっかけをつくったことくらいでしょうか。
 僕、「ファントム・メナス」と「シスの復讐」は嫌いじゃないんですよね。むしろ「シスの復讐」は結構好きです。

 ディズニーによるとスターウォーズ・シリーズはこれからも続くようで、懲りずにお付き合いすることになると思いますが、完全に別物として扱わせていただこうかなと思っています。
 う〜ん、こうやって書いているうちに、また怒りが沸々と湧いてきました・・・・。
 冒頭で腹立ちは時間が解決してくれると書きましが、訂正します。

 シークエル・トリロジーは、単なる蛇足やないか〜ッ!!

posted by ichio
2020.10.24

天才の仕業にふれる喜び

201023 『ダークナイト』以来、ちょっとずつこちらの期待値を下回る作品をつくりつづけているクリストファー・ノーラン。
 「もう、おうち鑑賞でいいかな」と思いながらも、新作が公開されるとついつい劇場に足を運んでしまう状態がつづいています。
 考えてみると、彼の作品で手放しに好きといえるのは『バットマン・ビギンズ』と『ダークナイト』(がんばって『インターステラー』)くらいで、後は観終わった後に何かモヤモヤするんですよね。
 そんなテンションにもかかわらず、話題に釣られて『テネット』を観るために映画館へ。彼の“ゴキブリホイホイ力”は当代随一といえるでしょう。

 感想を申し上げますと、今作はほとんど期待していなかった分、それなりに楽しめました。時間が逆行するアクションシーンは絶妙に気持ち悪くてインパクト大。CGに頼らないIMAXカメラによる映像も有無をいわせない迫力です。(パズルの答え合わせ的なつくりは興味をそそられません)
 が、それでもやっぱり中盤以降の鈍重な展開や、アクションシーンで登場人物の位置関係を観客に理解させる空間掌握力など、彼のウィークポイントは相変わらず。特に空間掌握力は結構重症で、誰がどこにいるのかが分からないため、せっかく派手に動きまわってもらってもハラハラしない。それどころか、「これ、どんなってるんスか?」とフラストレーションを感じてしまうんです。この点に関しては、『CASSHERN』を撮った紀里谷監督と共通するような・・・・。

 これに比べるとマーベル作品はすごくうまい。あれだけ多くのキャラクターが暴れまくっているのに、まったく混乱しません。ノーラン監督と同じく『ユージュアル・サスペクツ』以降、微妙な作品を撮りつづけているブライアン・シンガーでさえ、『X-MEN:フューチャー&パスト』における序盤のアクションシーンではちゃんとしてました。
 偉そうに文句ばっかり並べてますが、新作が公開されたらまた劇場に行っちゃうんでしょうね。

 今回取り上げたかったのは『テネット』ではなく、『メイキング・オブ・モータウン』というドキュメンタリー映画でした。
 60年代〜70年代にかけて尋常じゃないクオリティの名曲を連発し、数々の天才ミュージシャンを世に送りたした「モータウン」というアメリカのレコード・レーベルの歴史を紐解く内容なんですが、コレがよく出来ていて滅法おもしろいんです。

 まず、当たり前ですが、作中に流れる音楽が素晴らし過ぎる! 特に洋楽に詳しくない人でも一度は聴いたことのあるメロディが、「これでもか!」という勢いで鼓膜と心を揺さぶるんです。これだけで涙がツーッと流れ落ちます。サウンドもリマスタリングされ、クリアかつ迫力ある音になっていてグッドです。
 それにしても、普通の住宅をオフィス兼スタジオに改造した地方都市の小さなレーベルに、スモーキー・ロビンソン、マーヴィン・ゲイ、スティービー・ワンダー、マイケル・ジャクソンといったド級の天才が所属していたというのは奇跡としかいえません。

 しかし、レーベルの創設者であるベリー・ゴーディにしてみれば、それは偶然ではなく必然。
 彼は若い頃に働いていた自動車工場の徹底的に管理された生産システムを、音楽業界に導入するという新しいビジネスモデルをつくったんです。このビジネスモデルは、ジャニーズやK-POPなどのベースになっています。
 才能発掘、楽曲制作、品質管理、タレントのプロデュースなどをシームレスに行う方法は、音楽業界だけでなくどんな世界でも参考になること間違いなしです。
 僕も仕事でこのシステムを取り入れて、できる限り厳しく自己管理しようと思っているのですが、もう一人の自分にとことんダメ出しされるともう逃げ道がなくなるのでペンディングしています。

 そして、最大の見所は何といっても、ベリー・ゴーディと、彼の相棒であり会社の副社長でもあったスモーキー・ロビンソンとのわちゃわちゃ感全開のトーク。とにかく楽しそうで元気。歯の白さも新庄超えレベル! とても90歳と80歳のおじいちゃんには見えません。
 ラストに当時の関係者が嫌がる“ある”歌を、二人で嬉々として歌うシーンは最高です。
 自分の功績を振り返るということで、影の部分は軽くふれる程度ですが、なかったことにしていないところに好感が持てます。

 編集も凝っていて飽きさせないつくりになっているので、「何かおもしろい映画やってないかな」という人は、ぜひ映画館まで足を運んでください。

posted by ichio
2020.10.09

F1の実は・・・

201009 F1に興味のない方(=日本国民の大半)にとってはどうでもよいことなんですが、F1好きにとって2020年はメモリアルイヤーであることを一応お知らせしておきます。
 ひとつは、世界選手権となって70周年であること。それまでイギリスを中心に単発的に開催されていたレースが、70年前に世界各国を転戦するシリーズになったのです。
 そしてもうひとつが、ミハエル・シューマッハが保持する最多勝利数記録91勝を更新し、最多ドライバーズタイトル獲得数7回に並ぶ大記録がほぼ間違いなく生まれること。
 自分が生きているうちには絶対に破られることはないと思っていた不滅の記録が、シューマッハのすぐ後の時代を担うルイス・ハミルトンによって打ち破られることに驚きを感じます。
 その背景には、年間のレース数が増えたことや、ハミルトンが所属するメルセデスのマシンが圧倒的に強いという事情もあるのですが、それでもこの記録がとんでもないことに変わりはありません。

 がしかし! 実は、F1にはハミルトンよりも多く優勝し、タイトルを獲得している人物がいるのです。
 それは、エイドリアン・ニューウェイというカーデザイナー。
 1980年代後半以来彼が携わったマシンは、現時点で156勝、コンストラクターズタイトル10回を獲得。
 他の優れたデザイナーがこの数字に遠く及ばないのは当然ながら、30年に渡って第一線で活躍していること自体が驚異といえます。

 そんな現役バリバリのレジェンドの自伝『エイドリアン・ニューウェイ HOW TO BUILD A CAR』が滅法おもしろい。税込み5000円オーバーと恐ろしく高価で、買う時にのどがカラカラになりましたが、それだけの値打ちはありました。

 彼は「空力の鬼才」と呼ばれ 、空気力学をF1マシンの設計にいち早く取り入れたことで知られています。
 本のタイトルに“HOW TO BUILD A CAR”なんて言葉が使われていますが、空力をはじめ技術的なことにはあまり触れず、世界最速のマシンをつくるために求められるアプローチや組織づくり、スタッフやドライバーとのコミュニケーション方法に重点が置かれています。
 ですのでF1ファンだけでなく、「F1なんてけったいな形をしたクルマが同じところをクルクル回っているだけ」と思っている、ごくごくノーマルで常識的なビジネスパーソンにとってもためになる内容になっています。

 ただ一般的なビジネス書やアスリートの自伝と大きく異るのは、舞台となるF1が0.1秒速く走るためだけに年間何百億円もかける狂った世界であること。
 そんなカオスに自ら身を投じる人間は、当然のことながら常識という杓子では計ることのできない人ばかり。タイトル獲得というただひとつの目標を達成するために、頭の中のある部分のネジを緩めている人たちが繰り広げるドラマは読んでいて飽きません。
 僕のF1ブログでホンダのF1参戦終了についてつらつら書かせてもらいましたが、結局のところ勤め人集団のホンダと、レースに人生を懸けている変態集団であるライバルでは、頭の根本的な構造が違う気がします。

 この本を読む限りニューウェイさんはユーモアがあり、至極まっとうな人という印象を受けますが、いやいやどうして、かなりの曲者です。そうでないと30年もこの世界で生き抜くことはできません。
 その辺りは『GP CAR STORY Special Edition 2020〜エイドリアン ・ ニューウェイ』というムック本を読むと、彼と一緒に仕事をしていた人たちの証言から彼の普通でないところが垣間見えて、おもしろさ倍増です。

 ちなみにニューウェイさんは、世界最高峰のマシンを設計しているにもかかわらずCADが苦手で、いまだに手描きでデザインを起こしています。学校の勉強も得意でなかったとのこと。
 また革新的なアイデアが浮かぶのは、移動中などホゲ〜としている時間だそうです。
 こういうのを聞くと、ちょっとヤル気が出ます。

posted by ichio
2020.09.27

名刑事の名裁き

8200927 知り合いと話をする際、配偶者のことを何といいますか。
 男性なら嫁さん・奥さん・女房・家内、女性なら夫・主人・旦那・パパといったところでしょうか。
 でもまぁ、これは話す相手との関係性や、話の内容、ノリで変わってきますね。

 「いやぁ、うちのかみさんがね」 
 この人は、今となっては珍しい“かみさん派”です。
 “この人”が誰だかすぐに分かった人の大半は、40オーバーのおじさんでしょう。
 正解は、刑事コロンボ。ロサンゼルス市警察殺人課の警部。正確には主に1960年代後半から1970年代後半にかけてアメリカで制作された、サスペンスドラマの主人公です。
 ズングリした体型で髪の毛はボサボサ、くたびれたコートを着て、いつも安物の葉巻をくわえている中年刑事といえば、「あぁアレね」となるんじゃないでしようか。
 日本では最初NHKで放送されたのですが、僕はその後の「水曜ロードショー〜金曜ロードショー」で見ていました。

 ドラマの内容はパターンが決まっていて、出だしに犯人が殺人を犯し、コロンボが完全犯罪を切り崩すというもの。視聴者は最初から犯人が誰か分かっていて、コロンボが犯人を追い込んでいく様を追うのがキモになっています。
 先ほどの「いやぁ、うちのかみさんがね」 というのはコロンボの口癖で、犯人(大半は社会的地位の高い人物)に根掘り葉掘り質問するイントロになっているでんです。

 YouTubeで偶然、米粒写経と映画評論家の松﨑健夫氏の『刑事コロンボ』をテーマにしたトークイベントを観たのをきっかけに、コロンボ熱が上昇。アマゾンでDVDセットをポチッてしまいました。
 
 かなり久々に観たけれど、やっぱりおもしろい。
 「初対面の時から犯人と疑ってないか?」「そんな落とし方じゃ裁判で負けるでしょ」といったツッコミは不要。そんなことは重要ではありません。
 一見冴えないコロンボが、高い知能と地位、プライドを持った犯人に小馬鹿にされながらもネチネチ、ジワジワと追い込んでいく過程を見て、最後に「ざま〜!」「お見事!」と膝を叩くのが醍醐味なんです。要するに、映画ライター、ギンティ小林氏命名「ナメてた相手が実は殺人マシーンでした映画」の敏腕刑事版。
 
 改めて観直すと、コロンボの「もうひとつ訊きたいことを忘れてました」攻撃のしつこさと、意外に中盤の段階で「あんたが犯人だとにらんでいる」と挑発する押しの強さにビックリ。
 あと、犯人を自白に追い込む罠は、「性格が悪いんじゃないの」「謎解きを楽しんでるんじゃないか」疑惑が湧いてきます。

 普通ならツッコミどころ満載な話をおもしろくしているのは、まず脚本のクオリティの高さ。単にトリックが巧妙というだけでなく、犯人と被害者の関係性やその背後にある生活、はたまた犯人とコロンボの関係性がきちんと描けている。
 そして脚本に説得力を持たせる、主演のピーター・フォークとゲスト俳優の演技も忘れてはいけません。ピーター・フォークは『カリフォルニア・ドールズ』でもいい味出してました。いい役者さんです。吹き替えの小池朝雄さんもサイコー。

 ちなみに僕のフェイバリットの話は、「別れのワイン」で決まりです。
 

posted by ichio
2020.09.01

いま聴くべき劇薬、サンズ・オブ・ケメット

200901 黒い。ただ黒いのではなく、テリが出ないほどドス黒い。
 これは、サンズ・オブ・ケメットの目下最新作『ユア・クイーン・イズ・レプタイル』を聴いた感想。僕的にサイコーの褒め言葉です。

 サンズ・オブ・ケメットは、UKジャズシーンの最前線を突っ走るテナーサックス・プレイヤー、シャバカ・ハッチングス率いるグループ。
 メイングループのシャバカ・アンド・ジ・アンセスターズがアフリカ色の強いサウンドなのに対して、こちらはアフロに加えてキューバやジャマイカ、ニューオリンズ、はたまた中東など、さまざまな地域のリズムや旋律を取り入れているのが特徴。しかし、音楽性の幅を広げたことで、彼の中にある黒さがより際立つ結果に。ジ・アンセスターズも異様に黒いサウンドですが、サンズ〜は文字通りドスの効いた黒さ。
 さっきからまったく説明になっていませんが、一度聴いてもらえれば分かっていただけると思います。

 現在進行形のテナーサックス・プレイヤーといえば、もう一人、カマシ・ワシントンというキャラの濃い人がいます。
 カマシとシャバカの共通点は、演奏する楽器だけでなく、“ジャズ”という枠にとらわれない音楽的志向と、スピリチュアルというキーワード。見た感じも何となく似たような雰囲気が漂っています。
 このようにジャズに対するアプローチは相通じるものがあるものの、そこから生み出される音楽はかなり異なります。カマシはファラオ・サンダース直系の昇天ミュージックで、明るく開放的なのに対して、シャバカは暗く内省的。そして、シャバカが吹くテナーは野太く、骨の髄まで響き渡ります。
 そもそも、サンズ〜のテナーサックス、チューバにツイン・ドラムという編成からして変態。この異形感は、ファラオ・サンダースよりもエリック・ドルフィーに近いように感じます。

 シャバカはサウンドだけでなくアティチュードも辛口で、『ユア・クイーン・イズ・レプタイル』では、イギリスに蔓延る人種差別と、それを助長する英国君主制やライフスタイルに対して、徹底的なアンチが打ち出されています。収録されているすべての曲名は「My Queen Is (人の名前)」になっていて、活動家をはじめ、実在するさまざまな女性を称えるメッセージが込められているとのこと。
 そういう意味でも、いま聴くべき音楽といえるでしょう。

 ただ、このグループから生み出される呪術的グルーヴは、心の奥底へズンズン沈んでいく劇薬ですので、コロナ禍で気持ちが下向きになっている方は、ご注意ください。

posted by ichio
2020.08.19

イカす男たち

200820 どうですか、この三人衆。
 こんな出で立ちの人を近所で見かけたら、絶対にその日一日は「あの人は何物だ?」、「ていうか、限りなく宣教師に見えるけど、今の時代に宣教師っているの?」、「何でうちの近くを歩いている?」、「ヤバくないですか?」と、仕事が手につかなくなります。

 でも、ご安心ください。本物の人間ではありません。人形です。
 これは、大阪の堺で土産物として作られていた、「南蛮人形」といわれる土人形。名前と見た目のまんま、ポルトガル人の宣教師や船乗りなどを模しています。
 
 とにかく、お三方の佇まいがイカし過ぎる。まず、おしゃれ。コントラストの利いた色合わせなのに、がんばってる感がない。絶妙な着くずしも板についている。そして、こんなにクセのある帽子をさり気なくかぶれるのは、おしゃれ上級者というだけでなく、かなりの曲者です。
 そんな普通じゃない男がパイプをくわえて、何やら考え事をしている。世界の行く末を憂えているのか、それとも晩ごはんのおかずを野菜炒めにするか、レバニラ炒めにするか悩んでいるのか。そんなことを想像しながら、何時間でも眺めていられます。

 以前、雑誌で南蛮人形を知って以来、欲しくてたまらなくなり、探しているのですが、なかなか出会いがありません。さっき“作られていた”と書いた通り、現在は作られていないんです。一時、地元にある『かん袋』という甘味処のご主人が趣味で復刻されていたそうですが、それも今はやめられたとのこと。
 こうしたモノとの出会いはタイミング。気長に待ちます。

 そういえば、仕事場までの道中にある古い喫茶店のショーウインドに、ポンチョとソンブレロを身につけ、膝を抱えている少年の人形が飾られていて、何年もの間イカすなぁと思いながら前を通っていました。お店の人に譲ってもらえないか、尋ねてみようかと考えたこともあるのですが、何だか失礼なような気がして我慢していたら、ある日忽然と姿を消したんです。

 代わりに他の置物を置くわけでもなく、メキシコ少年がいた場所は空席のまま。何年もの間置いていたものを、いきなり強制撤去するとは考えにくいし、誰かにプレゼントしたと考えるのがいちばん自然。

 たまたま前を通りかかった観光客が「カワイイ〜、これって売り物ですか?」と、白々しい&図々しい質問したところ、店の人は「人からもらったもんを置いてるだけですわ。なんやよう知らんけど、気に入ったんやったら持って帰らはったらよろしいわ」と、腰がくだけるような回答。
 こんな会話が交わされたのかと思うと、横山たかし師匠のようにハンケチを噛みたくなります。

posted by ichio
2020.07.31

まだまだ熱いポール・ウェラー

207031  これを待っていたんですよ、アニキ〜!

 UKロックのレジェンドであり、我が人生の師でもあるポール・ウェラーが、キャリア40年を超えた今、これまで生み出してきた数々の名作たちの中に、新たな1枚を加えてくれました。

 僕がポール・ウェラーと出会ったのは中学生時代。彼がスタイル・カウンシルを始動させてしばらく経った頃です。バンド・エイドのビデオで、多くのミュージシャンが楽しげに合唱している中、一人むずかしい顔をして歌っている男前を見つけて、興味を持ったのがきっかけでした。
 それから40年あまり、ずっと彼を追いかけつづけてきましたが、正直『22ドリームス』あたりから首をかしげるように。
 そのワケは、彼の持ち味である骨太かつ憂いを帯びたメロディの後退。特にクラウトロックを意識した『ソニック・キックス』と『サターンズ・パターン』では、意図的に盛り上げる曲展開を避け、短いフレーズのリフレインとサウンドプロダクションで引っ張る曲が増え、「悪くはないけど何か煮え切らない」気持ちがつづいていました。

 そんなアニキに僕からテレパシーを使って提案していたのが、スタカン時代のようなメロディアスな曲調にエレクトロニックな要素をまぶしたAOR化。年齢を重ねた今だからこそ、ポール・ウェラー流のブルー・ナイルのようなアルバムをつくれば、いいモノができるはずという確信がありました。
 しかし、僕のテレパシーが弱いせいか、なかなか提案は受け入れられませんでした。『ア・カインド・レボリューション』でオーソドックスな英国産ロックの方向に戻る気配をうかがわせ、つづく『トゥルー・ミーニングス』ではフォーク・ロック的な要素を取り入れるなど、少しずつ近づいてはきていたものの、「ちょっと違うんですよ・・・・」と苦虫を噛み潰しておりました。

 そして、ついに僕の想いとピッタリ合ったのが、今回ドロップされた『オン・サンセット』。全編ウェラー節全開。心に引っかかるメロディも戻っている。しかもそこにこれまで試行錯誤してきた曲作りやサウンドプロダクションが活かされている。例えば、オープニングを飾る「ミラーボール」や中盤のハイライトの「モア」のような曲をダレずに聴かせる構成力は、10年代あたりから脱ウェラーを図った成果といえるし、控えめながらツボを抑えたエレトロニックサウンドは、『ソニック・キックス』や『サターンズ・パターン』で培ったもの。間違いなくここ10年間の集大成であり、傑作といえるでしょう。
 どの曲も芯がしっかりしていて聴き応えがあるのですが、やっぱりノスタルジックな雰囲気の「ヴィレッジ」と「アース・ビート」が白眉。人生の後半をむかえた男の視点から書かれた歌詞もグッときます。
 また、スタカン時代にお払い箱になったポリドールに復帰しての発売というのも泣かせるじゃありませんか。

 今作でアニキとエレクトロニックの相性が良いことが明らかになったので(僕はずっと前から分かってましたけどね[キリッ])、次作もこの路線を押し進めてほしい。
 いやぁ、またこうして彼に熱くなれることがうれしい。どこまでもついていきますッ!

posted by ichio
2020.07.18

あの興奮が蘇る!

200719  うわうわっ、こんなモノが発売されていたとは全然知らんかった!
2018年に誕生40周年を記念して、スペースインベーダーをはじめパックマンやギャラクシアンなど、昭和のゲームセンターを熱狂させた名作たちが、当時の姿を忠実に再現したアーケード仕様で復活!

 40代〜50代のおっさんで、これを見て心ときめかない人はいないでしょう。もちろん僕もその一人。小学校中学年の頃にテレビゲームブームが巻き起こり、ゲームセンターはどこも超満員に。しかし当時のゲームセンターは「不良が集まるところ」「あぶないところ」というイメージが強く(実際間違いではありませんでしたが)、うぶっ子だった僕は、親と行く喫茶店や旅館のゲームセンターくらいしかプレイする機会はありませんでした。そして、大金だった100円玉を決死の覚悟で投入し、全身がゾワゾワする興奮を感じながらプレイしたものです。
 それが高学年になるとだんだん調子にのってきて、友だちとビビリながらゲームセンターに行きだすようになり、中学生になるとほぼ毎日通いう始末。当然のことながら行く回数が増えると必要なお金も増えるワケで、そうなるとこれまた当然のことながら金欠に。
 そこで僕の場合は、勝手に習い事をやめ、親には行っているふりをして月謝をゲーム代にしていました。これ、今考えると、自分でも引きます。40年前のこととはいえ、まだ直接親に謝る勇気はないので、この場を借りて謝罪したいと思います。本当にすみませんでした! これからは、もうしません!

 ネットで復刻されたスペースインベーダーのレビューを見ると、概ね高評価。かなりマニアな人も満足するクオリティになっているようです。ただ、サイズは本物のアーケード仕様の3/4。高さも低くなっていて、立ってプレイするのが厳しいのが残念。
 でも、やっぱりこのルックスはそそる。
 僕は前から仕事場にガッツリ本物のピンボールゲームを置くのが憧れなのですが、この際スペースインベーダーでもいいかなと思っています。しかも値段が29800円(アマゾン価格)と、清水の舞台から飛び降りる気持ちになれば、買えてしまうのが嬉しいというか、怖いところです。

posted by ichio
2020.06.15

今の世の中にはベルガーが足りない

Ayrton Senna and Gerhard Berger 少しずつ社会が動きだした今日この頃。スポーツ界も未確定要素はありながらも、始動しはじめています。
 F1は、3月に開幕戦のオーストラリアGPをドタキャン。その後すべてのチームのファクトリーが閉鎖され、ほぼ活動停止状態に。
 しかし、多目的トイレで「その目的は考えてなかったわ」という、トリッキーな活用法を実践した芸人さんが袋叩きの目に遭っている間に、7月5日のオーストリアGPから開幕することが決定しました(残念ながら今年の日本GPは中止となってしまいましたが)。
 まだまだ状況によってはどうなるかわかりませんが、ひとまずシーズンがはじまるのはファンとしては嬉しい限り。尽力されている方々に「ありがとう」です。

 ところでここ最近、先の多目的トイレ芸人さんをはじめ、芸能人のスクープ&集中砲火が止まりません。
 ほとんどが当人同士の問題で、関係のない他人にはどうでもいいことのように思うのですが、一部の人は騒ぎ立てないと気が済まない様子。昔なんて、パンツに大麻を隠すという、とびっきり多目的にパンツを活用した役者がいたくらいなのに。まぁ、これは当時でも大騒ぎになりましたけど・・・・。
 「時代が変わった」「だってダメなことでしょ」「芸能人なんて人気商売」と言われたら「その通りでございます」という他ないのですが、窮屈すぎる気がしやしませんか。もうちょっとユルい世の中の方が生きやすく、楽しいように思うのですが。

 こうした世の中の流れの影響か、F1ドライバーも今と昔では随分さま変わりしました。
 昔はアウトロー的な人が多かったのに比べ、今は良くいえばスマートになった、率直にいうとビジネスマン化された。みんなチームやスポンサーに気をつかって、無茶なふるまいはしない。6度ワールドチャンピオンに輝き、見た目もライフスタイルも派手なハミルトンでさえ、キャラとしては薄い。だから、どんなに凄い走りをしても、それ以上にグッとくるものがないというか、感情移入できないんですよね。

 このようにお利口さんが多くなり、「今のF1にはベルガーが必要だ」と、しみじみ思います。
 F1に馴染みのない方に少しだけ紹介すると、ゲルハルト・ベルガーは80年代半から90年代にかけて、フェラーリやマクラーレンなどの名門チームで活躍したトップドライバー。しかしセナやプロストという超天才が全盛期をむかえていたこともあり、残念ながらタイトルを獲ることはできませんでした。が、記録ではセナプロには遠く及ばないものの、記憶の面ではまったく引けを取らず、今でも多くのファンに愛される存在。僕も30年F1を観つづけてきたなかで、トップ3に入るくらい好きなドライバーでした。
 彼の魅力は、高速コーナーが滅法速い豪快なドライビングもさることながら、個性的なキャラクターが大半を占めていたといっても間違いはないでしょう。
 とにかくお茶目で破天荒。スタッフや関係者へのいたずらは日常茶飯事。そればかりか、厳格な性格で知られるマクラーレンのドンであるロン・デニスをワニ園の池に突き落としたり、フェラーリのチーム代表だったジャン・トッド、チームメイトのジャン・アレジと車で移動中、いきなりサイドブレーキを引いて車を横転させたりするなどのヤンチャぶり。気難しくて、あまり人を寄せつけないセナにも容赦なし。セナのアタッシュケースをこっそり持ちだし、ヘリで上空から投げ捨てたというエピソードは有名。無茶苦茶を通り過ぎて、「ちょっと頭おかしいんじゃないの?」というレベルです。
 また彼は色気のあるハンサムで、女性にモテモテ。ベルガー自身も女性が嫌いではなく、今なら一部の人から集中砲火を受けるようなことをしていたとしても、何ら不思議ではありません。
 ドライビングに関してはハマると手がつけられないほど速いものの、波があってシーズン通して続かない。そして、まわりが呆然とするような考えられないミスをしでかすこともしばしば。けれど、「ここで勝ったらカッコ良すぎるやろ」というシチュエーションで勝ってしまう。このギャップがたまらん!のです。
 そして情に厚く、おまけに頭脳明晰。だから、多くの人に好かれ、今ではモータスポーツ界で重要なポジションに就いているのも、これまた何ら不思議ではありません。

 今、ベルガーのようなドライバーがいたら、やっぱり叩かれまくりなんでしょうか。違ったタイプでもいいので、クセの強いドライバーが増えて、サーキットを華やかにしてほしいものです。
 それはエンターテインメントの世界も同じ。こじんまりまとまらず、ダイナミックで、華やかであってほしい。そのためには、観る側もちょっとくらいのことなら笑ってスルーする余裕があっていいんじゃないでしょうか。

posted by ichio