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2021.05.27

FANTASTICO FANIA!

210527 新型コロナウイルスの影響が長引き、自粛疲れが出てきている方もいらっしゃるかと存じます。いろいろな制限がある中で張り合いのある生活を送るためには、まずカラダとこころの健康が大切。
 僕もカラダの健康に関しては、ずっとしている超ライトな筋トレに加えて、ランニングをはじめました(正確には幾度の挫折からの再挑戦です)。しかし体力の衰えは隠しようがなく、いちびって若い人をオーバーテイクしてしまったら最期。すぐにしんどくなってペースが落ちてくるのですが、一度抜かした人に抜き返されるのは恥ずかしいので、死にもの狂いで走る羽目になってしまいます。限界が来た場合は、さも走り終わった素振りを見せつけて歩きに切り替えます。

 メンタルケアの方は、もっぱら音楽鑑賞。僕の場合、とことんダークなものと、ご陽気なものをセットで聴いくことで相乗効果を高めます。
 ダークサイドで愛聴しているのが、デヴィッド・シルヴィアン+ホルガー・チューカイ『ブライト&プレモニション』、ウィリアム・バシンスキー+リチャード・シャルティエイ『無題』、トム・ヨーク『サスペリア』といったところでしょうか。これ、本当に奈落の底に引きずり込まれそうな音楽なので、ホラー映画を観て爆笑するような人でないと聴かない方が良いと思います。くれぐれもご注意ください。

 一方ご陽気サイドで愛聴しているのが、ラテン音楽。中でもFANIAというラテン音楽専門レーベルの作品がお気に入り。針を落として音が鳴りはじめた瞬間からウキウキ♪ 元気になります。
 男性のみなさん、「FANZA」ではありません。「FANIA」です。お間違いのないよう。まぁ、FANZAもある意味、元気にはなりますが・・・・。

 FANIAは1964年にニューヨークで設立されたレーベルで、1970年代に盛り上がったラテン音楽シーンを支えた存在。ウィキペディアによると、ジャズにおけるブルーノート、ソウルにおけるモータウンのような感じだったとのこと。
 現在は他のレコード会社に買収されたものの、レーベル自体は存続しているので、比較的簡単に作品を手に入れることができます。

 僕はここ何年かチビチビと買い集めているのですが、とにかく「FANIAにハズレなし」といえるくらい、どれも素晴らしい。特にオススメしたいのがラリー・ハーロウというピアニスト。
 今回ピックアップしたジャケットは胃もたれしそうなビジュアルですが、グッとこらえて聴いてみてください。艶のある歌声、高らかに鳴り響くホーン、自然と腰が動きだすリズムを刻むパーカッション、そして転がるようなドライブ感を生みだすハーロウのピアノ。きっと、こころの空模様は曇りから快晴に変わるはず。
 個人的にラリー・ハーロウのアルバムでは代表作とされることの多い『エル・エキシジェンテ』(写真)よりも『ヘビー・スモーキング』が好きです。

 いきなり聴き慣れないラテン音楽を聴くのはハードルが高いという方は、まずFANIAのサイトにアクセスしてみてください。ピックアップした写真に勝るとも劣らない濃ゆい面子がズラリと並んでいて、見るだけで楽しい。これがきっかけとなり、新しい扉が開くかもしれません。
 男性のみなさん、しつこいようですが、FANZAのサイトではありませんよ!

posted by ichio
2021.05.02

ゲームボーイ・ブーム到来

210502 いま我が家ではゲームボーイの一大ブームが到来。連れ合いと子どもはスーパーマリオ、僕はドンキーコングに熱くなっています。(この2作品はゲーム内容だけでなく、音楽も最高だと改めて実感している次第)
 よく「1周まわって〜」なんて言いますが、我が家の場合は他のゲーム機は持っておらず、携帯ゲームも一切しないので、同一周回でハマっています。
 自分にはこれくらいシンプルなゲームが丁度いい湯加減。今のゲームはしたことありませんが、おそらく体も脳もついていかないと予測されます。
 大体携帯電話にしてもオーバースペックで、0.01%の機能も使っていない自信があります。ワケのわからない便利機能をつけるなら、バッテリーの減りを少なくすることに力を注いでほしいものです。

 IT関連のサービスに関して、メディアやまわりの人から「これが流行っている」「あれが熱い」といったことを見聞きしますが、どうもピンと来ないんですよね。「それ、ホンマに要る?」と思ってしまう。
 例えるなら、奥さんの誕生日のお祝いに「アレクサ、ハッピーバースデー歌って」と言っている感じといえば分かっていただけるでしょうか。
 ちなみにあのCM、まあまあ恐怖映像です。
 世の中には次から次に新しいサービスが出ていて、時流を追いかけるのは大切なことなのかもしれませんが、個人的にはトイレットペーパーがシングルからダブルに変わることよりどうでもいいです。(僕はシングル派)

 今のITの進歩って、もはや個人の暮らしのレベルを超えていて、得しているのは雲の上にいる人たちだけのようなモヤモヤ感が拭えません。とはいっても技術の進歩によって社会が良くなっているのも事実なワケで。ただ、もう人間の手には収まらなくなっていて、『ターミネーター』や『マトリックス』の世界にどんどん近づいているような不気味さを感じます。
 僕が世の中に憂いてもどうにもならないので、とりあえずゲームボーイで楽しい時間を過ごしたいと思います。

posted by ichio
2021.03.23

評伝・自伝・作家論が豊作

210323  去年の後半から今年にかけて、ミュージシャンの評伝・自伝・作家論の力作が相次いで発売されていて、どれから読むか、いや、その前にどう小遣いをやりくりして本を買うか悩み、悶えています。
 パッと思いつくだけでも、『細野晴臣と彼らの時代』(門間雄介)、『YMO1978-2043』(吉村栄一)、『調子悪くてあたりまえ 近田春夫自伝』(近田春夫、下井草秀)、『デヴィッド・ボウイ 無を歌った男』(田中純)などなど。

 もう少し前に出た本ですが、モリッシー、ジョニー・マー、トレイシー・ソーン、ダニエル・ラノワの自伝も長い間読みたいリストに載ったままの状態。
 ミュージシャンではないけれど、2年ほど前に出た『ブルース・リー伝』(マシュー・ポリー)も読みたい読みたいと思いながら未だに読めていません。

 そういえば、今は絶版になっている『マーヴィン・ゲイ物語 引き裂かれたソウル』、『ジョン・コルトレーン 私は聖者になりたい』も読めていなかったことを思い出しました。
 これ以上リストアップすると物欲で頭がおかしくなりそうなのでやめておきます。

 どうしてこんなに未読の本が溜まってしまったのかと申しますと、まずこうした類の本はお値段が結構するため、気軽にホイホイ買えない懐事情がございます。著者の方々の労力を考えるとこんなことを言うのは大変心苦しいのですが、小市民の嘆きということでどうぞお許しください。

 もうひとつの問題は時間。お値段だけでなくページ数もボリューミーなものが多く、読みきるためにはそれなりの時間を要します。単純に時間に余裕がないというのもあるのですが、近頃は本を開くと自動的に導睡スイッチが入り、なかなか前に進まないのです。老眼でショボつく眼をこすりながら読むのも哀しいので、最近は自然に身を委ねることにしています。

 僕はこれまであまり評伝・自伝を読まなかったのですが、最近気になりだしたのは、自分が敬愛する人たちがキャリアの総括期を迎えていたり、デヴィッド・ボウイのように惜しくも天に召される人が増えたりしているからのように思います。
 若かった頃、親が自分の好きな有名人を懐かしむ番組を見ていると「退屈なことしてるな」と思ったものですが、今ではすっかり同じことをしています。月並みですが、自分が好きな人のキャリアや人生を辿りながら、自分自身の歩みを振り返り、何かしらの意味づけをしたいと感じはじめるお年頃なのでしょう。
 それはそれで楽しいことなので、我慢せずにガンガン振り返りたいと思っています。

 さて、何から読むかという最初の問題に戻ると、YMOに関しては以前にこのブログでも取り上げたメンバーのインタビュー本『Yellow Magic Orchestra』(田中雄二)が決定版だと思っているので、ひとまずスルーして、『デヴィッド・ボウイ 無を歌った男』から読みはじめようかなぁと・・・・。いや、『細野晴臣と彼らの時代』もおもしろそうだし、やっぱりこっちから読むべきかも・・・・。

 しばらくはこの贅沢な気分を楽しむのが正解な気がします。

posted by ichio
2021.03.13

「潤 沢」〜たかっしにリスペクト

210313  TBSで放送中のドラマ『俺の家の話』がおもしろい。
 キャストは長瀬智也、戸田恵梨香、西田敏行といった面々で、脚本は宮藤官九郎。

 あらすじはスッ飛ばし、今回は第6話に登場した阿部サダヲ演じるムード歌謡グループ「潤 沢」のリーダー、たかっしが素晴らし過ぎる話をしたいと思います。

 たかっし率いる潤 沢は、全国のスーパー銭湯やリゾート施設でおばさま(姫)を相手にした歌謡ショーを行うグループ。まぁ、純烈のパロディというか、そのまんまです。設定では、“純烈が行かない銭湯を狙ってステージを行うグループ”とのこと。

 ショーでたかっしはハッピー&ブルーのヒット曲「星降る街角」のカバー「星降る街角2021」をイカした腰つきで歌うのですが、曲の合間に入れる合いの手がアホらし過ぎてサイコーなんです。ドラマの中でも、最初は余りのくだらなさに失笑していた主人公家族が、次第にたかっしが放つ摩訶不思議なグルーヴに巻き込まれトランス状態に。

 つづいて繰り出されるのが、たかっしが“なかにし札(礼ではなく札)”というペンネームで作詞した新曲「秘すれば花」。作曲は筒美洋平。ちなみにモデルとなっている、なかにし礼&筒美京平のタッグはTOKIOの「AMBITIOUS JAPAN!」をつくっています
 「秘すれば花」は詞もメロディも使い古されたフレーズだけで出来ているのですが、たかっしにとってそんなことは承知の上。従来のムード歌謡を解体・再構築し、相対化しているのです。
 音楽番組を見ると、ダルそうな雰囲気を醸し出すロックグループのメンバーが、自分たちのオリジナル性についてドヤ顔で語りながら、「走りつづけろ真夜中のハイウェイ、踊りつづけろオールナイトロング」的な歌詞を歌いだしてコケそうになることありますよね。それに比べればたかっしの方がはるかにクールです。まぁ、こうしたロックグループも、たかっし的なアプローチをとっているととれなくもありませんが。

 さらにソウルクエリアンズのようにメンバーを固定せずフレキシブルに活動する姿勢や、メンバーの顔をプリントしたフェイスガードの販売などマーチャンダイズに力を入れているところも極めて今日的。
 そして何より、C調なキャラとプロフェッショナルな顔を絶妙な塩梅でブレンドするバランス感覚に感服です。たかっしさん、リスペクトです!

posted by ichio
2021.02.02

前時代の遺物に・・・・

210202 随分前から時代の流れに乗りそこなっていることは分かっていましたが、改めて自分が前時代の遺物になりつつあることを痛感しました。
 年始早々、長年使っていたCDJがまったく動かなくなり昇天されたため、新しいCDプレーヤーを購入せねばとそこそこ大きい家電量販店に足を運んだところ、オーディオ製品はほぼ店舗に置いていないと言われ、クラッときました。
 自分的にCDは生活必需品として毎日使っていますが、一般的にはほとんど需要ないんですね。確かに子どもも特定の音楽を聴くためにお金を払うという発想はない様子だし、アルバムを通して聴くなんて行為もないようです。

 ちなみにこれまで使っていたCDJは、愛着はあったもののDJもしないのにイキって買ったため、僕にとっては無駄にスペースを取り、無駄な機能満載のCDプレーヤーでした。おそらく相手も「こんな使われ方ちがう!」と思っていたでしょう。

 一応僕もSpotifyは利用しているのですが、どんな感じの音楽なのかを確認する程度にとどまっています。
 音楽にしても本にしても身銭を切らないと身が入らないといいますか、たとえ気に入らない内容だったとしても無理やり“好きになりにいく”情熱が湧かないんですよね。
 それに好きなモノに囲まれて生きたいと思っている人間としては、データだけのスッキリしたお部屋というのがどうにも落ち着きません。
 こうした趣向がいろいろな面で不効率なのことは重々承知しており、本・雑誌に関しては一部電子書籍に切り替えようかなと思っております。

 映画もコロナウイルスの影響で、一気にサブスクでの配信に重きを置く方向に進んでいる模様。日本は映画会社と映画館がつながっているのでまだ流れは緩やかですが、アメリカの映画会社は完全に舵をきりました。
 現に最近は、マーティン・スコセッシの『アイリッシュマン』やデヴィッド・フィンチャーの『Mank マンク』など、大御所でも配信ありきの作品が少なくありません。
 またプラットフォームの変化によって、話の構成や画面のレイアウトも変わっていくでしょう。
 こうしたことは時代の流れなので文句をいっても仕方ありません。ただ、加齢によって順応性が鈍り、「自分の好きなものだけあればいい」と開き直りかけている身として、こうした変化に適応する自信がありません。

 僕はいまF1と映画、音楽、動物ドキュメンタリーを観るためにCSに入っていて、そろそろNetflixとDAZNに乗り換えようかなと思案しているのですが、まだCSの方が微妙に安いため踏み切れないでいます。
 こうして二の足を踏んでいる間に時代はどんどん進んでいき、ますます敷居が高くなるばかり。このままではズルズルとドロ沼にはまり挽回できなるので、誰かそっとやさしく導いていただけないでしょうか。

 個人的にはSiriに期待しています。最近インターネットのバナー広告が、どう考えてもアクセスや検索ワードの履歴だけでなく、マイクでこっちの話を盗み聞きしているとしか思えないシンクロ具合なんです。
 この前もテレビを見ながら墓石の話をしていたら、次の日にお葬式の広告が表示されました。家族一同元気なので、墓石関連のサイトにアクセスしたり検索したりする必要は微塵もなく、実際していません。
 当然Siri はNetflixやDAZNの話も聞いているので、サクッと登録のナビをしてほしいものです。

posted by ichio
2021.01.09

どんどん好きになる『ガウチョ』の魅力

210109b 仕事をするうえで、あるいは日々生活するうえで、人には「はじめに思い描いたイメージを忠実にカタチにしたいタイプ」と、「最初のイメージから変化することを良しとするタイプ」の2タイプが存在します。
 「何のイメージもなく、どうなっても良いタイプ」も少なからずいらっしゃいますが、今回は除外させていただきます。ついでにいうと、こういう人に限って自分では何もしない(できない)のに、非生産的で的外れなケチだけつけるんですよね。前向きな展開にするために意見交換しようとすると、自分が何も考えていないことがバレるので、「こっちは素人。あんたらプロがどうにかせい」と開き直るのがパターン。
 みなさん、それぞれ具体的な顔が浮かんだと思います。この話をしだすと止まらなくなるので、このへんでやめときましょう。

 音楽も先の2タイプに分けることができます。乱暴に分別すると、例えば前者はクラシック、後者はジャズといったところ。またポピュラーミュージックにしぼると、前者はレコーディングを重視する人、後者はライヴ感を重視する人に分けることができます。
 レコーディングを重視するミュージシャンは、録音してパッケージ化された作品を自分の表現手段ととらえていて、スタジオワークを駆使して生演奏で再現するのはむずかしいサウンドをつくる傾向があり、完璧主義でちょっと狂気じみた人が多いように思います。

 今回取り上げるのは、その代表的な存在のスティーリー・ダン。
 スティーリー・ダンは職人的な音楽活動をしていたドナルド・フェイゲンとウォルター・ベッカーを中心に、1970年代前半に結成されたグループ。初期はソウルをベースにしたひねくれポップをつくっていたのですが、メンバーがごそっと抜けてフェイゲン&ベッカーの2人体制になってから度が過ぎるサウンドづくりが炸裂。自分たちがイメージする音を再現するために腕利きのスタジオミュージシャンを片っ端から呼びつけて、何十回も同じパートをプレーさせたり、その挙げ句すべてのテイクをボツにして他のミュージシャンにプレーさせたり、何年もスタジオに籠もってスタジオワークに没頭するなど、さまざまな伝説を残しています。

 実際にフェイゲンは自分のボーカルのアプローチについて、「前もって綿密に考え抜かれたプランにのっとって青写真どおりにやる。(中略)事前に練りに練った上で譜面に書き下ろしたものを完璧に再現する、という方法をとっている」(『ナイトフライ 録音芸術の作法と鑑賞法』より引用)と述べています。
 このように妥協のない徹頭徹尾コントロールされた音楽は建築美ともいえる魅力を放ち、ミュージシャンだけでなく音楽プロデューサーやエンジニアもフェイバリットとして挙げているのをよく見かけます。

 こうした企画でピックアップされるのは、キャリアのピーク時につくられた『彩(エイジャ)』が大半。曲や演奏のクオリティ、アルバム全体のバランスは確かに『彩』がピカイチ。異論はございません。
 でも、個人的な好みは次につくられた『ガウチョ』。アルバム全体に漂うヒンヤリとした質感が変態チックでたまらんのです。
 
 『彩』と『ガウチョ』では制作手法で大きな変化がありました。それは打ち込みリズム(あるいはクリック)を導入し、プレーヤーの演奏を別々に録音するようになったことです。『彩』でも多重録音、録音後の編集は行われていたものの、まだ生演奏がベースになっていて、プレーヤー同士が相手の演奏に反応して自分の演奏に反映させる余白がありました。
 しかし打ち込みを本格的に取り入れたことで、それぞれの演奏をパーツとしてとらえ、カット&ペーストを重ねる編集に重きを置くようになり、プレーヤー同士の化学反応が起こりにくくなったのです。しかも当時の打ち込みは、機材の技術的な問題と作り手のノウハウの少なさのせいで、表情の乏しいノッペリとした音。こうした要素が合わさり、『ガウチョ』はどこか無機質で、広がりのない密室性の高いサウンドになっています。
 また、アルバムの前半から中盤にかけては洗練されて聴いていて気持ちいい曲がつづくのですが、後半に差し掛かると微妙な感じになって、ヌルッと終わります。
 アルバムを聴き終わった時、「ひとつひとつの細部は良くできているけれど、建物全体を見たら傾いてますやん」という、欠陥住宅感が漂っていてクラッとするんですよね。

 こうしたことは普通マイナス要素なんですが、『ガウチョ』の場合はプラス要素になっているのが不思議です。
 収録時間が38分足らずと短く、批判めいた印象が立ち上がりそうになったところで終わり、煙に巻かけたような気分になるのも味わいのひとつ。聴く度にどんどん好きになっていくアルバムです。

 冒頭では、イメージを忠実にカタチにしたいタイプに対して否定的なことを書きましたが、こうして考えると良い面もあるんですね。
 ・・・・でも、自分が仕事で何十回もやり直しをくらい、挙げ句に全部ボツにされて他の人に依頼し直されたら、死ぬ間際まで引きずるトラウマになるのは間違いありません。家でも洗濯を手伝って、たたみ方が違うといって何度もダメ出しされたら、確実に夫婦関係はこじれるでしょう。
 自分ごととして考えるならやっぱり、変化することを良しとするタイプの方が良いです。

posted by ichio
2020.12.16

スター・ウォーズ シークエル・トリロジーを自分なりに振り返った件

201216 仕事でポンコツな人に的外れなダメ出しを食らった時や、自宅でお風呂の保温スイッチを切り忘れたの誰か問題が勃発した時、頭に血がのぼり思わず声を荒げて怒ってしまった経験が誰しもあるはず。しかし時間をおくと、「何であんなに大人気なく怒ってしまったんだろう」「怒るにしても、もう少し良い方があったんじゃないか」と、反省することになったのではないでしょうか。
 そう、世の中の腹立ちの大半は、時間が解決してくれるのです。

 ということで今回は、スター・ウォーズのエピソード7からエピソード9にあたるシークエル・トリロジーのお話をしたいと思います。
 (ネタバレはしていないと思いますが、気になる方はご注意ください)

 まず僕とスター・ウォーズの関係から申し上げますと、小学低学年の時に1作目のエピソード4「新たなる希望」に出くわした、リアルタイム世代のいちばん下の年代です。「新たなる希望」からずっと劇場でシリーズ作品を鑑賞してきたので好きな作品ではあるのですが、決してマニアではありませんし、フェイバリットでもございません。人生最高の映画は『ショーシャンクの空に』という人に「スター・ウォーズって好きですか?」と訊かれたら、「この人はどれ位のレベルを好きとするのか」悩みながら「どちらかといえば好きですね」と答えるくらいの門外漢です。

 しかし僕らの世代で少しばかり映画にまれ親しんだ者にとってスター・ウォーズは、好き嫌いに関係なく「おもしろい映画というのはこういうもの」という基準を海馬に刷り込んだ、絶対的なものさし。
 例えるなら、僕にとってスター・ウォーズは、おにぎりです。ごはんは自分の食生活に欠かせないものであり、おにぎりはいつ食べてもおいしいけれど、「今晩何か食べたいものある?」と訊かれて「おにぎり!」とは叫ばない。そういう存在です。

 スターウォーズ・サーガをおにぎりというフォーマットとするなら、エピソード4からエピソード6のオリジナル・トリロジーは、梅・しゃけ・昆布といった文句のつけようのない鉄板の具材が入ったおにぎりでした。ちなみに「ジェダイの復讐」は辛子明太子としたいところですが、微妙なところもあるので昆布とします。
 期待とは裏腹に評判が良くなかったエピソード1からエピソード3のプリクエル・トリロジーは、CGという新しい具材をギットリ多用したために本来の魅力を失ったことから、シーチキンマヨネーズ、ツナマヨネーズ、えびマヨネーズのマヨ3部作といえるでしょう。
 そしてシークエル・トリロジーは、“新時代のおにぎり”というコンセプトは立派だけれど、オムそばおにぎり、チーズカレーおにぎり、バジル鶏肉おにぎりなど、「これ、おにぎりで食べなあかん?」というアレンジをして、食べてみたら「やっぱり普通の方が100倍おいしいやん!!」となる、空回りした変わり種おにぎりでした。

 ただ、エピソード7「フォースの覚醒」は「新たなる希望」を語り直すスタイルをとりながら、主要人物が女性や元ストーム・トルーパーだったり、敵役が中二病だったり、はずしのセンスが効いた楽しい作品でした。そして何よりも3人の主要人物がフレッシュでイキイキしているのが素晴らしかった。創造主ジョージ・ルーカスの手を離れたことで、逆にオリジナル・トリロジーのようなワクワク感あふれる3部作になるのではと期待しました・・・・。

 しかし残念ながら、「敵がしょぼくないか?」「オールドファンへの目配せが多い」「で、この話、これからどうなるの?」といった一抹の不安が、この後の「最後のジェダイ」「スカイウォーカーの夜明け」で現実のものになっていくのでした。

 細かいツッコミどころを挙げるときりがないのでやめておきますが、シークエル・トリロジーが完結した今振り返ると、3部作を通したトータル的な設定やストーリーを考えてなかったのかと疑ってしまう、行きあたりばったりの構成になっていたのが最大の問題点だと分かります。
 しかも話が安いRPGみたいに、○○の謎を解くためには○○をゲットする必要があり、○○をゲットするためには○○を見つけ出さなければならないというアクロバティックな展開になっていて、途中から「この人たちは何を右往左右しているのか」とワケが分からなくなる始末。
 無意味などんでん返しを多用するせいで逆にどうでもよくなる『ワイルドシングス』現象が起きているのもイタいです。しかもバタバタ大暴れしたのに何も解決しない、単なる時間の無駄遣いにしかなっていないことには呆れるしかありません。
 そして「フォースの覚醒」で魅力的だった主要人物3人衆はどんどん平凡なキャラになっていき、話の内容も旧作の辻褄合わせに終始する羽目に。オリジナル・トリロジーや「フォースの覚醒」にあった開放感、前向きな雰囲気や物語進行はきれいさっぱりなくなってしまいました。
 というか、「スカイウォーカーの夜明け」の苦し紛れな設定のせいで、9作品を通してパンパティーン皇帝の奮闘記になってしまってますよね。

 もうお分かりだと思いますが、僕のシークエル・トリロジーの評価は、完全な失敗です。ファイナルアンサーで結構です!
 しかもただ失敗しただけでなく、オリジナル・トリロジーの意味合いを変えてしまったことが罪深い。
 唯一功績を挙げるとすれば、これまでケチョンケチョンにいわれていたプリクエル・トリロジーが「シークエル・トリロジーに比べたら全然マシ!」と、再評価(という言葉が適当かどうかは分かりませんが)のきっかけをつくったことくらいでしょうか。
 僕、「ファントム・メナス」と「シスの復讐」は嫌いじゃないんですよね。むしろ「シスの復讐」は結構好きです。

 ディズニーによるとスターウォーズ・シリーズはこれからも続くようで、懲りずにお付き合いすることになると思いますが、完全に別物として扱わせていただこうかなと思っています。
 う〜ん、こうやって書いているうちに、また怒りが沸々と湧いてきました・・・・。
 冒頭で腹立ちは時間が解決してくれると書きましが、訂正します。

 シークエル・トリロジーは、単なる蛇足やないか〜ッ!!

posted by ichio
2020.10.24

天才の仕業にふれる喜び

201023 『ダークナイト』以来、ちょっとずつこちらの期待値を下回る作品をつくりつづけているクリストファー・ノーラン。
 「もう、おうち鑑賞でいいかな」と思いながらも、新作が公開されるとついつい劇場に足を運んでしまう状態がつづいています。
 考えてみると、彼の作品で手放しに好きといえるのは『バットマン・ビギンズ』と『ダークナイト』(がんばって『インターステラー』)くらいで、後は観終わった後に何かモヤモヤするんですよね。
 そんなテンションにもかかわらず、話題に釣られて『テネット』を観るために映画館へ。彼の“ゴキブリホイホイ力”は当代随一といえるでしょう。

 感想を申し上げますと、今作はほとんど期待していなかった分、それなりに楽しめました。時間が逆行するアクションシーンは絶妙に気持ち悪くてインパクト大。CGに頼らないIMAXカメラによる映像も有無をいわせない迫力です。(パズルの答え合わせ的なつくりは興味をそそられません)
 が、それでもやっぱり中盤以降の鈍重な展開や、アクションシーンで登場人物の位置関係を観客に理解させる空間掌握力など、彼のウィークポイントは相変わらず。特に空間掌握力は結構重症で、誰がどこにいるのかが分からないため、せっかく派手に動きまわってもらってもハラハラしない。それどころか、「これ、どんなってるんスか?」とフラストレーションを感じてしまうんです。この点に関しては、『CASSHERN』を撮った紀里谷監督と共通するような・・・・。

 これに比べるとマーベル作品はすごくうまい。あれだけ多くのキャラクターが暴れまくっているのに、まったく混乱しません。ノーラン監督と同じく『ユージュアル・サスペクツ』以降、微妙な作品を撮りつづけているブライアン・シンガーでさえ、『X-MEN:フューチャー&パスト』における序盤のアクションシーンではちゃんとしてました。
 偉そうに文句ばっかり並べてますが、新作が公開されたらまた劇場に行っちゃうんでしょうね。

 今回取り上げたかったのは『テネット』ではなく、『メイキング・オブ・モータウン』というドキュメンタリー映画でした。
 60年代〜70年代にかけて尋常じゃないクオリティの名曲を連発し、数々の天才ミュージシャンを世に送りたした「モータウン」というアメリカのレコード・レーベルの歴史を紐解く内容なんですが、コレがよく出来ていて滅法おもしろいんです。

 まず、当たり前ですが、作中に流れる音楽が素晴らし過ぎる! 特に洋楽に詳しくない人でも一度は聴いたことのあるメロディが、「これでもか!」という勢いで鼓膜と心を揺さぶるんです。これだけで涙がツーッと流れ落ちます。サウンドもリマスタリングされ、クリアかつ迫力ある音になっていてグッドです。
 それにしても、普通の住宅をオフィス兼スタジオに改造した地方都市デトロイト発のレーベルに、スモーキー・ロビンソン、マーヴィン・ゲイ、スティービー・ワンダー、マイケル・ジャクソンといったド級の天才が所属していたというのは奇跡としかいえません。

 しかし、レーベルの創設者であるベリー・ゴーディにしてみれば、それは偶然ではなく必然。
 彼は若い頃に働いていた自動車工場の徹底的に管理された生産システムを、音楽業界に導入するという新しいビジネスモデルをつくったんです。このビジネスモデルは、ジャニーズやK-POPなどのベースになっています。
 ちなみにデトロイトは自動車製造を主要産業とする街で、「モータウン」というレーベル名は“モータータウン”からきています。

 才能発掘、楽曲制作、品質管理、タレントのプロデュースなどをシームレスに行う方法は、音楽業界だけでなくどんな世界でも参考になること間違いなし。僕も仕事でこのシステムを取り入れて、できる限り厳しく自己管理しようと思っているのですが、もう一人の自分にとことんダメ出しされるともう逃げ道がなくなるのでペンディングしています。

 そして、最大の見所は何といっても、ベリー・ゴーディと、彼の相棒であり会社の副社長でもあったスモーキー・ロビンソンとのわちゃわちゃ感全開のトーク。とにかく楽しそうで元気。歯の白さも新庄超えレベル! とても90歳と80歳のおじいちゃんには見えません。
 ラストに当時の関係者が嫌がる“ある”歌を、二人で嬉々として歌うシーンは最高です。
 自分の功績を振り返るということで、影の部分は軽くふれる程度ですが、なかったことにしていないところに好感が持てます。

 編集も凝っていて飽きさせないつくりになっているので、「何かおもしろい映画やってないかな」という人は、ぜひ映画館まで足を運んでください。

posted by ichio
2020.10.09

F1の実は・・・

201009 F1に興味のない方(=日本国民の大半)にとってはどうでもよいことなんですが、F1好きにとって2020年はメモリアルイヤーであることを一応お知らせしておきます。
 ひとつは、世界選手権となって70周年であること。それまでイギリスを中心に単発的に開催されていたレースが、70年前に世界各国を転戦するシリーズになったのです。
 そしてもうひとつが、ミハエル・シューマッハが保持する最多勝利数記録91勝を更新し、最多ドライバーズタイトル獲得数7回に並ぶ大記録がほぼ間違いなく生まれること。
 自分が生きているうちには絶対に破られることはないと思っていた不滅の記録が、シューマッハのすぐ後の時代を担うルイス・ハミルトンによって打ち破られることに驚きを感じます。
 その背景には、年間のレース数が増えたことや、ハミルトンが所属するメルセデスのマシンが圧倒的に強いという事情もあるのですが、それでもこの記録がとんでもないことに変わりはありません。

 がしかし! 実は、F1にはハミルトンよりも多く優勝し、タイトルを獲得している人物がいるのです。
 それは、エイドリアン・ニューウェイというカーデザイナー。
 1980年代後半以来彼が携わったマシンは、現時点で156勝、コンストラクターズタイトル10回を獲得。
 他の優れたデザイナーがこの数字に遠く及ばないのは当然ながら、30年に渡って第一線で活躍していること自体が驚異といえます。

 そんな現役バリバリのレジェンドの自伝『エイドリアン・ニューウェイ HOW TO BUILD A CAR』が滅法おもしろい。税込み5000円オーバーと恐ろしく高価で、買う時にのどがカラカラになりましたが、それだけの値打ちはありました。

 彼は「空力の鬼才」と呼ばれ 、空気力学をF1マシンの設計にいち早く取り入れたことで知られています。
 本のタイトルに“HOW TO BUILD A CAR”なんて言葉が使われていますが、空力をはじめ技術的なことにはあまり触れず、世界最速のマシンをつくるために求められるアプローチや組織づくり、スタッフやドライバーとのコミュニケーション方法に重点が置かれています。
 ですのでF1ファンだけでなく、「F1なんてけったいな形をしたクルマが同じところをクルクル回っているだけ」と思っている、ごくごくノーマルで常識的なビジネスパーソンにとってもためになる内容になっています。

 ただ一般的なビジネス書やアスリートの自伝と大きく異るのは、舞台となるF1が0.1秒速く走るためだけに年間何百億円もかける狂った世界であること。
 そんなカオスに自ら身を投じる人間は、当然のことながら常識という杓子では計ることのできない人ばかり。タイトル獲得というただひとつの目標を達成するために、頭の中のある部分のネジを緩めている人たちが繰り広げるドラマは読んでいて飽きません。
 僕のF1ブログでホンダのF1参戦終了についてつらつら書かせてもらいましたが、結局のところ勤め人集団のホンダと、レースに人生を懸けている変態集団であるライバルでは、頭の根本的な構造が違う気がします。

 この本を読む限りニューウェイさんはユーモアがあり、至極まっとうな人という印象を受けますが、いやいやどうして、かなりの曲者です。そうでないと30年もこの世界で生き抜くことはできません。
 その辺りは『GP CAR STORY Special Edition 2020〜エイドリアン ・ ニューウェイ』というムック本を読むと、彼と一緒に仕事をしていた人たちの証言から彼の普通でないところが垣間見えて、おもしろさ倍増です。

 ちなみにニューウェイさんは、世界最高峰のマシンを設計しているにもかかわらずCADが苦手で、いまだに手描きでデザインを起こしています。学校の勉強も得意でなかったとのこと。
 また革新的なアイデアが浮かぶのは、移動中などホゲ〜としている時間だそうです。
 こういうのを聞くと、ちょっとヤル気が出ます。

posted by ichio
2020.09.27

名刑事の名裁き

8200927 知り合いと話をする際、配偶者のことを何といいますか。
 男性なら嫁さん・奥さん・女房・家内、女性なら夫・主人・旦那・パパといったところでしょうか。
 でもまぁ、これは話す相手との関係性や、話の内容、ノリで変わってきますね。

 「いやぁ、うちのかみさんがね」 
 この人は、今となっては珍しい“かみさん派”です。
 “この人”が誰だかすぐに分かった人の大半は、40オーバーのおじさんでしょう。
 正解は、刑事コロンボ。ロサンゼルス市警察殺人課の警部。正確には主に1960年代後半から1970年代後半にかけてアメリカで制作された、サスペンスドラマの主人公です。
 ズングリした体型で髪の毛はボサボサ、くたびれたコートを着て、いつも安物の葉巻をくわえている中年刑事といえば、「あぁアレね」となるんじゃないでしようか。
 日本では最初NHKで放送されたのですが、僕はその後の「水曜ロードショー〜金曜ロードショー」で見ていました。

 ドラマの内容はパターンが決まっていて、出だしに犯人が殺人を犯し、コロンボが完全犯罪を切り崩すというもの。視聴者は最初から犯人が誰か分かっていて、コロンボが犯人を追い込んでいく様を追うのがキモになっています。
 先ほどの「いやぁ、うちのかみさんがね」 というのはコロンボの口癖で、犯人(大半は社会的地位の高い人物)に根掘り葉掘り質問するイントロになっているでんです。

 YouTubeで偶然、米粒写経と映画評論家の松﨑健夫氏の『刑事コロンボ』をテーマにしたトークイベントを観たのをきっかけに、コロンボ熱が上昇。アマゾンでDVDセットをポチッてしまいました。
 
 かなり久々に観たけれど、やっぱりおもしろい。
 「初対面の時から犯人と疑ってないか?」「そんな落とし方じゃ裁判で負けるでしょ」といったツッコミは不要。そんなことは重要ではありません。
 一見冴えないコロンボが、高い知能と地位、プライドを持った犯人に小馬鹿にされながらもネチネチ、ジワジワと追い込んでいく過程を見て、最後に「ざま〜!」「お見事!」と膝を叩くのが醍醐味なんです。要するに、映画ライター、ギンティ小林氏命名「ナメてた相手が実は殺人マシーンでした映画」の敏腕刑事版。
 
 改めて観直すと、コロンボの「もうひとつ訊きたいことを忘れてました」攻撃のしつこさと、意外に中盤の段階で「あんたが犯人だとにらんでいる」と挑発する押しの強さにビックリ。
 あと、犯人を自白に追い込む罠は、「性格が悪いんじゃないの」「謎解きを楽しんでるんじゃないか」疑惑が湧いてきます。

 普通ならツッコミどころ満載な話をおもしろくしているのは、まず脚本のクオリティの高さ。単にトリックが巧妙というだけでなく、犯人と被害者の関係性やその背後にある生活、はたまた犯人とコロンボの関係性がきちんと描けている。
 そして脚本に説得力を持たせる、主演のピーター・フォークとゲスト俳優の演技も忘れてはいけません。ピーター・フォークは『カリフォルニア・ドールズ』でもいい味出してました。いい役者さんです。吹き替えの小池朝雄さんもサイコー。

 ちなみに僕のフェイバリットの話は、「別れのワイン」で決まりです。
 

posted by ichio