KITSCH PAPER

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2020.03.03

ブラックミュージック・ラビリンス

200304完全に魔宮に迷い込んでしまいました。当分抜け出せそうにありません。
ここ数年ブラックミュージックをつまみ食い程度にいろいろ聴き漁ってきて、いよいよ70年代後半〜80年代前半のディスコの息がかかったファンク、ソウルに漂着。具体的な名前を挙げると、ブラザーズ・ジョンソンや映画『ゴースト・バスターズ』でお馴染みのレイ・パーカー・ジュニア、MCハマーのヒット曲「ユー・キャント・タッチ・ディス」のサンプリングネタを作ったリック・ジェイムスといった方々です。ジャケットを見ても分かるように、みなさん派手といいますが、チャラいといいますか、夜の街で会ったら注意が必要なヤニコいオーラが漂っています。
実際にリック・ジェイムスはかなりブッ飛んだ人で、晩年はドラッグでボロボロに・・・。またリック兄貴は、MCハマーが「ユー・キャント・タッチ・ディス」で自分のフレーズを無断で使用したことを訴え、多額の賠償金をゲット。この判例によってサンプリングのあり方がガラッと変わったという、ある意味音楽の歴史を変えた人でもあります。

先ほど名前を上げた御大たちのレコードは今の流行りからかけ離れているせいか、ワゴンに放り出されて500円くらいで叩き売られている状態。しかし、音楽がつまらないのかというと決してそんなことはありません。ぞんざいな取り扱われ方やチープなビジュアルイメージを除去して聴くと、一撃で彼らが才能あふれるミュージシャンで、素晴らしい音楽を生み出していたことが分かります。確かに今聴くとダサい音色が混じっていたりしますが、それは「一周まわって新しい」と、こちらで忖度してあげましょう。
特に僕はブラザーズ・ジョンソンにグッときています。軽やかで切れ味のあるギターカッティングと独特のうねりのあるチョッパーベース、そしてタイトな人力ドラム。自宅で彼らのご機嫌な曲を流しながら、微妙にズレたステップを踏んでいます。

またブラザーズ・ジョンソンからの流れで、ジャクソンズやチャカ・カーンの素晴らしさにも開眼。中学生の時、録画した音楽番組で彼らのプロモーションビデオが流れるとすぐさま早送りしていたことを思うと、ずいぶん遠くに来たものだと感じます。

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2020.01.17

建物がまとう魔力は人がつくる

200117秋口から続いていた忙しさも、年が明けてようやく落ち着いてきました。先日、仕事で高知に行った際も時間と気持ちに余裕があったため、泊まって観光を楽しむことができました。真っ先に訪れたのは、「土佐の九龍城」、「日本のサグラダファミリア」といわれる沢田マンション(通称「沢マン」)。沢田マンションは、専門的なスキルを持たない大家さん夫婦が自ら建てた、地上5階地下1階の鉄筋コンクリート建築物。つまり近年流行っているDIYの元祖であり究極型です。建物は、大家さんの直感(あるいは斜め上からの啓示)による自由過ぎる増築が繰り返されてきたため迷路状態に。しかも各部屋からにじみ出ている古参住人のオーラが凄い。一人で探索していると空間や時間の感覚だけでなく、こちらの価値観までねじ曲がっていくような感覚になります。

そんなアメージングな体験をして思い出したのが、『HOME Portraits Hakka』(中村治)という写真集。どえらい存在感のある、おばあさんの顔の表紙を開いてまず引きつけられるのが、客家(はっか)という中国の移民が暮らす、福建土楼と呼ばれる集合住宅。外界を拒むようにそびえ立つ外壁をくぐると、何百年も前にタイムスリップしたような、それでいて単にレトロという言葉では片付けられない、こちらの感覚をねじ曲げる磁力をもった空間が広がっています。まさに沢田マンションの熟成版といった感じ。
しかし、ページをめくっていくと、この写真集の主役は建物ではなく、そこに住む人であることが分かります。ほとんどがおじいさん、おばあさんで、味わい深過ぎる顔をしている。みなさんレンズを見ているのに、その先のずっと遠くを見つめている感じなんです。その瞳には、その人のこれまでの人生だけでなく、土楼という閉ざされた空間で暮らしてきた人たちの生活や、脈々と続く生命のサイクルが映し出されているように感じます。
写真家の中村さんはあるインタビューで、建物を撮っても観光写真のようになってしまうため、そこで暮らし続けている人に焦点を当てることにしたと語っています。おそらく中村さんは客家の人たちの瞳を直視して、『2001年 宇宙の旅』のラストのようなトリップ感を体感したんじゃないでしょうか。
『HOME Portraits Hakka』に収められている写真は、すべて土壁に反射した黄色い光に覆われています。それはあとがきに記されている通り、魔術的な雰囲気を醸し出していて、まるで土楼の中の小さな世界が幻であるかのように思えてきます。

現在、福建土楼は世界遺産に登録されて観光地化が進み、多くの人は近くの現代的な家で暮らしているとのこと。中村さんが10年ぶりに訪れたところ、みなさんライフスタイルが変わって若返って見えたものの、撮影当時に感じた得体の知れない生命力は消えていたそうです。建物も住む人がいなくなるにつれ、磁力を失うでしょう。
そこでがんばってほしいのが、沢田マンション。福建土楼や九龍城、軍艦島を受け継ぐ“生きたラビリンス”として、歴史を重ねていってくれることを願います。

posted by ichio
2019.10.20

悪の根拠

191020『ジョーカー』観ました。評判通り、おもしろい。ホアキン・フェニックスの演技をはじめ、キャストとスタッフの気合いがビンビン伝わってくる快作でした。
ただ、こういうことを言うと身も蓋もないのかもしれませんが、本作のような悪役の“ビギニングもの”を観ると、作品の善し悪しとは関係のないところでガッカリしてしまうんです。あれだけ怖かった怪物(悪)の底が知れてしまうというか、説明がついてしまうことに。勝手にイメージを膨らませていた余白を、「正解はコレです」と塗りつぶされるような気分になるんです。
その最たる例が、ハンニバル・レクター博士。『羊たちの沈黙』では、常人の善悪の観念を超えたところで動く初老の天才に得体の知れない怖さを感じたのに、シリーズ作を重ねる毎にただの壊れたインテリ男になっていったレクター先生。そしてビギニングにあたる『ハンニバル・ライジング』では彼が狂ったエピソードが明かされ、「それじゃあ、並の犯罪者と同じじゃないの」と失望しました。
『ジョーカー』も同じパターン。映画の前半では後にジョーカーになる青年アーサーが壊れていく様を丁寧に描いています。でも、丁寧に描かれれば描かれるほど、彼の狂気に理由があることが分かってシラケてしまうんですよね。それに、今回のアーサーが経験することって確かに悲惨ではありますが、多かれ少なかれ誰でもそういう目に遭ってますよね。だから、「アーサーよ、しっかりしろ!」という説教じみた感情が湧いてくる。そうなると、歯がゆさや物悲しさは感じるけれど、恐怖は感じません。
当然ながら、こうしたジレンマは僕の勝手な思い込みと作品の方向性がマッチしていないだけの話で、『ジョーカー』は何も悪くありません。もっともこの作品は、こうしたツッコミをいなす作りにはなっています。

同じように一人の平凡な男が堕ちていく様を描いた『ドッグマン』は、“ビギニングもの”のノイズがないので手放しで楽しめました。正確には、「手放しでブルーな気分になりました」です。
主人公のドッグサロンを営む中年男マルチェロは、ささやかな幸せのために慎ましやかに生きようとしているだけなのに、何か自分で判断しなければならなくなった時、すべて間違った選択をしてしまう。アホやなぁと呆れつつも、「いや、人のことは笑えないぞ」と怖くなってくるんです。自分の弱い面がジワジワと浮き彫りになってくる感じといいましょうか。
だから、この作品の場合は『ジョーカー』とは反対に、堕ちていく過程が分かれば分かるほど怖くなっていきます。映画の予告では「不条理」という言葉が使われていましたが、僕には条理の果ての物語に思えました。こんな話を淡々としたトーンで描ききったマッテオ・ガローネ監督に脱帽です。マルチェロを演じてカンヌ映画祭で主演男優賞を獲ったマルチェロ・フォンデさんの、どこまでが素で、どこからが演技なのか分からない“なりきりぶり”も凄いです。

余談ですが、『ジョーカー』も『ドッグマン』も、町が重要な役割を果たしています。かたや誰もが知る悪名高きゴッサム・シティ。かたやイタリアのさびれた海辺のまち。特に海辺のまちは、とてもイタリアとは思えない、暗くてジメジメした雰囲気でインパクトあります。実際はナポリから40キロほど離れたところにあるコッポラ村というところだそうで、同監督が撮った『剥製師』と『ゴモラ』でも撮影をしているそうです。

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2019.09.21

新しい時代の予感

190921おそらくほとんどの人にとっては、ちょっと前にヤン坊マー坊がデザインリニューアルされたことよりどうでもいいことだと思われるF1。(ちなみに新しく生まれ変わった8代目ヤン坊マー坊は、何とCG化されたデジヤン&デジマーに!)
話を戻すと、F1は自動車レース最高峰の世界選手権でありながら日本では数年前に地上波から姿を消し、日本人ドライバーも現れないことから、今や多くの人にとっては存在しないも同然の状態。いま思うと、「ガソリン撒き散らして同じところをグルグル回っているだけ」と嫌味を言ってもらえるだけでもありがたいことでした。F1の名誉のためにいっておくと、世界的にみればファン離れが危ぶまれるなかでも「世界三大スポーツイベント」のひとつとして、オリンピック、サッカーワールドカップに次ぐ三番目の席を、ラグビーワールドカップ、ツール・ド・フランスと争うくらいの人気とスケールを誇っています。

一見さんにとってはとっつきにくいF1ですが、だまされたと思って一度観てください。地上波では放送していないので、DAZNかスカパーに加入するか、現地に足を運ぶかしか方法はありませんが・・・。
そこまで推すのはワケがあります。それは今、若い世代が新しい時代をつくっていくターニングポイントを迎えているからです。
ここ10年はベッテルとハミルトンという(記録の面では)F1史上に名を残すドライバーが、前半後半5年ずつ支配する状態で、それぞれ圧倒的に強いマシンに乗っていたこともあり、正直退屈でした。しかしここ最近、大きな才能をもった若手が現れ、頭角を現しはじめているのです。
その筆頭が、「翼を授ける」でお馴染みのレッドブルに所属するマックス・フェルスタッペンと、今年名門フェラーリに電撃加入したシャルル・ルクレールという青年。どちらもまだ21歳! 普通なら「そろそろ本気で就活せなヤバいな」と焦りはじめている年齢です。
フェルスタッペンは並外れたスピードとドライビングテクニック、揺るぎない自信の持ち主で、どちらかというとヒール的な存在。こういうと語弊があるので、北の湖的な存在と改めます。一方ルクレールはどえらい才能に加え、日本人好みの甘いマスクも備えた千代の富士的なキャラクター。このキャラクターのコントラストがいいじゃありませんか。

しかもフェルスタッペンが乗るマシンのパワーユニット(エンジン)は、日本が世界に誇るHONDA製。
実はHONDAは2015年に華々しくF1に復帰したものの、浦島太郎状態になっていてなかなか現代F1の技術に対応できず、さらに当時タッグを組んでいたマクラーレンというチームが混迷期に陥っていたことも影響して、期待されていた結果を挙げられずにいました。しかし今年からレッドブルがパートナーとなり、優れたチーム力とフェルスタッペンという才能に助けられながら大躍進。まさにサクセスストーリーはこれからという状態なんです。

さらにフェルスタッペンとルクレールの他にも優秀な若手が出てきているので、ジャニーズJrを応援するように誰がブレイクするかチェックするのも楽しいでしょう。
フェルスタッペン、ルクレールを中心にしたこれからの時代をつくる若武者と、ハミルトン、ベッテルというこれまでの時代を背負ってきた強者が、来シーズン激突することになるのは間違いありません。しかもそれぞれが絶好のタイミングで。今なら間に合います。世界中から集まった天才ドライバー、ごっつ頭のいいデザイナーやエンジニアたちが繰り広げる熱いドラマを目撃しましょう!

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2019.09.15

こんなん聴いたことない!摩訶不思議なボーダレスサウンド

190915なんや、このめくるめく世界は!
こんなトキメキを感じたのは、熟女セクシー女優の矢部寿恵さんに出会った時以来じゃないでしょうか。といっても、そっち方面の話ではなく、音楽の話です。
偶然CSで出くわし、聴いて5秒も経たないうちにノックアウト。あまりに一瞬の出来事でバンドの名前も分からないまま。思いつく限りのキーワードを絞り出して検索したところ、モニタにさっき見た「いつの時代からタイムスリップしてきたん」という、インパクトのあるルックスが現れたではありませんか。
名前はKHRUANGBIN(クルアンビン)。タイ語で飛行機を意味するそうです。2014年にテキサスで結成された3ピースのインストバンドで、ローラ・リー(ベース)、マーク・スピアー(ギター)、D.J.(ドラム)というラインナップ。ちょっと前からコアな音楽ファンの間で話題になっていて、今年のフジロックにも参加していたらしい。単独ライヴもすぐにソールドアウトになるほどの盛り上がりようとのこと。知らんかった・・・。なんか損した気分です。

彼らのサウンドを聴いて真っ先に脳ミソをくすぐられるのが、東南アジア的な旋律。聞こえる音の通り、60〜70年代のタイ・ファンクから強い影響を受けていて、そこにサイケデリック・ガレージやポスト・ロック的な要素を絶妙の塩梅でミックスしています。メロディはレトロでエスニックな雰囲気だけれど、リズムがクエストラヴやクリス・デイヴ以降のグルーヴを叩き出しているところがフレッシュ。ボノボが彼らをフックアップしたのが頷けます。
マーク・スピアーのギターも達者で、演奏技術だけでなくリバーブを駆使した空間づくりがなかなかエグい。東南アジアやメキシコなどの旋律を効果的に使っているものの、単に上っ面だけを拝借するのではなく、カレーメシのようにドロドロになるまで信じて混ぜて、自分流のスタイルに消化しているところが凄い。サウンドのタイプは違いますが、デヴィッド・バーンとブライアン・イーノによる快作(怪作)『ブッシュ・オブ・ゴースト』に近いんじゃないでしょうか。とにかくポール・サイモンの『グライスランド』のシャバシャバ感とは真逆のスタンスです。(僕は全部好きです)
クルアンビンの場合、消化剤になっているのがブルース。エスニック的な要素とブルースフィーリングが等価で混ざり合っていることで唯一無二の音になっている。テキサス出身というルーツが活きていますね。こうして様々な要素が渾然一体となったサウンドはフュージョンにも聞こえるし、アンビエントやエレクトロニカにも聞こえます。そしてとにかく刺激的で、矢部寿恵さんのようにエロいです。
こうした音楽がニューヨークやロンドンではなく、テキサスというローカル都市)から生まれていることも今っぽい気がします。

ということで最近はKHRUANGBINかけまくり。ついでにタイやシンガポールの歌謡曲、フィリピンやトルコのロックなんかも引っ張り出してきて、夢うつつな世界に浸っている状態です。KHRUANGBIN、おすすめしたいのですが、かなり中毒性が高いので注意してください。

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2019.08.22

『離婚伝説』のカオス

190822ちょっと前に幻のアルバム『ユーアー・ザ・マン』が発売されたこともあり、マーヴィン・ゲイ熱が上昇中。好きなミュージシャンって、聴く時期によって刺さるアルバムが変わるものですが、今は『離婚伝説』がキテます。
別に僕がそういう問題を抱えているワケではありません。至って円満ですッ! 
まずタイトルにクラッとくるじゃありませんか。“離婚”という、どちらかといえばマイナスの意味合いのある言葉(人によっては「離婚してハッピー♪」というケースもあると思いますが)と、プラス的な意味合いで使われることの多い“伝説”という言葉が合体することによって生まれる圧倒的な違和感と意味不明感。個人的にはピンク・フロイドの『原子心母』やT.レックスの『電気の武者』レベルのインパクトです。

そしてジャケットデザインもタイトルに負けない、なかなかのインパクト。裸で抱き合う石像をバックに、ゲイさん(とってもバリバリの女好きです)もギリシャ彫刻になってポーズをキメている。カッコ良くもなければ味もない、かなりマヌケなデザインです。黒光りしているさまは、男としてギンギン状態であることを表すメタファーでしょうか。どっちにしても、「何、これ?」「何か変やな」と思わせるオーラが充満しています。

さきほど“意味不明”と書きましたが、『離婚伝説』というタイトルには深〜い意味があるのは有名。このアルバムの原題は『Here, My Dear』。“愛する人よ”が、なぜ真逆の意味合いになるのか・・・。
当時ゲイさんは、浮気がもとで奥さんとうまくいっていませんでした。この奥さんというのが、ブラックミュージックの名門レーベルであり、ゲイさん自身も所属していたモータウン・レコードの社長であるベリー・ゴーディ・ジュニアの姉、アンナ・ゴーディさん。ちなみに17歳年上の姉さん女房です。
アンナさんはゲイさんの度重なる浮気に目をつぶっていたものの、17歳年下の女性との関係にはブチキレ、離婚することに。当然ながらその際モメにモメて、ゲイさんは財産の大半を失い、さらに慰謝料として新作を作ってその印税をアンナさんに支払うことになりました。それが、『離婚伝説』というワケです。
この背景を知ると、原題の『Here, My Dear』がどれだけ嫌味かおわかりいただけるでしょう。つけ加えると、前作の『アイ・ウォント・ユー』というタイトルは離婚の原因になった浮気相手に捧げられたもの。そして先ほど触れた『離婚伝説』のジャケットデザインは、アンナさんとの離婚裁判を表していて、“強欲女にいじめられている可哀想なオレ”をアピっています。
しかも歌詞は全編に渡って嫌味や恨み節、生々しい暴露が綴られています。はっきり言って「おっさん、何しとんねん!」です。

でも、困ったことに音楽はいいんです。スキャンダルもあり発売当時から長らく駄作のレッテルを貼られてきましたが、個人的には『ホワッツ・ゴーイング・オン』に次ぐ傑作だと思っています。少なくともスルーするのは勿体な過ぎる作品です。
どこがそんなに良いのかというと、『ホワッツ・ゴーイング・オン』『レッツ・ゲット・イット・オン』で開花したメロディメイカーとしての才能と、『アイ・ウォント・ユー』でモノにしたボーカルの多重録音技術が絶妙の塩梅でミックスされているところ。そして、バックメンバーは黄金期のラインナップではないものの手堅い演奏。こうした要素が合わさって、曲単位だけでなくアルバム全体を通してファンクネスとクールネスが同居する唯一無二のサウンドが完成したといえるでしょう。
ゲイさん自身も手応えを感じたのか、本来ならテキトーに作ってさっさと元奥さんへの義務を果たせばいいのに、2枚組の大作を作ってしまいました。こうした矛盾を抱えているところにも不思議と惹きつけられます。
彼がしたことは今ならSNSで大炎上モノですが、傑作というのはワケのわからないカオスから生まれるのかもしれません。

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2019.07.12

旅先での出会い、本のカバー買い

190712去年の夏に家族で金沢を訪れた際、何気なく入った雑貨店のギャラリースペースで版画家のタダジュンさんの個展が開かれていました。作品はいろいろなところで見たことはあったのですが、作者の名前を知ったのは恥ずかしながらこの時がはじめて。
作品はどれもユーモアと毒っ気があって、すごくイカしてます。欲しい・・・・でも値段が・・・・・・・・。一人では決心がつかないので奥さんの様子をうかがったところ「いいやん」と許可をいただき、購入に向けてズズズンっ!と前進。しかし僕はCD1枚買うのに何ヶ月も思案する小心者です。OKが出たからといってすぐに何万もする大物を「これ、ください」と言えるワケがありません。想像しただけで喉がカラカラになってくる。さらに奥さんがOKを出したのは、自分も欲しいもの(それも版画と同等かそれ以上の大物!)をゲットするための策略じゃないかと、疑心暗鬼になる始末。
これはいかんということで、一度頭を冷やして冷静に判断するため、近くにある本屋さんへ。すると、その本屋さんにタダジュンさんの作品が飾られているではありませんか。お店の人に話しかけると、その方はタダジュンさんのファンで、少しずつコレクションしているのだとか。この話を聞いて、作品の魅力だけでなく、好きな作家の作品を所有して楽しむという行為にもウットリする。
これは“買い”だな。気合いを入れてギャラリーに再突入したのですが値札を前にしておじけづき、結局逃げて帰りました。

それから1年経ちますが、ちょこちょこその時のことを思い出し、「買っておいたらよかった」と思ってしまうこの頃です。
そんな後悔を少しでも晴らすため、最近タダジュンさんが装画を担当した本を集めはじめました。レコードの“ジャケ買い”ならぬ本の“カバー買い”。まだ買いだして間もないのですが、タダジュンさんは結構たくさん装画を手がけられていて、どの本もおもしろいんです。僕が読んだなかでは、ポルトガルの作家 ジョゼ・ルイス・ペイショットが書いた『ガルヴェイアスの犬』と、ドイツの作家で弁護士でもあるフェルディナント・フォン・シーラッハの『犯罪』という小説が良かった。特に『ガルヴェイアスの犬』は“へんぴな村にU.F.O.が墜落した”というキッチュな設定で、どこにでもいる人たちのしょうもない出来事を通して人生の機微を浮かび上がらせる、僕の大好物な作風。ヒトってどこまでもアホで不器用で愚かだけれど、愛おしい。そう思える作品です。
小説と音楽、フィールドは違いますがU.F.Oつながりということで、僕の頭の中では1940~50年代のロサンゼルスにあったチカーノ・コミュニティを題材にしたライ・クーダーの大傑作『チャベス・ラヴィーン』と重なっていたりします。

当たり前のことですが、こうしてカバー買いを楽しんでいても、本物の版画とブックカバーはまったくの別物で、僕の欲求が満たされることはありません。むしろ版画欲しい熱はさらに熱くなっています。
でも、今後作品を手に入れたとしても、金沢で買っていたら感じたであろうワクワク感は味わえないでしょう。やっぱり旅先での出会いは大切にしないといけませんね。

posted by ichio
2019.06.03

トム・ミッシュ 大阪公演

1906035月29日に行われたトム・ミッシュの大阪公演に行ってきました。
いや〜、期待通り良かった! 仕事を無理やり中断して大阪まで出た甲斐がありました。
トム・ミッシュは最近いろいろなところで紹介されたり、星野源さんが注目していたりすることもあるせいか、会場は20代らしきの若人を中心に満員。
彼のライヴは去年のサマーソニックで体験し、パフォーマンス力の高さは折り紙付きでしたが、その時よりも今回の方が骨太で、曲によってはヘビーなサウンドになっていた印象。バンドメンバーが替わっていたことも影響しているのかもしれません。特にベースのお姉さん、凄い音出してました。
ヘビーといってもデビューアルバム『ジオグラフィー』をはじめ彼のこれまでの曲の大きな魅力である清涼感はそのままで、気持ちいいグルーヴをつくりだしていました。20代半ばでソウル、ファンク、ジャズ、ヒップホップなど幅広い音楽を“丁度いい”塩梅にミックスしながら、トム・ミッシュ印の音楽に仕上げるセンスと技量に脱帽です。

ライヴ構成は中盤にスローな曲を集めるなど、全体的に程よく落ち着いた雰囲気。お酒を飲みながら観ることができればサイコーでした。
また、あまりにセンスが良すぎて、見事にコントロールされた演奏を当たり前のように聴かされると、「若いんだから、もっとはっちゃけてもいいんじゃないの?」という、いちゃもんに近い感想も湧いてきたりします。これは5Aのおいしいステーキを食べている最中に「どて焼きも食べたなってきた」とほざくような野暮なのかもしれません。
でも、『ジオグラフィー』ですでに完成されていたスタイルをこれからどう発展させていくのか早く2枚目のアルバムで確かめたいという期待感は、この日会場に足を運んだすべての人に共通する思いでしょう。

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2019.05.27

経年

190528五十代の大台が目前に迫ってきて、体のいろんなところが変化している今日この頃です。目は随分前から老眼が入り、文庫本を読むのがつらくなってきたし、スマホを見る時も「どんだけ離すねん」と笑われるほどの距離でないとピントが合いません。こうした変化を劣化と捉えると哀しくなるので、フリーザが形態を変えるように進化の過程だと捉えています。
体重増加も進化のひとつ。この数年お腹まわりがモッサリしてきたなとは思っていたものの、軽い筋トレ以外これといった対処もすることなくスルーしていました。そしてゴールデンウィークに約1年ぶりに体重計に乗ってみたら、生まれてこのかた見たことのない数値を指し示しているではありませんか! さすがにこれはいかん!ということで、筋トレ強化(といってもヌルいですが)とダイエットを決行。
いきなりハードなダイエットをしても長続きしないので、晩ごはんの白米の量を減らし、夜におかしを食べないくらいにとどめています。
お腹まわりをスッキリさせるために、体重を減らすのと同時に何か良い方法はないかと考えたところ、いいのを思いつきました。
そう、デューク更家さんです。両手を伸ばして頭の上で合わせて、シュッシュ言いながらクネクネ歩くやつです。これならいちいち「よっしゃ、筋トレするぞ!」とはりきる必要もなく、気軽にできる。というとで、家や仕事場で移動する時はシュッシュ言うてます。この前、仕事場でトイレに行く時にシュッシュ歩きをしていたら、お隣のテナントの綺麗なマダムに出くわして、かなり怪しい目で見られて気持ちよかったです。

毎日シュッシュ歩きをしているうちに、「このカッコ、どこかで見たような・・・」という、出てきそうで出てこない気色悪い感じに悩まされるように。気持ち悪いのでいっそのことシュッシュ歩きをやめてしまおうかと思いはじめた時、ローリング・ストーンズの『ヴードゥー・ラウンジ』のジャケット(右上)であることが判明。デューク更家さん、ストーンズのメンバー、どちらが影響を受けたのかはわかりませんが、ソックリです。

これがきっかけで久々にストーンズの曲を聴いていると、自分にとってのストーンズの最新作は1989年の『スティール・ホイールズ』ということに気がつきました。つまり、90年代以降のストーンズの曲はほぼ聴いたことがないということです。もちろん1994年に発表された『ヴードゥー・ラウンジ』も未聴。そこそこ慣れ親しんでいたバンドの新曲に30年近く接していないという事実に驚愕し、慌てて最近使い始めたSpotifyで『ヴードゥー・ラウンジ』を聴く。
・・・・・う〜ん、Spotify無料版の音質のせいなのか、自分の今の気分に合っていないせいなのかはわかりませんが、グッと来ない。もう少しねかせておく必要があるようです。
ということで、しばらくはデューク更家さんの方にお世話になります。
ダイエットは目標3.5キロ減で、現在2キロ減です。

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2019.03.28

素晴らしきかな人生

190328
「しょうもない人生ぇぇぇッ!!」

霜降り明星 粗品さんがツッコむ、「このマメ、デカっ」「関節鳴らへん」「この道に出てくるんやぁ」ということがトピックスになる、ペナペナに薄っぺらい人生をリアルに送っています。
もう、かれこれ50年近く生きているのですが、まったくといっていいほど威厳や貫禄がないことに、自分でもビックリします。先日、ある仕事で高校時代のクラスメイトに偶然出会ったら、当たり前ですが、向こうは普通に年相応の大人になっていました。

何となく脳裏をかすめていたけれども見て見ぬふりをしていた、自分は薄っぺらな人生を送っているのではないかという思い。それを突きつけてきよったのが、『国宝』(吉田修一)という小説。
ヤクザの親分の息子として生まれ育ったものの、運命のあやで歌舞伎の世界に入り、さまざまな試練を乗り越えながら、ひたすら芸を磨き、頂点を極める男の一生を描いた大河小説です。
次から次に予期せぬ出来事が主人公の喜久雄に降りかかるのですが、喜久雄は逃げずに真正面からぶつかり、すべてを芸の肥やしにしてステップアップしていくという、僕とは真逆の人生を歩むため、途中から読んでいて気恥ずかしくなってきます。
いつもなら、「こんなヤツ、おらんやろう」と開き直ったり、「不幸のドン底に堕ちればいいのに」と妬みにかられたりするのですが、今回に限っては素直に喜久雄を応援するばかりか、喜久雄とともに涙することも。
僕を良い人にしてくれたのは、喜久雄をはじめ、彼を取り巻く人たちが魅力的だから。一般常識に当てはめたら完全にアウトサイダーで、SNSで叩かれまくるようなことをする人たちなのですが、人としてどうにもこうにも魅力があるんですよね。最近はこういう人が生きにくい世の中なので、せめて物語のなかだけでものびのびと生きてほしいものです。
また、作者の吉田修一さんが、歌舞伎という敷居の高い世界を舞台にし、作風も今までにないスタイルにチャレンジしたことが、この作品に勢いと深みを与えているように感じます。チャレンジする姿勢が登場人物の生き様と重なり合うことで筆がノリ、読む方も感情移入できるのかなと。

ちょっと話は逸れるかもしれませんが、ミュージシャンや俳優が不祥事を起こす度に取り沙汰される、作品に罪があるのか問題。それぞれに意見があると思いますが、個人的には“作品に罪はない”派です。しでかした人が相応のペナルティを受けるのは当然で、現在進行形の公演やCMに影響を及ぼすのも仕方ないと思います。でも、過去の作品までをないものにしてしまうことには、かなりコワイものを感じます。大体、美術館で飾られている芸術といわれている作品を生み出した人の多くはアウトな人だったり、作品自体も不道徳なことが描かれていたりしますよね。こうしたことをすべて“常識”(これ自体もかなり危ういですが)という物差しではかるのはムリがあるように思います。

『国宝』は新聞連載だったせいか、とにかくジェットコースターのような展開で、物語が進むと次第にハプニングのインフレが起こり、終盤はご都合的といいますか、フォレストガンプ的な感じなところもありますが、やたらめったらおもしろいことは間違いありません。そして、デカいバナナウンコが出ただけで嬉しくなる、薄い人生を送る僕にも、生きていること自体が素晴らしいと励ましてくれる、人生賛歌です。

posted by ichio