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2019.07.12

旅先での出会い、本のカバー買い

190712去年の夏に家族で金沢を訪れた際、何気なく入った雑貨店のギャラリースペースで版画家のタダジュンさんの個展が開かれていました。作品はいろいろなところで見たことはあったのですが、作者の名前を知ったのは恥ずかしながらこの時がはじめて。
作品はどれもユーモアと毒っ気があって、すごくイカしてます。欲しい・・・・でも値段が・・・・・・・・。一人では決心がつかないので奥さんの様子をうかがったところ「いいやん」と許可をいただき、購入に向けてズズズンっ!と前進。しかし僕はCD1枚買うのに何ヶ月も思案する小心者です。OKが出たからといってすぐに何万もする大物を「これ、ください」と言えるワケがありません。想像しただけで喉がカラカラになってくる。さらに奥さんがOKを出したのは、自分も欲しいもの(それも版画と同等かそれ以上の大物!)をゲットするための策略じゃないかと、疑心暗鬼になる始末。
これはいかんということで、一度頭を冷やして冷静に判断するため、近くにある本屋さんへ。すると、その本屋さんにタダジュンさんの作品が飾られているではありませんか。お店の人に話しかけると、その方はタダジュンさんのファンで、少しずつコレクションしているのだとか。この話を聞いて、作品の魅力だけでなく、好きな作家の作品を所有して楽しむという行為にもウットリする。
これは“買い”だな。気合いを入れてギャラリーに再突入したのですが値札を前にしておじけづき、結局逃げて帰りました。

それから1年経ちますが、ちょこちょこその時のことを思い出し、「買っておいたらよかった」と思ってしまうこの頃です。
そんな後悔を少しでも晴らすため、最近タダジュンさんが装画を担当した本を集めはじめました。レコードの“ジャケ買い”ならぬ本の“カバー買い”。まだ買いだして間もないのですが、タダジュンさんは結構たくさん装画を手がけられていて、どの本もおもしろいんです。僕が読んだなかでは、ポルトガルの作家 ジョゼ・ルイス・ペイショットが書いた『ガルヴェイアスの犬』と、ドイツの作家で弁護士でもあるフェルディナント・フォン・シーラッハの『犯罪』という小説が良かった。特に『ガルヴェイアスの犬』は“へんぴな村にU.F.O.が墜落した”というキッチュな設定で、どこにでもいる人たちのしょうもない出来事を通して人生の機微を浮かび上がらせる、僕の大好物な作風。ヒトってどこまでもアホで不器用で愚かだけれど、愛おしい。そう思える作品です。
小説と音楽、フィールドは違いますがU.F.Oつながりということで、僕の頭の中では1940~50年代のロサンゼルスにあったチカーノ・コミュニティを題材にしたライ・クーダーの大傑作『チャベス・ラヴィーン』と重なっていたりします。

当たり前のことですが、こうしてカバー買いを楽しんでいても、本物の版画とブックカバーはまったくの別物で、僕の欲求が満たされることはありません。むしろ版画欲しい熱はさらに熱くなっています。
でも、今後作品を手に入れたとしても、金沢で買っていたら感じたであろうワクワク感は味わえないでしょう。やっぱり旅先での出会いは大切にしないといけませんね。

posted by ichio
2019.06.03

トム・ミッシュ 大阪公演

1906035月29日に行われたトム・ミッシュの大阪公演に行ってきました。
いや〜、期待通り良かった! 仕事を無理やり中断して大阪まで出た甲斐がありました。
トム・ミッシュは最近いろいろなところで紹介されたり、星野源さんが注目していたりすることもあるせいか、会場は20代らしきの若人を中心に満員。
彼のライヴは去年のサマーソニックで体験し、パフォーマンス力の高さは折り紙付きでしたが、その時よりも今回の方が骨太で、曲によってはヘビーなサウンドになっていた印象。バンドメンバーが替わっていたことも影響しているのかもしれません。特にベースのお姉さん、凄い音出してました。
ヘビーといってもデビューアルバム『ジオグラフィー』をはじめ彼のこれまでの曲の大きな魅力である清涼感はそのままで、気持ちいいグルーヴをつくりだしていました。20代半ばでソウル、ファンク、ジャズ、ヒップホップなど幅広い音楽を“丁度いい”塩梅にミックスしながら、トム・ミッシュ印の音楽に仕上げるセンスと技量に脱帽です。

ライヴ構成は中盤にスローな曲を集めるなど、全体的に程よく落ち着いた雰囲気。お酒を飲みながら観ることができればサイコーでした。
また、あまりにセンスが良すぎて、見事にコントロールされた演奏を当たり前のように聴かされると、「若いんだから、もっとはっちゃけてもいいんじゃないの?」という、いちゃもんに近い感想も湧いてきたりします。これは5Aのおいしいステーキを食べている最中に「どて焼きも食べたなってきた」とほざくような野暮なのかもしれません。
でも、『ジオグラフィー』ですでに完成されていたスタイルをこれからどう発展させていくのか早く2枚目のアルバムで確かめたいという期待感は、この日会場に足を運んだすべての人に共通する思いでしょう。

posted by ichio
2019.05.27

経年

190528五十代の大台が目前に迫ってきて、体のいろんなところが変化している今日この頃です。目は随分前から老眼が入り、文庫本を読むのがつらくなってきたし、スマホを見る時も「どんだけ離すねん」と笑われるほどの距離でないとピントが合いません。こうした変化を劣化と捉えると哀しくなるので、フリーザが形態を変えるように進化の過程だと捉えています。
体重増加も進化のひとつ。この数年お腹まわりがモッサリしてきたなとは思っていたものの、軽い筋トレ以外これといった対処もすることなくスルーしていました。そしてゴールデンウィークに約1年ぶりに体重計に乗ってみたら、生まれてこのかた見たことのない数値を指し示しているではありませんか! さすがにこれはいかん!ということで、筋トレ強化(といってもヌルいですが)とダイエットを決行。
いきなりハードなダイエットをしても長続きしないので、晩ごはんの白米の量を減らし、夜におかしを食べないくらいにとどめています。
お腹まわりをスッキリさせるために、体重を減らすのと同時に何か良い方法はないかと考えたところ、いいのを思いつきました。
そう、デューク更家さんです。両手を伸ばして頭の上で合わせて、シュッシュ言いながらクネクネ歩くやつです。これならいちいち「よっしゃ、筋トレするぞ!」とはりきる必要もなく、気軽にできる。というとで、家や仕事場で移動する時はシュッシュ言うてます。この前、仕事場でトイレに行く時にシュッシュ歩きをしていたら、お隣のテナントの綺麗なマダムに出くわして、かなり怪しい目で見られて気持ちよかったです。

毎日シュッシュ歩きをしているうちに、「このカッコ、どこかで見たような・・・」という、出てきそうで出てこない気色悪い感じに悩まされるように。気持ち悪いのでいっそのことシュッシュ歩きをやめてしまおうかと思いはじめた時、ローリング・ストーンズの『ヴードゥー・ラウンジ』のジャケット(右上)であることが判明。デューク更家さん、ストーンズのメンバー、どちらが影響を受けたのかはわかりませんが、ソックリです。

これがきっかけで久々にストーンズの曲を聴いていると、自分にとってのストーンズの最新作は1989年の『スティール・ホイールズ』ということに気がつきました。つまり、90年代以降のストーンズの曲はほぼ聴いたことがないということです。もちろん1994年に発表された『ヴードゥー・ラウンジ』も未聴。そこそこ慣れ親しんでいたバンドの新曲に30年近く接していないという事実に驚愕し、慌てて最近使い始めたSpotifyで『ヴードゥー・ラウンジ』を聴く。
・・・・・う〜ん、Spotify無料版の音質のせいなのか、自分の今の気分に合っていないせいなのかはわかりませんが、グッと来ない。もう少しねかせておく必要があるようです。
ということで、しばらくはデューク更家さんの方にお世話になります。
ダイエットは目標3.5キロ減で、現在2キロ減です。

posted by ichio
2019.03.28

素晴らしきかな人生

190328
「しょうもない人生ぇぇぇッ!!」

霜降り明星 粗品さんがツッコむ、「このマメ、デカっ」「関節鳴らへん」「この道に出てくるんやぁ」ということがトピックスになる、ペナペナに薄っぺらい人生をリアルに送っています。
もう、かれこれ50年近く生きているのですが、まったくといっていいほど威厳や貫禄がないことに、自分でもビックリします。先日、ある仕事で高校時代のクラスメイトに偶然出会ったら、当たり前ですが、向こうは普通に年相応の大人になっていました。

何となく脳裏をかすめていたけれども見て見ぬふりをしていた、自分は薄っぺらな人生を送っているのではないかという思い。それを突きつけてきよったのが、『国宝』(吉田修一)という小説。
ヤクザの親分の息子として生まれ育ったものの、運命のあやで歌舞伎の世界に入り、さまざまな試練を乗り越えながら、ひたすら芸を磨き、頂点を極める男の一生を描いた大河小説です。
次から次に予期せぬ出来事が主人公の喜久雄に降りかかるのですが、喜久雄は逃げずに真正面からぶつかり、すべてを芸の肥やしにしてステップアップしていくという、僕とは真逆の人生を歩むため、途中から読んでいて気恥ずかしくなってきます。
いつもなら、「こんなヤツ、おらんやろう」と開き直ったり、「不幸のドン底に堕ちればいいのに」と妬みにかられたりするのですが、今回に限っては素直に喜久雄を応援するばかりか、喜久雄とともに涙することも。
僕を良い人にしてくれたのは、喜久雄をはじめ、彼を取り巻く人たちが魅力的だから。一般常識に当てはめたら完全にアウトサイダーで、SNSで叩かれまくるようなことをする人たちなのですが、人としてどうにもこうにも魅力があるんですよね。最近はこういう人が生きにくい世の中なので、せめて物語のなかだけでものびのびと生きてほしいものです。
また、作者の吉田修一さんが、歌舞伎という敷居の高い世界を舞台にし、作風も今までにないスタイルにチャレンジしたことが、この作品に勢いと深みを与えているように感じます。チャレンジする姿勢が登場人物の生き様と重なり合うことで筆がノリ、読む方も感情移入できるのかなと。

ちょっと話は逸れるかもしれませんが、ミュージシャンや俳優が不祥事を起こす度に取り沙汰される、作品に罪があるのか問題。それぞれに意見があると思いますが、個人的には“作品に罪はない”派です。しでかした人が相応のペナルティを受けるのは当然で、現在進行形の公演やCMに影響を及ぼすのも仕方ないと思います。でも、過去の作品までをないものにしてしまうことには、かなりコワイものを感じます。大体、美術館で飾られている芸術といわれている作品を生み出した人の多くはアウトな人だったり、作品自体も不道徳なことが描かれていたりしますよね。こうしたことをすべて“常識”(これ自体もかなり危ういですが)という物差しではかるのはムリがあるように思います。

『国宝』は新聞連載だったせいか、とにかくジェットコースターのような展開で、物語が進むと次第にハプニングのインフレが起こり、終盤はご都合的といいますか、フォレストガンプ的な感じなところもありますが、やたらめったらおもしろいことは間違いありません。そして、デカいバナナウンコが出ただけで嬉しくなる、薄い人生を送る僕にも、生きていること自体が素晴らしいと励ましてくれる、人生賛歌です。

posted by ichio
2019.03.04

色褪せない魅力『Child’s View』

190306天賦の才を持ちながらさまざまな理由でその才能を発揮できず、ひっそりと表舞台から姿を消した人たちを追うドキュメンタリー・バラエティ番組『消えた天才』。積極的にチャンネルを合わせることはないものの、ついていると、ついつい見てしまいます。最初は人並み外れた能力を持つが故の苦労やそれを乗り越えるドラマが垣間見え、興味深く見ていました。(今ではすっかり普通の人になっていた場合は「あたり」、他の世界で成功していた場合は「はずれ」と思ってしまう自分は、心底小さい人間です)
しかし回を重ねるごとにだんだん天才のインフレが起き、「天才というよりも、たまたまその時に調子が良かったんじゃないの?」という疑問が湧いてくるように。ハンカチ王子こと斎藤佑樹さんの回では、大学時代のレギュラーメンバーが全員、一流企業で働いていることが取り上げられていましたが、これって普通に就活の話ですやん!

こうした天才の乱発と同じく、音楽の世界も“傑作のインフレ”を起こしがちです。レビューで「傑作」と褒めちぎっているので買ってみたら、普通よりも良くなくて、「この良さをわからない自分はマズいのでは?」と悩んでしまった経験のある人は少なくないでしょう。限られたお小遣いから身を削る思いでレコードを買っている身としては、プロの音楽ライターさんに言葉の重みをしっかりと自覚して書いてほしいと、声を大にして言いたい。
しかながら、無数の傑作もどきのなかに真の傑作が紛れているのも事実。そのひとつが、竹村延和が1994年に発表した『Child’s View』。当時から傑作といわれていましたが、時が経つほどにその素晴らしさが際立ってくる本物の傑作です。
このアルバムが発売された頃はクラブミュージック花盛りで、ニュージャズのはしりとなる作品や、テクノとヒップホップを合わせたトリップホップといわれる作品が量産されていた時代。そんななか『Child’s View』はクラブミュージックをベースにしながらも、他とはまったく異なる感触の音楽で、かなりの異形感がありました。と同時に、クラブシーンに強い違和感を感じて距離を置いていた、竹村さんらしい作品だと感じたことをおぼえています。
スタイルとしては、プログラミングされたリズムの上にジャズを基調とした生演奏がのっかっているのですが、ボサノバや現代音楽なんかの要素もブレンドされていて、メランコリックで内省的。けれども聴いているうちに気分が晴れる癒し効果もある。傑作といわれる多くの作品と同じく、さまざまな要素が絡み合って強固な世界観をつくりあげています。サウンドも賞味期限が短いリズムをはじめ、まったく古臭くなっていない。ロバート・グラスパーを筆頭とする新しいジャズの流れと比べても現役感バリバリで、唸ってしまいます。

ただ本人は後のインタビューで、ゲスト参加しているD.C.リーではなく、ロバート・ワイアットに歌ってほしかったと語るなど、レコード会社の要望をのんで、自分がつくりたい音楽を100%かたちにできなかった様子。
でも個人的には、外部の意見とぶつかり合ったことで、この作品が生まれたと思っています。彼が思い描いた通りにしていたら、それはそれで良かったのかもしれないけれど、窮屈で聴いていて疲れる音楽になっていた可能性が高かったんじゃないでしょうか。
実際にこの後に発表された竹村延和版『音楽図鑑』ともいえる『こどもと魔法』はそんな雰囲気が出てきているし、2014年にソロ作品として12年ぶりとなるアルバム『Zeitraum』はモロにそんな感じになっています。今振り返ると『Child’s View』は、竹村延和という音楽家を通して時代がつくったアルバムといえるのかもしれません。

『Child’s View』『こどもと魔法』をモノにして、いよいよこれから類い稀な才能を開花させていくと思っていたら、竹村さんは日本の音楽業界に愛想を尽かしてドイツに移住。表舞台に立つことはほとんどなくなりました。まさに“消えた天才”。
そういえばメディアによく出ていた時も、彼のテーマだった“子どもの視点(Child’s View)」について質問するライターに不満げでした。というか、ほぼ怒ってましたね。そこを笑ってやり過ごすキャラだったら、もっと違うキャリアを歩んでいたはずですが、それができない人だからこそ『Child’s View』をつくることができたのでしょう。僕も女の人に「その髪型すごく似合ってるね」と気の利いたひと言をサラリと言えるキャラだったら、今より0.5ミリくらいはモテていたかもしれません。でも、そんなことをしていたら、間違いなく精神が崩壊していたでしょう。人生って複雑です。

ところで雑誌『remix』の1994年ベストディスクを見直したら、ビースティ・ボーイズ『イル・コミュニケーション』、ベック『メロウゴールド』、ジョンスペ『オレンジ』、ピート・ロック&C.L.スムース『メイン・イングリーディエント』、ギャングスター『ハード・トゥ・アーン』、ジェフ・ミルズ『Waveform Transmission Vol.1』などが発表された年でもありました。

posted by ichio
2019.02.12

『サスペリア』リメイク版が凄いことになっている件

100212なんか、圧倒的にヤバいものを見たような気がしております。何がどうヤバいのか説明できないだけでなく、自分が何を見たのかさえも理解できないほど、まだ頭の中がクラクラしています。強いて例えるなら、知り合いのうちにお邪魔した時に気さくに迎えてくれたお母さんが、その世界では有名なホンモノの女王様だった時の衝撃を10倍したくらいの感じでしょうか。この例え、知り合いの“奥さん”ではなく“お母さん”で、紹介された後に女王様であることを知るのではなく、紹介されたその時に気づくことが重要です。
これだけ言えば、僕が何の話をしているのかお分かりでしょう。そうです、リメイク版『サスペリア』です。
『サスペリア』といえば、暗黒提督ダリオ・アルジェントが手がけたホラー映画の金字塔。作品を観たことがない人でも、「決して一人では見ないでください」というキャッチコピーを知っている人は少なくないでしょう。この恐怖の聖典が40年の年月を経て甦ったのだから、ただ事ではありません。

バレリーナを目指すスージーは、夢膨らませてドイツのバレエ名門校に入学。ところが何だか学校の様子がおかしくて、次々に奇々怪々なことが起こる。学校に秘密が隠されていると感じたスージーは、前から気になっていた謎の扉を開けて……、というのがオリジナルのストーリー。
リメイク版のストーリーも基本的には同じなんですが、内容はまるっきり違うものになっています。まず、世界観が違う。オリジナルは漆黒と極彩色を多用した、ギトギトした色彩だったのに対して、リメイク版は画面全体の色合いがおさえられていて、灰色がかった地味なトーン。しかし、画面のどこかに赤色が配置されていて、血を連想させる仕掛けになっています。またオリジナルは、ビックリハウス的な要素が多分にありましたが、リメイク版はグロいシーンも淡々と描いているのが印象的。個人的には、後者の静かな空気感に恐怖を感じます。
た・だ・し! 怖いのは雰囲気だけで、作品全体でいうと、ちっとも怖くありません。これがホラー映画という範疇に入るのかさえ怪しいほど。でも、今回のリメイク版は怖い・怖くないというのは問題ではなく、目の前の映像を2時間半、ひたすら浴び続けることに意味があるように思うのです。
序盤の“起こりそうで何も起こらない”不穏な雰囲気、バレエという特異な人体の動きを通じて発散される、人間の内に潜む魔。中盤のパラノイア的な映像。そして、クライマックスの大狂宴!!! これを見たら、この後仕事の効率が落ちるほど尾を引くこと間違いなしです。

この“とんでも映画”を監督したのは、前作『君の名前で僕を呼んで』(これ、どういうことですか?)で世界的に高評価を得た、ルカ・グァダニーノ。アルジェントと同じイタリアのお方です。彼の過去作からすると、ホラー映画を手がけること自体が驚きだったのですが、出来上がった作品を観て、何となく合点がいきました。この作品はホラー映画という形式を借りていますが、救いの作品であり、希望の映画でもある。だから、あれほど凄まじい映像をぶっかけられても、そんなにイヤな感じがしないのでしょう。『ヘレディタリー 継承』とは真逆のベクトル。ただ、アルジェントは最後の展開のこともあり、リメイク版に大激怒しているとのこと。
トム・ヨークの音楽もハマっているし、サヨムプー・ムックディープロムによる撮影、衣装デザインのジュリア・ゾエルサンティの仕事も素晴らしい。そして、今回大々的にフィーチャーされたコンテンポラリー・ダンスと、スージーを演じたダコタ・ジョンソンの透け乳首がトンマで、妙にエロチックなところも高ポイント。余談ですが、ダンスの振付を担当したのはダミアン・ジャレというベルギーのダンサーさんだそうだすが、“ダミアン”という名前がもうひとつのホラー映画の傑作の主人公と同じで、ちょっと怖い。
その他にも、舞台となっている1977年のベルリンの社会背景や、ドイツにおける前衛バレエの歴史、スージーが生まれた血筋など、さまざまな要素が盛り込まれているのですが、その辺りはオフィシャルサイトにある町山智浩さんの『サスペリア』解説をご覧ください。
とにかく、この映画は是非、一人で見てください。

posted by ichio
2019.01.28

忙しさの報酬となった『恐怖の報酬』

20190128去年の後半から年明けにかけて、『ボヘミアン・ラプソディ』『ボーダーライン ソルジャーズ・デイ』『斬、』『クリード 炎の宿敵』などの良作が立て続けに公開され、仕事で忙殺状態のなか、ちょっとした祭りになっていました。残念ながら近年稀に見るホラー/オカルトの傑作と誉れ高い『ヘレディタリー 継承』は、大好物なはずなのにグッときませんでした。ハンバーグがおいしいと評判の洋食屋さんに行ったら、上等な牛肉100%のハンバーグが出てきた時のような、“こういうのとちゃんねん感”とでもいいましょうか。でも、ビックリハウス的なホラーや適当につくったサイコパスもの、あるいは主演女優のトニー・コレットさんの顔芸ムービーではないなので(ただ、トニー・コレットさんの顔で恐度、陰惨度、おもしろ度ともに3割はアップしてます)、違う気分の時に観たらハマるのかもしれません。

年末年始に観た映画のなかで思わぬ収穫だったのが、『恐怖の報酬』。『フレンチ・コネクション』や『エクソシスト』で知られるウィリアム・フリードキンがメガフォンをとった1977年公開のサスペンス・アクション大作。当時、飛ぶ鳥を落とす勢いだったフリードキンが2000万ドル(現在の100億円相当)という莫大な製作費を投じてつくった渾身作だったものの、結果は大コケ。この前代未聞の大失敗で、70年代から80年代にかけて中心的存在になるはずだったフリードキンは完全に失速してしまいました。
コケた原因は、同時期に公開されて大ヒットしていた『スター・ウォーズ』の影響をモロに受けてしまったことに加え、映画会社が「長ったらしい」という理由で勝手に人間ドラマの部分をカットしたせいといわれています。映画会社はそんな黒歴史をなかったことにするために、この作品を長い間上映できないようにして闇に葬っていたというのだから酷い話です。
フリードキンは相当に恨めしく思っていたようで、40年近く経った後にややこしい権利問題をクリアして自分がつくりたかった完全版として蘇らせ、世界各国の映画祭で上映したところ絶賛の嵐。それがいよいよ日本でも上映されるというのですから観ないワケにはいきません。とは言いながら、僕はこのエピソードはまったく知らず、短縮版も観たことはなく、たまたまチラシを見つけて「何か凄そう」と思って馳せ参じた“にわか”です。
ですが、作品はそんなことを抜きにしてもサイコーでした。話は、油井の火災を消すために、ワケありの男たちが現地にニトロを運ぶという、どシンプルなストーリー。アクションもジャングルの中を軽トラが走るだけ。でも実はこれ、『マッドマックス2』や『マッドマックス 怒りのデスロード』、『アポカリプト』などの傑作と同じ、“行って帰ってくる”黄金の構成なんです。そして当たり前ですがCG一切なしで、嵐の中トラックで吊り橋を渡ったり、油井をぶっ飛ばしたり、ホンマにやってもうてる迫力は否定のしようがありません。『地獄の黙示録』と同類の狂気が充満しています。もう、こんな映画を撮ることは時代が許してくれないでしょう。ラストもアメリカン・ニューシネマの残り香があっり、男心をくすぐられます。
ただ、前半に「ニトロをヘリコプターで運ぶのは振動が激しくて、ちょっと無理」という説明が入るのですが、どう考えてもトラックの方が危ないし、山道を走り出して3分あたりで絶対に大爆発を起こしてるはずというモヤモヤはぬぐえません。

posted by ichio
2018.11.17

オヤジの夢がつまった“ナメ殺”ムービー

101117近年、密かに盛り上がりをみせている、ギンディー小林氏命名“ナメてた相手が実は殺人マシンでした映画”。これは名前の通り、悪党が腑抜けたオヤジをナメてかかって怒らせてしまい、度を超えた返り討ちにあってしまう映画を指します。こういう話は昔からの定番で、B級・C級映画として量産されるのが大半でした。
僕もこうしたパターンの映画が大好物で、内容的にはちょっとズレますが、『ランボー』や『プレデター』1作目、『アポカリプト』などを、“追っかけてたつもりが、いつの間にか追っかけられてるムービー”として楽しんでいました。

かつて“ナメ殺”ムービーは、何も考えずに流し見する程度の映画と軽んじられる存在でした。そんな差別を受けていたジャンルがステータスを得るきっかけとなったのは、リュック・ベッソンが製作と脚本を手がけ、リーアム・ニーソンが主演を務めた『96時間』。
もともとこうしたジャンルムービーは、演技力は二の次で、アクションがそこそこできて、見た目は無駄にタフガイ、ギャラはお手軽な俳優さんと、間違ってもイキってアートっぽい映像を撮らない、しなびた職人監督の独占領域でした。(けなしているように見えますが、褒め言葉です) 
それが『96時間』では第一線で活躍する有名監督がガッツリ関わり、演技派俳優のリーアム・ニーソンが主役を務めたのですから、それだけでもインパクトがありました。内容も、モッサリしたこれまでの諸作とは違い、話の展開はスピーディーで、演出も垢抜けている。主役の男も何やら渋みがある。要するに、結構おもしろかったワケです。これはイケると分かったハリウッドのお偉いさんたちは、同じ系統の俳優やスタッフを起用した作品を作りだし、“ナメ殺”ムービーが盛り上がってきたというのが大まかな経緯。
そんな “ナメ殺”ムービーの最高峰が、アカデミー俳優デイゼル・ワシントン主演、アントワン・フークア監督の『イコライザー』。この二人は、裏バディムービーの傑作『トレイニング・デイ』を生み出した、ゴールデンコンビ。再びタッグを組んだ二人は、“ナメ殺”ファンの期待を裏切るどころか、期待をはるかに上回る痛快作をつくってくれたのです!
“ナメ殺”ムービーのキモは、主人公であるオヤジのくたびれ具合とキレた時の無双っぷり。デイゼル・ワシントン演じるバート・マッコールさんは、このすべての要素を完備しているだけでなく、普段は結構人付き合いが良くてインテリ、でも病的な整頓好きという新鮮なアレンジが加えられているところが秀逸。そして、強い。いや、強すぎる。娯楽映画の主人公は、一度はピンチになるものですが、マコールさんの場合はヒヤっとすらしません。大した武器も持たずに、たった一人で相当デカい裏組織をぶっ潰すのですからただ者じゃありません。世の中の揉め事は、全部マッコールさんに任せた方がいいんじゃないかと思うくらいです。
今のところマッコールさんは、一応正義のために悪党を殺しまくっていますが、明らかに普段よりもイキイキしています。もしタガが外れてしまったら、スーパーのセルフレジで手間取って待たせしまったり、定食屋で注文した品の順番が入れ違ったりしただけでブチ殺されるのではないかと不安になります。

どうして、僕が“ナメ殺”ムービーに惹かれるのか。それは、自分がナメられサイドの人間だから。露骨な態度をとられたことはそんなにはないものの、「コイツ、おれのことナメとるな」と感じることは確かにあります。そんな時は、マコールさんモード発動! 脳内で小芝居がはじまります。ワルくて強そうな輩はブルース・リーばりの電光石火の早ワザで叩きのめし、仕事の打ち合わせの時にワケの分からんビジネス用語を連発しながらノートパソコンを叩く、デキる風ビジネスパーソンには完璧な仕事で黙らせるなど、バリエーションは豊富。まぁ、後者は夢想ではなく実行しろよと、自分でも思いますが。
このように“ナメ殺”ムービーは中年男の夢がつまっているので、これからもジャンジャンつくっていただきたい。最近公開された『イコライザー2』も秀作なので、日頃ナメられていると感じている人は必見です!

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2018.10.12

フィリップ・ワイズベッカー作品集

3101012本屋さんで偶然見つけた、『フィリップ・ワイズベッカー作品集』を夜な夜な眺めるのが、近頃の一服タイムになっています。フィリップ・ワイズベッカーさんはフランスのアーティスト、イラストレイターで、資生堂、サントリー、JR東日本、無印良品などの広告や、小山田浩子さんのブックカバーを手がけるなど、日本に馴染みが深いことでも知られています。彼の名前を聞いたことがなくても、作品のクセが強いので何かひとつ見れば、「だったらアレも、この人が描いたんじゃないの?」となるでしょう。
この人のクセ(個性)は、とことん余計なものを削ぎ落としたシンプルな鉛筆画。そして、独特のパース感。学校で習うデッサンのお勉強としては完全に間違っていて“いびつ”なんですが、不思議としっくりきて、引き込まれてしまうんです。直線がすべて定規で書かれているのも、なんかよく分かりませんが、すごく変態っぽい。この、“ヘンテコだけど気持ちいい”感覚は、J ディラのサウンドと似ているように感じます。
ワイズベッカーさんが描くのは、古いクルマや工具、工場など。どこにでもあるモノなのに、なぜか描かれたモノたちが時を重ねてきた、これまでの時間をあれこれ想像させる力をもっているんです。そうやっていろいろ思い巡らせていると、自分を取り巻く日常も“良さげ”に思えてくるんですよね。それは、彼が描くモノのどんなところに惹かれるのかをしっかり捉えているからでしょう。う〜ん、すんごい観察力と洞察力。僕もこの力をもってお気に入り熟女女優を見れば、きっと新しい世界が拓かれる気がします。
今回発売された作品集は、2000年以降に描かれた作品を網羅した内容で、彼の世界観を堪能することができます。作品集をつらつら眺めて感じるのは、彼の絵単体でも素晴らしいのですが、そこにタイポグラフがついてデザイン化された広告ツールも、それに引けを取らないくらい素晴らしいということ。こうした広告ツールをもっと取り上げてくれたら、僕的にはさらにGoodでした。あと、カバーの紙質はもう少し丈夫なものにしてほしかった。フニャフニャで、本体を入れても、たわんでしまいますやん!

posted by ichio
2018.09.07

すごいぞ、シュワルツェネッガー!

180907この表紙をご覧ください。一体どうして、こんなポーズで、こんな表情で写真を撮るのか。普通に考えて、どこかが狂っているとしか思えません。
そして、どうして、こんな男に惹かれて、本まで書くことになるのか。これも普通に考えて、どうかしています。
でも、狂っていて、どうかしているからこそ素晴らしい。
おそらく日本初のアーノルド・シュワルツェネッガー論、『シュワルツェネッガー主義』。この本の主役である筋肉ダルマ、もといアーノルド・シュワルツェネッガーと著者の てらさわホークさん、どちらも最高です!
アラフォーからアラフィフの人にとっては凄まじい人気を誇った全盛期をリアルタイムで体験しながらも、どこか半笑い扱いしてしまう存在。平成生まれの方々にとっては、顔は見たことあるけど何者なのかイマイチ分からないデカいおじいちゃん。そんなかわいそうな状態になっているかつての大スターを、ノスタルジックな視点と今の視点の両方から、愛と笑いをもって総括したのがこの本であります。
本の存在を知るきっかけとなったのは、宇多丸さんがパーソナリティを務めるラジオ番組『アフター6ジャンクション』で特集された「シュワルツェネッガー総選挙」。この回と前章となった「アーノルド・シュワルツェネッガーの重要性とは」での話が滅法おもしろく、購入する前から傑作であることを確信していました。(ディストピア映画をテーマにした『映画のディストピア』という本に掲載されているホークさんの文章もナイスです)
新聞に掲載される映画広告ではじめて“アーノルド・シュワルツェネッガー”という異様な文字列を見て驚愕したエピソードは、僕もまったく同じ体験をしており(おそらく同世代の人はみんな体験していると思います)、居酒屋でレモンサワーを飲みながら語り合いたくなりました。

本の内容は、シュワルツェネッガーの半生を振り返りながら出演作について論じるという構成で、ラジオ番組でのトークをザックザックと掘り下げたものになっています。
情報量もさることながら、この本を特別なものにしているのは、ホークさんのシュワルツェネッガーと出演作に対するスタンス。ところどころツッコミを入れて笑いをとるのですが、バカにしているのではなく憧れや尊敬、畏怖の念があるので、シュワルツェネッガーがいかに(いろんな意味で)規格外で、スゴい人であるかが伝わってきます。

ちなみに僕のフェイバリット・シュワムービーは『ターミネーター』、次点『プレデター』です。『コマンドー』『トータル・リコール』も捨てがたい……。
『ターミネーター』の、クラブでニワトリみたいに首を動かしながらサブマシンガン ウージーをブッ放すシーンの恐怖は、30年以上経った今も当時のまま。それに比べて『ターミネーター2』で少年に「アイル・ビー・バック」とか言ってサムアップする姿を見ると、言いようのない虚脱感をおぼえます。

ホークさんはあとがきにシュワルツェネッガーを追い続けてきた理由をまだ説明することができないと書いていますが、帯に記された「すごい肉体! すごい顔! すごい映画! 暴力と愛嬌!」という言葉だけで十分です!

posted by ichio