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Oh my Buddha!It is such a wonderful site that it's unbelievable.
2018.09.07

すごいぞ、シュワルツェネッガー!

180907この表紙をご覧ください。一体どうして、こんなポーズで、こんな表情で写真を撮るのか。普通に考えて、どこかが狂っているとしか思えません。
そして、どうして、こんな男に惹かれて、本まで書くことになるのか。これも普通に考えて、どうかしています。
でも、狂っていて、どうかしているからこそ素晴らしい。
おそらく日本初のアーノルド・シュワルツェネッガー論、『シュワルツェネッガー主義』。この本の主役である筋肉ダルマ、もといアーノルド・シュワルツェネッガーと著者の てらさわホークさん、どちらも最高です!
アラフォーからアラフィフの人にとっては凄まじい人気を誇った全盛期をリアルタイムで体験しながらも、どこか半笑い扱いしてしまう存在。平成生まれの方々にとっては、顔は見たことあるけど何者なのかイマイチ分からないデカいおじいちゃん。そんなかわいそうな状態になっているかつての大スターを、ノスタルジックな視点と今の視点の両方から、愛と笑いをもって総括したのがこの本であります。
本の存在を知るきっかけとなったのは、宇多丸さんがパーソナリティを務めるラジオ番組『アフター6ジャンクション』で特集された「シュワルツェネッガー総選挙」。この回と前章となった「アーノルド・シュワルツェネッガーの重要性とは」での話が滅法おもしろく、購入する前から傑作であることを確信していました。(ディストピア映画をテーマにした『映画のディストピア』という本に掲載されているホークさんの文章もナイスです)
新聞に掲載される映画広告ではじめて“アーノルド・シュワルツェネッガー”という異様な文字列を見て驚愕したエピソードは、僕もまったく同じ体験をしており(おそらく同世代の人はみんな体験していると思います)、居酒屋でレモンサワーを飲みながら語り合いたくなりました。

本の内容は、シュワルツェネッガーの半生を振り返りながら出演作について論じるという構成で、ラジオ番組でのトークをザックザックと掘り下げたものになっています。
情報量もさることながら、この本を特別なものにしているのは、ホークさんのシュワルツェネッガーと出演作に対するスタンス。ところどころツッコミを入れて笑いをとるのですが、バカにしているのではなく憧れや尊敬、畏怖の念があるので、シュワルツェネッガーがいかに(いろんな意味で)規格外で、スゴい人であるかが伝わってきます。

ちなみに僕のフェイバリット・シュワムービーは『ターミネーター』、次点『プレデター』です。『コマンドー』『トータル・リコール』も捨てがたい……。
『ターミネーター』の、クラブでニワトリみたいに首を動かしながらサブマシンガン ウージーをブッ放すシーンの恐怖は、30年以上経った今も当時のまま。それに比べて『ターミネーター2』で少年に「アイル・ビー・バック」とか言ってサムアップする姿を見ると、言いようのない虚脱感をおぼえます。

ホークさんはあとがきにシュワルツェネッガーを追い続けてきた理由をまだ説明することができないと書いていますが、帯に記された「すごい肉体! すごい顔! すごい映画! 暴力と愛嬌!」という言葉だけで十分です!

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2018.08.29

サマソニ〜ベックのパフォーマンスに脱帽

18082950近いオッサンがキャッキャッとはしゃぐ姿というのは、若人たちにはどう映るのでしょうか? 興奮が醒めていくに従い、「キモい、このオッサン」と思われていたのではと、ワキ汗が滲む今日この頃です。
サマーソニック大阪でベックを観て、年甲斐もなく盛り上がってしまった話をしております。
実はベックのライヴを生で観るのは今回がはじめて。これまで映像で観る限りでは、あくまでメインの活動はレコーディングであり、ライヴはグッとこないタイプのミュージシャンだと勝手に決めつけておりました。が、まったくそんなことはありませんでした。というか、もうサイコーで、圧倒されました!

当日はお昼過ぎに会場に到着。熱中症対策として屋内会場でソルティライチを飲みながらスタンバイ。しばらくすると注目していた新鋭、トム・ミッシュのライヴがはじまる。ソウル、ブルース、ジャズ、そしてヒップホップのエッセンスを絶妙の加減でミックスし、極上のポップソングに仕上げている。自ら演奏するギターは透明感あふれるジョン・メイヤー直系。聴いていて気持ちいい。20代前半にして、このセンスとソングライティング能力。間違いなく近い将来メインストリームに駆け上がるでしょう。ちなみに僕が彼と同じ年齢の頃は、毎日「彼女ほしい〜」と悶絶していました。

お目当てのミュージシャンが特にいない時間帯になったので、「せっかくなので」ということで、ONE OK ROCKを観賞。普通にカッコいい。森進一さんのご子息、こんな感じになっておられたのですね。
この頃になると、クーラーボックスに飲み物を詰め込んでやって来た友だちが、となりでせっせとつくってくれるチューハイでホロ酔い気分に。「アテがほしい」ということで屋台ゾーンに行って飲み食いしている間に、楽しみにしていたチャンス・ザ・ラッパーを見逃してしまいました。

そしていよいよ、ベックの登場。がんばって前へ移動すると、御用達のサンローランを身にまとい、ギターを持ったベックが目の前にいる。と、いきなり「デビルズ・ヘアカット」がはじまり、「ルーザー」へとなだれ込む必殺の展開。ジェイソン・フォークナーやロジャー・マニングjrらをはじめとするバックバンドが繰り出すサウンドは、ひたすらラウドで面食らう。そんなオッサンの驚きなどおかまいなしに、この後も目下最新作の傑作『カラーズ』を中心にキラーチューンのオンパレード。完全にパーティーモードというか、花火大会モード。前で踊りまくる外国人に感化され、こちらも大はしゃぎ。“ひとつになる”って、こういう感じだったんスね! 一体感を体感していると、外国人は彼女さんをハグしたりチューしたりとヒートアップ。やっぱり“こっち”と“そっち”には高い壁がありました……。
ライヴはあっという間に後半。メンバー紹介に合わせて、シック、ストーンズ、ニュー・オーダー、トーキング・ヘッズの曲をちょこっと演奏するのですが、これがイカす! 「ブルー・マンデー」なんか確実に本家よりカッコいい。(ニュー・オーダーは、ド級のヘタさが魅力なんですけどね)
やってもやっても尽きないキラーチューンと完成度の高いパフォーマンスに、20年以上に渡りミュージックシーンの最前線を走りつづけている男の凄みを感じました。
今年のサマソニ大阪はかなりショボいラインナップで、実際にお客さんの入りも残念だったようですが、ベックの最新型ライヴを観ることができただけで大満足です!

posted by ichio
2018.08.10

ボブ・マーリーの新発見

180810今年の京都は命にかかわる酷暑がつづき、オヤジがイキって外に出てもろくなことはないので、休みの日は家でおとなしくしています。ですが、もともとじっとしていられない質で、昼を過ぎるとウズウズしてきて近所散策に出かけるのですが、案の定軽い熱中症になって帰ってきます。
夕方になるとシャワーをして、冷や奴とビールで火照ったからだを冷やすわけですが、こんな時にかける音楽はレゲエがいちばん。完全に脳内の回路がシャットダウンし、ゾンビ状態になります。しかしこんな時に限って子どもが「数学の宿題のヒントちょうだい」と来るんですよね。ほろ酔い気分の時にほとんど忘れてしまった連立方程式で頭を悩ますのって、けっこう地獄です。

タレ流し用レゲエの新しいレコード(といっても古いルーツレゲエですが)が欲しいなと思い、ボブ・マーリーのメジャーデビュー前のアルバムを購入。これまで彼の初期の曲は、スタジオ・ワンのコンピレーションに入っているスカしか聴いたことがありませんでした。何といいますか、左上のジャケットデザイン(『アフリカン・ハーブスマン』)のような粗雑さが買う気を削ぐんですよね。何周まわっても決していい感じには見えないデザインと同じように、音の方も残念なクオリティになっている気がしたんですよね。
同じ理由で僕はブートレッグも買いません。あのテキトーなジャケットが受けつけなくて。アルバムは音だけでなく、ジャケットも世界観をつくる大切な要素。そこがおざなりになっていると冷めてしまうんです。それに大半の場合、ミュージシャン本人がライブの出来栄えに納得していないから正規盤として発表しないわけで、それをさらに録音状態の悪いレコードを買うっていうのはどうなのかなと個人的には思っています。ちょっと違うかもしれませんが、自分の仕事でも制作途中のものを見られるのって、キン◯マ見られるより恥ずかしいですから。………いや、僕の場合キンタ◯は見てほしい願望があるかもです。

話は戻り、御大リー・ペリーがプロデュースを担当した『ソウル・レベルス』と『アフリカン・ハーブスマン』のアナログ盤を買ったのですが、すごくよいではないですか! やっぱり食わず嫌いはいけません。曲調は絶頂期のような緊張感はなく、のんびりしていて、ボーカルはピーター・トッシュ、バーニー・ウェイラーとのコーラスがフィーチャーされている。サウンドもメジャー作品のようなクリアな音ではなく、全体がグシャッとひとつの塊になってモコモコと鳴っている感じで、低音もズッシリと重い。行ったことはないけれどジャマイカの陽の光や風、砂ぼこり、人ごみの匂いが脳裏に浮かんできます。
レゲエは針がこすれてプチプチ鳴るノイズもいい具合になる要素なので、アナログ盤がベスト。ただ、リー・ペリーがつくるサウンドはのどかに聴こえるものでも、奥に病的なものが漂っているので、知らないうちに酔いは醒めてしまいます。

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2018.07.27

カマシ、脂がのってます

180726すっかり“時の人”になった感のあるカマシ・ワシントン(どうでもいいですけど、“カマシ”という響き、独特のクセがあります)。ジャズをはじめさまざまな音楽雑誌で大きくフィーチャーされるだけでなく、『ポパイ』にまで登場する盛り上がり様。
そんな旬な時期に発表されたのが『ヘブン・アンド・アース』(右画像)。天国と地球……。スケールが大き過ぎて何が言いたいのかイマイチ伝わってきませんが、“その筋”のド真ん中なタイトルに、この人の本気と天然を感じます。
“その筋”とは、後期コルトレーン、サン・ラ、ファラオ・サンダース、ジョージ・クリントンなど、地球を越え遥か彼方の銀河にまで想いを馳せ、目に見えないモノと交信し、最後には宇宙船に乗ってしまう人たちのことです。初期症状としては、ジャケットに太陽や地球、古代神などがあしらわれ、サウンド面では鈴が鳴り響くといった特徴が挙げられます。そして、そのまんま宇宙船のイラストが描かれたり、ド派手な衣装をまとってインパクトのあるポーズをキメたりして、奇妙な電子音を鳴らしはじめたら、仕上がったなと思っていただいて結構です。新作のジャケットを見ると、カマシはここ何十年間お目にかかることのなかった強者に仕上がったといえるでしょう。

と言いながら、僕はまだ『ヘブン・アンド・アース』を聴いていません。レビューを読むと、なかなか好評な様子。待望の新作が出たにもかかわらず聴いていないのは、お小遣いが底尽きただけでなく、ちょっと前に出たミニアルバム(といっても6曲収録されています)『ハーモニー・ディファレンス』があまりにも素晴しかったから。「しばらくはこの音に浸っていたい」という感動がわき上がってくると同時に、「これをどうやって超えるの?」という不安を抱いてしまうくらいの出来栄え。傑作です。
単なるスピリチュアルジャズの焼き直しではなく、ヒップホップやポストロック的な感覚も血肉化し、進化したモダンミュージックになっているところが凄い。こうした音をつくりあげたのは本人の才能はもちろん、今作に参加しているサンダーキャットやテラス・マーティン、マット・ヘイズ(この人のギターも素晴しい)といった、同時代のミュージシャンの存在も大きいといえるでしょう。
そんなカマシがサマソニにやって来るということで慌ててチケットを買ったら、大阪は別日の公演! 少ない小遣いを削って観に行くか悩み中です。それにしてもサマソニ大阪、東京と比べて随分ショボくないですか?

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2018.07.12

オレの説

180712世の中には「ホントですか?!」と声があげるような真実味のあるものから「それはない」という眉唾レベルのものまで、さまざまな説があります。実は僕もかなり自信のある説をもっておりまして、今回は特別に紹介いたしましょう。この説を拡散すると世の中がザワつくことになるので、どんなに衝撃を受けても、そっと自分の胸の内にしまっておいてください。それでは発表します。

“オレが観る映画には、必ずサミュエル・L・ジャクソンかリリー・フランキーが出ている”

いかがでしょうか。かなりの人が「その通り!」と、ひざを叩いたと思います。
別にこの二人を目当てに観たワケではないのに、映画がはじまってしばらくするとヌルッと出てきて、主役を喰うインパクトを残していく。そんな居酒屋メニューにおけるナマコ酢のような存在。
実際に二人の出演作を調べてみたところ、8割から9割程度は観ている。この人たち目当てで観ていないにもかかわらず、これだけ高い確率でヒットするのであれば、もはや赤の他人とは言えません。
二人に共通するのは、基本的にはクセのある脇役で、作品によっては主役格の役もこなすところ。そして、これまたクセの強い監督や、とんがった作品に多く出演しているところも似ています。リリー・フランキーさんについては完全にかつての“岸部一徳枠”を独占しており、しばらくは敵なし状態がつづきそうです。あの爬虫類的な佇まいは唯一無二で、強烈な中毒性がある。僕のなかのベスト・オブ・リリー・フランキーは、『SCOOP!』のチャラ源です。映画を観終わった時、あのクスリ漬けのヤバい顔しか印象に残っていません。
サミュエル・L・ジャクソンは、リリー・フランキーさんに比べて作品や役の幅が広く(というか節操がない)、飛行機の中で大量のヘビが逃げだすパニックムービー『スネーク・フライト』や、理想の交尾相手を求めて旅する『童貞ペンギン』など、相当くだらないものにも出ています。サミュエル・L・ジャクソンがこれまで演じた膨大な役のなかで最も有名な役といえば、やはり『パンプ・フィクション』のギャング、ジュールス・ウィンフィールドでしょう。もちろんこの役も好きですが、個人的には『ディープ・ブルー』の製薬会社の社長や『キングスマン』のIT長者がベスト。
お二方には、これからも“オレが観るすべての映画”に出演しつづけてほしいものです。

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2018.06.12

現在進行形でジャッキー・チェンを楽しむ

180612今の35歳以下の男子にとってジャッキー・チェンって、どういう存在なんでしょうか? 「昔のアクション俳優でしょ」「名前と顔は知ってるけど、映画は見たことない」という感じなんでしょうか。それとも「何ですか、それ」レベルなんでしょうか。ショックを受けそうで、知りたいような知りたくないような……。
40代真っただ中の男にとってジャッキー・チェンは、好き嫌いにかかわらず避けては通れない巨大な存在であり、人生や人格を形成するうえで影響を受けた人も少なくないでしょう。僕もその端くれの一人です。しかし上には上がいるもので、中学時代に本気でジャッキー・チェンを崇拝している“だまヤン”という友だちがいて、そいつはクラスメイトと本気のケンカになった時、酔拳の構えをして衝撃を受けたことを鮮明におぼえています。だまヤンの頭の中では映画のように敵を翻弄してノックダウンするシーンを思い描いていたのでしょうが、千鳥足になったところで騙されるワケないし、そもそも中学生が酒を飲んでるはずがありません。そんな当たり前のことがスッ飛ぶほど、当時のジャッキーの存在はデカかったんです。ちなみに、だまヤンは普通にヘッドロックされて頭をポコポコ殴られ負けました。

そんなジャッキーチルドレンな僕たちですが、正直なところ、当時の熱をキープしつづけている人はごくごくわずかでしょう。カミングアウトすると、僕の場合は『プロジェクトA』をピークに下降線を辿りはじめ、90年代に入ると『酔拳2』で一時的に盛り上がったものの、自己紹介でいきなり「ジャッキー・チェンが好きです」とは言えない感じになっていました。2000年以降は新作が出てもチェックすることなく、完全にスルーする状態がつづいています。
そんななか、CSで日本でのジャッキー人気に火をつけるきっかけとなったモンキーシリーズ3作(『スネーキーモンキー蛇拳』『ドランクモンキー酔拳』『クレージーモンキー笑拳』)が連続放送されたので何年かぶりに観ると、やっぱりメチャメチャおもしろい! 3作ともストーリーだけでなく出演俳優もほぼ同じで、カンフーシーンも冗長。テキトー感があふれ出ているのですが、そうした欠点を若いジャッキーのフレッシュな魅力とパワーが吹き飛ばしている。作りがチープであることが逆にジャッキーの凄さを際立たせているといってもよいほどです。(個人的には、いちばん地味な蛇拳が好きです)

これらの初期作を観て、僕は反省しました。子どもの頃に散々お世話になったのに、大人になったら無視するんかい!と。ジャッキーがリタイヤするまで見届けることが僕たちジャッキーチルドレンの務めではないのかと。いや、こんな言い方をするとジャッキーに失礼ですね。現在進行形の作品もおもしろいかもしれない。心のタンスからもう一度ジャッキー熱を取り出してきて、今の大人になった視点と組み合わせ、2000年代以降の作品も含めたジャッキームービーを楽しみたいと思います。

posted by ichio
2018.05.16

画期的なジャズ論で、スタンプの「それな!」の違和感解消

180516去年から忙殺状態がつづいていたり、自宅のパソコンが逝ってしまったりで、更新が滞っていました。仕事もひと段落し、心の平安を取り戻してきたので、ぼちぼち再開したいと思います。

子どもとLINEのやり取りをしていると、「それな!」というスタンプがたまに送られてきます。どこのどいつか分からないキャラクターに半笑いで「それな!」と言われる度に、共感を得たうれしさを感じると同時に、まじめに考えて出した意見に対する返しの軽さに、ビミョーな違和感をおぼえていました(あくまでスタンプを送ってくれた子どもにではなく、キャラクターに)。しかし、ついこの前、「それな!」を書いた本人に送りつけたい本に出会ったのです。

本の紹介をする前に、少しオレ話をさせてください。
僕は20代半ばまでブラックミュージックが苦手でした。歌も演奏もめちゃめちゃ上手くて滑らかな感じが、当時の僕には甘過ぎたのだと思います。もちろんブラックミュージックには強いメッセージ性を打ち出した音楽や、引き締まったビートが炸裂する硬質な音楽も多くあり、今では“滑らかでメロウ”というイメージが偏ったものだったと分かります。
歳を重ねるなかでそんな思い込みも薄れ、最近はハードなものだけでなく、若い頃苦手だったメロウなもの(さらにコテコテなムーディなものでさえ)も大好物です。この辺の感じは、牛肉ばかり食べて喜んでいたガキンチョが、菜っ葉とおあげさんの炊いたんをありがたそうに食べるオッサンになった様を想像してもらうと伝わりやすいかもしれません。

そういう好みの変化とは別のところで、何となく、今スパイク・リーの『マルコムX』を観たらおもしろいんじゃないだろうかという気がして、約20年ぶりに観賞。劇場公開時は、「おもしろくないワケじゃないけど、いまいちグッとこない」という感じで、今回改めて観た感想もそれほど変わりませんでした。
しかし、再観賞がきっかけで、マルコムXが活動していた時代のブラックミュージックと、その後のブラックミュージックを紐づけて聴く楽しさを発見。ジャズ、ソウル、ファンク、レゲエ、ヒップホップなどスタイルは問わず、そのなかに流れるグルーヴを軸にして聴くのが新鮮でした。特に昔は背伸びして聴いていた後期コルトレーンやエリック・ドルフィー、ファラオ・サンダースなどのフリージャズが放つバイヴ(アホっぽい表現で恥ずかしい)がジワ〜としみ込んできました。
また、自分のなかのグルーブ・チェーンはすぐにロバート・グラスパーやディアンジェロ、さらにはケンドリック・ラマーともつながり、興奮をおぼえました。自分が何に興奮しているのかを考えてみたところ、「新しいジャズの捉え方とビート感覚」がキーワードになっていることはボンヤリと浮き出てきたものの、ピントが絞りきれず、ボヤ〜としたままでした。エロ関連なら、自分がどこで興奮してるのか簡単に分かるんですけどね。

そんな時に出会ったのが、『Jazz Thing ジャズという何か ジャズが追い求めたサウンドをめぐって』(原 雅明)でした。「Jazz Thing」とは、スパイク・リーが『マルコムX』の2年前に手掛けた『モ・ベター・ブルース』の挿入曲で、ジャズの王道に身を置きながらロックやヒップホップにもアプローチしていたブランフォード・マルサリスと、90年代のヒップホップを牽引したDJプレミアがタッグを組んだエポックメイキングな曲。本のタイトルと出だしに、この曲をもってきた時点で、僕的には「それな!」の連打!
この本で展開されている音楽評論のコンセプトは、これまで語られてきた“真っ当な”ジャズ史〜ジャズ論ではなく、伝統的なジャズと現在のソウルやヒップホップといったブラックミュージックを直結させて、新たな音楽の在り方・聴き方を提示しようとする試み。これはまさに僕がボンヤリと関心をもっていた、「新しいジャズの捉え方とビート感覚」に対する答えでした。
マイルス・デイビス、ハービー・ハンコック、オーネット・コールマンが新たなジャズを模索していた歴史にはじまり、70年代から80年代にかけてのロフトジャズやフュージョン、90年代に活発化したジャズとヒップホップの融合、クエストラヴやコモン、ディアンジェロ、エリカ・バドゥ、ロイ・ハーグローヴといった、ヒップホップ、ソウル、ジャズの先鋭が集まったソウルクエリアンズ、そしてテン年代をリードするロバート・グラスパー人脈やカマシ・ワシントンの活動までをつなげる展開は、ずっと目からウロコ状態。特に驚きだったのは、こうしたブラックミュージックのウラ鉱脈と、アメリカーナをつなげる視点が盛り込まれていたこと。僕のなかでこれらは完全に別モノだったのですが、おかげで新しいグルーヴ・チェーンをもつことができました。情報量もハンパなく、ホントに勉強になります。
この本を読んだ人と「それな!」を送り合えることができれば、すごくうれしいです。

posted by ichio
2017.08.28

ランニングをはじめた理由

170825つれ合いが健康およびアンチエイジングのためにゴールドジムへ行きたいと言いだしました。しかし、ジムに通うためにはお金が要ります。しかもゴールドジムといえば、まぁまぁなお値段。そこで「ひとまず近所でウォーキングかランニングからはじめてみれば」と提案したところ、お金を払って“やらなければならない環境”をつくらないと行動に移せないとのこと。気持ち的には分からないでもないのですが、家庭の財務を司る立場としては簡単には承服できないご意見。
そこで僕は毎日している軽い筋トレをこれ見よがしにつれ合いの前で行い、自主(無料)トレーニングを促す作戦にでたものの、まったく効果なし。というか、「ちょっとテレビ見えへん」と怒られる始末。仕方なくゴールドジムよりリーズナブルで、若干おばちゃん率高めの某ジムをおすすめしたのですが、これも気分が上がらないと却下。敵もなかなかしぶとい。
こうなればリーサルウエポン。僕がランニングをはじめ、それにつれ合いを誘う作戦を決行! 果たして、ここまでやることなのかとは思うのですが、僕自身、腰まわりの“ヌタ〜ッと感”を取りたいと思っていたので一念発起して走ることにしました。ただ僕もバカじゃないので、戦略があります。僕だけ走ると言っても「どうぞ、がんばって」で終わってしまうため、子どもと一緒に走ることにしたのです。子どもは日頃から運動をしているので、僕とのランニングにノリノリ。こうなればゴールドジム志願者たるもの、やらないワケにはいかない。

ということで、家族で二条城でのランニング(ニジョラン)を開始。僕は中学時代、陸上部で中距離をしていて二条城を毎日走っていたのですが、30年間ほぼNO運動状態。ヘロヘロになると思いきや、意外にスムーズに走ることができ、気持ちいい。つれ合いも走ってみると気持ち良かったようで、習慣化しそうな気配。
こうなってくると、イカすランニングシューズとウェアが欲しくなってくる。わざとらしくつれ合いにアピールしたところ、「しばらくはこれで」と、某ファストファッションブランドのスポーツウェアを支給される。これがくそダサくて、しかも着心地も悪く、気分が上がるどころか逆にやる気を削いでいます。なんか、つれ合いにリベンジされている気がします……。

今読んでいる、村上春樹さんの『職業としての小説家』というエッセイにランニングの話が出てきて、有酸素運動をすると脳内にニューロンが生まれ、それに知的刺激を与えると脳のはたらきが活性化すると書かれていました。このところ自分自身にがっかりするような物忘れや勘違い、奇行をしてしまうことがあるので、そういう意味でもランニングはつづけたいと思います。
『職業としての小説家』は、村上春樹さん自身の経験に基づいて、“作家として書くというのはどういうことか”が、じっくりと、そしてストレートに書かれています。語られる言葉はすごくシンプルで淡々としているのですが、シンプルで淡々としているからこそガツンときます。近頃よく見かける、さも良さげでポジティブ風な自己啓発書などとは大違い。書くことを生業としている者の端くれとして、すごく勉強になりました。カラダだけでなく、アタマのランニングも欠かせません。

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2017.08.08

同じなのに違うこと

170808同じ時、同じ場所で、同じことを体験しても、立場や感覚の違いで異なる出来事になることはよくあること。例えば、哀しいまでに生産性のない会議があったとしましょう。発注サイドは受注サイドに対して「ちゃんと準備しとけよ」と腹を立てる一方、受注サイドも「方向性くらいは出してくれんと提案のしようがないわ」とキレている。そして、すべてのしわ寄せがくる下請け業者は、焦りを通り越してトリップしていることがままあります(ちなみに僕はトリップする側の人です)。また、ある者にとってはタイプの女性担当者に会える至福の時かもしれないし、傍観者にとってはそんなこと全部をひっくるめてバカ会議となるワケです。
このようなことは、小説や映画などフィクションでより際立ちます。作者がどんな切り口で、誰の視点で、どのようなタッチで描くかによって、同じような素材を扱っていてもまったく別物になってしまいます。

そのことを映画『ムーンライト』を観た時に改めて強く感じました。(※以下、公式サイトに紹介されている範囲でネタバレあり)
主人公のシャロンはクラスメイトにいじめられていて、友だちは同級生のケヴィンだけという内気な少年。しかしシャロンが高校生の時、“ある事件”が起きてケヴィンとの関係も壊れてしまいます。それから数年の時が流れ、突然シャロンのもとにケヴィンから連絡が。しかし事件後すぐに退学したシャロンは高校時代とはうって変わり、ゴリゴリのマッチョになり、ドラッグのディーラーとして生きていた……というお話。
本作はヘビーなテーマを扱いながら、透明感のある映像と品の良い語り口で、アカデミー作品賞を獲得しました。

観賞後、この話どっかで観たことあるなと思っていたら、思い出しました。『行け! 稲中卓球部』10巻に収録されている「ゴメンね」という話です。井沢が小学生の時に辛くあたった増田君に謝るため隣り町まで行ったところ、増田君は見事なヤンキーになっていて、何もなかったようにすごすごと退散するという内容。
『ムーンライト』と似た話なのに一方は切なくなり、一方は笑ってしまう。フィクションの力ってすごいですね。

余談ですが、僕にも小学生の時、似たような友だちがいました。その友だち〜A君は外国で生まれ育ち、小学4年生の時に転校してきました。文化や学校教育の違いでお互いに戸惑うことが多く、そんな時A君は近所だった僕のところに相談に来ました。最初の頃は彼の話を聞き、アドバイスをすることもあったのですが、だんだん面倒くさくなり、ひょうきん族を見ている時に来た時などは「土曜の8時がどんな時間か分かるやろ〜」と、あからさまにうっとしそうな顔をしたこともあります。また、そんな僕の態度をA君から「冷たい」とダメ出しされ、口ゲンカにもなりました。そんな感じで距離ができてしまった頃、A君は学習内容の都合で1つ下の学年に移り、その後しばらくして転校しました。
あれから約40年、今でも時々A君のことを思い出し、「あの時もっと親身になって相談にのってあげればよかった」と謝りたい気持ちなります。でも、実際に会ってみるとキツいオッサンになっていて、微妙な気持ちになりそうです。

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2017.07.20

K-POPアイドルによるルドヴィコ療法

170720近頃、『時計じかけのオレンジ』に出てくる「ルドヴィコ療法」の効果を、身をもって実感しています。ルドヴィコ療法とは、犯罪者の再犯を防ぐために対象者を椅子に縛りつけ、クリップで目を開けたままの状態にして無理矢理バイオレンスな映像を見せ、身体と脳に暴力に対する嫌悪感・拒否反応を刷り込むという架空の治療法。僕はこの1年半ほど、このルドヴィコ療法を受けている状態です。

実は奥さんと子どもがK-POPの某アイドルグループにハマっおりまして、強制的に彼らの曲を聴かされているのです。それらの曲はどれも歌とラップが組み合わされている今どきなスタイルなんですが、独特のクセがあり、 “気持ち悪い”と“病みつき”のギリギリの線を攻めていて、こちらの意思に関わらず脳内の深部に入り込んでくるんです。旅行の時など、クルマという逃げ場のない閉鎖空間で何時間も聴かされるのですから、たまったもんじゃありません。真剣に発狂しそうになりました。
薄れゆく意識の中で僕は、ブルース・リーの「水になれ」という言葉を思い出しました。自分と相反するものに遭遇した時、ガチコンでぶつかったらバラバラに砕けてしまうけれど、水のように受け流せばスルリとかわせるという教えです。抵抗するのではなく、流れに身を任せる。ということで、僕も一緒に歌うことにしました。
独特のクセがある彼らの曲は、1、2回聴いただけでも信号待ちをしている時に口ずさんでしまう威力をもっているのですが、僕なんかシャワーのように浴び続けたせいで、今ではカッコ良く思えてくるほどにステップアップしました。この前、奥さんと子どもに連れられ、大阪の鶴橋でK-POPショップ巡りをした時なんかウキウキし、せっかくなのでグッズも買っとこうかなと思ったくらいです。おそらく日本のオッサンの中では、K-POPに詳しい方に分類されると思います。
まだまだファンと名乗るのはおこがましい身分ですが、そんな僕がみてもK-POPのクオリティは唸らせるものがありますし、単純にカッコいいという感情が湧いてくる。バラエティ番組で軽妙なフリートークをかまし、情報番組のMCやコメンテーターをしている日本のアイドルをみると、「アイドル」ってどういう人のことをいうんだったっけ?という疑問がわいてきます。一度原点を見直してもよい時期なのかもしれません。

この春、子どもがライヴデビユーを果たしました。もちろん、ファンのK-POPアイドルのライヴです。秋にも奥さんと一緒に行くそうです。羨ましい……。さすがに「お父さんとエイフェックス・ツインのライヴに行こう」とは言えないので、僕もK-POPアイドルのライヴに行こうかな。

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