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2008年12月07日

渡鬼ゾンビ説

081207.jpgたまたまテレビをつけたら『渡る世間は鬼ばかり』が流れていて、幸楽のオヤジがバンド活動をしていてビックリ。バンドをはじめた経緯は知りませんが、おそらく周りの人にのせられて‘その気’になったんでしよう。本人はご機嫌でしょうが、義理でライヴに行かなければならない人はたまったもんじゃありません。
人って、いろんな人からいいことを言われると、分かってるつもりでものぼせてしまうんですよね。
『ダイアリー・オブ・ザ・デッド』を観て改めてそう思いました。ゾンビ映画のゴッドファーザーであるロメロ先生も完全に‘その気’になっていらっしゃいます。近頃先生の作品は、メディアの対する鋭い批判が投影されていると再評価の嵐。これに気を良くしたのでしょう。『ダイアリー・オブ・ザ・デッド』はメディア(情報)と人との関わりを前面に押し出した映画になっています。
全編、映画学科の学生が撮影した映像という『ブレアウィッチ・プロジェクト』のような擬似ドキュメントになっているんですが、この手法がすでに使い古されていてかったるい。しかもテーマが先にありきなもんだから、登場人物のセリフがやたら説明っぽい。ゾンビに追い回されている最中にそんなこと言わんでしょというセリフが連発。リアル感が求められる作風でこれは致命的です。吾輩たちはそんな説教を聞くために映画館に行くわけじゃないんだから、もっとヤンチャしてほしかった。たぶん先生は世間の評判にこたえるために小難しく考えてしまったのでしょう。
この作品の注目すべき点はもうひとつ。それはゾンビにヘンゲする法則。詳しくは申しませんが、‘えっ、そうだったんスか!’と声に出してしまうほどの掟破りをしています。ある登場人物がゾンビ化する怪現象を‘神がつくった新しいルール’と言ってましたが、このセリフはそのままロメロ先生のゾンビ化新説に当てはまります。
あと腑に落ちないのが「体験型サバイバルムービー」という宣伝文句。ハンディカメラで撮った擬似ドキュメントだからそう言ってるんでしようけど、完全にこの映画の本質を読み違えています。言うなら「傍観型ムービー」でしょ。

こんなことを書いていたら、何だか渡鬼もゾンビ映画に思えてきました。登場人物はみんな死人のような顔をして、呪われたように長いセリフを喋りつづける。完全にゾンビです。大吉なんてホントに蘇りましたから。それに最初から最後までひたすら愚痴ばっかり(幸楽の夫婦(五月&勇)はセックスの時も愚痴言ってると思います)の世界って、ゾンビ映画よりも終末感が漂っています。

posted by ichio : 21:28 | | trackback (0) |