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2009年10月03日

意図と効果の関係

091006.jpg仕事の帰り、暗い夜道をとぼとぼ歩いていると、電柱の陰で一人たばこを吸っている男性が目に入りました。何か違和感を感じるなと思ってもう一度見直したら、何とその人はタイガーマスクのマスクをかぶっていました。
辺りを見回しても誰もいない。居るのはぼんやりとした外灯の光に照らされたタイガーマスクだけ。ははぁ〜ん、亡き三沢社長を追悼しているんだなと思うワケはなく、ただひたすら怪しいタイガーマスクを見つめていると、その男は吾輩が近くにいることを知らなかったようで、‘わっ、ビックリした’と声を出して驚きました。お前がビックリしてどうすんねん!
一瞬笑いそうになりましたが、同時に笑わしてやろうという男の意図が見えて、シュルシュルシュル〜とテンションが下がってしまいました。でもまぁ、よくいる学生ノリの輩ならマスクをかぶって終わりですが、この男はその先にもうひとつ‘すかし’を仕込んでいたので良しとすることにしました。(帰ってから、この男、もしかして強盗したてで一服していたところだったかもと思いゾッとしました)
この出来事は、一般の人の笑いは笑わす側の意図の隠し加減が重要だと分かるよい例でしよう。あまり笑わしてやろうという気持ちが前に出ると、受け手はかえって冷めるものです。

次の例は、笑わす側の意図と受け手の感情がもう少し複雑に絡み合ったケースです。
以前勤めていた会社に、かなりの天然キャラというか愛すべきゲテモノといった感じのアラフォー男子Fさんがいました。ある日、社員全員が集まってのボウリング大会があったのですが、そこでFさんは上から下まで真っ赤っかの衣装で登場したのです。しかもボトムは今どきどこを探してもないようなパンタロン。一瞬ほったらかしにしようかという悪意が芽生えたのですが、吾輩も一応社会人なので‘赤レンジャーの活躍、期待してます’といったら、Fさんは一瞬キョトンとした顔をした後自分の服を見て、‘わっ、僕、真っ赤かじゃないですか’と驚きました。
いくら奇天烈なキャラだといっても、自分が全身真っ赤なことに気づかない人はいません。Fさんは、みんなが自分のことを天然キャラだと思っていることを知りつつギャグをかましたのです。しかし吾輩を含めみんながおもしろいと感じたのは、彼のギャグ自体ではなく、彼がいわばハレの日に笑わそうと企んでいたこと、そして四苦八苦考えて出た答えが赤レンジャーだったということです。
なので、Fさんの笑わそうとする意図は一旦消されて、別の笑いのベクトルが生まれたことになります。

次の例は、先のふたつの例とまたちょっと違うケースです。その出来事は、ラーメン屋で起こりました。となりに座っていた大学生くらいのお兄さんのところに注文していたラーメンが来て、彼はラーメンをすすりはじめました。しかし、しばらくすると手を止めて漫画を読みはじめました。かなりおもしろいらしく、いっこうにラーメンを食べようとしない。そろそろ食べないと延びてしまうぞと思っていると、お兄さんはハッと顔を上げ、ザルを振っている大将めがけて‘すみません、僕、ネギ大盛りなんですけど’といったのです。
吾輩は笑いをこらえるので必死でした。おそらく彼はラーメンを見た瞬間、ネギの量が少ないことに気づいたはずなのに言い出せなかったのです。一度はあきらめて口にしたもののやはり納得がいかない。漫画を読んでいるフリをしている時も、‘これはこの店では大盛りなのか?’‘今頃言い出して、うっとうしがられないか’‘ネギくらいでクドクド悩む俺って人間としてどうなのか’という葛藤が渦巻いたに違いありません。‘ラーメンを食いに来ただけなのに、何でこんなことを考えさせるねん’という大将への怒りもあったでしょう。
そんなことを考えに考えた末に出てきた言葉が‘すみません、僕、ネギ大盛りなんですけど’だったと思うと、笑わずにはいられません。
この笑いは、笑わしている側に笑わす意図がないからこそ生まれるものです。万が一、笑わそうとしていたのなら、それはこちらの考えを分かったうえでのことなので見事というほかありません。
いやはや、笑いっていうのは難しい。

posted by ichio : 23:06 | | trackback (0) |