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2010年10月11日

セナ アゲイン

101011.jpg仕事の合間を縫って、アイルトン・セナのドキュメンタリー映画『アイルトン・セナ 音速の彼方へ』を観賞。F1ファンとしてはスクリーンでセナの走りを見られるだけでOK。暴れるマシンをギリギリのところでコントロールするドライビングは何度見てもスリリングです。ただ、ドキュメンタリーとしては特に新しい切り口も発見もなし。プロストとの戦い・争いは、善玉=セナ、悪玉=プロストという昔ながらの構図になっていてちょっと興醒め。‘これが真実だ’ってものはありませんが、実際はもっと複雑な力が絡み合っていて、セナもその中にどっぷり浸かっていたはず。その辺のところを突っ込んでいたら、映画としてもっと深みが出ていたと思います。そういう意味では少し前に出た『セナvsプロスト 史上最速の“悪魔”は誰を殺したのか?』(マルコム・フォーリー)という本の方が全体像をつかめるかも。(タイトルはいただけませんが…)
この映画を観て感じるのは、アイルトン・セナという人はズバ抜けたドライバーで、ミステリアスな個性を持っていたということ、事故が起こったサンマリノGPには目に見えない負の力がはたらいていたこと(このグランプリではセナの他にも、もう1人亡くなっているんです)、そしてバリチェロは昔からオッサン面していたということです。
事故とは関係ないですが、94年シーズンのセナは念願のウィリアムズに移籍したにも関わらず、浮かない顔というか、びっくりするくらい老け込んだ表情をしてました。それはマシンの調子が良くないことや、台頭著しいシューマッハに対する焦りとは違う何かがあったように思えてなりません。よくいわれることですが、やはり宿敵プロストが引退して、彼も燃え尽きかけていたのかもしれません。
そういう繊細さを持つキャラで、最期があまりにも衝撃的だっただけに、‘叶うなら、政治も金も絡まず、純粋にレースをしていたカート時代に戻りたい’という彼の言葉が響きます。

posted by ichio : 00:22 | | trackback (0) |