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2013年02月23日

自意識過剰

130224.jpg「自分らしい」とか「自分さがし」といったフレーズが普通の会話で普通に出てきたりするのを見聞きすると、自分(と思い込んでいるもの)の虚構化・物語化がますます強まっているなと感じます。
これは、もう一人の自分が一歩引いた視点から自分を見る思考で、近代以降の人間が背負った十字架ともいうべき自意識ですが、つい最近もネットを漂流していたら普通の日々を綴った日記に「生活のクオリティ」という言葉が普通に使われていたりして、もはやレイヤーを設けた視点はデフォルトなんだと唸ってしまいました。(書いた人の意図とは違いますが、「生活のクオリティ」という言葉の響き、ちょっとコワいです)
とかいって、僕にもこの文を書いている自分に「そうやってずっと斜に構えてろ」と言っている自分がいて、さらにその自分に「それも言いワケのひとつやね」と言っていたり「いやいや、そんなオレが愛おしい!」とウットリする自分がいたりと、鏡地獄は延々つづくワケです。
小沢健二の「ローラースケート・パーク」でも“ありとあらゆる種類の言葉を知って 何も言えなくなるなんてそんなバカなあやまちはしないのさ”という歌詞がありましたね。
むー、それはその通りなんですけど、この辺のバランスってむずかしい。

話は変わりますが、倖田來未がカバーした「ラブリー」が何かと言われているのでどんな惨事が起こっているのかと期待してPV見たら、それほどでもなかったのでガッカリ…。

こうした過剰な自意識を分かりやすく、そして楽しく描いているのが『ムーたち』(榎本俊)というマンガ。普段頭の中には浮かぶけれど無意識にスルーしていたり、アホ過ぎて隅に押しやって忘れてしまうようなことがあぶり出されていて気持ちいい。僕の場合は人が捨て去るようなことを拾い上げる仕事をしているのですごくタメになります。
ちなみに主人公のムー夫(カワイイ男の子)は、さっき書いた視点のレイヤーをセカンド自分、サード自分、フォース自分と4層持つ、かなりの強者です。

posted by ichio : 21:28 | | trackback (0) |