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2013年04月06日

デビッド・ボウイ〜『ロウ』

130306.jpg人から自分のことを“○○らしいね”と言われたとき、“分かってくれてるんだぁ”とうれしく思う人と、“何、分かったように言ってんの”と不機嫌になる人に分かれます。大体において前者は可愛がられ、後者は少しばかり生きにくいコースを歩むことになります。

デビッド・ボウイは、間違いなく後者。それはファンの予想やイメージをかわしつづけるキャリアをみれば明らか。新作『ザ・ネクスト・デイ』の皮肉たっぷりのジャケットでも、彼のそういった気質を実感します。
それにしても評判いいですねぇ、『ザ・ネクスト・デイ』。メディアはまるで80年代半ばから90年代前半の暗黒時代がなかったようにまつりあげていますが、ボウイファンなら世紀のトンデモ作『ネヴァー・レット・ミー・ダウン』も無視したくありません。ある意味、この作品がボウイ史上最大のイメージチェンジとなったアルバムですから。
ドラマチックな彼のキャリアにおいて、クリエイティブ面の絶頂期といえば、やはりベルリン時代。もう少し枠を広げれば『ステーション・トゥ・ステーション』から『スケアリー・モンスターズ』までの約5年間、いや、がんばって『ヤング・アメリカン』から『レッツ・ダンス』にしてもいい。
僕はその中で、ベルリン三部作の第1弾『ロウ』にヤラれたクチです。アルバムはボーカル曲、インスト曲半々の構成で、どれもディープ。落ち込んでいる人が「ワルシャワ」や「サブテラニアンズ」を聴いたら、アカン方向にいってしまいそうなくらい。実際、ボウイはこの時期、肉体的にも精神的にもボロボロになっていたとか。次の『ヒーローズ』では随分回復して、音楽も明るく、躍動的です。
しかし、『ロウ』はそんなドンヨリ沈んだ曲調とは裏腹に、ボウイの才能がスパークしています。それまでのグラマラスロッカーのイメージやスタイルをあっさり捨て、ジャーマンロックやエレクトロニックサウンドに接近。ものすごいレベルで先鋭性と大衆性をミックスさせていて、聴くたびに新しい発見があり、底なしのパワーを放射してくる、そんなアルバムです。これなら“何、分かったように言ってんの”という態度をとってもカッコいいですね。

さて、45年以上におよぶボウイの活動の中でとりわけ大きな存在といえるのが、ブライアン・イーノ、トニー・ヴィスコンティ、イギー・ポップの3人。イーノにインスパイアされて生まれたアイデアをカタチにしていくのがヴィスコンティ。その合間にイギー・ポップに“今、アツいロックっていうのはこれなんだよ。ユーもやっちゃいなよ”と兄貴風を吹かせて、アルバムづくりをサポート。そこで次に自分がやりたい音楽の実験をするというサイクルをちゃっかり構築しています。
『ロウ』の直前には『ロウ』以上にディープな『イディオット』を作曲&プロデュースし、『ロウ』のポジティブバージョン『ヒーローズ』の制作期には、これまた元気ハツラツな『ラスト・フォー・ライフ』の制作をサポート。さらにポップ路線を打ち出した『レッツ・ダンス』を作った後に、スランプだったイギーの復帰作となった『ブラー・ブラー・ブラー』をプロデュース。ただ、当時はボウイ自身が迷走している時期で、ここでのノウハウを『ネヴァー・レット・ミー・ダウン』にリサイクルして大コケしてしまうワケです。

実験精神の旺盛なイーノとボウイとのコラボはお互いノリノリなのに対して、自分のスタイルに忠実なイギーは“ボウイがサポートしてくれるのは嬉しいけど、何か違うだよね”と愚痴っているのが興味深い。『イディオット』も『ラスト・フォー・ライフ』も、素晴らしい出来なんですけどね。きっと彼は、“イギーらしいね”と言われて“分かってくれてるんだぁ”と思う人なんでしょう。

posted by ichio : 16:22 | | trackback (0) |