「みうらじゅん マイ遺品展」で心が洗われる
仕事がひと山越え、心に余裕ができたので、前から行きたかった「みうらじゅん マイ遺品展」に行ってまいりました。
そして、“心の師”と仰ぐジェダイマスターに、途方もない遺品を通じて「お前、日和ってるんじゃないか?!」とご指導いただきました。
マスターみうらのおっしゃる通り、僕は一時期、世の中を駆け巡った「断捨離」という言葉に惑わされ、ダークサイドに堕ちそうになっておりました。
「こんな物持っていても死ぬまで見ないだろう」
「これを手元に置いておくのはちょっと恥ずかしい」
「そもそも何の役に立つのか?」
そういう邪念が頭をもたげ、コレクションの一部を処分したのも一度や二度ではありません。いや、今も自宅のスペース的な問題で、日々葛藤している状態です。
マスターみうらは、そんなグラつく僕の心を見透かして、ひとつでは意味を成さない物でも、切り口と数によって意味(価値)が生まれること、“集める”という行為自体が尊いことを教えてくださったのです。そう、「物を集めてきた軌跡こそ人生なり」と。
みなさんもご存知の通り、マスターみうらは世界の片隅に埋もれている“一瞬違和感を感じるけど、すぐに意識の外側に追いやってしまう物”を拾い上げます。そして名前をつけて物量戦法を展開することで意味を生み出します。それは得体のしれない宇宙といえるでしょう。最近はじめられたという「コスプ(コロナ渦スクラップ)」は、カオス過ぎて頭の中がネジ曲がる快感をおぼえました。
しかもマスターみうら(この言い方、そろそろ鬱陶しくなってきたでしょうか?)は、ひとつひとつのテーマが濃い上に、そうしたテーマが無数にある状態。宇宙で例えるから、太陽系みたいなものがいくつも集まって巨大な銀河系を構成しているようなもの。
そしてマスターみうらは、こうした収集を“好き”という初期衝動で行っているのではなく、正体不明の使命感によって行い、最後には“好き”という境地に至る、“行”になっているところにホンモノの凄みを感じます。
僕もマスターの教えに従い、「断捨離」というダークサイドに堕ちることなく、ジェダイ騎士の誇りをもって物集めに邁進する所存です。