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2021.06.17

祝 『三体』 完結!

210617 ついに完結!! いやぁ、長かった・・・・。
 こんなことを言ったら、登場人物の方々から「そっちはたかが2年。こっちは何百年、いや何億年もしんどい思いしてるんや」と叱られるでしょう。

 中国(中華圏)SF小説の傑作であり、空前のヒットシリーズ「三体」の最終作『三体Ⅲ 死神永生』上下巻の日本語版がこの度発売され、壮大なスケールの物語の結末を拝むことができました!
 まずはこんなおもしろい小説を書いてくださった劉慈欣さん、翻訳者の方々をはじめとする関係各位にお礼を述べたいと思います。ありがとうございましたッ!

 ネタバレしないようにアマゾンの紹介文レベルであらすじを書くと、物語は文化大革命時代の中国からはじまります。目の前で父親を殺された少女、葉文潔は、エリート天文物理学者になってからも苦難の人生を歩み、人類に絶望します。
 ここまでは虚構の世界ではよくある話ですが、その後の彼女の行動がブッ飛んでいます。何と、「私は地球人と申します。自分で言うのもなんですが、私たちはどうしようもないクソなので、ヤキを入れてやってください」というメッセージを宇宙に送ったのです。
 昨今SNSでこうしたことをのたまう人がいるのは存じていますが、宇宙に配信する人はなかなかいないのではないでしょうか。

 そして、さらに驚いたことに葉文潔が送ったメッセージは、宇宙の彼方にいる、地球よりも遥かに進んだ文明をもつ三体人に届いたのです。
 洗練された高度な知性で地球人を良き方向へ導いてくれると思ったら、三体人は地球人以上にクソだった・・・・。
 地球の存在を知った三体人は、すぐさま乗っ取り作戦を開始。彼らの艦隊が地球に到着するのは400年後。それまでに人類は三体人に打ち勝つ術を見つけることができるのか?!というのが話の大筋。

 とにかく序盤からスピード感がハンパなく、読みだしたら止まらないのが「三体」シリーズの魅力。門外漢からすると、今のSF小説って細かいことをむずかしくチネチネ書いているイメージがあったのですが、「三体」シリーズは小さいことはお構いなしに、勢いで話を進めていくところが爽快です。
 実は「三体」シリーズは、第二部『三体Ⅱ 暗黒森林』で一応の決着はついていまして、そこからどう展開するのかいろいろ想像をめぐらせていたのですが、『三体Ⅲ 死神永生』は僕のセコい想像力を遥かに上回るスケールだったのはもちろん、予想外の角度から攻めてきました。スピード感もさらにアップ。特に上巻の地球人と三体人が巻き起こす事態の描写は、僕の大好きな小説『ゼウスガーデン衰亡史』とダブるところがあり、楽しさ倍増。
 下巻になると作者のイマジネーションがますます加速して、振り落とされないようにしがみつくことで精一杯でした。

 レビューを見ると、第三部の主人公である美人科学者が不評のようですが(「三体」シリーズは部ごとに主人公が変わるんです)、僕的には彼女のすっとこどっこい感は映画『プロメテウス』と『エイリアン コヴェナント』で抗体ができていたので、拒否反応は起きませんでした。

 ボリューミーではありますが、むずかしいところはこれっぽっちもなく、エンターテインメントのど真ん中を行く作品なので、時間をつくってでも読んでください。
 幸い僕はこの半月、YouTubeで金村義明さんの野球漫談を見まくるほどヒマだったので、サクサク読むことができました。・・・・って、全然うれしないわ!

posted by ichio
2021.03.23

評伝・自伝・作家論が豊作

210323  去年の後半から今年にかけて、ミュージシャンの評伝・自伝・作家論の力作が相次いで発売されていて、どれから読むか、いや、その前にどう小遣いをやりくりして本を買うか悩み、悶えています。
 パッと思いつくだけでも、『細野晴臣と彼らの時代』(門間雄介)、『YMO1978-2043』(吉村栄一)、『調子悪くてあたりまえ 近田春夫自伝』(近田春夫、下井草秀)、『デヴィッド・ボウイ 無を歌った男』(田中純)などなど。

 もう少し前に出た本ですが、モリッシー、ジョニー・マー、トレイシー・ソーン、ダニエル・ラノワの自伝も長い間読みたいリストに載ったままの状態。
 ミュージシャンではないけれど、2年ほど前に出た『ブルース・リー伝』(マシュー・ポリー)も読みたい読みたいと思いながら未だに読めていません。

 そういえば、今は絶版になっている『マーヴィン・ゲイ物語 引き裂かれたソウル』、『ジョン・コルトレーン 私は聖者になりたい』も読めていなかったことを思い出しました。
 これ以上リストアップすると物欲で頭がおかしくなりそうなのでやめておきます。

 どうしてこんなに未読の本が溜まってしまったのかと申しますと、まずこうした類の本はお値段が結構するため、気軽にホイホイ買えない懐事情がございます。著者の方々の労力を考えるとこんなことを言うのは大変心苦しいのですが、小市民の嘆きということでどうぞお許しください。

 もうひとつの問題は時間。お値段だけでなくページ数もボリューミーなものが多く、読みきるためにはそれなりの時間を要します。単純に時間に余裕がないというのもあるのですが、近頃は本を開くと自動的に導睡スイッチが入り、なかなか前に進まないのです。老眼でショボつく眼をこすりながら読むのも哀しいので、最近は自然に身を委ねることにしています。

 僕はこれまであまり評伝・自伝を読まなかったのですが、最近気になりだしたのは、自分が敬愛する人たちがキャリアの総括期を迎えていたり、デヴィッド・ボウイのように惜しくも天に召される人が増えたりしているからのように思います。
 若かった頃、親が自分の好きな有名人を懐かしむ番組を見ていると「退屈なことしてるな」と思ったものですが、今ではすっかり同じことをしています。月並みですが、自分が好きな人のキャリアや人生を辿りながら、自分自身の歩みを振り返り、何かしらの意味づけをしたいと感じはじめるお年頃なのでしょう。
 それはそれで楽しいことなので、我慢せずにガンガン振り返りたいと思っています。

 さて、何から読むかという最初の問題に戻ると、YMOに関しては以前にこのブログでも取り上げたメンバーのインタビュー本『Yellow Magic Orchestra』(田中雄二)が決定版だと思っているので、ひとまずスルーして、『デヴィッド・ボウイ 無を歌った男』から読みはじめようかなぁと・・・・。いや、『細野晴臣と彼らの時代』もおもしろそうだし、やっぱりこっちから読むべきかも・・・・。

 しばらくはこの贅沢な気分を楽しむのが正解な気がします。

posted by ichio
2020.10.09

F1の実は・・・

201009 F1に興味のない方(=日本国民の大半)にとってはどうでもよいことなんですが、F1好きにとって2020年はメモリアルイヤーであることを一応お知らせしておきます。
 ひとつは、世界選手権となって70周年であること。それまでイギリスを中心に単発的に開催されていたレースが、70年前に世界各国を転戦するシリーズになったのです。
 そしてもうひとつが、ミハエル・シューマッハが保持する最多勝利数記録91勝を更新し、最多ドライバーズタイトル獲得数7回に並ぶ大記録がほぼ間違いなく生まれること。
 自分が生きているうちには絶対に破られることはないと思っていた不滅の記録が、シューマッハのすぐ後の時代を担うルイス・ハミルトンによって打ち破られることに驚きを感じます。
 その背景には、年間のレース数が増えたことや、ハミルトンが所属するメルセデスのマシンが圧倒的に強いという事情もあるのですが、それでもこの記録がとんでもないことに変わりはありません。

 がしかし! 実は、F1にはハミルトンよりも多く優勝し、タイトルを獲得している人物がいるのです。
 それは、エイドリアン・ニューウェイというカーデザイナー。
 1980年代後半以来彼が携わったマシンは、現時点で156勝、コンストラクターズタイトル10回を獲得。
 他の優れたデザイナーがこの数字に遠く及ばないのは当然ながら、30年に渡って第一線で活躍していること自体が驚異といえます。

 そんな現役バリバリのレジェンドの自伝『エイドリアン・ニューウェイ HOW TO BUILD A CAR』が滅法おもしろい。税込み5000円オーバーと恐ろしく高価で、買う時にのどがカラカラになりましたが、それだけの値打ちはありました。

 彼は「空力の鬼才」と呼ばれ 、空気力学をF1マシンの設計にいち早く取り入れたことで知られています。
 本のタイトルに“HOW TO BUILD A CAR”なんて言葉が使われていますが、空力をはじめ技術的なことにはあまり触れず、世界最速のマシンをつくるために求められるアプローチや組織づくり、スタッフやドライバーとのコミュニケーション方法に重点が置かれています。
 ですのでF1ファンだけでなく、「F1なんてけったいな形をしたクルマが同じところをクルクル回っているだけ」と思っている、ごくごくノーマルで常識的なビジネスパーソンにとってもためになる内容になっています。

 ただ一般的なビジネス書やアスリートの自伝と大きく異るのは、舞台となるF1が0.1秒速く走るためだけに年間何百億円もかける狂った世界であること。
 そんなカオスに自ら身を投じる人間は、当然のことながら常識という杓子では計ることのできない人ばかり。タイトル獲得というただひとつの目標を達成するために、頭の中のある部分のネジを緩めている人たちが繰り広げるドラマは読んでいて飽きません。
 僕のF1ブログでホンダのF1参戦終了についてつらつら書かせてもらいましたが、結局のところ勤め人集団のホンダと、レースに人生を懸けている変態集団であるライバルでは、頭の根本的な構造が違う気がします。

 この本を読む限りニューウェイさんはユーモアがあり、至極まっとうな人という印象を受けますが、いやいやどうして、かなりの曲者です。そうでないと30年もこの世界で生き抜くことはできません。
 その辺りは『GP CAR STORY Special Edition 2020〜エイドリアン ・ ニューウェイ』というムック本を読むと、彼と一緒に仕事をしていた人たちの証言から彼の普通でないところが垣間見えて、おもしろさ倍増です。

 ちなみにニューウェイさんは、世界最高峰のマシンを設計しているにもかかわらずCADが苦手で、いまだに手描きでデザインを起こしています。学校の勉強も得意でなかったとのこと。
 また革新的なアイデアが浮かぶのは、移動中などホゲ〜としている時間だそうです。
 こういうのを聞くと、ちょっとヤル気が出ます。

posted by ichio
2020.05.16

現代中国SFと松本清張

200516 Stay Homeにより、時間に余裕のある日々が続いております。仕事の売上的にはまったく余裕ありませんが・・・・。
 ということで、自然と「何か儲かることないかな」と夢想する時間と、読書の時間が増えております。読みたい本は次から次に出てくるのに、儲け話は一向に浮かんで来ず。非常に困った状況です。そんな中でハマりつつあるのが、現代中国SFと松本清張。

 現代中国SFについては、「ナメててすみませんでした!」と謝罪会見を開きたいくらいです。
 盛り上がっていることは数年前から何となく感じていたのですが、「中国〜オリエンタリズムを前面に出しているんじゃないの」、「B級感をあえて楽しむアレですか」といった偏見があり、なかなか手がのびませんでした。テッド・チャンの短編小説『あなたの人生の物語』を、ドゥニ・ヴィルヌーヴが映画化した『メッセージ』はスタイリッシュでしたが、それはヴィルヌーヴ監督の腕だと思っておりました。申し訳ございません。

 そして最近、ふと手にしたのが中国系アメリカ人、ケン・リュウの短編集『紙の動物園』。表題作は、下手な人が書いたらお涙頂戴な話になってしまうベタな設定なのですが、ちょっと醒めた視点と、行きすぎないセンス、そしてシンプルな言葉で多くを語るテクニックによって、清々しいジュブナイル小説に仕上がっていました。
 ちなみにケン・リュウさんは、ハーバード大学卒で、弁護士、プログラマーという秀才。
 そんな彼がさまざまな現代中国のSF作品を集めたアンソロジー『折りたたみ北京』の編集をしているということで読んでみると、これが滅法おもしろい! 僕はSF小説自体に疎くて、今の潮流もまったくわかっていませんが、この本に収められている作品が優れていることはわかります。
 特にグッときたのが、リウ・ツーシンの『円』という作品。不老不死に取り憑かれた秦の始皇帝は、円周率の中にその秘密があると聞かされ、“けいか”という学者に「5年以内に10万桁まで円周率を求めよ」という、今なら即パワハラ確定の命令を出す。すると“けいか”はパワハラを訴えるどころか、300万の軍隊を使って巨大な人力コンピュータをつくってしまい・・・・という、子どもでも「そんなん、ありえへん」と呆れてしまうような、荒唐無稽なお話。なんですが、どういうワケかすごく説得力があり、グイグイと物語の中に引き込まれる。
 この短編は同じ作者による長編『三体』の中にあるエピソードを改作したということで、そっちも読むと、これまたおもしろいではありませんか。
 現代中国SF、まだまだおもしろい作品がわんさとありそうです。

 もうひとつハマりかけている松本清張は、恥ずかしながら今まで読んだことがありませんでした。何か、テレビの開局◯◯周年スペシャルドラマというイメージに胸やけがして、敬遠していたんです。それが、なぜだかアマゾンで『黒い画集』をポチッてしまい、ご縁が生まれました。
 清張さんの犯罪短編モノを読んで感じたのは、〝江戸川乱歩と谷崎潤一郎の一歩手前〟であるということ。フォーマットは初期の乱歩や谷崎の犯罪小説をベースにして、男女のもつれを描いているものの、乱歩のような怪奇路線に走るワケでもなく、谷崎のような淫靡な世界に迷い込むワケでもなく、あくまでも誰にでも起こり得る日常と地続きの話として描かれているので、読む側はみぞおち辺りがゾワゾワしてくるんです。
 「こんな修羅場、経験したくないな」という気持ちと、「人生のアクセントとして、ちょっと味わってみたいかも」というイケない誘惑が頭をもたげたりする。そうした人の奥底にある業が描かれているので、現代中国SFと同じように無理のある設定であっても、説得力があり、心をわし掴みにされます。
 清張、クセになります。

posted by ichio
2020.01.17

建物がまとう魔力は人がつくる

200117 秋口から続いていた忙しさも、年が明けてようやく落ち着いてきました。先日、仕事で高知に行った際も時間と気持ちに余裕があったため、泊まって観光を楽しむことができました。
 真っ先に訪れたのは、「土佐の九龍城」、「日本のサグラダファミリア」といわれる沢田マンション(通称「沢マン」)。
 沢田マンションは、専門的なスキルを持たない大家さん夫婦が自ら建てた、地上5階地下1階の鉄筋コンクリート建築物。つまり近年流行っているDIYの元祖であり究極型です。建物は、大家さんの直感(あるいは斜め上からの啓示)による自由過ぎる増築が繰り返されてきたため迷路状態に。しかも各部屋からにじみ出ている古参住人のオーラが凄い。一人で探索していると空間や時間の感覚だけでなく、こちらの価値観までねじ曲がっていくような感覚になります。

 そんなアメージングな体験をして思い出したのが、『HOME Portraits Hakka』(中村治)という写真集。
 どえらい存在感のある、おばあさんの顔の表紙を開いてまず引きつけられるのが、客家(はっか)という中国の移民が暮らす、福建土楼と呼ばれる集合住宅。外界を拒むようにそびえ立つ外壁をくぐると、何百年も前にタイムスリップしたような、それでいて単にレトロという言葉では片付けられない、こちらの感覚をねじ曲げる磁力をもった空間が広がっています。まさに沢田マンションの熟成版といった感じ。
 しかし、ページをめくっていくと、この写真集の主役は建物ではなく、そこに住む人であることが分かります。ほとんどがおじいさん、おばあさんで、味わい深過ぎる顔をしている。みなさんレンズを見ているのに、その先のずっと遠くを見つめている感じなんです。その瞳には、その人のこれまでの人生だけでなく、土楼という閉ざされた空間で暮らしてきた人たちの生活や、脈々と続く生命のサイクルが映し出されているように感じます。

 写真家の中村さんはあるインタビューで、建物を撮っても観光写真のようになってしまうため、そこで暮らし続けている人に焦点を当てることにしたと語っています。おそらく中村さんは客家の人たちの瞳を直視して、『2001年 宇宙の旅』のラストのようなトリップ感を体感したんじゃないでしょうか。
 『HOME Portraits Hakka』に収められている写真は、すべて土壁に反射した黄色い光に覆われています。それはあとがきに記されている通り、魔術的な雰囲気を醸し出していて、まるで土楼の中の小さな世界が幻であるかのように思えてきます。

 現在、福建土楼は世界遺産に登録されて観光地化が進み、多くの人は近くの現代的な家で暮らしているとのこと。中村さんが10年ぶりに訪れたところ、みなさんライフスタイルが変わって若返って見えたものの、撮影当時に感じた得体の知れない生命力は消えていたそうです。建物も住む人がいなくなるにつれ、磁力を失うでしょう。
 そこでがんばってほしいのが、沢田マンション。福建土楼や九龍城、軍艦島を受け継ぐ“生きたラビリンス”として、歴史を重ねていってくれることを願います。

posted by ichio
2019.07.12

旅先での出会い、本のカバー買い

190712 去年の夏に家族で金沢を訪れた際、何気なく入った雑貨店のギャラリースペースで版画家のタダジュンさんの個展が開かれていました。作品はいろいろなところで見たことはあったのですが、作者の名前を知ったのは恥ずかしながらこの時がはじめて。
 作品はどれもユーモアと毒っ気があって、すごくイカしてます。欲しい・・・・でも値段が・・・・・・・・。一人では決心がつかないので奥さんの様子をうかがったところ「いいやん」と許可をいただき、購入に向けてズズズンっ!と前進。しかし僕はCD1枚買うのに何ヶ月も思案する小心者です。OKが出たからといってすぐに何万もする大物を「これ、ください」と言えるワケがありません。想像しただけで喉がカラカラになってくる。さらに奥さんがOKを出したのは、自分も欲しいもの(それも版画と同等かそれ以上の大物!)をゲットするための策略じゃないかと、疑心暗鬼になる始末。
 これはいかんということで、一度頭を冷やして冷静に判断するため、近くにある本屋さんへ。すると、その本屋さんにタダジュンさんの作品が飾られているではありませんか。お店の人に話しかけると、その方はタダジュンさんのファンで、少しずつコレクションしているのだとか。この話を聞いて、作品の魅力だけでなく、好きな作家の作品を所有して楽しむという行為にもウットリする。
 これは“買い”だな。気合いを入れてギャラリーに再突入したのですが値札を前にしておじけづき、結局逃げて帰りました。

 それから1年経ちますが、ちょこちょこその時のことを思い出し、「買っておいたらよかった」と思ってしまうこの頃です。
 そんな後悔を少しでも晴らすため、最近タダジュンさんが装画を担当した本を集めはじめました。レコードの“ジャケ買い”ならぬ本の“カバー買い”。まだ買いだして間もないのですが、タダジュンさんは結構たくさん装画を手がけられていて、どの本もおもしろいんです。僕が読んだなかでは、ポルトガルの作家 ジョゼ・ルイス・ペイショットが書いた『ガルヴェイアスの犬』と、ドイツの作家で弁護士でもあるフェルディナント・フォン・シーラッハの『犯罪』という小説が良かった。特に『ガルヴェイアスの犬』は“へんぴな村にU.F.O.が墜落した”というキッチュな設定で、どこにでもいる人たちのしょうもない出来事を通して人生の機微を浮かび上がらせる、僕の大好物な作風。ヒトってどこまでもアホで不器用で愚かだけれど、愛おしい。そう思える作品です。
 小説と音楽、フィールドは違いますがU.F.Oつながりということで、僕の頭の中では1940~50年代のロサンゼルスにあったチカーノ・コミュニティを題材にしたライ・クーダーの大傑作『チャベス・ラヴィーン』と重なっていたりします。

 当たり前のことですが、こうしてカバー買いを楽しんでいても、本物の版画とブックカバーはまったくの別物で、僕の欲求が満たされることはありません。むしろ版画欲しい熱はさらに熱くなっています。
 でも、今後作品を手に入れたとしても、金沢で買っていたら感じたであろうワクワク感は味わえないでしょう。やっぱり旅先での出会いは大切にしないといけませんね。

posted by ichio
2019.03.28

素晴らしきかな人生

190328
 「しょうもない人生ぇぇぇッ!!」

 霜降り明星 粗品さんがツッコむ、「このマメ、デカっ」「関節鳴らへん」「この道に出てくるんやぁ」ということがトピックスになる、ペナペナに薄っぺらい人生をリアルに送っています。
 もう、かれこれ50年近く生きているのですが、まったくといっていいほど威厳や貫禄がないことに、自分でもビックリします。先日、ある仕事で高校時代のクラスメイトに偶然出会ったら、当たり前ですが、向こうは普通に年相応の大人になっていました。

 何となく脳裏をかすめていたけれども見て見ぬふりをしていた、自分は薄っぺらな人生を送っているのではないかという思い。それを突きつけてきよったのが、『国宝』(吉田修一)という小説。
 ヤクザの親分の息子として生まれ育ったものの、運命のあやで歌舞伎の世界に入り、さまざまな試練を乗り越えながら、ひたすら芸を磨き、頂点を極める男の一生を描いた大河小説です。
 
 次から次に予期せぬ出来事が主人公の喜久雄に降りかかるのですが、喜久雄は逃げずに真正面からぶつかり、すべてを芸の肥やしにしてステップアップしていくという、僕とは真逆の人生を歩むため、途中から読んでいて気恥ずかしくなってきます。
 いつもなら、「こんなヤツ、おらんやろう」と開き直ったり、「不幸のドン底に堕ちればいいのに」と妬みにかられたりするのですが、今回に限っては素直に喜久雄を応援するばかりか、喜久雄とともに涙することも。
 僕を〝良い人〟にしてくれたのは、喜久雄をはじめ、彼を取り巻く人たちが魅力的だから。一般常識に当てはめたら完全にアウトサイダーで、SNSで叩かれまくるようなことをする人たちなのですが、人としてどうにもこうにも魅力があるんですよね。最近はこういう人が生きにくい世の中なので、せめて物語のなかだけでものびのびと生きてほしいものです。
 また、作者の吉田修一さんが、歌舞伎という敷居の高い世界を舞台にし、作風も今までにないスタイルにチャレンジしたことが、この作品に勢いと深みを与えているように感じます。チャレンジする姿勢が登場人物の生き様と重なり合うことで筆がノリ、読む方も感情移入できるのかなと。

 ちょっと話は逸れるかもしれませんが、ミュージシャンや俳優が不祥事を起こす度に取り沙汰される、作品に罪があるのか問題。それぞれに意見があると思いますが、個人的には“作品に罪はない”派です。しでかした人が相応のペナルティを受けるのは当然で、現在進行形の公演やCMに影響を及ぼすのも仕方ないと思います。でも、過去の作品までをないものにしてしまうことには、かなりコワイものを感じます。大体、美術館で飾られている芸術といわれている作品を生み出した人の多くはアウトな人だったり、作品自体も不道徳なことが描かれていたりしますよね。こうしたことをすべて“常識”(これ自体もかなり危ういですが)という物差しではかるのはムリがあるように思います。

 『国宝』は新聞連載だったせいか、とにかくジェットコースターのような展開で、物語が進むと次第にハプニングのインフレが起こり、終盤はご都合的といいますか、フォレストガンプ的な感じなところもありますが、やたらめったらおもしろいことは間違いありません。そして、デカいバナナウンコが出ただけで嬉しくなる、薄い人生を送る僕にも、生きていること自体が素晴らしいと励ましてくれる、人生賛歌です。

posted by ichio
2018.10.12

フィリップ・ワイズベッカー作品集

3101012 本屋さんで偶然見つけた、『フィリップ・ワイズベッカー作品集』を夜な夜な眺めるのが、近頃の一服タイムになっています。
 フィリップ・ワイズベッカーさんはフランスのアーティスト、イラストレイターで、資生堂、サントリー、JR東日本、無印良品などの広告や、小山田浩子さんのブックカバーを手がけるなど、日本に馴染みが深いことでも知られています。彼の名前を聞いたことがなくても、作品のクセが強いので何かひとつ見れば、「だったらアレも、この人が描いたんじゃないの?」となるでしょう。
 
 この人のクセ(個性)は、とことん余計なものを削ぎ落としたシンプルな鉛筆画。そして、独特のパース感。学校で習うデッサンのお勉強としては完全に間違っていて“いびつ”なんですが、不思議としっくりきて、引き込まれてしまうんです。直線がすべて定規で書かれているのも、なんかよく分かりませんが、すごく変態っぽい。この、“ヘンテコだけど気持ちいい”感覚は、J ディラのサウンドと似ているように感じます。

 ワイズベッカーさんが描くのは、古いクルマや工具、工場など。どこにでもあるモノなのに、なぜか描かれたモノたちが時を重ねてきた、これまでの時間をあれこれ想像させる力をもっているんです。そうやっていろいろ思い巡らせていると、自分を取り巻く日常も“良さげ”に思えてくるんですよね。それは、彼が描くモノのどんなところに惹かれるのかをしっかり捉えているからでしょう。う〜ん、すんごい観察力と洞察力。僕もこの力をもってお気に入り熟女女優を見れば、きっと新しい世界が拓かれる気がします。

 今回発売された作品集は、2000年以降に描かれた作品を網羅した内容で、彼の世界観を堪能することができます。作品集をつらつら眺めて感じるのは、彼の絵単体でも素晴らしいのですが、そこにタイポグラフがついてデザイン化された広告ツールも、それに引けを取らないくらい素晴らしいということ。こうした広告ツールをもっと取り上げてくれたら、僕的にはさらにGoodでした。あと、カバーの紙質はもう少し丈夫なものにしてほしかった。フニャフニャで、本体を入れても、たわんでしまいますやん!

posted by ichio
2018.09.07

すごいぞ、シュワルツェネッガー!

180907 この表紙をご覧ください。一体どうして、こんなポーズで、こんな表情で写真を撮るのか。普通に考えて、どこかが狂っているとしか思えません。
 そして、どうして、こんな男に惹かれて、本まで書くことになるのか。これも普通に考えて、どうかしています。
 でも、狂っていて、どうかしているからこそ素晴らしい。

 おそらく日本初のアーノルド・シュワルツェネッガー論、『シュワルツェネッガー主義』。この本の主役である筋肉ダルマ、もといアーノルド・シュワルツェネッガーと著者の てらさわホークさん、どちらも最高です!

 アラフォーからアラフィフの人にとっては凄まじい人気を誇った全盛期をリアルタイムで体験しながらも、どこか半笑い扱いしてしまう存在。平成生まれの方々にとっては、顔は見たことあるけど何者なのかイマイチ分からないデカいおじいちゃん。そんなかわいそうな状態になっているかつての大スターを、ノスタルジックな視点と今の視点の両方から、愛と笑いをもって総括したのがこの本であります。
本の存在を知るきっかけとなったのは、宇多丸さんがパーソナリティを務めるラジオ番組『アフター6ジャンクション』で特集された「シュワルツェネッガー総選挙」。この回と前章となった「アーノルド・シュワルツェネッガーの重要性とは」での話が滅法おもしろく、購入する前から傑作であることを確信していました。(ディストピア映画をテーマにした『映画のディストピア』という本に掲載されているホークさんの文章もナイスです)
 新聞に掲載される映画広告ではじめて“アーノルド・シュワルツェネッガー”という異様な文字列を見て驚愕したエピソードは、僕もまったく同じ体験をしており(おそらく同世代の人はみんな体験していると思います)、居酒屋でレモンサワーを飲みながら語り合いたくなりました。

 本の内容は、シュワルツェネッガーの半生を振り返りながら出演作について論じるという構成で、ラジオ番組でのトークをザックザックと掘り下げたものになっています。
 情報量もさることながら、この本を特別なものにしているのは、ホークさんのシュワルツェネッガーと出演作に対するスタンス。ところどころツッコミを入れて笑いをとるのですが、バカにしているのではなく憧れや尊敬、畏怖の念があるので、シュワルツェネッガーがいかに(いろんな意味で)規格外で、スゴい人であるかが伝わってきます。

ちなみに僕のフェイバリット・シュワムービーは『ターミネーター』、次点『プレデター』です。『コマンドー』『トータル・リコール』も捨てがたい・・・・。
 『ターミネーター』の、クラブでニワトリみたいに首を動かしながらサブマシンガン ウージーをブッ放すシーンの恐怖は、30年以上経った今も当時のまま。それに比べて『ターミネーター2』で少年に「アイル・ビー・バック」とか言ってサムアップする姿を見ると、言いようのない虚脱感をおぼえます。

 ホークさんはあとがきにシュワルツェネッガーを追い続けてきた理由をまだ説明することができないと書いていますが、帯に記された「すごい肉体! すごい顔! すごい映画! 暴力と愛嬌!」という言葉だけで十分です!

posted by ichio
2018.05.16

画期的なジャズ論で、スタンプの「それな!」の違和感解消

180516 去年から忙殺状態がつづいていたり、自宅のパソコンが逝ってしまったりで、更新が滞っていました。仕事もひと段落し、心の平安を取り戻してきたので、ぼちぼち再開したいと思います。

 子どもとLINEのやり取りをしていると、「それな!」というスタンプがたまに送られてきます。どこのどいつか分からないキャラクターに半笑いで「それな!」と言われる度に、共感を得たうれしさを感じると同時に、まじめに考えて出した意見に対する返しの軽さに、ビミョーな違和感をおぼえていました(あくまでスタンプを送ってくれた子どもにではなく、キャラクターに)。しかし、ついこの前、「それな!」を書いた本人に送りつけたい本に出会ったのです。

 本の紹介をする前に、少しオレ話をさせてください。
 僕は20代半ばまでブラックミュージックが苦手でした。歌も演奏もめちゃめちゃ上手くて滑らかな感じが、当時の僕には甘過ぎたのだと思います。もちろんブラックミュージックには強いメッセージ性を打ち出した音楽や、引き締まったビートが炸裂する硬質な音楽も多くあり、今では“滑らかでメロウ”というイメージが偏ったものだったと分かります。
 歳を重ねるなかでそんな思い込みも薄れ、最近はハードなものだけでなく、若い頃苦手だったメロウなもの(さらにコテコテなムーディなものでさえ)も大好物です。この辺の感じは、牛肉ばかり食べて喜んでいたガキンチョが、菜っ葉とおあげさんの炊いたんをありがたそうに食べるオッサンになった様を想像してもらうと伝わりやすいかもしれません。

 そういう好みの変化とは別のところで、何となく、今スパイク・リーの『マルコムX』を観たらおもしろいんじゃないだろうかという気がして、約20年ぶりに観賞。劇場公開時は、「おもしろくないワケじゃないけど、いまいちグッとこない」という感じで、今回改めて観た感想もそれほど変わりませんでした。
 しかし、再観賞がきっかけで、マルコムXが活動していた時代のブラックミュージックと、その後のブラックミュージックを紐づけて聴く楽しさを発見。ジャズ、ソウル、ファンク、レゲエ、ヒップホップなどスタイルは問わず、そのなかに流れるグルーヴを軸にして聴くのが新鮮でした。特に昔は背伸びして聴いていた後期コルトレーンやエリック・ドルフィー、ファラオ・サンダースなどのフリージャズが放つバイヴ(アホっぽい表現で恥ずかしい)がジワ〜としみ込んできました。
 また、自分のなかのグルーブ・チェーンはすぐにロバート・グラスパーやディアンジェロ、さらにはケンドリック・ラマーともつながり、興奮をおぼえました。自分が何に興奮しているのかを考えてみたところ、「新しいジャズの捉え方とビート感覚」がキーワードになっていることはボンヤリと浮き出てきたものの、ピントが絞りきれず、ボヤ〜としたままでした。エロ関連なら、自分がどこで興奮してるのか簡単に分かるんですけどね。

 そんな時に出会ったのが、『Jazz Thing ジャズという何か ジャズが追い求めたサウンドをめぐって』(原 雅明)でした。「Jazz Thing」とは、スパイク・リーが『マルコムX』の2年前に手掛けた『モ・ベター・ブルース』の挿入曲で、ジャズの王道に身を置きながらロックやヒップホップにもアプローチしていたブランフォード・マルサリスと、90年代のヒップホップを牽引したDJプレミアがタッグを組んだエポックメイキングな曲。本のタイトルと出だしに、この曲をもってきた時点で、僕的には「それな!」の連打!
 この本で展開されている音楽評論のコンセプトは、これまで語られてきた“真っ当な”ジャズ史〜ジャズ論ではなく、伝統的なジャズと現在のソウルやヒップホップといったブラックミュージックを直結させて、新たな音楽の在り方・聴き方を提示しようとする試み。これはまさに僕がボンヤリと関心をもっていた、「新しいジャズの捉え方とビート感覚」に対する答えでした。
 
 マイルス・デイビス、ハービー・ハンコック、オーネット・コールマンが新たなジャズを模索していた歴史にはじまり、70年代から80年代にかけてのロフトジャズやフュージョン、90年代に活発化したジャズとヒップホップの融合、クエストラヴやコモン、ディアンジェロ、エリカ・バドゥ、ロイ・ハーグローヴといった、ヒップホップ、ソウル、ジャズの先鋭が集まったソウルクエリアンズ、そしてテン年代をリードするロバート・グラスパー人脈やカマシ・ワシントンの活動までをつなげる展開は、ずっと目からウロコ状態。特に驚きだったのは、こうしたブラックミュージックのウラ鉱脈と、アメリカーナをつなげる視点が盛り込まれていたこと。僕のなかでこれらは完全に別モノだったのですが、おかげで新しいグルーヴ・チェーンをもつことができました。情報量もハンパなく、ホントに勉強になります。
 この本を読んだ人と「それな!」を送り合えることができれば、すごくうれしいです。

posted by ichio