KITSCH PAPER

HOME BOOK DAIRY MOVIE MUSIC ETC
Oh my Buddha!It is such a wonderful site that it's unbelievable.
2023.03.29

映画にまつわる話

230329 この数年ズルズルと継続していた某CS放送サービスから、Netflixへシフトしました。厳密にいうと、F1を観るためにCSの1チャンネルを残し、5チャンネルパックを解約。いっそのことDAZNにも入ろうかと勢いづいたのですが、お値段を見た瞬間にしゅるしゅると萎んでしまいました。
 Netflix、メチャいいじゃないですか! 入会の手続きは簡単だし、観たいコンテンツはいっぱいあるし、なんで今まで入会しなかったのか、自分に喝を入れてやりたい気持ちです。
 ただ、映画でいえばSpotifyレベルに作品が揃っているわけではなく、検索をしても結構な確率で「ありません」と突っ返されるのですが、まぁ許しましょう。そうはいっても観たい作品は山ほどあり、嬉しさのあまりわけがわからなくなり、「釣りバカ」シリーズから観はじめるという贅沢な使い方をしてしまいました。

 さて、劇場鑑賞の方も去年の暮れから今年に入って良作がつづいていてゴキゲンです。なかでも特におもしろかったのが、『ザリガニの鳴くところ』、『イニシェリン島の精霊』、『バビロン』、『ベネデッタ』あたりでしょうか。
 『ザリガニの鳴くところ』は去年に観たということもあり、すでに記憶が薄れているものの、おもしろかったことだけは印象に残っております。
 そういう意味では『イニシェリン島の精霊』の記憶も危ういのですが、監督のマーティン・マクドナーの前作『スリー・ビルボード』と同じく、平坦な日常が崩れた時に起きるさらなる悪循環を、オフビートなユーモアを交えて描いていたことは覚えています。あと、コリン・ファレルの八の字眉毛の困り顔がサイコーなことも。

 賛否両論の大作『バビロン』、僕はかなり楽しませてもらいました。『ブギー・ナイツ』の構成をまるっと借用しながら、さまざまな過去作品のオマージュを絡めて、映画がサイレントからトーキーへ移り変わる様を描いており、それは嫌をなしに劇場での鑑賞からサブスクによって家や出先で観るスタイルへと変わり、従来の“映画”が終わりつつある今の状況とオーバーラップして泣けました。

 『ベネデッタ』は、鑑賞前はポール・パーホーベンが何やら宗教を扱った小むずかしい映画を撮ったんじゃないの?!という不安がよぎったのですが、要らぬ心配でした。やはり、ポール・パーホーベンはポール・パーホーベン。内容は最初から最後まで立派なエログロ・サスペンスでした。いやぁ、80歳を超えてこのパワー、感服しかありません!

 あと、先日『シン・仮面ライダー』も鑑賞したのですが……、ここでは触れないでおきます。

posted by ichio
2022.03.25

今度のバットマンは金田一耕助だ!

221025(内容にふれるのでご注意ください)

 やっとこさ映画の劇場公開がいつも通りに戻りつつあるこの頃。気になる作品も結構あり、ちょこちょこ劇場に足を運んでいます。かねてから話題になっていた『ザ・バットマン』もそのひとつ。ティム・バートン版から数えて何回目の仕切り直しか分からなくなるくらい“こすりまくり”のネタですが、新作が公開されるとついつい観てしまうんですよね。

 というワケで行ってきました。正直なところ、バットマンのシリアス路線といいますか、中2病お悩み路線は『ダークナイト』でお腹いっぱいになっており、『ダークナイト ライジング』の煮えきらず、やっと動いたと思ったら開き直った態度のブルース・ウェインにイライラ。『バットマンvsスーパーマン ジャスティスの誕生』ではスーパーマンとのしんきくさい揉め事につき合わされ、「何をワケのわからんこと言うとるねん?!」と、どうでもよくなってしまいました。
 今からすると、公開当時は暗いと批判されていたティム・バートン版の何とヌケの良いこと!

 そんなこともあり、今回の『ザ・バットマン』の予告を観た時も「またお悩み路線じゃないの・・・・」と不安を感じておりました。が、幸いこっちの予想を“ある程度”は裏切ってくれました。まぁ今回も悩みはするのですが、それほどウジウジせず行動に移してくれるので、観ている方はノリやすい。最近のバットマンになかった小気味よいテンポが戻ってきたのはうれしい限りです。

 僕の観終わった直後の感想は、“ダイ・ハード3 meets 金田一”。犯人になぞなぞを出題されて相棒と街中を駆けずり回るという設定が、『ダイ・ハード3』と同じという指摘は多くの人がしていますが、それと同じくらい市川崑の金田一耕助シリーズに似ています。

 ざっと思いつくだけでも、暗くおどろおどろしいムード、犯人のケレン味あふれる犯行手口、登場人物たちが「よおし、わかったぁ〜!」と言いながら犯人のトラップに引っかかりまくるところ、事件のカギが過去の出来事や家族に関連していること、結局のところ事件解決に役立っていない主人公のボンクラ感などなど。おまけに話の展開や人間関係が込み入ってくると、わかりやすいように相関図を書いてくれる親切設計まで同じ。冗談抜きで脚本を担当したマット・リーブス(監督兼任)とピーター・クレイグは金田一シリーズを観たことあるんじゃないでしょうか。
 また、善人面した著名人の悪事を晒しまくる敵役のリドラーは、“史上最狂の知能犯”というより、“度が過ぎたガーシーの模倣犯”といった方がしっくりくる感じです。

 一見、クリストファー・ノーラン版のシリアス〜お悩み路線を引き継いでいるように見せながら、キュートさやオフビートなユーモアを散りばめているところが、この作品の大きな魅力であるのは間違いないでしょう。
 バットマンが蒼くさいユルさを残しているのもそのひとつ。今回のブルース・ウェインはバットマン歴2年という設定でしたが、にしてはあまりにも悪党の言うことを鵜呑みにして右往左往し、ゴードンに「しっかりしろ!」と叱られるのが何とも微笑ましい。挙げ句には、あまりになぞなぞが解けないため、リドラーに素で呆れられる始末。最後の問題も近くに警官がいなければ解けていなかったじゃないの!
 これは貶しているのではありません。褒めているのです。D.I.Y.感満載のマスクや、ハイテクになり過ぎない武器の性能具合もふくめ、未完成感がステキです。
 久々にゴッサムシティが存在感を放っていたのも良かった。街そのものがモンスターであることを視覚的に表現した撮影のグリーグ・フレイザー、美術のジェームズ・チンランド、グッジョブです。

 そして、バットマンがジタバタ動いたものの、リドラーの企みを何ひとつ防げなかったことに気づき、利他的な行動をとる姿は最近のダークヒーローものにはなかった納得感がありました。おそらくそれは、バットマンが自分の力を越えた巨大な何かを痛切し、目の前にいる人を救うというヒーローとしての宿命を背負ったことが、映像として描かれていたからなのでしょう。

 次作につづく種もいろいろ蒔かれているので、これからもバットマンとのおつき合いはつづきそうです。

posted by ichio
2022.01.31

ジョン・カーペンター降臨

210131 ついこの前まで“ホラー映画の帝王”、いや“映画界のD.I.Y.大将”ことジョン・カーペンターの名作を上映する、『ジョン・カーペンター レトロスペクティブ2022』が開催されておりました。今回上映作されたのは、『ニューヨーク1997』、『ザ・フォッグ』、『ゼイリブ』の3本。
 サイコー!やないですかッ!! 年のはじまりを漢の魅力あふれるスネークと過ごせるなんて。
 残念ながら僕は仕事が忙しくてスルーするしかなく、ハンケチをギリギリ噛んでいたところ、とんでもなくイカすパンフレットが発売されていることを知り、すぐさまゲット。
 なんと、VHSのパッケージに見立てた仕様になっているではありませんか。これは、単に公開された時代がビデオ最盛期だったということだけでなく、“ビデオ”というどこか手作り感とキッチュ感漂うメディアと、D.I.Y.精神あふれるカーペンターの特性との親和性を考えてのことでしょう。
 キッチュ感に関しては、彼の作品のどこを切っても漏れ出てきますが、その中でも特に『ゼイリブ』での、まるで延びきったうどんのように弛緩したケンカシーンは特筆に値します。(ケンカの結末自体もヌルっと終わります)
 このシーンを最後まで見届けられるかどうかで、カーペンター作品のトリコになるか、今後一切スルーするかが決まるのではないでしょうか。今のコマ落としをしたスピーディーなアクションシーンに馴染んだ若い人が、どう感じるのかすごく興味があります。

 話をパンフレットに戻すと、魅力はほぼほぼ外身。
 ちなみに中身は、ポストカード16枚と、黒沢清監督をはじめとするカーペンターファン5人の文章。特に文章は5人合わせてペラ紙1枚。読みはじめたら終わってしまうボリュームで残念。ポストカードも、もう一捻りしたものにしてほしかった・・・・。でもまぁ、ここ最近ではいちばん心がざわついたアイテムです。

posted by ichio
2021.09.14

ひと味ちがうスタローン〜『ナイトホークス』

210914 シルベスター・スタローン。
 この字面を見て、すでに半笑いになっている人はいませんかッ?!
 まさか、彼のことをやたら筋肉を見せたがる単細胞マッチョ俳優なんて思ってないでしょうね。まぁ間違ってはいませんが、彼の魅力はそれだけではありません。

 いや、もしかしたら、若い方々の中にはスタローン作品を観たことがない人や、「誰それ?」という人がいたりするかもしれない。
 知らないのは、時代の流れということで仕方ありません。問題は、半笑いになってしまうことです。そういう人の大半は、迷作『刑事ジョー ママにお手上げ』が原因ではなく、単細胞マッチョというイメージや、「エイドリア〜ン!!」と絶叫するロッキーのモノマネに引っ張られているんじゃないでしょうか。
 まず、はっきりさせておきたいのは、「エイドリア〜ン!!」と叫ぶシーンは、観ているこっちもヒックヒック嗚咽するくらいの胸熱シーンであることです。人付き合いが苦手で、どん詰まりの人生を送っていたロッキーとエイドリアン。そんな二人が出会い、自分らしくいられる場所を見つけ、ロッキーの人生を賭けた挑戦が終わった時、ボクシングの夢よりも世界でたった一人の理解者の方が大切だと実感して出てきたのが「エイドリア〜ン!!」です。そんな姿を見て泣かずにいられるわけがありません。

 スタローン自身も『ロッキー』の成功をきっかけにスターとなり、1980年代後半からながい迷走期はあったものの、素晴らしい作品を多く世に送り出してきた俳優であり、映画作家だということをご理解いただきたい。今ではロッキー・バルボアとジョン・ランボーという映画史に残る2大キャラクターを看板にしている彼ですが、『ロッキー2』の頃まではロッキーのイメージが付くことを避けるためか、いろいろな役にチャレンジしていました。
 そのひとつが『ナイトホークス』。

 取り上げられる機会が少なく地味な印象ですが、スタローンファンや犯罪モノが好きな人の間では根強い人気がある作品です。何といっても、ストーリーがあるのが素晴らしい。迷走期には、ただ腕相撲をとりつづける作品や、叫びながらマシンガンをぶっ放すだけの映画を連発していましたが、『ナイトホークス』にはしっかりとした筋があり、しかも伏線と回収、どんでん返しが効果的に使われていて、ピリッと引き締まったサスペンスアクションに仕上がっています。

 ところで最近やたら「伏線と回収」というフレーズを見るんですけど、何か僕の中での意味合いと違うんですよね。今って、何かしらの謎が振られて、その答えを明らかにすることを意味しているように感じます。だから、後半に登場人物がセリフでダラダラ喋っても回収成立となる。これじゃ、伏線が全然伏せてないし、単なる説明やん!
 事前にさり気なく後につながるネタが映し出されていたり、会話の中に潜んでいたりして、結果に至った時に「そういえばあの時!」と膝を打つのが本来の「伏線と回収」だと思うのですが。

 話は戻り、スタローンも『ナイトホークス』では、腕は立つけれど人としては癖が強い刑事を好演。癖が強いキャラというと「そんなヤツおらんやろ」というくらいデフォルメしがちですが、抑えた演技で汚れ感と不器用感を良いバランスで演じています。

 そして、この作品最大の見所は、一匹狼のテロリストを演じるオランダ出身のルトガー・ハウアー。非道なテロ行為を平然と行う狂いっぷりと、組織から見放されて追い詰められていく焦燥感を圧倒的な存在感で表しています。子どもの頃に見た時、「世の中にはこんな恐ろしい人間がいるんや」と、震え上がったものです。
 ルトガー・ハウアーはこの後、『ブレードランナー』や『ヒッチャー』でも唯一無二の悪役を演じ、アメリカでスターに。ただ彼もスター街道を走るようになって、スタローンと同じくステレオタイプなニヒルヒーローを演じる時期がつづき、再び渋い演技をみせてくれるようになるまで随分待たなければなりませんでした。

 スタローンは近年、ランボー・シリーズを超ヘヴィな作風で復活させたり、ロッキーのスピリットを次の世代へつなぐクリード・シリーズを始動させたりするなど、現在進行系で素晴らしい仕事をしています。
が・・・・、同時に迷走期の名残が濃ゆい大脱出シリーズもコンスタントにつづけているあたりが、スタローンらしくてステキです。

posted by ichio
2021.07.06

一生モノ級の傑作、『アメリカン・ユートピア』

210706 サイコーやないですかッ!! デヴィッド・バーンの『アメリカン・ユートピア』。
 カッコ良すぎて涙腺が崩壊し、ヒックヒックするくらい泣いてしまいました。

 ざっくり内容を説明しますと、かつて彼がフロントマンを務めていたバンド、トーキング・ヘッズとソロになってからの代表曲をメインに構成されたブロードウェイのショーを、映画監督のスパイク・リーが映像化した作品です。
 といっても、単なるライヴやミュージカル仕立てにならないところが、デヴィッド・バーンのデヴィッド・バーンたる所以。何と、裸足でお揃いのスーツを着た11人のミュージシャンが、舞台狭しと日本体育大学の集団行動のように複雑なフォーメーションをとって行進したり踊ったりしながら、演奏するんです。
 しかも演奏はシンプルかつグルーヴィーで、グイグイ腰にくる完成度。デヴィッド・バーンのボーカルも年齢を重ねて滋味が滲み出てきて、若い頃とはまた違った魅力があります。

 あまりにスゴ過ぎて、「こんなクオリティの高い演奏と複雑な動きを同時にするのは無理。絶対に口パク」と邪推する人がいても、僕は怒りません。生演奏だと知っていても、途中から「そうはいっても、ちょっとくらい口パクしてるんじゃないの?」と疑ってしまうくらいですから。
 しかし、こうした疑問に対して、デヴィッド・バーンはメンバー紹介を交えながら本当の本当に生演奏であることを証明し、観客を改めて唸らせます。

 『アメリカン・ユートピア』が素晴らしいのは、技術的にすぐれているからだけではありません。むしろ、デヴィッド・バーンのセンスと知性、そしてひょうひょうとした佇まいがあってこそといえるでしょう。
 実際に踊り自体は高度な技を披露しているわけではないのですが、ユルいところとバシッとキメるところのメリハリをつけることで、カッコ良さが際立っているんですよね。
 余談ですが、ピーター・ガブリエルのライヴにも同じような魅力を感じます。
 こういうスタンスは、肉体的な経年劣化が加速している中年として、是非ともお手本にさせていただきたいところです。

 また、このショーではデヴィッド・バーンの語りや舞台演出によって、さまざまなメッセージが発信されているのも特徴。でも、それが頭デッカチになっていないのが粋。近年顕著になっている世界の断絶に対しても、特定の個人や国を糾弾するのではなく、その原因は一人ひとりの心にあるとしている点にも共感。しかも、それをあんなモノ、こんなモノで表現するなんて、イカして過ぎてますやん。

 あともう一つ、おそらく複雑・高度であろう撮影や構成をそうとは見せず、没入体験させてくれるスパイク・リーの手腕も素晴らしい。そして、パフォーマーが全集中している緊張感と、音楽が楽しくてしかたないと感じている姿がとらえられていて、胸が熱くなります。音楽が好きでないと、こういう映像は絶対に撮れません。

 もうベタ褒めを通り越してネチョ褒め状態ですが、ブロードウェイ公演されたのを知った時は、昔のヒット曲を焼き直ししているように思えて、「デヴィッド・バーンも年をとったなぁ」と残念な気持ちになったことを白状します。
 いやもう、完全な間違い。菓子折りを持ってニューヨークまで謝りに行かなければなりません。

 彼は「これはいつ書いた曲なのか」といったみみっちいことにはこだわらず、「“いま” 意味のある曲は何か」という視点でとらえているんです。
 また、ラテンやアフリカの音楽を積極的に取り入れてきた彼は、かつて「人様の文化を搾取している」、「植民地主義だ」など、批判されることもありました。当時から評論家のこじつけ感がハンパありませんでしたが、今振り返るとさらに、そういった物言いの方がはるかに傲慢なエリート主義であることが分かります。
 デヴィッド・バーンは、異文化の音楽を奪ったのではなく、異文化の音楽に心を奪われたんです。そして、音楽の素晴らしさと力を心から信じているんです。
 そんな彼に魅了されないわけがありません。

posted by ichio
2020.12.16

スター・ウォーズ シークエル・トリロジーを自分なりに振り返った件

201216 仕事でポンコツな人に的外れなダメ出しを食らった時や、自宅でお風呂の保温スイッチを切り忘れたの誰か問題が勃発した時、頭に血がのぼり思わず声を荒げて怒ってしまった経験が誰しもあるはず。しかし時間をおくと、「何であんなに大人気なく怒ってしまったんだろう」「怒るにしても、もう少し良い方があったんじゃないか」と、反省することになったのではないでしょうか。
 そう、世の中の腹立ちの大半は、時間が解決してくれるのです。

 ということで今回は、スター・ウォーズのエピソード7からエピソード9にあたるシークエル・トリロジーのお話をしたいと思います。
 (ネタバレはしていないと思いますが、気になる方はご注意ください)

 まず僕とスター・ウォーズの関係から申し上げますと、小学低学年の時に1作目のエピソード4「新たなる希望」に出くわした、リアルタイム世代のいちばん下の年代です。「新たなる希望」からずっと劇場でシリーズ作品を鑑賞してきたので好きな作品ではあるのですが、決してマニアではありませんし、フェイバリットでもございません。人生最高の映画は『ショーシャンクの空に』という人に「スター・ウォーズって好きですか?」と訊かれたら、「この人はどれ位のレベルを好きとするのか」悩みながら「どちらかといえば好きですね」と答えるくらいの門外漢です。

 しかし僕らの世代で少しばかり映画にまれ親しんだ者にとってスター・ウォーズは、好き嫌いに関係なく「おもしろい映画というのはこういうもの」という基準を海馬に刷り込んだ、絶対的なものさし。
 例えるなら、僕にとってスター・ウォーズは、おにぎりです。ごはんは自分の食生活に欠かせないものであり、おにぎりはいつ食べてもおいしいけれど、「今晩何か食べたいものある?」と訊かれて「おにぎり!」とは叫ばない。そういう存在です。

 スターウォーズ・サーガをおにぎりというフォーマットとするなら、エピソード4からエピソード6のオリジナル・トリロジーは、梅・しゃけ・昆布といった文句のつけようのない鉄板の具材が入ったおにぎりでした。ちなみに「ジェダイの復讐」は辛子明太子としたいところですが、微妙なところもあるので昆布とします。
 期待とは裏腹に評判が良くなかったエピソード1からエピソード3のプリクエル・トリロジーは、CGという新しい具材をギットリ多用したために本来の魅力を失ったことから、シーチキンマヨネーズ、ツナマヨネーズ、えびマヨネーズのマヨ3部作といえるでしょう。
 そしてシークエル・トリロジーは、“新時代のおにぎり”というコンセプトは立派だけれど、オムそばおにぎり、チーズカレーおにぎり、バジル鶏肉おにぎりなど、「これ、おにぎりで食べなあかん?」というアレンジをして、食べてみたら「やっぱり普通の方が100倍おいしいやん!!」となる、空回りした変わり種おにぎりでした。

 ただ、エピソード7「フォースの覚醒」は「新たなる希望」を語り直すスタイルをとりながら、主要人物が女性や元ストーム・トルーパーだったり、敵役が中二病だったり、はずしのセンスが効いた楽しい作品でした。そして何よりも3人の主要人物がフレッシュでイキイキしているのが素晴らしかった。創造主ジョージ・ルーカスの手を離れたことで、逆にオリジナル・トリロジーのようなワクワク感あふれる3部作になるのではと期待しました・・・・。

 しかし残念ながら、「敵がしょぼくないか?」「オールドファンへの目配せが多い」「で、この話、これからどうなるの?」といった一抹の不安が、この後の「最後のジェダイ」「スカイウォーカーの夜明け」で現実のものになっていくのでした。

 細かいツッコミどころを挙げるときりがないのでやめておきますが、シークエル・トリロジーが完結した今振り返ると、3部作を通したトータル的な設定やストーリーを考えてなかったのかと疑ってしまう、行きあたりばったりの構成になっていたのが最大の問題点だと分かります。
 しかも話が安いRPGみたいに、○○の謎を解くためには○○をゲットする必要があり、○○をゲットするためには○○を見つけ出さなければならないというアクロバティックな展開になっていて、途中から「この人たちは何を右往左右しているのか」とワケが分からなくなる始末。
 無意味などんでん返しを多用するせいで逆にどうでもよくなる『ワイルドシングス』現象が起きているのもイタいです。しかもバタバタ大暴れしたのに何も解決しない、単なる時間の無駄遣いにしかなっていないことには呆れるしかありません。
 そして「フォースの覚醒」で魅力的だった主要人物3人衆はどんどん平凡なキャラになっていき、話の内容も旧作の辻褄合わせに終始する羽目に。オリジナル・トリロジーや「フォースの覚醒」にあった開放感、前向きな雰囲気や物語進行はきれいさっぱりなくなってしまいました。
 というか、「スカイウォーカーの夜明け」の苦し紛れな設定のせいで、9作品を通してパンパティーン皇帝の奮闘記になってしまってますよね。

 もうお分かりだと思いますが、僕のシークエル・トリロジーの評価は、完全な失敗です。ファイナルアンサーで結構です!
 しかもただ失敗しただけでなく、オリジナル・トリロジーの意味合いを変えてしまったことが罪深い。
 唯一功績を挙げるとすれば、これまでケチョンケチョンにいわれていたプリクエル・トリロジーが「シークエル・トリロジーに比べたら全然マシ!」と、再評価(という言葉が適当かどうかは分かりませんが)のきっかけをつくったことくらいでしょうか。
 僕、「ファントム・メナス」と「シスの復讐」は嫌いじゃないんですよね。むしろ「シスの復讐」は結構好きです。

 ディズニーによるとスターウォーズ・シリーズはこれからも続くようで、懲りずにお付き合いすることになると思いますが、完全に別物として扱わせていただこうかなと思っています。
 う〜ん、こうやって書いているうちに、また怒りが沸々と湧いてきました・・・・。
 冒頭で腹立ちは時間が解決してくれると書きましが、訂正します。

 シークエル・トリロジーは、単なる蛇足やないか〜ッ!!

posted by ichio
2020.10.24

天才の仕業にふれる喜び

201023 『ダークナイト』以来、ちょっとずつこちらの期待値を下回る作品をつくりつづけているクリストファー・ノーラン。
 「もう、おうち鑑賞でいいかな」と思いながらも、新作が公開されるとついつい劇場に足を運んでしまう状態がつづいています。
 考えてみると、彼の作品で手放しに好きといえるのは『バットマン・ビギンズ』と『ダークナイト』(がんばって『インターステラー』)くらいで、後は観終わった後に何かモヤモヤするんですよね。
 そんなテンションにもかかわらず、話題に釣られて『テネット』を観るために映画館へ。彼の“ゴキブリホイホイ力”は当代随一といえるでしょう。

 感想を申し上げますと、今作はほとんど期待していなかった分、それなりに楽しめました。時間が逆行するアクションシーンは絶妙に気持ち悪くてインパクト大。CGに頼らないIMAXカメラによる映像も有無をいわせない迫力です。(パズルの答え合わせ的なつくりは興味をそそられません)
 が、それでもやっぱり中盤以降の鈍重な展開や、アクションシーンで登場人物の位置関係を観客に理解させる空間掌握力など、彼のウィークポイントは相変わらず。特に空間掌握力は結構重症で、誰がどこにいるのかが分からないため、せっかく派手に動きまわってもらってもハラハラしない。それどころか、「これ、どんなってるんスか?」とフラストレーションを感じてしまうんです。この点に関しては、『CASSHERN』を撮った紀里谷監督と共通するような・・・・。

 これに比べるとマーベル作品はすごくうまい。あれだけ多くのキャラクターが暴れまくっているのに、まったく混乱しません。ノーラン監督と同じく『ユージュアル・サスペクツ』以降、微妙な作品を撮りつづけているブライアン・シンガーでさえ、『X-MEN:フューチャー&パスト』における序盤のアクションシーンではちゃんとしてました。
 偉そうに文句ばっかり並べてますが、新作が公開されたらまた劇場に行っちゃうんでしょうね。

 今回取り上げたかったのは『テネット』ではなく、『メイキング・オブ・モータウン』というドキュメンタリー映画でした。
 60年代〜70年代にかけて尋常じゃないクオリティの名曲を連発し、数々の天才ミュージシャンを世に送りたした「モータウン」というアメリカのレコード・レーベルの歴史を紐解く内容なんですが、コレがよく出来ていて滅法おもしろいんです。

 まず、当たり前ですが、作中に流れる音楽が素晴らし過ぎる! 特に洋楽に詳しくない人でも一度は聴いたことのあるメロディが、「これでもか!」という勢いで鼓膜と心を揺さぶるんです。これだけで涙がツーッと流れ落ちます。サウンドもリマスタリングされ、クリアかつ迫力ある音になっていてグッドです。
 それにしても、普通の住宅をオフィス兼スタジオに改造した地方都市デトロイト発のレーベルに、スモーキー・ロビンソン、マーヴィン・ゲイ、スティービー・ワンダー、マイケル・ジャクソンといったド級の天才が所属していたというのは奇跡としかいえません。

 しかし、レーベルの創設者であるベリー・ゴーディにしてみれば、それは偶然ではなく必然。
 彼は若い頃に働いていた自動車工場の徹底的に管理された生産システムを、音楽業界に導入するという新しいビジネスモデルをつくったんです。このビジネスモデルは、ジャニーズやK-POPなどのベースになっています。
 ちなみにデトロイトは自動車製造を主要産業とする街で、「モータウン」というレーベル名は“モータータウン”からきています。

 才能発掘、楽曲制作、品質管理、タレントのプロデュースなどをシームレスに行う方法は、音楽業界だけでなくどんな世界でも参考になること間違いなし。僕も仕事でこのシステムを取り入れて、できる限り厳しく自己管理しようと思っているのですが、もう一人の自分にとことんダメ出しされるともう逃げ道がなくなるのでペンディングしています。

 そして、最大の見所は何といっても、ベリー・ゴーディと、彼の相棒であり会社の副社長でもあったスモーキー・ロビンソンとのわちゃわちゃ感全開のトーク。とにかく楽しそうで元気。歯の白さも新庄超えレベル! とても90歳と80歳のおじいちゃんには見えません。
 ラストに当時の関係者が嫌がる“ある”歌を、二人で嬉々として歌うシーンは最高です。
 自分の功績を振り返るということで、影の部分は軽くふれる程度ですが、なかったことにしていないところに好感が持てます。

 編集も凝っていて飽きさせないつくりになっているので、「何かおもしろい映画やってないかな」という人は、ぜひ映画館まで足を運んでください。

posted by ichio
2020.09.27

名刑事の名裁き

8200927 知り合いと話をする際、配偶者のことを何といいますか。
 男性なら嫁さん・奥さん・女房・家内、女性なら夫・主人・旦那・パパといったところでしょうか。
 でもまぁ、これは話す相手との関係性や、話の内容、ノリで変わってきますね。

 「いやぁ、うちのかみさんがね」 
 この人は、今となっては珍しい“かみさん派”です。
 “この人”が誰だかすぐに分かった人の大半は、40オーバーのおじさんでしょう。
 正解は、刑事コロンボ。ロサンゼルス市警察殺人課の警部。正確には主に1960年代後半から1970年代後半にかけてアメリカで制作された、サスペンスドラマの主人公です。
 ズングリした体型で髪の毛はボサボサ、くたびれたコートを着て、いつも安物の葉巻をくわえている中年刑事といえば、「あぁアレね」となるんじゃないでしようか。
 日本では最初NHKで放送されたのですが、僕はその後の「水曜ロードショー〜金曜ロードショー」で見ていました。

 ドラマの内容はパターンが決まっていて、出だしに犯人が殺人を犯し、コロンボが完全犯罪を切り崩すというもの。視聴者は最初から犯人が誰か分かっていて、コロンボが犯人を追い込んでいく様を追うのがキモになっています。
 先ほどの「いやぁ、うちのかみさんがね」 というのはコロンボの口癖で、犯人(大半は社会的地位の高い人物)に根掘り葉掘り質問するイントロになっているでんです。

 YouTubeで偶然、米粒写経と映画評論家の松﨑健夫氏の『刑事コロンボ』をテーマにしたトークイベントを観たのをきっかけに、コロンボ熱が上昇。アマゾンでDVDセットをポチッてしまいました。
 
 かなり久々に観たけれど、やっぱりおもしろい。
 「初対面の時から犯人と疑ってないか?」「そんな落とし方じゃ裁判で負けるでしょ」といったツッコミは不要。そんなことは重要ではありません。
 一見冴えないコロンボが、高い知能と地位、プライドを持った犯人に小馬鹿にされながらもネチネチ、ジワジワと追い込んでいく過程を見て、最後に「ざま〜!」「お見事!」と膝を叩くのが醍醐味なんです。要するに、映画ライター、ギンティ小林氏命名「ナメてた相手が実は殺人マシーンでした映画」の敏腕刑事版。
 
 改めて観直すと、コロンボの「もうひとつ訊きたいことを忘れてました」攻撃のしつこさと、意外に中盤の段階で「あんたが犯人だとにらんでいる」と挑発する押しの強さにビックリ。
 あと、犯人を自白に追い込む罠は、「性格が悪いんじゃないの」「謎解きを楽しんでるんじゃないか」疑惑が湧いてきます。

 普通ならツッコミどころ満載な話をおもしろくしているのは、まず脚本のクオリティの高さ。単にトリックが巧妙というだけでなく、犯人と被害者の関係性やその背後にある生活、はたまた犯人とコロンボの関係性がきちんと描けている。
 そして脚本に説得力を持たせる、主演のピーター・フォークとゲスト俳優の演技も忘れてはいけません。ピーター・フォークは『カリフォルニア・ドールズ』でもいい味出してました。いい役者さんです。吹き替えの小池朝雄さんもサイコー。

 ちなみに僕のフェイバリットの話は、「別れのワイン」で決まりです。
 

posted by ichio
2020.05.06

カツカレー的映画『ファイヤーフォックス』

200405 完成度がユルく、かといってB級テイストを愛でる感じでもない作品であるにもかかわらず、どういうわけか繰り返し観てしまう映画って、誰にでもあるんじゃないでしょうか。
 そんな学食のカツカレー的映画。僕の場合、その筆頭として挙げられるのが、以前このブログでも取り上げた、ロマン・ポランスキー監督、ジョニー・デップ主演の『ナインスゲート』。そしてもう一本、今回ピックアップするクリント・イーストウッド監督・主演の『ファイヤーフォックス』です。
 今でこそ風格のある作品を撮るイメージが強いクリント・イーストウッド監督ですが、かしこまる必要はありません。昔はお気楽な作品を数多く撮っていました。

 ストーリーをざっくりまとめると、ソ連がマッハ6で飛び、パイロットが考えるだけで自動的に操縦・攻撃可能なスーパー戦闘機、MiG-31〝ファイヤーフォックス〟を開発。これにビックリしたアメリカ〜NATOは、軍事バランスを保つためにファイヤーフォックス強奪作戦を企て、イースドウッド演じる元トップパイロットのミッチェル・ガントに運命を託す! とまぁ、こんな感じです。

 話は、作戦を遂行するためにガントが訓練を受ける前半、ソ連に潜入してファイヤーフォックスにたどり着くまでを描く中盤、敵パイロットとドッグファイトを繰り広げる終盤の3幕構成。
 売り的には『スターウォーズ』で特殊視覚効果を手がけたジョン・ダイクストラによる空中戦が見せ場ということになるのですが、あまり期待してはいけません。それは技術が進歩した現在とのギャップで言っているのではなく、劇場公開当時から「結構ショボいなぁ・・・・」という仕上がり具合でした。ただ、そんな中にもD.I.Y.感というか愛嬌が漂っていて、観ていられる。

 実質的な見せ場は、ガントが麻薬売人になりすましてソ連に潜入し、現地工作員の協力を得ながらファイヤーフォックスに乗り込むまでのサスペンス。
 ここでも敵役のソ連軍大佐がガント一味の一網打尽を目論んでいるとはいえ、そこまで泳がしますか?という疑問が湧かないわけではありませんが、それでもハラハラしながら観ることができます。この辺りはイーストウッド監督の手腕に拠るところが大きいといえるでしょう。
 ガントのキャラもハラハラ要因のひとつ。普通のスター映画なら主人公は冷静沈着なヒーローとして描かれますが、ガントは事あるごとに慌てふためく頼りなさ。本気でイライラします。そんな情けなキャラをドM気質のイーストウッドが生き生きと演じているのも楽しい。
 「こんな奴でホントに大丈夫?」という頼りない主人公が観る側の興味を持続させ、クライマックスの空中戦でほんわかさせる。まさに緊張と緩和。実際、この映画のリピーターになると、空中戦は「ここはもう観なくていいか」とスルーするようになります。そんなことが許される気軽さもクセになるポイントです。

 よくよく考えると、アメリカサイドは人様のお宅に忍び込んで盗みをはたらく〝あかん〟人たちなんですよね。この作品が公開されたのは、米ソ冷戦の真っ只中の1982年。「アメリカこそ正義」、「アメリカ万歳!」といった空気が色濃く漂っていたこの時期に、こんな皮肉めいた映画を撮るところもイーストウッドらしい。決して傑作・名作といわれるような作品ではありませんが、好きになる要素は多分にあると思います。興味のある方はぜひ。

posted by ichio
2019.10.20

悪の根拠

191020 『ジョーカー』観ました。評判通り、おもしろい。ホアキン・フェニックスの演技をはじめ、キャストとスタッフの気合いがビンビン伝わってくる快作でした。
 ただ、こういうことを言うと身も蓋もないのかもしれませんが、本作のような悪役の“ビギニングもの”を観ると、作品の善し悪しとは関係のないところでガッカリしてしまうんです。あれだけ怖かった怪物(悪)の底が知れてしまうというか、説明がついてしまうことに。勝手にイメージを膨らませていた余白を、「正解はコレです」と塗りつぶされるような気分になるんです。
 その最たる例が、ハンニバル・レクター博士。『羊たちの沈黙』では、常人の善悪の観念を超えたところで動く初老の天才に得体の知れない怖さを感じたのに、シリーズ作を重ねる毎にただの壊れたインテリ男になっていったレクター先生。そしてビギニングにあたる『ハンニバル・ライジング』では彼が狂ったエピソードが明かされ、「それじゃあ、並の犯罪者と同じじゃないの」と失望しました。

 『ジョーカー』も同じパターン。映画の前半では後にジョーカーになる青年アーサーが壊れていく様を丁寧に描いています。でも、丁寧に描かれれば描かれるほど、彼の狂気に理由があることが分かってシラケてしまうんですよね。それに、今回のアーサーが経験することって確かに悲惨ではありますが、多かれ少なかれ誰でもそういう目に遭ってますよね。だから、「アーサーよ、しっかりしろ!」という説教じみた感情が湧いてくる。そうなると、歯がゆさや物悲しさは感じるけれど、恐怖は感じません。
 当然ながら、こうしたジレンマは僕の勝手な思い込みと作品の方向性がマッチしていないだけの話で、『ジョーカー』は何も悪くありません。もっともこの作品は、こうしたツッコミをいなす作りにはなっています。

 同じように一人の平凡な男が堕ちていく様を描いた『ドッグマン』は、“ビギニングもの”のノイズがないので手放しで楽しめました。正確には、「手放しでブルーな気分になりました」です。
 主人公のドッグサロンを営む中年男マルチェロは、ささやかな幸せのために慎ましやかに生きようとしているだけなのに、何か自分で判断しなければならなくなった時、すべて間違った選択をしてしまう。アホやなぁと呆れつつも、「いや、人のことは笑えないぞ」と怖くなってくるんです。自分の弱い面がジワジワと浮き彫りになってくる感じといいましょうか。
 だから、この作品の場合は『ジョーカー』とは反対に、堕ちていく過程が分かれば分かるほど怖くなっていきます。映画の予告では「不条理」という言葉が使われていましたが、僕には条理の果ての物語に思えました。
 こんな話を淡々としたトーンで描ききったマッテオ・ガローネ監督に脱帽です。マルチェロを演じてカンヌ映画祭で主演男優賞を獲ったマルチェロ・フォンデさんの、どこまでが素で、どこからが演技なのか分からない“なりきりぶり”も凄いです。

 余談ですが、『ジョーカー』も『ドッグマン』も、町が重要な役割を果たしています。かたや誰もが知る悪名高きゴッサム・シティ。かたやイタリアのさびれた海辺のまち。特に海辺のまちは、とてもイタリアとは思えない、暗くてジメジメした雰囲気でインパクトあります。実際はナポリから40キロほど離れたところにあるコッポラ村というところだそうで、同監督が撮った『剥製師』と『ゴモラ』でも撮影をしているそうです。

posted by ichio