KITSCH PAPER

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Oh my Buddha!It is such a wonderful site that it's unbelievable.
2017.03.10

刺激的なボノボの新作

170310どうしてだか、見知らぬ外国人からよく声をかけられます。場所は街中、山奥、はじめて訪れた田舎町などさまざま。用件は道を尋ねるだけでなく、「駐輪所にタダで停めたいのだけれど、ダメなのか? もしダメなのであれば、どのような課金システムになっているのか?」とか、「オレはインドから来て、一人旅をしている。そして日々の出来事を、オレがこうして手に持っている日記に書き留めている。ところで、お前はお前自身が住む京都についてどう考えているのか?」とか、「お前はテレビドラマで見た、あの俳優に似ている。ほら、あれ誰だっけ?」など、イレギュラーなコミュニケーションが多いのが特徴です。道を尋ねられた場合も、「そんな地名、生まれてはじめて聞いたんですけど」というような、どう行ってよいのか皆目見当がつかない僻地を地図で指さされたりします。
残念ながら僕の英語力は中学生レベルで、ほとんど喋れないし聞き取れない。上の内容だって意味が分かる単語をつなぎ合わせて類推しているだけ。一度、調子にのって関係代名詞を使った長めのセンテンスで答えたら、すごく面倒くさい感じになったので、それ以来「右・曲がれ・オレ・たぶん・そう思う」と、単語を羅列するようにしています。ちなみに、「駐輪所にタダで停めたいのだけれど、ダメなのか?」という質問に対しては、「トゥ・バッド!」と答えておきました。
こんな風に、教えてあげたいけどうまく伝えられないもどかしさ、多くの人がいる中で僕をチョイスする「なんでやねん」感、山を何時間もトレイルしていて出会ったのは野生のシカだけだったのに最後の最後でインド人に出会う不思議感、でも何やかんやいって家に帰ったら自慢したい高揚感などが混ぜこぜになり、得も言われぬ感覚に陥ります。

これと似た感覚になるのが、ボノボの音楽を聴いた時。去年の夏過ぎからつづいていた忙殺状態が少しおさまり、やっとボノボの新作『Migration』を聴きました。
ボノボ(サイモン・グリーン)は、いま最も刺激的な音楽をつくる一人といって間違いないでしょう。はじめて知った『ブラック・サンズ』では、まだ「すごくいいんだけど、ここのアレンジがもう少し何とかなればなぁ」と感じるところがあったのですが、前作の『ザ・ノース・ボーダー』で一気にこちらの期待を上回るネクストレベルに突入。次はどんな音楽をつくってくるのかという期待と、『ザ・ノース・ボーダー』で出し切ったんじゃないかとう不安が入り混じる中で発表された『Migration』。その感想は、「凄い!」の一言。エレクトロニカ、ヒップホップ、ソウル、アンビエント、ポスト・ロックなどさまざまな音楽のエッセンスを洗練された編集センスでまとめる、これまでのボノボの良さを残しながら、新しい試みにチャレンジしているんです。特に今作は曲の構成が凝りに凝っている。出だしは叙情的だった曲が次第にトランシー&トライバルな趣に変わり、気がつけば頭がクネクネ動きだしています。白眉は3曲目「Outlier」と、7曲目「Bambro Koyo Ganda」。多様な音楽のスタイルをボノボという個性でひとくくりにして、規格外の展開で進行する。一体自分は何を聴かされているのか? いろいろなものが混ぜこぜになり、他の音楽では味わうことのない感覚がこみ上げてきます。大げさでなく、新しい体験といってもいいくらい。45を過ぎてこういう出会いがあるのですから、音楽はやめられません。

posted by ichio
2016.10.13

リチャード・アシュクロフト 生初体験

161012抱かれてもいい。そう思えるくらい最高のライヴでした。
ソロ名義としては16年ぶりとなるリチャード・アシュクロフトの来日公演。僕は、今回がリチャード生初体験。今や伝説となっている2008年のサマソニでのライブを見逃した後悔の念、新作『ジーズ・ピープル』の充実ぶりに伴う期待感、稀代のイケメンに会える萌えなどが混ぜこぜになり、前日から気持ちが高ぶる。
当日は仕事もそこそこに切り上げ、会場のZepp nambaへ。90年代のUKロックバンドの代表格であり、サマソニのトリを務めたヴァーヴのフロントマンで、ブランクはあったもののミュージシャンとしては現役バリバリであるにも関わらず、客入りはイマイチ。ちょっと寂しい気持ちになる。腰痛予防のために取った2階の指定席は、半分埋まっているかどうかという具合。スタンディングの1階フロアも後ろの方は余裕がある。こんなんじゃ、せっかく日本に来てくださったリチャード様に申し訳ないというか、機嫌を損ねて帰っちゃうんじゃないかという不安がよぎる。
幸い、開演時間を20分ほど過ぎたところで、リチャード登場。お召しになっているTシャツには、『ジーズ・ピープル』を訳した「この人達」という文字。この直訳ぶりに、「人間」「愛」「ヌード」という文字を貼付けた衣装で現れ、普通じゃない感性を見せつけた、プリンスの東京ドーム公演を思い出す。
スポットライトを浴びたリチャードは、『ジーズ・ピープル』のオープニングナンバー「アウト・オブ・マイ・バディ」を歌いだす。神々しい。リチャードが歌い、キレッキレのカマキリダンスをしているのを目の当たりにして、早くもカウパーが沁み出る。
詳細ははしょりますが、今回の公演では『ジーズ・ピープル』を中心に、これまでのソロ曲だけでなく、ヴァーヴのキラーチューンも披露してくれました。しかも、客が少なくてやる気をなくすこともなく、本気モード全開。圧倒的な存在感とパフォーマンス力に、僕は発射寸前。辛抱たまらん!という状態になり、曲間に1階へと移動。リチャード様と一緒に拳を振り上げ、盛り上がりました。こんなに熱くなったのは、ストーン・ローゼズの再結成時のライブ以来。
来日前の公演や東京公演のセットリストに比べるとちょっと曲は少なかったのですが、大満足です。本人も手応えを感じたらしく、出待ちのファンにサインをするなど、意外な“いい人キャラ”を発揮していたようです。もし、また来日してくださるなら、絶対に行きたい。
その時は、会場を大観衆で埋め尽くしたいものです。洋楽離れという背景はあると思いますが、プロモーションはもう少しやりようがあったのではないでしょうか。「カリスマ性がなんやかんや」と謳っても、普段洋楽を聴かない人にとっては「何のこっちゃ?」でしょう。それにアプローチとして古くさい。音楽雑誌も含め、もっと音楽そのものの良さを伝えてほしいものです。

posted by ichio
2016.09.30

ロバート・グラスパーがノッている

160930皆さんのまわりに“ノッてる”人はいらっしゃいますでしょうか?
業界モノのドラマを観ると、「今、あいつはノッてる」みたいなセリフをよく聞きますが、本当にそんなこと言うのでしょうか。僕に限っていえば、「調子にノッてる」と言われたことはありますが、「ノッてるねぇ」と言われたことは一度もありません。
しかし、ポピュラー音楽の世界をみると、確かに“ノッてる”人はいます。さらに天才といわれる人になると、“ノッてる”を通り過ぎてビシバシ“きてる”人もいます。50〜60年代のマイルス・デイビスや60年代のジョン・レノン&ポール・マッカートニー、70年代のデビッド・ボウイとスティービーワンダー、80年代のプリンス、90年代のリチャード・D・ジェームス、ゼロ年代はちょっと出てきませんが、まぁ、こういう人たちは確実に“きて”ました。

こうしたレジェンドたちと比べられるかどうかは別にして、ここ数年、ロバート・グラスパーがノリにノッています。ジャズ・ピアニストである彼はオーソドックスなジャズで着実にキャリアを築く一方、もう片方ではジャズとヒップ・ホップやR&Bをゴチャ混ぜにしたスリリングな音楽をつくりだしています。
ポピュラー音楽の歴史は異種配合の歴史でもあり、常に異なるジャンルをかけ合わせて生まれる“何か”を進化の原動力にしてきました。先に挙げたレジェンドもジャズにファンクやロックをミックスしたり、甘ったるいポップソングにリズム・アンド・ブルースの黒いフィーリングを取り入れたり、電子音楽を大々的にフューチャーしたり、さまざまな融合にチャレンジしていました。
また、80年後半〜90年代にかけてジャズ・サイドとヒップホップ・サイド両方から、ふたつの音楽をミックスする動きがありましたが、当時はまだコンセプト先行で、頭で音楽をしているというか、腰にこないというか、とにかくこなれていませんでした。それはそれでキュートなんですが。

しかし、ここ10年くらいの間に、ごくごく自然にジャズやヒップ・ホップ、R&Bなどをミックスできる感性とスキルをもったミュージシャンが現れはじめました。ガンダムでいうところの「ニュータイプ」です。80年〜90年代にかけてのミックスが素材をブツ切りにして盛りつけしていたのに対して、ニュータイプは素材を煮込んでシチューをつくる感じでしょうか。ロバート・グラスパーはそんなニュータイプの代表格であり、ピアニストであることと活動スタンスが似ていることから、ハービー・ハンコックの発展形ともいえるでしょう。
彼はここ数年驚異的なペースで作品を出しているのですべての作品を聴けていませんが、どれも物凄く高いクオリティをキープしています。そんな中で最も気に入っているのが、『ブラック・レディオvol.2』。コモン、スヌープ・ドッグ、ジル・スコット、アンソニー・ハミルトン、ノラ・ジョーンズなどをゲストに迎え、アルバム全編に渡ってジャンルのハイブリッド化を展開。こういうことをすると、とっ散らかった内容になったり、お互いの良さを打ち消し合ったりするのがよくあるパターン。
私たちの身近なところにも、「A案とB案の良いところを合わせたらいいんじゃないの」という人、いますよね。しかも、こういうことを言う人に限ってデキない。カレーとお寿司を一緒に食べてもおいしくないように、ゴジラとガメラが一緒に出てきてもシラケてしまうように、矢部寿恵と結城みさが競演してもエロくないように……いや、これはエロくなるな……。とにかく安易に良いもの同士を合わせても逆効果になることが多いんです。
しかし、ロバート・グラスパーは違います。的確なプロデュースで統一感のある、めちゃ気持ちいい音楽に仕上げています。ひとつのジャンルとして完成しているといってもいいくらい、それぞれの魅力を引き出し合い、まとめているところが凄い。これは明確なビジョンと本質を見極める目(耳)をもち、思い描く完成形に向かって引っ張っていく力がある証。
ここまでのことは期待しませんが、せめて「適当にパッパッとやって、いい具合にして」という指示はやめていただきたいと思う今日この頃です。でないと、ノるどころか、コケてしまいますので、よろしくお願いします。

posted by ichio
2016.08.22

『シン・ゴジラ』観賞前にサントラを聴く

160820『シン・ゴジラ』がおもしろいそうじゃないですか。
僕はこれまでゴジラ作品をはじめとする怪獣映画をほとんどスルーしてきたのですが、こう盛り上がってくると観たくなってくる。でも、タイトルがどうにも受けつけなかったり、かつて登場したミニラやゴジラの“シェ〜”ポーズが頭をよぎったりして、どうしても足がすくんでしまう。観に行くべきか、行かざるべきか……。
夜中にリオ・オリンピックを観戦しながら悩んでいると、むかしゴジラのサントラ盤を買って、ほとんど聴かずにレコード棚の肥やしになっていることを思い出しました。やっと出番がきた。中古屋さんに売り飛ばさなくてよかった。やっぱり断捨離なんてものはしない方がいい。
さっそく棚からサントラを引っ張り出して、針を落とす。スケール感のあるイントロにつづいて流れてくるのは神楽。日本の土着神でもあるゴジラの特性をあらわす秀逸なオープニング。つづいておなじみの“ザザザン、ザザザン、ザザザザザザザザザン”という「ゴジラのメインタイトル」。この曲はあまりにも有名過ぎるせいで今ではギャグ的な要素が付着してしまっていますが、改めて素で聴くとミニマルっぽくてめちゃカッコいい。(年代的には、こっちの方がずっと早いですけど)
次の曲は「ゴジラの恐怖」。この曲、なかなか文字ではあらわしにくいですが、みんな一度は聴いたことのある曲です。メロディだけでなく管楽器の生々しい音色が、ゴジラの巨大感や質感、そしてゴジラを目の当たりにした人たちの恐怖をリアルに表現している。60年以上も前の曲なのに今も新しく聴こえるとは、伊福部昭、やるなぁ。
予告編を見ると、『シン・ゴジラ』ではゴジラの存在感が強調されているので、メインタイトルよりも「ゴジラの恐怖」の方がフィットしていますね。

気分がノッてきたのでライナーノーツに目を通すと、驚くべきことが判明。自分では1作目のサントラ盤を買ったつもりでいたのに、実際はゴジラ諸作からいいとこ取りしたベスト・オブ・ゴジラ。ということは、ミニラやゴジラが“シェ〜”をやらかした作品の音楽も紛れ込んでいる可能性が……。
ただでさえアンチ・ベスト盤なのに、こんな代物を購入している自分にほとほとガッカリする。おそらくこのサントラ盤を買った時も落胆しているはずなのに、完全に記憶から消えていることにも驚きです。イヤなことを忘れ去ることのできる人間の記憶能力って、うまいことできてますね。

なんだかんだで結局、『シン・ゴジラ』観ました。石原さとみさんのゴジラに匹敵する異物感あふれる怪演など、言いたいことはいろいろありますが、そんなことは置いておいて(といっても、石原さんの役はなかなか置いておけない役なんですが)、まずは本作の素晴しさを認めることが正しい姿勢かと。特にゴジラの絶対的な存在感と破壊シーンの絶望感は、昨今のハリウッド映画にはないインパクトです。ただ、最初出てきた“ヤツ”を見た時は、作中内のコント番組を見せさせられているのかと思いましたが。
あまりの襲撃で、少し前に観た『X-メン アポカリプス』の内容がすっかり消えてなくなりました。

ところで今作の音楽は鷺巣詩郎のスコアに加え、これまでのゴジラ作品からまんべんなく使われていました。つまり、僕が持っているサントラ盤と同じ感じ。そう考えると、手元にあるサントラ盤が急に優れモノに思えてきました。

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2016.06.09

ナンバーワン宣言

0160610「人は世界一のゴミ収集人になれる。世界一のモデルにだってなれる。たとえ何をやろうと、それが世界一なら何も問題はない」
これは、先日天に召されたモハメド・アリの言葉です。鬱屈した毎日を送る僕でも勇気が湧いてくる、大変ありがたい言葉です。自分にもナンバーワンだと誇れるものはないかと考えたところ……、ありました!
それは、仕事場のあるテナントビルで、僕がいちばんウンコをしていることです。10年ほど前から毎朝バナナヨーグルトを食べだし、ビックリするくらいウンコが出るんです。それは、食べた量より多いんじゃないかというくらい。仕事に行く前にしっかりひり出しても、必ずといっていいほど仕事場でも出る。たまに、たくあん丸々一本クラスの大物が二本出ることもあります。
ビルの男子トイレは事務所のすぐ前にあるので、誰かがトイレに行くと音で分かるのですが、その頻度から察するに、僕を上回る人がいるとは考えられません。女子に関しては未確認ですが、不戦勝扱いで問題ないでしょう。「この調子で、世界一のウンコ量を目指そう!」とは思いませんが、ビル内ナンバーワンでも結構うれしい。人って意識する・しないに関わらず、ナンバーワン願望をもってるんですね。

このようなナンバーワン願望をはっきり表明しているのが、リチャード・アシュクロフト。言わずと知れた元ヴァーヴのフロントマンであり、当代きってのソングライターでありボーカリスト、そして男前です。彼は、先月6年ぶりに発表したアルバム『ジーズ・ピープル』のタイトル曲の中で、「I’m feeling like I’m born again, number one again」と歌っています。
長い沈黙を破ったこのアルバムは、そう思うだけのクオリティを誇っています。
ヴァーヴ時代にナンバーワンを獲った「ビター・スウィート・シンフォニー」を彷彿とさせる王道路線に加え、エレクトロニックを取り入れた新機軸があるのが今作の特長。さらに、前作『ジ・ユナイテッド・ネイションズ・オブ・サウンド』で試みたヒップホップ的なリズムを血肉化し、サビのメロディにソウルテイストを忍ばせるなど、これまでの活動の足跡が刻み込まれているところも素晴しい。ソロ関連でいえば、『ヒューマン・コンディションズ』以来の傑作でしょう。ヒットチャートでナンバーワンはむずかしいかもしれませんが、内容的には十分いけます。
ただひとつ文句をつけるとすれば、彼の楽曲のトレードマークである、ウィル・マローンによるストリングスアレンジがやり過ぎ。これまでは過剰の一歩手前のギリギリのところで曲を盛り上げる機能を果たしていましたが、今回は悪い意味でノイズになっているところや、「ちょっとダサいかも」と感じるところがありました。次は思い切って、ストリングスなしにしてもいいかも。

メディアはリチャード・アシュクロフトを取り上げる時、必ず“孤高のカリスマ”というフレーズをつけて解説をしていますが、ほとんど意味が分かりません。単純に、良いソングライター、ボーカリストとして捉えた方が、彼の魅力が伝わると思います。
あと、某音楽ライターが「ディス・イズ・ハウ・イット・フィールズ」の解説で、「短いスレーズをループさせたつくり」と書いていましたが、ホンマですか? ポップミュージックって、ほぼ同じ構造になっていると思うのですが。PVの内容と、曲中のコーラスに引っ張られて書いているとしか思えません。あのPVは、こうしたポップミュージックの構造を浮き彫りにして、「こんな単純なつくりでも、ひと味もふた味も違う曲がつくれるんだぜ」という、リチャード・アシュクロフトの挑発だと、僕は受け止めています。

ということで今秋、この新作を引っ下げての来日公演が決定! もちろん即効にチケットとりました!

posted by ichio
2016.04.28

新しい音楽からドロップアウト

160427最近、新しいバンドやミュージシャンを聴くことがめっきり減っています。「いま聴いている人たちをカバーするだけで精一杯」という時間的・金銭的な制約も確かにありますが、いちばんの理由は自分の精神的・肉体的劣化であることは間違いありません。はやい話が老化です。
精神的な面でいえば、新しいものに対する関心が湧かない。そもそも何が新しいものなのか分からないし、たまに「これが流行っている」という情報を仕入れて聴いてみても、どこが良いのかさっぱり分からない。しかも情報源が信用のおける人だったりすると、急に自分に自信がもてなくなり、オロオロしてしまう状態です。
肉体的な劣化で顕著なのは、新しい名前がまったく覚えられないこと。曲名やアルバム名はもちろん、バンド名などもまったくダメ。まぁ、「男組」を「男倶楽部」と呼んでいたタイプなので、もともと名前を覚えるのが得意とはいえませんが。(後日教えてもらったのですが、「男組」ではなく「男闘呼組」だそうですね)
名前を覚えられなくなっている理由は、脳ミソの劣化の他にも、インターネットで文字を打てば何でもポンと出てくる便利さや、音楽について話す知り合いが減ってきていることが挙げられます。「このままではいかん!」ということで、気になるミュージシャンの名前を、書き方の練習のように何度も書いてカラダに覚えさせようとしたのですが、次の日の朝にはきれいに忘れていました。もう潔く現実を受け入れるしかないのかもしれません。べつに “新しい=良い”というワケでもないですしね。

そう勇気づけてくれたのが、Tychoというユニットです。2004年に1stアルバムを出しているので結構なキャリアの持ち主ですが、僕的には完全にルーキー。基本的にはアナログ楽器を使うバンド形態で、ドリームポップやシューケイザーをはじめとするロック、ポストロック、テクノ、エレクトロニカなどの“いいとこどり”をした感じ。フレーズもどこかで聴いたことあるようなものばかり(しかも、ちょっと練習したら弾けるんちゃうと思ってしまうシンプルなものばかり)で、目新しさは皆無。でも、それがノスタルジックな雰囲気を醸し出していて心地いいんです。逆に「今までこんなん、なかったかも」と思えてくるくらい。曲の端々からセンスの良さと、編集能力の高さがうかがえます。
メンバーの音楽的ルーツや、ねらいなどを知りたいところですが、そういう捉え方自体が古いのかも……。今のご時世、ミュージシャン自身が「何かいい感じのフレーズを適当にコピペしてたらできただけなんだけどね」と、シラッとぬかしおっても何ら不思議ではありません。もう何が正解なのかわからない。
でも音楽の方は、早めのお風呂に入って、ビールを飲みながら夕涼みするのに最高です!
ちなみにTycho(ティコ)っていう名前、まだ完全には覚えられていません。思いだそうとすると、チ○コが邪魔するんですよね。

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2016.02.23

何をやってもカッコいい奴

160223はりきってファッション雑誌に載っているような服を着ても、微妙に似合っていないというか、サマになっていないという気が、この20年余りしています。(「何や、分かってたんや」と思っても、決して本人には言わないでください。傷つきますので)
そういえば学生の時も、目立とうと思って何かしても寄ってくるのは男だけ。しばらくしてモテる一派がこっちの内容を百倍薄めたクソみたいなことをすると、女子がワーキャー騒ぐという、納得のいかない事態になったことは一度や二度ではありません。
なので、ずっと何を着てもカッコ良く見える人や、同じことをしてもサマになる人に猛烈にジェラシーを感じてしまいます。

その代表格が、ジョン・ルーリー。フュージョンが幅を利かせていた頃に“フェイク・ジャズ”というコンセプトを掲げたインチキ臭いジャズ・バンドを結成して新風を巻き起こしたかと思えば、ジム・ジャームッシュ作品で空回りのチンピラをクールに演じ、さらにはテレビ番組に出演して釣りをイケてる大人の趣味にしてしまう。このカッコ良さ、反則です。こうなったら、彼のウマ面さえ男前に見えてしまう。
これです、僕が目指す感じは。僕も「熟女を語る姿がクール」とか言われたい!

そんなジョン・ルーリーに、またまたヤラれてしまいました。何となくジャケ買いした『マーヴィン・ポンティアックの伝説』というアルバム。家に帰って調べたら、何と彼の変名プロジェクトであることが判明。参加メンバーをみると、マーク・リボー、ジョン・メデスキ、エヴァン・ルーリーなど曲者揃い。で、1曲目からして「俺は犬」というふざけたブルーズ。でもこれが五臓六腑に染み渡るほどカッコいいんです。
今回はブルーズでいくのかと思ったらそうではなく、ワールドミュージック風な曲あり、ルーズなロックナンバーありと、バラエティに富んだ内容。でも、アルバム全体は持ち前のすっとぼけたオフビートな感覚で貫かれていてイカすんですよね。このセンスとそれをカタチにする能力に猛烈にジェラシーを感じます。

posted by ichio
2016.02.14

ボウイ、火星に帰還

160214jpgもっとはやくアップしたかったのですが、夏からの忙殺状態でできず。
それにしてもビックリしました、デヴィッド・ボウイの訃報というか火星帰還の知らせ。最新作『★』が発売されたばかりだったので、つれ合いから聞いた時はタチの悪いデマだと思いました。
僕にとってボウイはヒーローであり、中1の時に音楽に目覚めさせてくれた導師。当時『シリアス・ムーンライト・ツアー』のビデオを観て彼のスーツ姿にヤラれ、同じクリーム色のスーツを親におねだり。スーツはお値段的に無理があったので、代わりに近くのジーンズ屋さんで売っていた白のジャケットとチノパンで代用。テンションMAXで着替えたものの、鏡に映った自分の姿と脳内のイメージとのギャップのデカさに愕然。そんなショッキングな出来事も今となっては良い思い出です。

輝かしくも波瀾万丈の人生を歩んだデヴィッド・ボウイですが、長年ファンをしている者にとっても山あり谷でした。特に80年半ばから90年代半ばまでのスランプ期は、巨大な才能が枯渇していくモデルケースを見ているようでつらかった…。このブログでも何回か取り上げているように、もう茶化して笑ってしまうしか気持ちのもっていきどころがありませんでした。
あのような迷走に陥ったのは、キャリアを通じて“チェンジ”というテーマを自ら課したため。常に変わらなければという呪縛でがんじがらめになり、持ち前の自由な気質を失っていたように思います。

しかしボウイは、朝食のパンに塗るバターがバター風マーガリンに変わっただけで不機嫌になる器の小さい僕とは違い、ファンが想像するよりも遥かにデカい才能をもっていました。復調の兆しは1993年の『ブラック・タイ・ホワイト・ノイズ』にありました。ありのままでいいんだというニュートラルな姿勢を手にしたことで、かつてのメロディラインと躍動感が復活。それから順調に勢いを取り戻し、2002年の『ヒーザン』で何度目かの絶頂期に突入。大きな話題となった『ネクスト・デイ』も、この流れを見ていた者にとっては、いよいよ脂がのってきたなという感でした。これからますます刺激的な音楽を届けてくれると楽しみにしていただけに残念です。

しかし、「彼の死を嘆くばかりではなく、彼の生を祝福しようぜ」というノエル・ギャラガーの言葉の通り、ファンとしてこれからもボウイの曲を聴きつづけたいと思います。(今はまだ涙腺が崩壊するのでムリ!)
というワケで、ノエルの真似をして、僕もデヴィッド・ボウイの好きな曲を今の気分で5曲セレクト。

◎「オー・ユア・ピリティ・シングス」 〜『ハンキー・ドリー』
◎「フェイム」 〜『ヤング・アメリカン』
◎ 「サウンド・アンド・ビジョン」 〜『ロウ』
◎ 「ヒーローズ」 〜『ヒーローズ』
◎ 「イッツ・ノー・ゲーム Part1」〜『スケアリー・モンスターズ』

名曲があり過ぎてもとても絞りきれません!(すべて『ロウ』から選ぶという手もあるのですが)
ベルリン三部作の頃の神懸かった時期やグラムロック時代だけでなく、新しめの曲にもいいのが結構あるんですよね。

posted by ichio
2015.11.16

今さらのパクり問題について

151115朝、目を覚ますと、つれ合いがいきなりスマホを差し出し、「この曲を聴いて」と、ヘッドフォンを耳の穴にねじ込む。勇ましい旋律が鼓膜を揺さぶる。ジョン・ウィリアムズ作曲、映画『スーパーマン』のテーマだ。
するとつれ合いが、「これってスター・ウォーズのテーマやろ」と、言ってくる。「いや、似ているけれど、これはスーパーマンです」と返答したところ、恐れ多くも私に「いやいや、スター・ウォーズやって」と、反論してくるではありませんか。
僕にとって“スーパーマンのテーマとスター・ウォーズのテーマが似ている問題”は、小学生の時に解決済み。何度も何度も繰り返し聴き込み、海馬に刷り込んだのです。今流れているのは、間違いなく『スーパーマン』のテーマ。
ドヤ顔でそう伝えたら、「じゃあ、スター・ウォーズのテーマを歌って」と言われる。何で朝の6時に『スター・ウォーズ』のテーマを歌わなければならないのか疑問を感じながらも、思い知らせてやろうと、おなじみのフレーズの前のイントロから歌いはじめる。そしていよいよ、♩タータータタタタァータ♩のメロディにさしかかった時、思い切りさっき聴いたメロディに引っ張られて、♩タッタタータタタタタァー♩と、スーパーマンのテーマを歌ってしまいました。
つれ合いは、「ほら、やっぱりこれ、スター・ウォーズやん」と、勝ち誇った顔をしている。違う、違うんや! これは間違いなくスーパーマンのテーマなんや! この時ほど自分のダメさ加減に腹が立ったことはありません。

それにしても、です。今さらとは思いますがウィリアムズ先生、ちょっと似過ぎてませんか、この2曲…。
『スター・ウォーズ』がアメリカで公開されたのは1977年5月で、『スーパーマン』は1978年12月と、かなり近い時期。この時期ウィリアムズ先生は、この2作以外に『ブラック・サンデー』と『未知との遭遇』のスコアも手がけています。おそらく多忙を極め、カオス状態になっておられたことでしょう。そんな時、「ちょっと似過ぎてるかも」と思いながら、強引に「これでどうだ」と提出した可能性は十分に考えられます。
後発である、『スーパーマン』のテーマを聴いた時、監督のリチャード・ドナーは、「スター・ウォーズに似ている…、いや似過ぎている。てか、セルフ・パクりじゃね?」と思ったはず。このモヤモヤを本人に言うことができなかったのか、それとも言ったものの「君は何を言っとるんだ!!」と押し切られたのか、この辺の事情を知りたいものです。

ついでに、なぜ朝早くにつれ合いが、『スーパーマン』のテーマを聴いていたのかも知りたい……。

posted by ichio
2015.10.19

今こそ触れたい、カーティスの愛

151019仕事に追われる日々がつづき、心身ともにお疲れモード。『ZIP!』に登場する犬のジジとププに「お前ら気楽にお散歩するだけで、オレよりも稼ぎやがって」と毒づくようになってきたので、これはいかんと、仕事の合間に街へ出かけたところ、ヘイトスピーチの現場に遭遇。
何かに怒っているのは分かるのですが、マイクの性能が悪く、喋っている人のテンションが高過ぎて、何を言っているのかまったく伝わってこない。パフォーマンスとして効率悪いと思います。
口角泡を飛ばして叫ぶ彼らを見て思ったのは、「この人たち、カーティス・メイフィールドを聴いたことがないな」ということ。

カーティス・メイフィールドは、70年代前半、マービン・ゲイやスティービー・ワンダーらと共にニュー・ソウルと呼ばれる新しい音楽の流れを盛り上げたミュージシャンです。彼の特徴は、蒸し風呂に入っているような熱のこもったソウル&ファンクサウンドに、戦争や人種差別、貧困など社会性の強いメッセージをのせて歌ったところ。しかも全曲、ルックスとギャップのあり過ぎる甘〜い裏声で。
彼の歌詞は痛烈であると同時に、すべてを包み込むやさしさがあるので、聴いているとすごく前向きな気持ちになってくるんです。
話がそれるかもしれませんが、彼は1990年、コンサートの最中に照明の下敷きになり、半身不随になってしまいます。それでも生きる意志、音楽への想いを強く持ちつづけ、まわりの人や彼をリスペクトするミュージシャンのサポートを受けながら、感動的なカムバックを果たします。こういう彼の人柄が作品にも刷り込まれているんですよね。

彼は多くの名作を残していますが、今回は『バック・トゥ・ザ・ワールド』をピックアップしたいと思います。ベトナム戦争の帰還兵の心情を綴ったタイトル曲をはじめ、シビアなテーマを取り上げているのですが、不思議とポジティブな感情が湧いきます。そしてラストを締めくくるのは、「フューチャー・ソング〜ラヴ・ア・グッド・ウーマン、ラヴ・ア・グッド・マン」という曲。マジで涙出ます。
僕も『バック・トゥ・ザ・ワールド』からボジティブなパワーをもらい、再び仕事にとりかかっています。
そして、また元通り、ジジとププがかわいく見えてきました。

posted by ichio