ハービー・ハンコックの奥深さ
器用貧乏。一般的にはマイナスの意味で使われる言葉ですが、僕はそんな風に受け取られているミュージシャンに魅力を感じます。いろいろなことが気になり、ついつい手を出してしまう落ち着きのなさや、すでに固まっているスタイルをいじくるおもしろさに魅せられる性分、そしてひとつのことを突き詰めたところで“どうせオレでは…”という、冷めた視線が人間臭くていい。
この感覚は、世の中にオリジナル信仰がムダに蔓延している気持ち悪さの裏返しなのかもしれません。そもそもオリジナル性や独創性って、何をもっていっているのかが分からない。コピペ時代の今だからこそ、もっと器用貧乏の地位が上がってほしいと切に願います。
というワケで、ハービー・ハンコックです。僕の中でこの人は、まさに“器用貧乏の達人”。(実際は“器用カネ持ち”だと思いますが…)ジャズピアニストとして一流の腕を持ち、最前線で活躍しながら、それだけに留まらずタコのようにあちこちに触手を伸ばす様は、器用貧乏のお手本といえるでしょう。
そんな彼の音楽に対する姿勢や生き方を、『ハービー・ハンコック自伝 新しいジャズの可能性を追う旅』で知ることができます。彼のキャリアの変遷については長くなるので割愛しますが、彼の音楽を聴いたりこの自伝を読んだりして感じるのは、表向きにはいろいろ派手にやっているものの、どの作品も突き抜けていないということ。師匠であるマイルス・デイビスのエレクトリック期でのズブズブ具合や、フリージャズの旗手であるオーネット・コールマンのヤンチャ具合に比べると、実にお行儀がいい。もちろんこれは揶揄しているのではありません。突き抜ける寸前で寸止めする、AV男優的な妙技に感服しているのです。
“ライト”や“ソフト”という言葉がつくと、作り手の手間や作品の内容までお手軽的な印象をもたれがちですが、ハービー・ハンコックの音楽を聴くと、ひとつのことを突き詰める道以上に険しいケモノ道を感じます。
また、この本を読んで印象に残るのは、彼自身のことよりも、彼が出会ってきた人たちのキャラの濃さ。マイルス・デイビスは別格として、アニキ分であるドナルド・バードの男前ぶりや、弟分のトニー・ウィリアムズのイケイケぶりも結構なインパクトで、後半にハンコック自身がヤバいドラッグに手を染めていたというエピソードを出されても、「あぁ、そうなの」と読み流してしまいました。つくづく薄い人です。