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2021.07.06

一生モノ級の傑作、『アメリカン・ユートピア』

210706 サイコーやないですかッ!! デヴィッド・バーンの『アメリカン・ユートピア』。
 カッコ良すぎて涙腺が崩壊し、ヒックヒックするくらい泣いてしまいました。

 ざっくり内容を説明しますと、かつて彼がフロントマンを務めていたバンド、トーキング・ヘッズとソロになってからの代表曲をメインに構成されたブロードウェイのショーを、映画監督のスパイク・リーが映像化した作品です。
 といっても、単なるライヴやミュージカル仕立てにならないところが、デヴィッド・バーンのデヴィッド・バーンたる所以。何と、裸足でお揃いのスーツを着た11人のミュージシャンが、舞台狭しと日本体育大学の集団行動のように複雑なフォーメーションをとって行進したり踊ったりしながら、演奏するんです。
 しかも演奏はシンプルかつグルーヴィーで、グイグイ腰にくる完成度。デヴィッド・バーンのボーカルも年齢を重ねて滋味が滲み出てきて、若い頃とはまた違った魅力があります。

 あまりにスゴ過ぎて、「こんなクオリティの高い演奏と複雑な動きを同時にするのは無理。絶対に口パク」と邪推する人がいても、僕は怒りません。生演奏だと知っていても、途中から「そうはいっても、ちょっとくらい口パクしてるんじゃないの?」と疑ってしまうくらいですから。
 しかし、こうした疑問に対して、デヴィッド・バーンはメンバー紹介を交えながら本当の本当に生演奏であることを証明し、観客を改めて唸らせます。

 『アメリカン・ユートピア』が素晴らしいのは、技術的にすぐれているからだけではありません。むしろ、デヴィッド・バーンのセンスと知性、そしてひょうひょうとした佇まいがあってこそといえるでしょう。
 実際に踊り自体は高度な技を披露しているわけではないのですが、ユルいところとバシッとキメるところのメリハリをつけることで、カッコ良さが際立っているんですよね。
 余談ですが、ピーター・ガブリエルのライヴにも同じような魅力を感じます。
 こういうスタンスは、肉体的な経年劣化が加速している中年として、是非ともお手本にさせていただきたいところです。

 また、このショーではデヴィッド・バーンの語りや舞台演出によって、さまざまなメッセージが発信されているのも特徴。でも、それが頭デッカチになっていないのが粋。近年顕著になっている世界の断絶に対しても、特定の個人や国を糾弾するのではなく、その原因は一人ひとりの心にあるとしている点にも共感。しかも、それをあんなモノ、こんなモノで表現するなんて、イカして過ぎてますやん。

 あともう一つ、おそらく複雑・高度であろう撮影や構成をそうとは見せず、没入体験させてくれるスパイク・リーの手腕も素晴らしい。そして、パフォーマーが全集中している緊張感と、音楽が楽しくてしかたないと感じている姿がとらえられていて、胸が熱くなります。音楽が好きでないと、こういう映像は絶対に撮れません。

 もうベタ褒めを通り越してネチョ褒め状態ですが、ブロードウェイ公演されたのを知った時は、昔のヒット曲を焼き直ししているように思えて、「デヴィッド・バーンも年をとったなぁ」と残念な気持ちになったことを白状します。
 いやもう、完全な間違い。菓子折りを持ってニューヨークまで謝りに行かなければなりません。

 彼は「これはいつ書いた曲なのか」といったみみっちいことにはこだわらず、「“いま” 意味のある曲は何か」という視点でとらえているんです。
 また、ラテンやアフリカの音楽を積極的に取り入れてきた彼は、かつて「人様の文化を搾取している」、「植民地主義だ」など、批判されることもありました。当時から評論家のこじつけ感がハンパありませんでしたが、今振り返るとさらに、そういった物言いの方がはるかに傲慢なエリート主義であることが分かります。
 デヴィッド・バーンは、異文化の音楽を奪ったのではなく、異文化の音楽に心を奪われたんです。そして、音楽の素晴らしさと力を心から信じているんです。
 そんな彼に魅了されないわけがありません。

posted by ichio
2020.12.16

スター・ウォーズ シークエル・トリロジーを自分なりに振り返った件

201216 仕事でポンコツな人に的外れなダメ出しを食らった時や、自宅でお風呂の保温スイッチを切り忘れたの誰か問題が勃発した時、頭に血がのぼり思わず声を荒げて怒ってしまった経験が誰しもあるはず。しかし時間をおくと、「何であんなに大人気なく怒ってしまったんだろう」「怒るにしても、もう少し良い方があったんじゃないか」と、反省することになったのではないでしょうか。
 そう、世の中の腹立ちの大半は、時間が解決してくれるのです。

 ということで今回は、スター・ウォーズのエピソード7からエピソード9にあたるシークエル・トリロジーのお話をしたいと思います。
 (ネタバレはしていないと思いますが、気になる方はご注意ください)

 まず僕とスター・ウォーズの関係から申し上げますと、小学低学年の時に1作目のエピソード4「新たなる希望」に出くわした、リアルタイム世代のいちばん下の年代です。「新たなる希望」からずっと劇場でシリーズ作品を鑑賞してきたので好きな作品ではあるのですが、決してマニアではありませんし、フェイバリットでもございません。人生最高の映画は『ショーシャンクの空に』という人に「スター・ウォーズって好きですか?」と訊かれたら、「この人はどれ位のレベルを好きとするのか」悩みながら「どちらかといえば好きですね」と答えるくらいの門外漢です。

 しかし僕らの世代で少しばかり映画にまれ親しんだ者にとってスター・ウォーズは、好き嫌いに関係なく「おもしろい映画というのはこういうもの」という基準を海馬に刷り込んだ、絶対的なものさし。
 例えるなら、僕にとってスター・ウォーズは、おにぎりです。ごはんは自分の食生活に欠かせないものであり、おにぎりはいつ食べてもおいしいけれど、「今晩何か食べたいものある?」と訊かれて「おにぎり!」とは叫ばない。そういう存在です。

 スターウォーズ・サーガをおにぎりというフォーマットとするなら、エピソード4からエピソード6のオリジナル・トリロジーは、梅・しゃけ・昆布といった文句のつけようのない鉄板の具材が入ったおにぎりでした。ちなみに「ジェダイの復讐」は辛子明太子としたいところですが、微妙なところもあるので昆布とします。
 期待とは裏腹に評判が良くなかったエピソード1からエピソード3のプリクエル・トリロジーは、CGという新しい具材をギットリ多用したために本来の魅力を失ったことから、シーチキンマヨネーズ、ツナマヨネーズ、えびマヨネーズのマヨ3部作といえるでしょう。
 そしてシークエル・トリロジーは、“新時代のおにぎり”というコンセプトは立派だけれど、オムそばおにぎり、チーズカレーおにぎり、バジル鶏肉おにぎりなど、「これ、おにぎりで食べなあかん?」というアレンジをして、食べてみたら「やっぱり普通の方が100倍おいしいやん!!」となる、空回りした変わり種おにぎりでした。

 ただ、エピソード7「フォースの覚醒」は「新たなる希望」を語り直すスタイルをとりながら、主要人物が女性や元ストーム・トルーパーだったり、敵役が中二病だったり、はずしのセンスが効いた楽しい作品でした。そして何よりも3人の主要人物がフレッシュでイキイキしているのが素晴らしかった。創造主ジョージ・ルーカスの手を離れたことで、逆にオリジナル・トリロジーのようなワクワク感あふれる3部作になるのではと期待しました・・・・。

 しかし残念ながら、「敵がしょぼくないか?」「オールドファンへの目配せが多い」「で、この話、これからどうなるの?」といった一抹の不安が、この後の「最後のジェダイ」「スカイウォーカーの夜明け」で現実のものになっていくのでした。

 細かいツッコミどころを挙げるときりがないのでやめておきますが、シークエル・トリロジーが完結した今振り返ると、3部作を通したトータル的な設定やストーリーを考えてなかったのかと疑ってしまう、行きあたりばったりの構成になっていたのが最大の問題点だと分かります。
 しかも話が安いRPGみたいに、○○の謎を解くためには○○をゲットする必要があり、○○をゲットするためには○○を見つけ出さなければならないというアクロバティックな展開になっていて、途中から「この人たちは何を右往左右しているのか」とワケが分からなくなる始末。
 無意味などんでん返しを多用するせいで逆にどうでもよくなる『ワイルドシングス』現象が起きているのもイタいです。しかもバタバタ大暴れしたのに何も解決しない、単なる時間の無駄遣いにしかなっていないことには呆れるしかありません。
 そして「フォースの覚醒」で魅力的だった主要人物3人衆はどんどん平凡なキャラになっていき、話の内容も旧作の辻褄合わせに終始する羽目に。オリジナル・トリロジーや「フォースの覚醒」にあった開放感、前向きな雰囲気や物語進行はきれいさっぱりなくなってしまいました。
 というか、「スカイウォーカーの夜明け」の苦し紛れな設定のせいで、9作品を通してパンパティーン皇帝の奮闘記になってしまってますよね。

 もうお分かりだと思いますが、僕のシークエル・トリロジーの評価は、完全な失敗です。ファイナルアンサーで結構です!
 しかもただ失敗しただけでなく、オリジナル・トリロジーの意味合いを変えてしまったことが罪深い。
 唯一功績を挙げるとすれば、これまでケチョンケチョンにいわれていたプリクエル・トリロジーが「シークエル・トリロジーに比べたら全然マシ!」と、再評価(という言葉が適当かどうかは分かりませんが)のきっかけをつくったことくらいでしょうか。
 僕、「ファントム・メナス」と「シスの復讐」は嫌いじゃないんですよね。むしろ「シスの復讐」は結構好きです。

 ディズニーによるとスターウォーズ・シリーズはこれからも続くようで、懲りずにお付き合いすることになると思いますが、完全に別物として扱わせていただこうかなと思っています。
 う〜ん、こうやって書いているうちに、また怒りが沸々と湧いてきました・・・・。
 冒頭で腹立ちは時間が解決してくれると書きましが、訂正します。

 シークエル・トリロジーは、単なる蛇足やないか〜ッ!!

posted by ichio
2020.10.24

天才の仕業にふれる喜び

201023 『ダークナイト』以来、ちょっとずつこちらの期待値を下回る作品をつくりつづけているクリストファー・ノーラン。
 「もう、おうち鑑賞でいいかな」と思いながらも、新作が公開されるとついつい劇場に足を運んでしまう状態がつづいています。
 考えてみると、彼の作品で手放しに好きといえるのは『バットマン・ビギンズ』と『ダークナイト』(がんばって『インターステラー』)くらいで、後は観終わった後に何かモヤモヤするんですよね。
 そんなテンションにもかかわらず、話題に釣られて『テネット』を観るために映画館へ。彼の“ゴキブリホイホイ力”は当代随一といえるでしょう。

 感想を申し上げますと、今作はほとんど期待していなかった分、それなりに楽しめました。時間が逆行するアクションシーンは絶妙に気持ち悪くてインパクト大。CGに頼らないIMAXカメラによる映像も有無をいわせない迫力です。(パズルの答え合わせ的なつくりは興味をそそられません)
 が、それでもやっぱり中盤以降の鈍重な展開や、アクションシーンで登場人物の位置関係を観客に理解させる空間掌握力など、彼のウィークポイントは相変わらず。特に空間掌握力は結構重症で、誰がどこにいるのかが分からないため、せっかく派手に動きまわってもらってもハラハラしない。それどころか、「これ、どんなってるんスか?」とフラストレーションを感じてしまうんです。この点に関しては、『CASSHERN』を撮った紀里谷監督と共通するような・・・・。

 これに比べるとマーベル作品はすごくうまい。あれだけ多くのキャラクターが暴れまくっているのに、まったく混乱しません。ノーラン監督と同じく『ユージュアル・サスペクツ』以降、微妙な作品を撮りつづけているブライアン・シンガーでさえ、『X-MEN:フューチャー&パスト』における序盤のアクションシーンではちゃんとしてました。
 偉そうに文句ばっかり並べてますが、新作が公開されたらまた劇場に行っちゃうんでしょうね。

 今回取り上げたかったのは『テネット』ではなく、『メイキング・オブ・モータウン』というドキュメンタリー映画でした。
 60年代〜70年代にかけて尋常じゃないクオリティの名曲を連発し、数々の天才ミュージシャンを世に送りたした「モータウン」というアメリカのレコード・レーベルの歴史を紐解く内容なんですが、コレがよく出来ていて滅法おもしろいんです。

 まず、当たり前ですが、作中に流れる音楽が素晴らし過ぎる! 特に洋楽に詳しくない人でも一度は聴いたことのあるメロディが、「これでもか!」という勢いで鼓膜と心を揺さぶるんです。これだけで涙がツーッと流れ落ちます。サウンドもリマスタリングされ、クリアかつ迫力ある音になっていてグッドです。
 それにしても、普通の住宅をオフィス兼スタジオに改造した地方都市デトロイト発のレーベルに、スモーキー・ロビンソン、マーヴィン・ゲイ、スティービー・ワンダー、マイケル・ジャクソンといったド級の天才が所属していたというのは奇跡としかいえません。

 しかし、レーベルの創設者であるベリー・ゴーディにしてみれば、それは偶然ではなく必然。
 彼は若い頃に働いていた自動車工場の徹底的に管理された生産システムを、音楽業界に導入するという新しいビジネスモデルをつくったんです。このビジネスモデルは、ジャニーズやK-POPなどのベースになっています。
 ちなみにデトロイトは自動車製造を主要産業とする街で、「モータウン」というレーベル名は“モータータウン”からきています。

 才能発掘、楽曲制作、品質管理、タレントのプロデュースなどをシームレスに行う方法は、音楽業界だけでなくどんな世界でも参考になること間違いなし。僕も仕事でこのシステムを取り入れて、できる限り厳しく自己管理しようと思っているのですが、もう一人の自分にとことんダメ出しされるともう逃げ道がなくなるのでペンディングしています。

 そして、最大の見所は何といっても、ベリー・ゴーディと、彼の相棒であり会社の副社長でもあったスモーキー・ロビンソンとのわちゃわちゃ感全開のトーク。とにかく楽しそうで元気。歯の白さも新庄超えレベル! とても90歳と80歳のおじいちゃんには見えません。
 ラストに当時の関係者が嫌がる“ある”歌を、二人で嬉々として歌うシーンは最高です。
 自分の功績を振り返るということで、影の部分は軽くふれる程度ですが、なかったことにしていないところに好感が持てます。

 編集も凝っていて飽きさせないつくりになっているので、「何かおもしろい映画やってないかな」という人は、ぜひ映画館まで足を運んでください。

posted by ichio
2020.09.27

名刑事の名裁き

8200927 知り合いと話をする際、配偶者のことを何といいますか。
 男性なら嫁さん・奥さん・女房・家内、女性なら夫・主人・旦那・パパといったところでしょうか。
 でもまぁ、これは話す相手との関係性や、話の内容、ノリで変わってきますね。

 「いやぁ、うちのかみさんがね」 
 この人は、今となっては珍しい“かみさん派”です。
 “この人”が誰だかすぐに分かった人の大半は、40オーバーのおじさんでしょう。
 正解は、刑事コロンボ。ロサンゼルス市警察殺人課の警部。正確には主に1960年代後半から1970年代後半にかけてアメリカで制作された、サスペンスドラマの主人公です。
 ズングリした体型で髪の毛はボサボサ、くたびれたコートを着て、いつも安物の葉巻をくわえている中年刑事といえば、「あぁアレね」となるんじゃないでしようか。
 日本では最初NHKで放送されたのですが、僕はその後の「水曜ロードショー〜金曜ロードショー」で見ていました。

 ドラマの内容はパターンが決まっていて、出だしに犯人が殺人を犯し、コロンボが完全犯罪を切り崩すというもの。視聴者は最初から犯人が誰か分かっていて、コロンボが犯人を追い込んでいく様を追うのがキモになっています。
 先ほどの「いやぁ、うちのかみさんがね」 というのはコロンボの口癖で、犯人(大半は社会的地位の高い人物)に根掘り葉掘り質問するイントロになっているでんです。

 YouTubeで偶然、米粒写経と映画評論家の松﨑健夫氏の『刑事コロンボ』をテーマにしたトークイベントを観たのをきっかけに、コロンボ熱が上昇。アマゾンでDVDセットをポチッてしまいました。
 
 かなり久々に観たけれど、やっぱりおもしろい。
 「初対面の時から犯人と疑ってないか?」「そんな落とし方じゃ裁判で負けるでしょ」といったツッコミは不要。そんなことは重要ではありません。
 一見冴えないコロンボが、高い知能と地位、プライドを持った犯人に小馬鹿にされながらもネチネチ、ジワジワと追い込んでいく過程を見て、最後に「ざま〜!」「お見事!」と膝を叩くのが醍醐味なんです。要するに、映画ライター、ギンティ小林氏命名「ナメてた相手が実は殺人マシーンでした映画」の敏腕刑事版。
 
 改めて観直すと、コロンボの「もうひとつ訊きたいことを忘れてました」攻撃のしつこさと、意外に中盤の段階で「あんたが犯人だとにらんでいる」と挑発する押しの強さにビックリ。
 あと、犯人を自白に追い込む罠は、「性格が悪いんじゃないの」「謎解きを楽しんでるんじゃないか」疑惑が湧いてきます。

 普通ならツッコミどころ満載な話をおもしろくしているのは、まず脚本のクオリティの高さ。単にトリックが巧妙というだけでなく、犯人と被害者の関係性やその背後にある生活、はたまた犯人とコロンボの関係性がきちんと描けている。
 そして脚本に説得力を持たせる、主演のピーター・フォークとゲスト俳優の演技も忘れてはいけません。ピーター・フォークは『カリフォルニア・ドールズ』でもいい味出してました。いい役者さんです。吹き替えの小池朝雄さんもサイコー。

 ちなみに僕のフェイバリットの話は、「別れのワイン」で決まりです。
 

posted by ichio
2020.05.06

カツカレー的映画『ファイヤーフォックス』

200405 完成度がユルく、かといってB級テイストを愛でる感じでもない作品であるにもかかわらず、どういうわけか繰り返し観てしまう映画って、誰にでもあるんじゃないでしょうか。
 そんな学食のカツカレー的映画。僕の場合、その筆頭として挙げられるのが、以前このブログでも取り上げた、ロマン・ポランスキー監督、ジョニー・デップ主演の『ナインスゲート』。そしてもう一本、今回ピックアップするクリント・イーストウッド監督・主演の『ファイヤーフォックス』です。
 今でこそ風格のある作品を撮るイメージが強いクリント・イーストウッド監督ですが、かしこまる必要はありません。昔はお気楽な作品を数多く撮っていました。

 ストーリーをざっくりまとめると、ソ連がマッハ6で飛び、パイロットが考えるだけで自動的に操縦・攻撃可能なスーパー戦闘機、MiG-31〝ファイヤーフォックス〟を開発。これにビックリしたアメリカ〜NATOは、軍事バランスを保つためにファイヤーフォックス強奪作戦を企て、イースドウッド演じる元トップパイロットのミッチェル・ガントに運命を託す! とまぁ、こんな感じです。

 話は、作戦を遂行するためにガントが訓練を受ける前半、ソ連に潜入してファイヤーフォックスにたどり着くまでを描く中盤、敵パイロットとドッグファイトを繰り広げる終盤の3幕構成。
 売り的には『スターウォーズ』で特殊視覚効果を手がけたジョン・ダイクストラによる空中戦が見せ場ということになるのですが、あまり期待してはいけません。それは技術が進歩した現在とのギャップで言っているのではなく、劇場公開当時から「結構ショボいなぁ・・・・」という仕上がり具合でした。ただ、そんな中にもD.I.Y.感というか愛嬌が漂っていて、観ていられる。

 実質的な見せ場は、ガントが麻薬売人になりすましてソ連に潜入し、現地工作員の協力を得ながらファイヤーフォックスに乗り込むまでのサスペンス。
 ここでも敵役のソ連軍大佐がガント一味の一網打尽を目論んでいるとはいえ、そこまで泳がしますか?という疑問が湧かないわけではありませんが、それでもハラハラしながら観ることができます。この辺りはイーストウッド監督の手腕に拠るところが大きいといえるでしょう。
 ガントのキャラもハラハラ要因のひとつ。普通のスター映画なら主人公は冷静沈着なヒーローとして描かれますが、ガントは事あるごとに慌てふためく頼りなさ。本気でイライラします。そんな情けなキャラをドM気質のイーストウッドが生き生きと演じているのも楽しい。
 「こんな奴でホントに大丈夫?」という頼りない主人公が観る側の興味を持続させ、クライマックスの空中戦でほんわかさせる。まさに緊張と緩和。実際、この映画のリピーターになると、空中戦は「ここはもう観なくていいか」とスルーするようになります。そんなことが許される気軽さもクセになるポイントです。

 よくよく考えると、アメリカサイドは人様のお宅に忍び込んで盗みをはたらく〝あかん〟人たちなんですよね。この作品が公開されたのは、米ソ冷戦の真っ只中の1982年。「アメリカこそ正義」、「アメリカ万歳!」といった空気が色濃く漂っていたこの時期に、こんな皮肉めいた映画を撮るところもイーストウッドらしい。決して傑作・名作といわれるような作品ではありませんが、好きになる要素は多分にあると思います。興味のある方はぜひ。

posted by ichio
2019.10.20

悪の根拠

191020 『ジョーカー』観ました。評判通り、おもしろい。ホアキン・フェニックスの演技をはじめ、キャストとスタッフの気合いがビンビン伝わってくる快作でした。
 ただ、こういうことを言うと身も蓋もないのかもしれませんが、本作のような悪役の“ビギニングもの”を観ると、作品の善し悪しとは関係のないところでガッカリしてしまうんです。あれだけ怖かった怪物(悪)の底が知れてしまうというか、説明がついてしまうことに。勝手にイメージを膨らませていた余白を、「正解はコレです」と塗りつぶされるような気分になるんです。
 その最たる例が、ハンニバル・レクター博士。『羊たちの沈黙』では、常人の善悪の観念を超えたところで動く初老の天才に得体の知れない怖さを感じたのに、シリーズ作を重ねる毎にただの壊れたインテリ男になっていったレクター先生。そしてビギニングにあたる『ハンニバル・ライジング』では彼が狂ったエピソードが明かされ、「それじゃあ、並の犯罪者と同じじゃないの」と失望しました。

 『ジョーカー』も同じパターン。映画の前半では後にジョーカーになる青年アーサーが壊れていく様を丁寧に描いています。でも、丁寧に描かれれば描かれるほど、彼の狂気に理由があることが分かってシラケてしまうんですよね。それに、今回のアーサーが経験することって確かに悲惨ではありますが、多かれ少なかれ誰でもそういう目に遭ってますよね。だから、「アーサーよ、しっかりしろ!」という説教じみた感情が湧いてくる。そうなると、歯がゆさや物悲しさは感じるけれど、恐怖は感じません。
 当然ながら、こうしたジレンマは僕の勝手な思い込みと作品の方向性がマッチしていないだけの話で、『ジョーカー』は何も悪くありません。もっともこの作品は、こうしたツッコミをいなす作りにはなっています。

 同じように一人の平凡な男が堕ちていく様を描いた『ドッグマン』は、“ビギニングもの”のノイズがないので手放しで楽しめました。正確には、「手放しでブルーな気分になりました」です。
 主人公のドッグサロンを営む中年男マルチェロは、ささやかな幸せのために慎ましやかに生きようとしているだけなのに、何か自分で判断しなければならなくなった時、すべて間違った選択をしてしまう。アホやなぁと呆れつつも、「いや、人のことは笑えないぞ」と怖くなってくるんです。自分の弱い面がジワジワと浮き彫りになってくる感じといいましょうか。
 だから、この作品の場合は『ジョーカー』とは反対に、堕ちていく過程が分かれば分かるほど怖くなっていきます。映画の予告では「不条理」という言葉が使われていましたが、僕には条理の果ての物語に思えました。
 こんな話を淡々としたトーンで描ききったマッテオ・ガローネ監督に脱帽です。マルチェロを演じてカンヌ映画祭で主演男優賞を獲ったマルチェロ・フォンデさんの、どこまでが素で、どこからが演技なのか分からない“なりきりぶり”も凄いです。

 余談ですが、『ジョーカー』も『ドッグマン』も、町が重要な役割を果たしています。かたや誰もが知る悪名高きゴッサム・シティ。かたやイタリアのさびれた海辺のまち。特に海辺のまちは、とてもイタリアとは思えない、暗くてジメジメした雰囲気でインパクトあります。実際はナポリから40キロほど離れたところにあるコッポラ村というところだそうで、同監督が撮った『剥製師』と『ゴモラ』でも撮影をしているそうです。

posted by ichio
2019.02.12

『サスペリア』リメイク版が凄いことになっている件

100212 なんか、圧倒的にヤバいものを見たような気がしております。何がどうヤバいのか説明できないだけでなく、自分が何を見たのかさえも理解できないほど、まだ頭の中がクラクラしています。強いて例えるなら、知り合いのうちにお邪魔した時に気さくに迎えてくれたお母さんが、その世界では有名なホンモノの女王様だった時の衝撃を10倍したくらいの感じでしょうか。この例え、知り合いの“奥さん”ではなく“お母さん”で、紹介された後に女王様であることを知るのではなく、紹介されたその時に気づくことが重要です。

 これだけ言えば、僕が何の話をしているのかお分かりでしょう。そうです、リメイク版『サスペリア』です。
 『サスペリア』といえば、暗黒提督ダリオ・アルジェントが手がけたホラー映画の金字塔。作品を観たことがない人でも、「決して一人では見ないでください」というキャッチコピーを知っている人は少なくないでしょう。この恐怖の聖典が40年の年月を経て甦ったのだから、ただ事ではありません。

 バレリーナを目指すスージーは、夢膨らませてドイツのバレエ名門校に入学。ところが何だか学校の様子がおかしくて、次々に奇々怪々なことが起こる。学校に秘密が隠されていると感じたスージーは、前から気になっていた謎の扉を開けて……、というのがオリジナルのストーリー。
 リメイク版のストーリーも基本的には同じなんですが、内容はまるっきり違うものになっています。まず、世界観が違う。オリジナルは漆黒と極彩色を多用した、ギトギトした色彩だったのに対して、リメイク版は画面全体の色合いがおさえられていて、灰色がかった地味なトーン。しかし、画面のどこかに赤色が配置されていて、血を連想させる仕掛けになっています。またオリジナルは、ビックリハウス的な要素が多分にありましたが、リメイク版はグロいシーンも淡々と描いているのが印象的。個人的には、後者の静かな空気感がとてもとても不気味です。
 た・だ・し! 怖いのは雰囲気だけで、作品全体でいうと、ちっとも怖くありません。これがホラー映画という範疇に入るのかさえ怪しいほど。でも、今回のリメイク版は怖い・怖くないというのは問題ではなく、目の前の映像を2時間半、ひたすら浴び続けることに意味があるように思うのです。
 序盤の“起こりそうで何も起こらない”不穏な雰囲気。バレエという特異な人体の動きを通じて発散される、人間の内に潜む魔。中盤のパラノイア的な映像。そして、クライマックスの大狂宴!!! これを見たら、この後仕事の効率が落ちるほど尾を引くこと間違いなしです。

 この“とんでも映画”を監督したのは、前作『君の名前で僕を呼んで』(これ、どういうことですか?)で世界的に高評価を得た、ルカ・グァダニーノ。アルジェントと同じイタリアのお方です。彼の過去作からすると、伝説的なホラー映画を手がけること自体が驚きだったのですが、出来上がった作品を観て、何となく合点がいきました。この作品はホラー映画という形式を借りていますが、救いの作品であり、希望の映画でもある。だから、あれほど凄まじい映像をぶっかけられても、そんなにイヤな感じがしないのでしょう。ちょっと前に公開された『ヘレディタリー 継承』とは真逆のベクトル。

 トム・ヨークの音楽もハマっているし、サヨムプー・ムックディープロムによる撮影、衣装デザインのジュリア・ゾエルサンティの仕事も素晴らしい。そして、今回大々的にフィーチャーされたコンテンポラリー・ダンスと、スージーを演じたダコタ・ジョンソンの透け乳首がトンマで、妙にエロチックなところも高ポイント。
 ただ、アルジェントは最後の展開のこともあり、リメイク版に大激怒しているとのこと。
 余談ですが、ダンスの振付を担当したのはダミアン・ジャレというベルギーのダンサーさんだそうだすが、“ダミアン”という名前がもうひとつのホラー映画の傑作の主人公と同じで、ちょっと怖い。
 その他にも、舞台となっている1977年のベルリンの社会背景や、ドイツにおける前衛バレエの歴史、スージーが生まれた血筋など、さまざまな要素が盛り込まれているのですが、その辺りはオフィシャルサイトにある町山智浩さんの『サスペリア』解説をご覧ください。
政治や民族に関する内容を、物語の中に埋め込むという点で、僕は『ブリキの太鼓』を思い浮かべました。

 とにかく、この映画は是非、一人で見てください。

posted by ichio
2019.01.28

忙しさの報酬となった『恐怖の報酬』

20190128 去年の後半から年明けにかけて、『ボヘミアン・ラプソディ』『ボーダーライン ソルジャーズ・デイ』『斬、』『クリード 炎の宿敵』などの良作が立て続けに公開され、仕事で忙殺状態のなか、ちょっとした祭りになっていました。
 残念ながら近年稀に見るホラー/オカルトの傑作と誉れ高い『ヘレディタリー 継承』は、大好物なはずなのにグッときませんでした。ハンバーグがおいしいと評判の洋食屋さんに行ったら、上等な牛肉100%のハンバーグが出てきた時のような、“こういうのとちゃんねん感”とでもいいましょうか。でも、ビックリハウス的なホラーや適当につくったサイコパスもの、あるいは主演女優のトニー・コレットさんの顔芸ムービーではないなので(ただ、トニー・コレットさんの顔で恐度、陰惨度、おもしろ度ともに3割はアップしてます)、違う気分の時に観たらハマるのかもしれません。

 年末年始に観た映画のなかで思わぬ収穫だったのが、『恐怖の報酬』。『フレンチ・コネクション』や『エクソシスト』で知られるウィリアム・フリードキンがメガフォンをとった1977年公開のサスペンス・アクション大作。当時、飛ぶ鳥を落とす勢いだったフリードキンが2000万ドル(現在の100億円相当)という莫大な製作費を投じてつくった渾身作だったものの、結果は大コケ。この前代未聞の大失敗で、70年代から80年代にかけて中心的存在になるはずだったフリードキンは完全に失速してしまいました。

 コケた原因は、同時期に公開されて大ヒットしていた『スター・ウォーズ』の影響をモロに受けてしまったことに加え、映画会社が「長ったらしい」という理由で勝手に人間ドラマの部分をカットしたせいといわれています。映画会社はそんな黒歴史をなかったことにするために、この作品を長い間上映できないようにして闇に葬っていたというのだから酷い話です。
 フリードキンは相当に恨めしく思っていたようで、40年近く経った後にややこしい権利問題をクリアして自分がつくりたかった完全版として蘇らせ、世界各国の映画祭で上映したところ絶賛の嵐。それがいよいよ日本でも上映されるというのですから観ないワケにはいきません。とは言いながら、僕はこのエピソードはまったく知らず、短縮版も観たことはなく、たまたまチラシを見つけて「何か凄そう」と思って馳せ参じた“にわか”です。

 ですが、作品はそんなことを抜きにしてもサイコーでした。話は、油井の火災を消すために、ワケありの男たちが現地にニトロを運ぶという、どシンプルなストーリー。アクションもジャングルの中を軽トラが走るだけ。でも実はこれ、『マッドマックス2』や『マッドマックス 怒りのデスロード』、『アポカリプト』などの傑作と同じ、“行って帰ってくる”黄金の構成なんです。そして当たり前ですがCG一切なしで、嵐の中トラックで吊り橋を渡ったり、油井をぶっ飛ばしたり、ホンマにやってもうてる迫力は否定のしようがありません。『地獄の黙示録』と同類の狂気が充満しています。もう、こんな映画を撮ることは時代が許してくれないでしょう。ラストもアメリカン・ニューシネマの残り香があっり、男心をくすぐられます。
 ただ、前半に「ニトロをヘリコプターで運ぶのは振動が激しくて、ちょっと無理」という説明が入るのですが、どう考えてもトラックの方が危ないし、山道を走り出して3分あたりで絶対に大爆発を起こしてるはずというモヤモヤはぬぐえません。

posted by ichio
2018.11.17

オヤジの夢がつまった“ナメ殺”ムービー

101117 近年、密かに盛り上がりをみせている、ギンディー小林氏命名“ナメてた相手が実は殺人マシンでした映画”。
 これは名前の通り、悪党が腑抜けたオヤジをナメてかかって怒らせてしまい、度を超えた返り討ちにあってしまう映画を指します。こういう話は昔からの定番で、B級・C級映画として量産されるのが大半でした。
 僕もこうしたパターンの映画が大好物で、内容的にはちょっとズレますが、『ランボー』や『プレデター』1作目、『アポカリプト』などを、“追っかけてたつもりが、いつの間にか追っかけられてるムービー”として楽しんでいました。

 かつて“ナメ殺”ムービーは、何も考えずに流し見する程度の映画と軽んじられる存在でした。そんな差別を受けていたジャンルがステータスを得るきっかけとなったのは、リュック・ベッソンが製作と脚本を手がけ、リーアム・ニーソンが主演を務めた『96時間』。
 もともとこうしたジャンルムービーは、演技力は二の次で、アクションがそこそこできて、見た目は無駄にタフガイ、ギャラはお手軽な俳優さんと、間違ってもイキってアートっぽい映像を撮らない、しなびた職人監督の独占領域でした。(けなしているように見えますが、褒め言葉です) 
 それが『96時間』では第一線で活躍する有名監督がガッツリ関わり、演技派俳優のリーアム・ニーソンが主役を務めたのですから、それだけでもインパクトがありました。内容も、モッサリしたこれまでの諸作とは違い、話の展開はスピーディーで、演出も垢抜けている。主役の男も何やら渋みがある。要するに、結構おもしろかったワケです。これはイケると分かったハリウッドのお偉いさんたちは、同じ系統の俳優やスタッフを起用した作品を作りだし、“ナメ殺”ムービーが盛り上がってきたというのが大まかな経緯。
 
 そんな “ナメ殺”ムービーの最高峰が、アカデミー俳優デイゼル・ワシントン主演、アントワン・フークア監督の『イコライザー』。この二人は、裏バディムービーの傑作『トレイニング・デイ』を生み出した、ゴールデンコンビ。再びタッグを組んだ二人は、“ナメ殺”ファンの期待を裏切るどころか、期待をはるかに上回る痛快作をつくってくれたのです!
 “ナメ殺”ムービーのキモは、主人公であるオヤジのくたびれ具合とキレた時の無双っぷり。デイゼル・ワシントン演じるバート・マッコールさんは、このすべての要素を完備しているだけでなく、普段は結構人付き合いが良くてインテリ、でも病的な整頓好きという新鮮なアレンジが加えられているところが秀逸。そして、強い。いや、強すぎる。娯楽映画の主人公は、一度はピンチになるものですが、マコールさんの場合はヒヤっとすらしません。大した武器も持たずに、たった一人で相当デカい裏組織をぶっ潰すのですからただ者じゃありません。世の中の揉め事は、全部マッコールさんに任せた方がいいんじゃないかと思うくらいです。
 今のところマッコールさんは、一応正義のために悪党を殺しまくっていますが、明らかに普段よりもイキイキしています。もしタガが外れてしまったら、スーパーのセルフレジで手間取って待たせしまったり、定食屋で注文した品の順番が入れ違ったりしただけでブチ殺されるのではないかと不安になります。

 どうして、僕が“ナメ殺”ムービーに惹かれるのか。それは、自分がナメられサイドの人間だから。露骨な態度をとられたことはそんなにはないものの、「コイツ、おれのことナメとるな」と感じることは確かにあります。そんな時は、マコールさんモード発動! 脳内で小芝居がはじまります。ワルくて強そうな輩はブルース・リーばりの電光石火の早ワザで叩きのめし、仕事の打ち合わせの時にワケの分からんビジネス用語を連発しながらノートパソコンを叩く、デキる風ビジネスパーソンには完璧な仕事で黙らせるなど、バリエーションは豊富。まぁ、後者は夢想ではなく実行しろよと、自分でも思いますが。
 このように“ナメ殺”ムービーは中年男の夢がつまっているので、これからもジャンジャンつくっていただきたい。最近公開された『イコライザー2』も秀作なので、日頃ナメられていると感じている人は必見です!

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2018.07.12

オレの説

180712 世の中には「ホントですか?!」と声があげるような真実味のあるものから「それはない」という眉唾レベルのものまで、さまざまな説があります。実は僕もかなり自信のある説をもっておりまして、今回は特別に紹介いたしましょう。この説を拡散すると世の中がザワつくことになるので、どんなに衝撃を受けても、そっと自分の胸の内にしまっておいてください。それでは発表します。

 “オレが観る映画には、必ずサミュエル・L・ジャクソンかリリー・フランキーが出ている”

 いかがでしょうか。かなりの人が「その通り!」と、ひざを叩いたと思います。
 別にこの二人を目当てに観たワケではないのに、映画がはじまってしばらくするとヌルッと出てきて、主役を喰うインパクトを残していく。そんな居酒屋メニューにおけるナマコ酢のような存在。
 実際に二人の出演作を調べてみたところ、8割から9割程度は観ている。この人たち目当てで観ていないにもかかわらず、これだけ高い確率でヒットするのであれば、もはや赤の他人とは言えません。

 二人に共通するのは、基本的にはクセのある脇役で、作品によっては主役格の役もこなすところ。そして、これまたクセの強い監督や、とんがった作品に多く出演しているところも似ています。リリー・フランキーさんについては完全にかつての“岸部一徳枠”を独占しており、しばらくは敵なし状態がつづきそうです。あの爬虫類的な佇まいは唯一無二で、強烈な中毒性がある。僕のなかのベスト・オブ・リリー・フランキーは、『SCOOP!』のチャラ源です。映画を観終わった時、あのクスリ漬けのヤバい顔しか印象に残っていません。

 サミュエル・L・ジャクソンは、リリー・フランキーさんに比べて作品や役の幅が広く(というか節操がない)、飛行機の中で大量のヘビが逃げだすパニックムービー『スネーク・フライト』や、理想の交尾相手を求めて旅する『童貞ペンギン』など、相当くだらないものにも出ています。サミュエル・L・ジャクソンがこれまで演じた膨大な役のなかで最も有名な役といえば、やはり『パンプ・フィクション』のギャング、ジュールス・ウィンフィールドでしょう。もちろんこの役も好きですが、個人的には『ディープ・ブルー』の製薬会社の社長や『キングスマン』のIT長者がベスト。
 お二方には、これからも“オレが観るすべての映画”に出演しつづけてほしいものです。

posted by ichio