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2018.11.17

オヤジの夢がつまった“ナメ殺”ムービー

101117近年、密かに盛り上がりをみせている、ギンディー小林氏命名“ナメてた相手が実は殺人マシンでした映画”。これは名前の通り、悪党が腑抜けたオヤジをナメてかかって怒らせてしまい、度を超えた返り討ちにあってしまう映画を指します。こういう話は昔からの定番で、B級・C級映画として量産されるのが大半でした。
僕もこうしたパターンの映画が大好物で、内容的にはちょっとズレますが、『ランボー』や『プレデター』1作目、『アポカリプト』などを、“追っかけてたつもりが、いつの間にか追っかけられてるムービー”として楽しんでいました。

かつて“ナメ殺”ムービーは、何も考えずに流し見する程度の映画と軽んじられる存在でした。そんな差別を受けていたジャンルがステータスを得るきっかけとなったのは、リュック・ベッソンが製作と脚本を手がけ、リーアム・ニーソンが主演を務めた『96時間』。
もともとこうしたジャンルムービーは、演技力は二の次で、アクションがそこそこできて、見た目は無駄にタフガイ、ギャラはお手軽な俳優さんと、間違ってもイキってアートっぽい映像を撮らない、しなびた職人監督の独占領域でした。(けなしているように見えますが、褒め言葉です) 
それが『96時間』では第一線で活躍する有名監督がガッツリ関わり、演技派俳優のリーアム・ニーソンが主役を務めたのですから、それだけでもインパクトがありました。内容も、モッサリしたこれまでの諸作とは違い、話の展開はスピーディーで、演出も垢抜けている。主役の男も何やら渋みがある。要するに、結構おもしろかったワケです。これはイケると分かったハリウッドのお偉いさんたちは、同じ系統の俳優やスタッフを起用した作品を作りだし、“ナメ殺”ムービーが盛り上がってきたというのが大まかな経緯。
そんな “ナメ殺”ムービーの最高峰が、アカデミー俳優デイゼル・ワシントン主演、アントワン・フークア監督の『イコライザー』。この二人は、裏バディムービーの傑作『トレイニング・デイ』を生み出した、ゴールデンコンビ。再びタッグを組んだ二人は、“ナメ殺”ファンの期待を裏切るどころか、期待をはるかに上回る痛快作をつくってくれたのです!
“ナメ殺”ムービーのキモは、主人公であるオヤジのくたびれ具合とキレた時の無双っぷり。デイゼル・ワシントン演じるバート・マッコールさんは、このすべての要素を完備しているだけでなく、普段は結構人付き合いが良くてインテリ、でも病的な整頓好きという新鮮なアレンジが加えられているところが秀逸。そして、強い。いや、強すぎる。娯楽映画の主人公は、一度はピンチになるものですが、マコールさんの場合はヒヤっとすらしません。大した武器も持たずに、たった一人で相当デカい裏組織をぶっ潰すのですからただ者じゃありません。世の中の揉め事は、全部マッコールさんに任せた方がいいんじゃないかと思うくらいです。
今のところマッコールさんは、一応正義のために悪党を殺しまくっていますが、明らかに普段よりもイキイキしています。もしタガが外れてしまったら、スーパーのセルフレジで手間取って待たせしまったり、定食屋で注文した品の順番が入れ違ったりしただけでブチ殺されるのではないかと不安になります。

どうして、僕が“ナメ殺”ムービーに惹かれるのか。それは、自分がナメられサイドの人間だから。露骨な態度をとられたことはそんなにはないものの、「コイツ、おれのことナメとるな」と感じることは確かにあります。そんな時は、マコールさんモード発動! 脳内で小芝居がはじまります。ワルくて強そうな輩はブルース・リーばりの電光石火の早ワザで叩きのめし、仕事の打ち合わせの時にワケの分からんビジネス用語を連発しながらノートパソコンを叩く、デキる風ビジネスパーソンには完璧な仕事で黙らせるなど、バリエーションは豊富。まぁ、後者は夢想ではなく実行しろよと、自分でも思いますが。
このように“ナメ殺”ムービーは中年男の夢がつまっているので、これからもジャンジャンつくっていただきたい。最近公開された『イコライザー2』も秀作なので、日頃ナメられていると感じている人は必見です!

posted by ichio
2018.07.12

オレの説

180712世の中には「ホントですか?!」と声があげるような真実味のあるものから「それはない」という眉唾レベルのものまで、さまざまな説があります。実は僕もかなり自信のある説をもっておりまして、今回は特別に紹介いたしましょう。この説を拡散すると世の中がザワつくことになるので、どんなに衝撃を受けても、そっと自分の胸の内にしまっておいてください。それでは発表します。

“オレが観る映画には、必ずサミュエル・L・ジャクソンかリリー・フランキーが出ている”

いかがでしょうか。かなりの人が「その通り!」と、ひざを叩いたと思います。
別にこの二人を目当てに観たワケではないのに、映画がはじまってしばらくするとヌルッと出てきて、主役を喰うインパクトを残していく。そんな居酒屋メニューにおけるナマコ酢のような存在。
実際に二人の出演作を調べてみたところ、8割から9割程度は観ている。この人たち目当てで観ていないにもかかわらず、これだけ高い確率でヒットするのであれば、もはや赤の他人とは言えません。
二人に共通するのは、基本的にはクセのある脇役で、作品によっては主役格の役もこなすところ。そして、これまたクセの強い監督や、とんがった作品に多く出演しているところも似ています。リリー・フランキーさんについては完全にかつての“岸部一徳枠”を独占しており、しばらくは敵なし状態がつづきそうです。あの爬虫類的な佇まいは唯一無二で、強烈な中毒性がある。僕のなかのベスト・オブ・リリー・フランキーは、『SCOOP!』のチャラ源です。映画を観終わった時、あのクスリ漬けのヤバい顔しか印象に残っていません。
サミュエル・L・ジャクソンは、リリー・フランキーさんに比べて作品や役の幅が広く(というか節操がない)、飛行機の中で大量のヘビが逃げだすパニックムービー『スネーク・フライト』や、理想の交尾相手を求めて旅する『童貞ペンギン』など、相当くだらないものにも出ています。サミュエル・L・ジャクソンがこれまで演じた膨大な役のなかで最も有名な役といえば、やはり『パンプ・フィクション』のギャング、ジュールス・ウィンフィールドでしょう。もちろんこの役も好きですが、個人的には『ディープ・ブルー』の製薬会社の社長や『キングスマン』のIT長者がベスト。
お二方には、これからも“オレが観るすべての映画”に出演しつづけてほしいものです。

posted by ichio
2018.06.12

現在進行形でジャッキー・チェンを楽しむ

180612今の35歳以下の男子にとってジャッキー・チェンって、どういう存在なんでしょうか? 「昔のアクション俳優でしょ」「名前と顔は知ってるけど、映画は見たことない」という感じなんでしょうか。それとも「何ですか、それ」レベルなんでしょうか。ショックを受けそうで、知りたいような知りたくないような……。
40代真っただ中の男にとってジャッキー・チェンは、好き嫌いにかかわらず避けては通れない巨大な存在であり、人生や人格を形成するうえで影響を受けた人も少なくないでしょう。僕もその端くれの一人です。しかし上には上がいるもので、中学時代に本気でジャッキー・チェンを崇拝している“だまヤン”という友だちがいて、そいつはクラスメイトと本気のケンカになった時、酔拳の構えをして衝撃を受けたことを鮮明におぼえています。だまヤンの頭の中では映画のように敵を翻弄してノックダウンするシーンを思い描いていたのでしょうが、千鳥足になったところで騙されるワケないし、そもそも中学生が酒を飲んでるはずがありません。そんな当たり前のことがスッ飛ぶほど、当時のジャッキーの存在はデカかったんです。ちなみに、だまヤンは普通にヘッドロックされて頭をポコポコ殴られ負けました。

そんなジャッキーチルドレンな僕たちですが、正直なところ、当時の熱をキープしつづけている人はごくごくわずかでしょう。カミングアウトすると、僕の場合は『プロジェクトA』をピークに下降線を辿りはじめ、90年代に入ると『酔拳2』で一時的に盛り上がったものの、自己紹介でいきなり「ジャッキー・チェンが好きです」とは言えない感じになっていました。2000年以降は新作が出てもチェックすることなく、完全にスルーする状態がつづいています。
そんななか、CSで日本でのジャッキー人気に火をつけるきっかけとなったモンキーシリーズ3作(『スネーキーモンキー蛇拳』『ドランクモンキー酔拳』『クレージーモンキー笑拳』)が連続放送されたので何年かぶりに観ると、やっぱりメチャメチャおもしろい! 3作ともストーリーだけでなく出演俳優もほぼ同じで、カンフーシーンも冗長。テキトー感があふれ出ているのですが、そうした欠点を若いジャッキーのフレッシュな魅力とパワーが吹き飛ばしている。作りがチープであることが逆にジャッキーの凄さを際立たせているといってもよいほどです。(個人的には、いちばん地味な蛇拳が好きです)

これらの初期作を観て、僕は反省しました。子どもの頃に散々お世話になったのに、大人になったら無視するんかい!と。ジャッキーがリタイヤするまで見届けることが僕たちジャッキーチルドレンの務めではないのかと。いや、こんな言い方をするとジャッキーに失礼ですね。現在進行形の作品もおもしろいかもしれない。心のタンスからもう一度ジャッキー熱を取り出してきて、今の大人になった視点と組み合わせ、2000年代以降の作品も含めたジャッキームービーを楽しみたいと思います。

posted by ichio
2017.08.08

同じなのに違うこと

170808同じ時、同じ場所で、同じことを体験しても、立場や感覚の違いで異なる出来事になることはよくあること。例えば、哀しいまでに生産性のない会議があったとしましょう。発注サイドは受注サイドに対して「ちゃんと準備しとけよ」と腹を立てる一方、受注サイドも「方向性くらいは出してくれんと提案のしようがないわ」とキレている。そして、すべてのしわ寄せがくる下請け業者は、焦りを通り越してトリップしていることがままあります(ちなみに僕はトリップする側の人です)。また、ある者にとってはタイプの女性担当者に会える至福の時かもしれないし、傍観者にとってはそんなこと全部をひっくるめてバカ会議となるワケです。
このようなことは、小説や映画などフィクションでより際立ちます。作者がどんな切り口で、誰の視点で、どのようなタッチで描くかによって、同じような素材を扱っていてもまったく別物になってしまいます。

そのことを映画『ムーンライト』を観た時に改めて強く感じました。(※以下、公式サイトに紹介されている範囲でネタバレあり)
主人公のシャロンはクラスメイトにいじめられていて、友だちは同級生のケヴィンだけという内気な少年。しかしシャロンが高校生の時、“ある事件”が起きてケヴィンとの関係も壊れてしまいます。それから数年の時が流れ、突然シャロンのもとにケヴィンから連絡が。しかし事件後すぐに退学したシャロンは高校時代とはうって変わり、ゴリゴリのマッチョになり、ドラッグのディーラーとして生きていた……というお話。
本作はヘビーなテーマを扱いながら、透明感のある映像と品の良い語り口で、アカデミー作品賞を獲得しました。

観賞後、この話どっかで観たことあるなと思っていたら、思い出しました。『行け! 稲中卓球部』10巻に収録されている「ゴメンね」という話です。井沢が小学生の時に辛くあたった増田君に謝るため隣り町まで行ったところ、増田君は見事なヤンキーになっていて、何もなかったようにすごすごと退散するという内容。
『ムーンライト』と似た話なのに一方は切なくなり、一方は笑ってしまう。フィクションの力ってすごいですね。

余談ですが、僕にも小学生の時、似たような友だちがいました。その友だち〜A君は外国で生まれ育ち、小学4年生の時に転校してきました。文化や学校教育の違いでお互いに戸惑うことが多く、そんな時A君は近所だった僕のところに相談に来ました。最初の頃は彼の話を聞き、アドバイスをすることもあったのですが、だんだん面倒くさくなり、ひょうきん族を見ている時に来た時などは「土曜の8時がどんな時間か分かるやろ〜」と、あからさまにうっとしそうな顔をしたこともあります。また、そんな僕の態度をA君から「冷たい」とダメ出しされ、口ゲンカにもなりました。そんな感じで距離ができてしまった頃、A君は学習内容の都合で1つ下の学年に移り、その後しばらくして転校しました。
あれから約40年、今でも時々A君のことを思い出し、「あの時もっと親身になって相談にのってあげればよかった」と謝りたい気持ちなります。でも、実際に会ってみるとキツいオッサンになっていて、微妙な気持ちになりそうです。

posted by ichio
2017.07.11

意外にまともだった『ハクソー・リッジ』

170706「朝イチの会議はキツい」と文句を垂れる会社員をチョコチョコ見ますが、そういう甘っちょろいことを言う人にはぜひ、朝イチの『ハクソー・リッジ』をお勧めしたい。僕は土曜日の午前9時に観賞したのですが、おとなしく家でテ朝パラ見ながら「ちっちゃいメープルメロンパン」を食べとけば良かったと後悔するくらいグッタリ疲れ果てました。おかげで午後からの仕事がまったくはかどらないあり様。まぁ、メル・ギブソン(以下、敬意を込めてメルと表記)の作品と知りながら無理のあるスケジューリングをした自分が悪いんですけどね。

メル10年ぶりの新作は、第二次世界大戦、沖縄の前田高地で繰り広げられた激戦に加わった衛生兵のお話。主人公のエドモンド・ドスは信仰心から武器を持つことを拒否し、人を殺すのではなく、助けるために戦争に行くという、かなり突き抜けた人。「そんな奴おらんやろ〜〜チッチキチ〜」と思っていたら、実在の人物だというのだからビックリです。
予告編では感動のヒーローものとして紹介をしていますが、『海猿』的なノリで行くと、えらい目に遭ってしまうので注意してください。先ほども申し上げたように、この映画はメルの監督作品です。たまにテレビ放送やレンタルで映画を見る人にとってメルは、「マッドマックス」シリーズや「リーサル・ウエポン」シリーズの俳優さんとして認知されていることでしょう。しかしこの人、監督としてかなりの才能の持ち主で、すごくクセが強い作品を撮り続けているんです。
どんなクセかといいますと、残酷シーンのメガ盛り。どれくらい残酷かというと、テレビでは絶対に放送できないくらいとだけ申し上げておきましょう。そんなシーンがほぼ始まりから終わりまでつづくのですから、たまったもんじゃありません。執拗に描くゴアシーンを目の当たりにすると、「この人、真性のドSやな」と感じざるをえません。ちなみにメルは、元奥さんへのDVが問題になったり、アル中で度々騒ぎを起こしたりしています。(そういう人だと知った今、昔の作品のメルがおどけたシーンを見直すと、完全にマッドで怖い)
実はメルにはもうひとつクセがありまして、どの作品にも“人は、自分が信じる道を貫き通すことができるのか?”というテーマが通底しています。これはメルが熱心なカトリック教徒で、結構コアなグループを支持していることが影響しています。キリストが十字架に架けられるまでの数時間を描いた『パッション』なんてモロ。
アル中のDV野郎で、宗教にのめり込んでるって、普通なら完全にアウト。しかし、こうして映画を撮り、アカデミー賞まで獲ってしまうところがメルなんです!

今作はどうかというと、確かにゴアシーンは盛りだくさんなんですが、それよりもメルの監督としての地力に目がいく出来。意外にまともというべきか、普通にすごいというべきか……。エドモンドが戦場に行くまでの無駄のない進行や、上官や仲間たちとの確執と理解を描くソツのなさは、キューブリックの『フルメタル・ジャケット』よりずっとスマート。戦闘シーンにしても、それぞれの位置関係が分かるように撮っている。これ、有名な監督でもできている人、少ないんですよね。この辺りはさすがジョージ・ミラーの弟子。
普通に感想をいえば、とんでもなく完成度が高く、素晴しい映画。でも、良くでき過ぎていて、パンチの利いたAVを期待してレンタルしたら、思いほかノーマルだった時のような寂しさを感じないでもありません。
僕たちはメルに“まとも”なんか期待していません。次は『アポカリプト』のように、もっとはっちゃけてもらって結構です。

posted by ichio
2017.05.11

『ブレードランナー2049』公開に向けて

170511個人的に今年いちばんの映画祭になりそうな、『ブレードランナー2049』の公開。
中学生の時に2番館で見て以来、常にフェイバリット・ムービーとして鎮座しつづけている、人生を決定づけた作品の続編が公開されるのだから、ただ事ではありません。(この映画に出会わなければ、もっとご陽気で生産的な人間になれたかもという思いもありますが……)

今でこそ『ブレードランナー』はSFという枠を飛び越えた名作とされていますが、公開当時の評価は「暗い」「訳わからん」と散々。主演のハリソン・フォードまで経歴から消してほしいと言い出すほど、かわいそうな扱われようでした。
確かにスカッと感は皆無で、当時一緒に観に行った友だちも「時間とお金、損したやんけ〜」とぼやいていました。その横で僕はゴッタ煮的な近未来の世界観にクラクラしつつ、「この映画の良さが分からんほど鈍いから女子にモテへんのや!」と小馬鹿にしていたのを覚えています。今さらいっても仕方ありませんが、こんな映画などおかまいなしに、ご機嫌に騒いでいる人間がモテることに後から気づきました。

オリジナル作の『ブレードランナー』が、フィリップ・K・ディックの小説『アンドロイドは電気羊の夢を見るのか?』の映画化であることはよく知られています。ややこしい話なのですが、まったく別の人が書いた『ブレードランナー』という小説が存在するのはご存知でしょうか。書いたのは、泣く子も黙る、ウィリアム・バロウズ。しかも、こっちの『ブレードランナー』も近未来を舞台にしたSFで、世界観も似たところがあったりします。実は、オリジナル作を監督したリドリー・スコットが『ブレードランナー』というタイトルを気に入り、バロウズ卿から権利を買い取ったんです。
さらに、ややこしい話はつづきます。レンタルビデオの普及に伴いオリジナル作の評価がウナギのぼりとなり、ワーナーブラザーズはリドリー・スコットに再編集〜ディレクターズ・カットを依頼。(後にさらに再編集を施したファイナル・カットも登場)
こうした動きの中で続編を期待するムードも高まっていきます。しかし、続編をつくるためにはオリジナルストーリーをつくる必要があり、ハリソン・フォードの加齢も考慮しなければいけないなど、さまざまな課題が浮き彫りに。そんな時に「これじゃ、どうですか?」と、K.W.ジーターという当時、新鋭のSF作家が『ブレードランナー2 レプリカントの墓標』という小説を繰り出してきたのです。ストーリーは映画オリジナル作の直系なのですが、先ほど申し上げたように、小説版『ブレードランナー』とはまったく別物という奇妙な関係。例えるなら、日影忠男が売り出した加勢大周の2代目が、「新加勢大周」ではなく「日影忠男2」と名乗ったといえば、分かりやすいでしょうか。
ところで『ブレードランナー2 レプリカントの墓標』、“主人公デッカードはレプリカントなのか?”という製作者やファンの間で繰り広げられている議論に目を配りながら、ハンソン・フォードの加齢問題にも辻褄あわせをするなど、なかなかよく出来ているんです。ただ、調子こいで書いた『ブレードランナー3 レプリカントの夜』は残念な出来でしたが。
こんな感じで盛り上がっていたブレードランナー界隈ですが、諸々の事情で映画の続編企画はお流れに。ところが、オリジナル作の設定だった2019年に近づいてくるにつれ続編の熱が再上昇し、ついに製作が決定したというワケです。
ただ、ハリソン・フォードもリドリー・スコットも立派なおじいちゃん。リプリカントがおじいちゃんを追い回しても、ただのいじめにしか見えない。リドリー・スコットにしても現役バリバリといっても、尖ったものが求められる『ブレードランナー』となると、目・肩・腰がつらい。
この問題をどうクリアするのかと思ったら、やってくれました。リドリー・スコットは製作総指揮にまわり、監督にドゥニ・ヴィルヌーヴを抜擢。この人選はホームラン級のナイスチョイス! 確かなビジュアルセンスと、しっかりとドラマを語ることのできる構成力をもった、いま最も新作が待ち遠しい監督の一人。音楽もヴァンゲリスに替わり、ヴィルヌーヴ組のヨハン・ヨハンソン(新野新みたいな名前やな)が担当するのも憎い。さらに撮影はコーエン兄弟の諸作をはじめ、ヴィルヌーヴ作品でも『プリズナーズ』『ボーダーライン』を手掛けている、巨匠ロジャー・ディーキンス。そして俳優陣はハリソン・フォードに加え、いまが旬なライアン・ゴズリングが出演。このメンバーでしくじったら、それはもう仕方ないというくらいベストな布陣です。

ちょっと前に予告編が公開され、ドキドキしながら観たら、結構いい感じでひと安心。ただ、『マッドマックス 怒りのデスロード』の予告を観た時に感じた「これは傑作にちがいない!」というオラオラ感が湧いてこないのが、ちょっと不安でもあります。前作の肝でもあった未来都市にカオスがなく、何かスッキリしちゃてるんですよね。いまのご時世当たり前なのかもしれませんが、CGが全面的に使われていて、画面に厚みがないように感じるんです。ここは思い切って、“いま”の技術と感性でミニチュアを使用したり、セットを組むなど、アナログ的なアプローチにこだわってほしかった気がします。
あと、予告編ではライアン・ゴズリング演じるKが、自分はリプリカントなのかと葛藤するようなシーンがありますが、これはあくまで物語のセカンドラインに留めて、メインは娯楽映画として動きのあるストーリーになっていることを願うばかりです。
とまぁ、いろいろと書きましたが、こんな不安やいちゃもんをフッ飛ばす傑作であることを期待しています!

posted by ichio
2017.04.06

おやじに夢中

170406朝鮮系のおやじにハマっています。
ひとつは、ナ・ホンジンがメガフォンをとった、とんでもムービー『コクソン』に登場する二人のおやじ。一人は主人公で、猟奇殺人事件の謎に迫る田舎まちの警官。このおやじ、かなりダメな人で、職場でも家でもまったく“うだつ”が上がらない。事件の真相に迫るといっても、実際のところはビビって逃げまくっていたものの、のっぴきならない状況になって巻き込まれていくだけ。ダメおやじ系の作品に目がない僕はこれだけでも満足なんですが、この作品にはさらに國村隼が出ているんです。しかも「ウホォ!」と声が出る、ふんどし姿で。この二人を中心にアウトなおやじ共が繰り広げる珍事がサイコーです。
ネタバレするので詳しくは書きませんが、この映画、最初は宣伝で紹介しているようなサイコもののつもりで観ていたら、『フロム・ダスク・ティル・ドーン』を遥かに凌ぐ、思てたんとちがう展開に。そういえばナ・ホンジンの前作『悲しき獣』も、冴えない男の一発逆転劇だったはずが、気がついたら別のおやじが牛骨を振り回す話になってましたね。スムーズな話の流れなど完全に無視したこのパワー。ナ・ホンジンは、今観るべき監督の一人に確定です。

もうひとつのおや汁作品は、『マッド・ドッグ』(菊山尚泰)という小説。朝鮮の貧しい村で育った男が日本に出稼ぎにきて、戦後の裏社会でのしあがっていくサーガで、これが無類におもしろい! とにかく主人公が、人を殴る、殴る、殴り倒す。圧倒的な暴力で富と力を手に入れていくプロセスだけでなく、執拗な暴力描写(『その男、凶暴につき』のビンタ乱れ打ちに似た不快感)もこの小説を特別なものにしているといえるでしょう。
作者である菊山氏の父親がモデルになっているらしく、菊山氏自身も殺人を犯し、無期懲役囚として服役中。塀の中で獄中記や自らの体験をもとにした小説を書いているとのこと。恥ずかしながら、この本を読むまで知りませんでした。頻繁に出てくる暴力描写は表現の引き出しが少ないせいでパターン化してしまっているのですが、これがアニメのセル画の使い回しやリミテッドアニメーションのようで、劇画チックな味わいを醸し出しています。
前半は主人公のサクセスストーリー、後半は息子との親子愛に重点が移る構成になっていて、特に後半は主人公が一本気な男として描かれ、いい話風になるのですが、何度も「いやいやいや、あかん人でしょ!」と、我に返ることになります。家族や親戚、スナックで居合わせた一般客などを容赦なく殴る人間って、他にいい面があったとしてもダメでしょ。現におやじの影響をもろに受けた息子(作者)も一線を越えてしまうわけですから。それでも思い出ではなく、現在進行形で「俺のおやじ最高」といえる親子関係って凄い。
このように物語後半は、作者がいい話風味のネタふりをして、読者がツッコミを入れる関係になって楽しいです。
いやぁ、むさ苦しく、匂い立つおやじ、たまりません!
ダメおやじを特集した『KITSCH PAPER vol.4』をつくりたいけれど、時間がないんですよね……。

posted by ichio
2017.01.31

地獄を描く師弟のつながり

170131日々仕事をする中で、「今があるのは尊敬できる上司のおかげ」とか、「師匠といえる人に出会い、たくさんのことを教わった」という話をよく聞きますが、僕の場合は勤めていた会社がフラットな感じのところだったこともあり……いや、可愛げのない性格のせいで、そういった関係を築くことなく、ここまできました。若い時に面倒くさい話を聞かなくてよかった代わりに、今、面倒くさい話を聞いてもらうことができません。また、飲みに行った時に“それ風”な話をしようとしても実のある話ができないため、自分のコアな部分の上澄みを話すと、こちらの意図と違う受け取り方をされてドン引きされ、こっちも微妙な気持ちになることがあります。こういう“こじらせ”を起こさないためにも、若いうちに師弟関係はつくっておくべきといえるでしょう。

映画の世界においても数々の師弟関係があります。その中でも近年、お互い刺激し合い、それぞれの作品に反映しているのが、ジョージミラーとメル・ギブソン。二人はながい映画史の中で燦然と輝く初回マッドマックス・シリーズで監督と主演を張った間柄。彼らはシリーズ3作を作り上げた後は直接的に関わることはありませんが、今でもスピリッツだけでなく、作品のつくりまでも影響し合っています。

※ここからは多少のネタバレがあるのでご注意ください。
はじまりは『マッドマックス2』。この作品のストーリーは、砂漠のギャング団から石油と村人を守るために主人公マックスがおとりになって、死のチェイスを繰り広げるというもの。ザ・ぼんち的に説明すると、A地点からB地点に行って、再びA地点に戻って来るだけ。
シンプルなストーリー故、中身はスカスカかというとそうではなく、ドロドロ、コテコテ、ギトギトの特濃状態。作品の世界観をみっちり作り込み、全編通してこれでもかというくらいバイオレンス&アクションシーンのアイデアを注ぎ込んでいます。
このジョージ・ミラー・メソッドを取り入れたのが、メル・DV・ギブソンが監督を務めた『パッション』。キリストがゴルゴダの丘で十字架に架けられるまでの道中を描いた作品で、こちらはA地点からB地点に行くのみ(処刑されるので帰りようがありません)。さらにメル・アル中・ギブソンはつづく監督作『アポカリブト』で、いよいよ『マッドマックス2』の“行って・戻って来る”プロットに着手。生け贄としてマヤ帝国につれて行かれた(A地点からB地点に行く)主人公ジャガーが、妻子を助けるために村へ逃げ帰る(B地点からA地点に戻る)だけの話なのですが、これがトンデモハプニングの雨あられで、超おもろいんです! メル・真性サド・ギブソンは人としては終わっているかもしれませんが、映画監督としては素晴しい才能の持ち主。ちなみにシルベスター・スタローンは『エクスペンダブルズ3 ワールドミッション』の監督を当初、彼に依頼したとのこと。さすが分かってらっしゃる!

弟子の狂った作品に刺激を受け、「小僧よ、オレこそがオリジナルだ!」とばかりに、今度は師匠のジョージ・ミラーが『マッド・マックス 怒りのデス・ロード』をつくり上げる。この作品がどれだけの傑作なのかは今さらいうまでもないので省略しますが、ここで彼は自ら築いたメソッドに磨きをかけ、「映画にとってストーリーって何なの?」と考えさせられるくらいのレベルに到達しています。しかも、次々に繰り出されるアクションのアイデアは『アポカリブト』を凌ぐほど。70過ぎのおじいちゃんがつくったとはとても信じられない……。

彼らの作品が凄いのは、単にエグい描写をするのではなく(ジョージ・ミラーは直接的な描写はうまい具合に避けています)、どう見せるかを考えているところ。そして何といっても、空間的な位置関係を観客にしっかり伝えているところが素晴しい。今、誰がどの辺にいるのかが分かると、観客の緊張感を持続させるサスペンス度が段違いに高まる。当たり前のことですが、ちゃんとできている作品は滅多にありません。

さて、去年の暮れに第二次世界大戦の沖縄戦を描いたメル・ギブソンの新作『ハクソー・リッジ』がアメリカ公開され、こちらも凄まじい内容とのこと。『マッド・マックス 怒りのデス・ロード』に刺激され、どんな映画をつくったのか、今から楽しみです。

posted by ichio
2016.08.22

『シン・ゴジラ』観賞前にサントラを聴く

160820『シン・ゴジラ』がおもしろいそうじゃないですか。
僕はこれまでゴジラ作品をはじめとする怪獣映画をほとんどスルーしてきたのですが、こう盛り上がってくると観たくなってくる。でも、タイトルがどうにも受けつけなかったり、かつて登場したミニラやゴジラの“シェ〜”ポーズが頭をよぎったりして、どうしても足がすくんでしまう。観に行くべきか、行かざるべきか……。
夜中にリオ・オリンピックを観戦しながら悩んでいると、むかしゴジラのサントラ盤を買って、ほとんど聴かずにレコード棚の肥やしになっていることを思い出しました。やっと出番がきた。中古屋さんに売り飛ばさなくてよかった。やっぱり断捨離なんてものはしない方がいい。
さっそく棚からサントラを引っ張り出して、針を落とす。スケール感のあるイントロにつづいて流れてくるのは神楽。日本の土着神でもあるゴジラの特性をあらわす秀逸なオープニング。つづいておなじみの“ザザザン、ザザザン、ザザザザザザザザザン”という「ゴジラのメインタイトル」。この曲はあまりにも有名過ぎるせいで今ではギャグ的な要素が付着してしまっていますが、改めて素で聴くとミニマルっぽくてめちゃカッコいい。(年代的には、こっちの方がずっと早いですけど)
次の曲は「ゴジラの恐怖」。この曲、なかなか文字ではあらわしにくいですが、みんな一度は聴いたことのある曲です。メロディだけでなく管楽器の生々しい音色が、ゴジラの巨大感や質感、そしてゴジラを目の当たりにした人たちの恐怖をリアルに表現している。60年以上も前の曲なのに今も新しく聴こえるとは、伊福部昭、やるなぁ。
予告編を見ると、『シン・ゴジラ』ではゴジラの存在感が強調されているので、メインタイトルよりも「ゴジラの恐怖」の方がフィットしていますね。

気分がノッてきたのでライナーノーツに目を通すと、驚くべきことが判明。自分では1作目のサントラ盤を買ったつもりでいたのに、実際はゴジラ諸作からいいとこ取りしたベスト・オブ・ゴジラ。ということは、ミニラやゴジラが“シェ〜”をやらかした作品の音楽も紛れ込んでいる可能性が……。
ただでさえアンチ・ベスト盤なのに、こんな代物を購入している自分にほとほとガッカリする。おそらくこのサントラ盤を買った時も落胆しているはずなのに、完全に記憶から消えていることにも驚きです。イヤなことを忘れ去ることのできる人間の記憶能力って、うまいことできてますね。

なんだかんだで結局、『シン・ゴジラ』観ました。石原さとみさんのゴジラに匹敵する異物感あふれる怪演など、言いたいことはいろいろありますが、そんなことは置いておいて(といっても、石原さんの役はなかなか置いておけない役なんですが)、まずは本作の素晴しさを認めることが正しい姿勢かと。特にゴジラの絶対的な存在感と破壊シーンの絶望感は、昨今のハリウッド映画にはないインパクトです。ただ、最初出てきた“ヤツ”を見た時は、作中内のコント番組を見せさせられているのかと思いましたが。
あまりの襲撃で、少し前に観た『X-メン アポカリプス』の内容がすっかり消えてなくなりました。

ところで今作の音楽は鷺巣詩郎のスコアに加え、これまでのゴジラ作品からまんべんなく使われていました。つまり、僕が持っているサントラ盤と同じ感じ。そう考えると、手元にあるサントラ盤が急に優れモノに思えてきました。

posted by ichio
2016.08.04

リドリー・スコットの勢いがハンパない

160804ここ数年、映画界でおじいちゃん監督のパワーが止まりません。去年は、ジョージ・ミラー(71歳)の世紀の傑作『マッドマックス 怒りのデス・ロード』が上映され、映画ファンはお祭り騒ぎに。ジョージ爺は現在、続編の『マッドマックス ザ・ウエイストランド』の製作に取りかかっている模様。70を過ぎて、あんなブッ飛んだ映画をつくり上げる感性とパワーにただただ脱帽です。
そんなおじいちゃん監督界で先頭を走るのは、クリント・イーストウッド(86歳)とリドリー・スコット(78歳)のお二人。一般社会でこのお歳であれば、現役は退き、名誉会長と会長などにおさまっている感じですが、お二人は今もバリバリの現役プレイヤー。

で、今回はリドリー・スコットをクローズアップ。イギリス人のリドリー爺は、テレビディレクターとしてキャリアをスタートさせ、のちにCMディレクターに転身。そして1977年に『デュエリスト 決闘者』で映画監督デビュー。ちなみに、トム・クルーズの出世作『トップガン』を撮ったトニー・スコットのお兄さん。
デビュー作の後『エイリアン』『ブレードランナー』と立て続けにSFの傑作をつくりあげ、瞬く間に時代を担う気鋭監督に。特に『エイリアン』のゴスメタリックな宇宙船内や『ブレードランナー』のテクノオリエンタルな都市などの空間デザイン、逆光やスモークの効果を活かしたグラフィカルな映像が脚光を浴びたワケですが、皮肉にもこの特長がその後のスランプを招く要因に。『レジェンド 光と栄光の伝説』『1492 コロンブス』では、お得意の映像美を前面に打ち出すものの、まったくお話に中身がないため、薄っぺらな紙芝居を見せられている感じに。比較的マシといわれている『ブラック・レイン』や『テルマ&ルイーズ』にしても、「別にあなたがメガフォンをとらなくても良かったんじゃないの」と感じる出来映え。ゴージャスな映像だけで中身がないという彼の作風(?)は、50年代の“豊かなアメリカ”を再現しようと、ハリボテの豊かさをつくっていた80年代のアメリカを象徴しているようで興味深いところ。意地悪な見方をすると、イギリス人のリドリー爺が自分のキャリアを呈して、そのことを皮肉ったともいえます。(言っときますが、僕はリドリー・スコットのファンです)
当然、世間的な評価も“映像派監督”から“それっぽいイメージだけの監督”へと降格。さらに、もう失敗は許されないという四面楚歌な状況でつくったのが『G.I.ジェーン』。この映画、主演のデミ・ムーアの丸坊主姿同様、まったく魅力のない愚作です。まだ『エイリアン3』のシガニー・ウィーバーの丸坊主の方が、エロさはあったような気がします。正直『G.I.ジェーン』を観た時は、僕も「この人、もうダメだな」と思いました。(しつこいようですが、僕はリドリー・スコットのファンです)

そんな落ち目街道まっしぐらのリドリー爺の起死回生の一発となったのが、『グラディエーター』。この作品では、持ち前の映像美とローマ帝国というケレン味のある舞台設定がマッチ。さらに復讐劇という推進力のあるストーリー性が加わり大ヒット。見事アカデミー賞まで獲得しちゃいます。
この成功を機に、こだわりの映像作家から職業監督に鞍替え。それからは憑き物がとれたようにアベレージの高い作品をつくり続けています。近年も『悪の法則』や『オデッセイ』などの力作を発表。現在は『エイリアン』の序章であり『プロメテウス』の続編にあたる『エイリアン コヴナント』を制作中。そして何と、製作総指揮として禁断の『ブレードランナー』の続編に着手。このバイタリティとキレの鋭さに恐れ入ります。しかも監督にドゥニ・ヴィルヌーブを起用するところが分かってらっしゃる!

このようにさまざまなジャンルの作品を撮っているリドリー爺ですが、ほぼすべての作品に共通するテーマがあります。それは、“予期せぬ死に直面した時、人はどうするのか?”ということ。
デビュー作の『デュエリスト』はタイトル通り、命をかけて闘う男の話。『エイリアン』は絶望的な状況の中でサバイブする話だし、『ブレードランナー』は数年の寿命しかないことを知ったアンドロイドの苦悩を描いた話です。新しい『悪の法則』や『オデッセイ』も構造は同じ。
なので、彼の作品を観ると、自分に予期せぬ死が迫った時どうするのかを考えずにはいられません。そしていろいろ考えた結果、“逃げる”という答えに至りました。しかも前向きに考えた結果の“逃げる”ではなく、単なる逃避。パニック映画でよく出てくる、仲間が戦っている間にコソッと一人で逃げるセコいヤツ、あれです。まぁ、そういうヤツに限ってろくな死に方はしないんですけどね。
ということで、リドリー・スコットにはこれからも素晴しい映画をつくりつづけてほしいものです。
それにしても彼の顔、もはやブロンズ像みたいになっている。カッコいいです。

posted by ichio